凶弾の射手



 希望的観測なんて無駄だった。


 所詮は心を正常に保つだけの妄想だったのだ。そりゃそうだ。底が見えないくらい高い所から落ちて生きてる筈がない。まして住人ですらないなら、その身体の耐久度は俺達と変わりない。


「…………せ、先輩……」


 雪を殺したのは俺だ。


 言い訳が効かない。俺が押した。首狩り族でも何でもない。首藤狩也が奈落に突き落とした。



 俺が……この手で家族を殺した。



「………………なあ。王。カクシブエってなんだ?」


「む。突然だな。カクシブエはこのまほろばにおける一大イベントだ。お前は死体を目撃した様だが、カクシブエとは正にそれ。死体を回収する現象だな。何だ、突然どうした? まさかお前の妹の死体まで奪った事を怒っているのか?」


「……は?」


 会話が成立しない頃の雪が漏らした言葉について考えていたのに、さりげなくとんでもない発言を聞いた。言及しない訳にはいかない。王がその話を出した以上、俺の妹が殺された事件は、まだ終わっていないのだから。


「どういう事だよ」


「ふむ、違ったか。いやはや、ガワの供給は足りているが、統治者たる者、足る事を知ってはならぬ。だが私はこのまほろばを出られぬ。そんな時だ。どこぞの愚者がユキリノメを動かしたではないか。それに加えて呪術の依り代として使われ、微かにその力を残した指まであるではないか。これ程の条件、そうそう揃うものではない。私はそちらに干渉し、太い霊道の繋がっている場所から指を起点に死体を回収したという訳だ。いやあ回収した当初は驚いたぞ。お前にそっくりの妹だったからな。しかし妹まで殺されるとは、中々お前も憐れな男だ。本当に滑稽で、空しく…………クフフ。流石に、一度死んで不純物の混じった者は違うな」


 俺の悪口? どうでもいい。


 悪口を言われて当然の人間が悪口を言われているだけだ。どうでもいいに決まってるし、当然だ。


 俺は今まで、妹の死体が消えたのはユキリノメが食べたせいだと思い込んでいた。那峰先輩もそう言っていたし、それでも説明がついた。しかも怪異の性質上、仕方ない事だと割り切れた。


 それなのにこんな……古傷を抉る様な真似をされたら、耐えられる訳が無いだろう。俺の妹の肉体は榊木に奪われ、榊木の身体に入った妹の心は、カクシブエによって榊木の肉体ごと『王』に奪われた。しかもその原因は、他でもない榊木。


 アイツがユキリノメを動かさなかったら。


 アイツが入れ替わりなんてしなければ。


 どちらも起こらなければ助かっているのは当然だが、片方でも起こらなければ、少なくとも妹の全てを奪われる事は無かった。


「一体お前には何が残っているというのだ。今は穢れも分離して、その心にあるものは純粋な感情だけ。しかしその感情すら虚無ならば、それは何もないのも同然だ。さぞ満たし甲斐があるだろうなあ、お前の心は。だから…………クフフ。無様だな。お前は全てを他人に与え、代わりに全てを他人に奪われた。お前の様な不幸は見た事がない。天運のみではないとはいえ、もう少し幸福があっても良いものだ」


「王さん! あんまり先輩の事を悪く言うと、私も怒りますよ!」


「事実を述べているだけだとも。これでも配慮している方だ。一切の配慮無く言うのならば―――」


「王さん!」





「お前に生きている意味なんてあるのか?」





 ――――――!


「いやはや、失礼。悪気はあるが、偏見ではない。少しの幸福に多大な不幸。お前の生きている価値とは何だ? お前自身、それを見失いかけてはいないか? 誰が誰に好かれている、誰が誰に嫌われている。どうでもいい。大事なのはお前自身だ。お前はどうだ? 今、生きている意味はあるか? 生きていて楽しいか? 首藤狩也。答えを聞かせてもらおうか」 


「王さ゛ん゛ッ!!」


「―――萌、やめろ」


 俺は徐に天を仰ぎ、微笑んだ。


「碧花が居れば楽しい人生だ。雪と楼が居れば楽しい生活だ。妹が居れば幸せだ。でも王様の言う通り、俺に生きている意味なんかねえよ。強いて言えば碧花の為だ。間違っても俺自身は関係ない。でも楼も雪も居なくなった。碧花は居なくならないって言ってるけど……いつかきっと、居なくなる。アイツの為に生きてる。現に雪は居なくなった。俺が殺した。兄妹の筈の天奈が居なくなった。俺の評判のせいだ。楼は居なくなった。俺が記憶を取り戻したからだ。何もかも俺のせいだ。生きていて楽しい訳ないだろ。生きてるだけで俺は人を殺してるんだぞ。誰も殺したくないのに。誰も居なくなって欲しくないのに。みんな俺から離れる。碧花でさえそんな気がするんだ。本人の気が変わるとかじゃない。不可避の運命として…………」


「―――おや、少し踏み込み過ぎたか?」


「…………それ以上踏み込んだら、もう一発ぶん殴るぞ」


 声が震えているのは自分でも分かった。涙が零れない様に上を向いたつもりだが、零れる涙が予想以上に多かった。頬を伝って滂沱の涙が流れる。それでも顔を下には向けられない。


 今、下に向けたら、きっと俺は、もう二度と上を向けない。


 萌は俺に何と声を掛けて良いか分からない様だった。


「……これ以上踏み込めば私の方がどうなるか分からないからやめておこう。クフフ、さて、一つ目の話は終わりだ。次の話だが―――単純に言うと、脱出の手引きをしてやる。光栄に思えよ」


「え? でも脱出する為には―――」:


「今の私は気分が良い。だから手引きをしてやるのだ。残念ながらお前をおちょくる事に時間を割き過ぎてこれで話は終わりだが、何か質問はあるか?」


 質問?


 ある訳ない。


 あっても、今は出来ない。


「―――特にねえよ」


 喉の辺りを締めた覚えはない。けれど声を出すのも辛くなって、一文字一文字が息を詰まらせる。泣いた時はいつもこうなる。唾を吞む事さえ、とてもきつい。


「そうか。ならば今から左側の壁を開けよう。そこは蕎麦屋だ。出て右を見れば、突き当たりに駅がある。私の気が変わらない内にでも乗るが良い」


「……碧花の場所、分かるか?」


「ん、あの者は…………いいや、今は分からぬな。触らぬ神に祟りなしだ。しかしお前さえ外に居れば勝手に合流してくるだろう。合流したいならば猶更行くがよい。行ったと同時に人間に戻してやる」


「あの、確か脱出する為には―――」


 萌が何か聞こうとしていたが、無視して俺は左の壁に身体を向ける。既に扉は開かれており、脱出までの道のりは確保された。


「あ、先輩! 待ってくださいよー!」


 今度は自ら質問を打ち切って、萌がついてくる。俺達二人が壁を通過した瞬間、目の前の暗闇が変質。状況を理解する間に、王の発言通り蕎麦屋の中に立っていた。















「……本当に蕎麦屋ですね」


「―――王の奴はクソだが、こういう時に嘘は吐かない。曰くナンセンスらしい」


「ナンセンス、ですか?」


「俺も良く分からん。アイツの価値観とかは狂ってるから気にしない方が賢明だ」


 なんだかんだ、脱出か。最初に来た時と同じだ。王と少し話したら、それの褒美として脱出の手引きをしてくれる。その緩さだけを言えば、ここは素晴らしい場所だ。


「…………そう言えば、由利は?」


「あ、ここです」


 萌が背後の畳を指さすと、ついでに転送されたと言わんばかりに由利が倒れ込んでいた。目覚める気配はまだない。しかし俺も萌も一人で彼女を背負うには非力すぎる。自分で目覚めてくれないと。


「…………所で、美原と神乃も居るらしいな」


「あ、はい。居ますよ。何処に居るかは分かりませんけど……でも、本当に大丈夫なんでしょうか?」


「何がだ?」


 萌は全身を外に出して、左右の安全を確認し始める。


「いえ、本当に脱出出来るのかって不安なんですよ。だって私、御影先輩、先輩、碧花さん、神乃さん、美原さんって脱出しようとしたら、誰かを―――」



 ドッ。



 幾度となく遮られる萌の発言。次に遮ったのは誰でも無かった。しかし確かに遮られた。俺よりも王よりもハッキリと、明確に。彼女の身体を吹き飛ばして。


「あ゛……………う゛くぅぅ……!」




 割り箸くらいの大きさの矢が、萌の太腿に突き刺さっていた。




「……萌ッ!?」


 あまりの勢いに彼女は地面に伏した状態で太腿を押さえて蹲っている。何処から飛ばされた矢なのかは知らないが、仕留め切れていないのだ。二発目が間もなく飛んでくる事は容易い。考える事をやめて、俺は矢の刺さった向きから発射方向を特定。すかさず彼女の急所を隠す形で全身を広げる。


「せ、せんぱい…………逃げ゛……ない、と!」


「クオン部長に任されてるんだよ俺は! お前まで殺したら俺は―――」


 どうやら相手にはターゲットというものはないらしい。


「―――せん゛ぱ゛い゛ッ!」












 間もなく、俺の膝にも矢が突き刺さった。



  

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