壟断の王
開かずの扉と化していた引き戸の先には過剰なまでの提灯が壁に吊るされており、その明るくも何処かぼやけた不気味な光が俺達を出迎えている。大鉈は重すぎたので持ってきていない。扉を壊す必要もなくなった今、あんなものは到底持ち運べない。あれを持った上でむしろ俺達に喰らい付いてきた雪のおかしさが良く分かった。アイツ、馬鹿力にも程がある。
萌は興味津々と言った様子で周囲の様子を窺っていたが、それも俺達の前方に倒れる人影を見てその動きを止めた。
「……御影先輩ッ?」
そう、由利だ。今の今まで開かなかった扉の先には由利が倒れていた。俺も急いで駆け寄る。肩から脇にかけて包帯が巻かれており、そこにはこれ以上ないくらいはっきりと出血の痕が残っている。血の滲み方からしてかなりの量だ。顔色は非常に悪く、死んでいると言われても思わず信じてしまいそうだが、まだ微かに息がある。先程感覚が研ぎ澄まされたお蔭で、俺の耳は呼吸を聞き逃さなかった。
「しっかりしてください! 誰がこんな酷い事を……碧花さんにやられたんですかッ?」
隣で聞いていて良い気持ちはしないが、話の腰を折る訳には行くまい。萌も彼女に目覚めて欲しくて必死なのだ。まるで碧花が犯人みたいな言い方は―――彼女の事を異性として好きな俺の心が「許さない」と言っているが、そこは理性で抑え込む。
ここは気持ちを表明する所ではない。変に発言してまほろばの影響を受けるのも癪だ。俺は意地でもここを素晴らしい場所『以外の言い方は』認めない。
「……目覚めそうか」
「…………分かりません。でもこのまま放置は良くないと思います」
「しかし下手に動かすのもな」
担架とかあれば話は別だが、怪我人を雑に運ぶのは如何なものか。近くにベッドがあるならやむなしかもしれないが、そんなものはない。あるのは床だけだし、床なら既に由利も寝ている。動かしたらどうなるか分からない以上、動かしたくないのが正直な意見だ。
「やあ狩也君。ご機嫌いかが?」
由利の容態に不安を感じていると、不意に俺達の前方にある天井が開き、碧花が降りてきた。左目には包帯が巻かれており、その服装は最初に出会った時と比べると大分変わっている。『巫女服は嫌いだから頼まれない限り着たくない』と言っていた彼女が、俺に言われるまでもなく自主的に着ているではないか。
「あ、碧花さんッ!」
脈絡もなく突然登場してきた人物に萌は驚きと恐怖を隠せなかった。俺は彼女の身体を幾ばくか見た後、萌を守る様に前に立った。
そして問答無用で、彼女を殴り飛ばした。
「―――先輩ッ?」
男として心に決めている事があった。それは女性に決して手をあげないというものだ。そんなポリシーを特別誰かに語る様な事も、それを求められる事も無かったから、萌がそんな俺の覚悟を知る事は無いだろう。
とはいえ、特に何かした訳でもない相手を殴るのは、基本的には最低な事である。俺の行動が分からない内は、幻滅したのではないだろうか。しかし構わない。碧花―――いや、目の前の奴はそれ以上に最低な事をしたのだから。
「どんなつもりでそんな恰好してんだお前は」
「……クフフ。乱暴だなあ、君は。突然殴りかかる様な奴に彼女が出来る訳無いだろ?」
「知るか! 俺をおちょくってるのか? お前が『王』だろうが知った事か。本人でもない奴がそんな姿になるんじゃねえ!」
どうせ真似するなら包帯の向きぐらい揃えろ。俺に真贋を見抜く力は無いが、そこまで露骨に偽物を示されたら流石に気付く。拳が痛くなるくらい振り被って殴ったのだが、王は特にダメージを受けた様子はなく、ゆらりと立ち上がった。
「しかし殴る事は無いじゃないか。私がお前に何かしたか?」
「碧花の姿を象った」
「それが殴られる程の事かな?」
「知人を装って近づいて来たら怒るに決まってんだろ―――碧花に何をした?」
こういう誰かを装う奴は大抵本人を碌な目に遭わせていない。イメージは湧かないが、このまほろばを統治する王程の力があれば、碧花であっても太刀打ちは出来ない筈だ。全く効いている様子が無いので、もう一度ぶん殴らんと掴みかかる。
「おい、言えよ。何したんだよアイツに」
「全く短気が過ぎるなあ、お前は。私がそんな悪趣味な奴に見えるか」
「お前が自分で言ったんだろうが!」
忘れたとは言わせない。こいつは『愉快な事が何よりも好きな悪趣味な王様』を自称していた。ハッキリ言って俺はこいつの事が大嫌いだ。こいつが変な所に俺達を連れてきたせいで、俺は何度も何度も碧花に醜態を晒してしまったし、何より俺と碧花以外は全員死んでしまった。曰く『愉快じゃない奴は死んでいく』らしいが、そんな事を言ってる本人が一番『不愉快』なので、あまりこんな事は思いたくないが、さっさと消えて欲しい。
殴った事も威圧した事もない俺では迫力が無い様だ。王はせせら笑うばかりで一向に怯まない。もう一度ぶん殴ろうかと拳を振り上げた時、すかさず萌が間に割り込んできた。
「駄目ですよ先輩ッ! その人、まほろばの『王』なんですよね? 機嫌を損ねたら脱出の望みが無くなっちゃうかもしれませんよ?」
「…………は?」
「先輩、一度来た事があるなら分かるんじゃないんですかッ? ここから脱出するには王さんと―――」
萌が俺の知らない話を言おうとした丁度その時、せせら笑いを続けていた王が不自然に口を開いた。
「そういう訳だ、下がるが良い。あの者には何もしていないし、こうして姿を象っているのは、単にあの者よりも美しい外見を知らぬのだ。気分を悪くしたのなら直ちに変えよう。私はお前達と争いに来た訳でも、ましてお前を馬鹿にしに来た訳でもない。話をしに来たのだ」
幾ら嫌いでも、そう言われた後で殴れば、悪いのは流石に俺だ。最大限睨みつけてから、王の襟から手を離す。
「それで良い。さて、それでは早速話そうと言いたい所だが……お前達としては、そこの女の今後が不安ではないか?」
「……おい。まさかお前が由利を」
「気が早いと言っている。短気な男は好かれんぞ、首藤狩也。その女は中々愉快だ、殺す理由がない。心配せずとも少し眠っているだけだ。傷を塞ぐ為には少し時間が掛かる。見るからに瀕死だが、案ずるな。愉快な者は殺さない」
萌が俺に視線を向けてくる。帰還者である俺に、信じるべきかどうかを問うてきているとみてもいいだろう。その答えは言うまでもなく、イエスだ。『愉快』の基準は分からないが、王の判定に引っかかった奴―――例が俺と碧花しか居ないが―――は全員生きている。こればかりは本人以上に信じられる発言だ。
「……嘘吐いたらお前、許さないからな」
「さてさて、どうしてくれる事やら……ふむ。それはいいとして、まずは座れ。腰を据えて話そうではないか」
そんな事を言った本人が真っ先に胡坐を掻くのは如何なものだろう。特別文句を言いたくはないが、外見が碧花だ。彼女の姿で胡坐を掻くな。プライベートも知っている俺だからこそ言わせてもらうが、碧花は座るとき正座をする。だらけている時も無くは無いが、そういう時は足を伸ばしている。胡坐はしない。
「で、何の話をしたかったのだったか」
「おい」
「冗談だ。余程私の事が嫌いらしいな、お前は。クフフ。本来お前は、私に感謝をしなければならない立場だというのに全く、躾がなってないな」
「お前に感謝する事なんて一個もねえよ」
「クフフ。そうかそうか。泣いてしまいそうだが、まあいい。まずは首藤狩也。お前を人間に戻してやろう」
「…………は?」
俺は首を傾げた。確かに俺は人間じゃない。半分怪異、ないしは死人と言っても差し支えないだろう。しかしそれは王が治せるものじゃない。強いて言えば術者である碧花がどうにか出来るものだし、その経緯上、治されたら俺は死ぬ。
「な、何?」
「先輩って人間じゃなかったんですかッ?」
「いや人間……人間だと思うんだけどな。俺は」
「―――ああ、そっちの話ではない。今のお前はここの世界の住人だ。それを元に戻してやると言っている」
「……待て。住人になってるってのは何となく分かるが、お前が無償で戻す筈が無い。そういう親切が出来る奴じゃ無いだろ」
「酷いな」
「事実を酷いって言うなら、お前は紛れもなく最低な奴だ。ならやっぱり親切なんて出来ない」
「成程、面白いな。確かにお前の言う通り、私が無償でそんな事はしない。まして住人が増えるのは良い事だ。統治者たる私がそれを拒否するのは筋が通っていない。それは認めよう。だが一つ間違っている事がある。これは親切ではない。この世界の秩序に則った正当な処理だ」
「……全然訳が分からん。そもそも住人から人間に戻る条件って何だよ」
「魂だ。住人には魂が無いから違うぞ、人間のだ。つい先程、私の元に一つの魂が下りてきた。そのまま所有する事も考えたが、お前が居る以上そうもいかない。だから戻してやるのだ」
「―――魂って。まさかお前、碧花を―――」
「違う」
「じゃあ由利―――」
「生きていると言った筈だが」
「じゃあ誰なんだよ!」
由利、萌、俺、碧花。まほろばに居る奴は全員言った筈だ。他に心当たりはない。萌の方に視線を振ると、彼女は唾を呑み込んでから慎重に発言した。
「もしかして、神乃さん……ですか?」
「え?」
反応したのは王ではなく、俺。
「ちょ、神乃と美原は逃がしたって碧花から聞いたんだけど……居るのか、ここに」
「はい。美原さんはちょっと見た事ないですけど、神乃さんは一度出会いました。すぐ居なくなっちゃいましたけど」
…………碧花が、嘘を吐いた?
何故?
いや、嘘ではない。きっと萌の勘違いだ。いや、しかし……わざわざ王にそう尋ねるという事は…………
「違う。両者共に生きてい……ああいや、どうだろうな。今の所はという方が正しいかもしれないな」
「…………おい。マジで居るのか。王」
「ん。居るとも。居なければ名前の知りようがあるまい? 一度帰還したお前達は話は別だがな」
まほろばの王はこの世で最も信用が置けない存在だが、その発言はこの世で最も信頼に足る。彼が居ると言うのなら、本当に居るのだろう。見た物しか信じたくないが……碧花が嘘を吐いたなんて、信じたくないが。
「クフフ。分からないか首藤狩也。西辺萌。ここに居るのが本当にお前達だけだと思っていたのか? 首藤狩也。お前はその者とそこそこの間、寝食を共にしただろう」
「…………おい。まさか」
「ああ。九穏雪那くおんせつなだ」
「くおん…………?」
「せつ…………な…………雪せつ……?」
萌と王とを交互に見てから、俺は再び声を荒げた。
「おい! 雪が人間だったってのかッ? おかしいだろ! アイツは楼と一緒に過ごしてて……死体だって二階にあったぞ!」
「ほう。どういう事だ」
「住人の姿形、今まで俺のせいで死んだ奴等じゃないかッ! 楼は神崎、菜は菜雲。香は香撫! 雪は知らないけど、あそこの死体の顔なんだろ!」
「……ではお前は、顔を見たのか?」
「は?」
「死体と同じ顔とはいうが、お前は一度でも顔を見た事があるのか?」
無い。
見たいとは思っていたが、本人も見せたがらなかったし、俺も強要はしなかった。だから見た事はない。俺が見ていたのはいつも、あの笠だけだ。
「―――見てない」
「だろうな。だが今更知る必要はあるまい。既にその者の魂はこの手にある。死体などを見て興奮する性質でもあるまい」
悪意はないのだろう。王はコピー元の碧花らしい仏頂面で淡々と喋り続けている。だから俺を傷つけようとか、絶望させようとか、そういう意図がないのは分かる。そもそも極論を言えば、俺とその九穏雪那は何の接点もないのだ。
だが。
「…………王。雪が住人じゃないなら……………………アイツは」
声を震わせながら、それでも懸命に尋ねようとする俺の意を汲んだつもりか、王は俺の言葉を遮って、特に期待を持たせる事もなく頷いた。
「ああ、死んだ」
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