俺など居なくとも


 


 何かから逃げる様に蹲る彼女の頭を撫でながら、私はこれまでの流れを整理していた。


 あの時は本当に驚いた。


 結局彼女の件に私の思う怪異は関わっておらず、後は首藤君の成果を待つだけだった。だから突然来訪者が来た時は、彼が来たのだと思った。でも違った。



 訪れたのは微妙に血塗れの、オカルト部ならかなり見覚えるのある狐面をつけた―――萌だった。



服はどういう訳からか半分開けていて、にも拘らず本人にそれを治す気は無さそうで、そもそも当の彼女の目は虚ろで。そんな状態で来訪されて驚かない人は居ないと思う。私も驚いたが、しかし両親に対応させる訳にもいかず、直ぐに自分の部屋へ案内した。

 そうしたら、これだ。布団を見るや直ぐに包まって出てこなくなった。それから既に三十分以上経過している。

「萌。何があったの?」

「……………」

「何があったか言ってくれないと……分からない。教えて欲しい」

「…………………ぱいが」

「ん?」

「先輩が……助けてくれました」

 結論から話されても何が何だかさっぱり分からない。初めから説明する事を要求すると、ポツリとポツリと単発的に、萌は自分の身に起きた出来事を話し始めた。まだ恐怖が抜けきっていない影響か、既に説明した事をもう一度言ったり、同じ言葉を狂ったように繰り返して錯乱したりとまともな状態では無かったが、それでも十五分粘り。どうにか自分の頭で纏められるくらいには話を聞けた。

 要はこういう事だ。

 首藤君の妹を探していたら父親と遭遇。逃げようとするも足が動かなくなってしまい、意識を失ったと思えばよく分からない個室で目覚め、そこで父親に犯されかけるも首藤君によって救出。気が付けばここに来ていた―――と。

 萌の説明には色々と欠けている個所が見受けられたが、まともな精神状態じゃない事は最初から分かっていた事だ。欠落の無い正確な説明をさせろという方が無理難題。今は大体の事情が把握できただけでも収穫だと思う。

「……首藤君は?」

 無言が返される。萌も知らないみたいで、私は一抹の不安を覚えた。実を言えば、私が一番心配しているのは萌ではなく、他でもない首藤君だったりする。少し事情が違うけど、萌がこんな風にダメージを負う事自体は別に初めてじゃない。クオン部長のフィールドワークに付き合っていたら少なからず部員は何かしらの被害に遭う。私も遭ったし、部長自身もあった。

 でも首藤君は違う。彼は『首狩り族』かもしれないけど、その本質は間違いなく普通の人間。非日常の世界に片足入った私達よりもずっと彼は日常の世界に居る。萌の反応を見る限り、彼の妹は取り戻せていないみたいだし、本当に心配だ。何か間違いを起こしてしまうんじゃないかと。

「……ココア、入れてくる」

 私は一度席を外し、一先ずは萌の心を落ち着かせる事にした。まだ親は眠っていないけど、私の両親はそれぞれ私室を持っていてそこでテレビを見ているだろうから、顔を合わせる事はない。リビングに入り、テキパキとお湯とパウダー、コップを用意。淹れるのに慣れていると思うかもしれないが、これは私が昔、寝付けない時に母に作ってもらっていた事が原因だ。コーヒーみたいなものだと思ってくれて良い。

 初めて飲んで以降病みつきになってしまったので、自分でも淹れられる様になってしまったという訳だ。


 ……出来た。


 他人に飲ませるものを味見する気は無いが、もしも萌が猫舌だったりしたらどうしよう。作った感覚としては丁度良い温度で出来たと思うけれど、それは飽くまで私の主観でしかないから、結局は何とも言えない。

 うっかり零してしまわない様に気を付けながら、私は同じ路を逆戻りして、自分の部屋の扉に手を掛けた。

「……萌。起きて。ココア持って―――」

 半身を部屋に入れた所で、私は動きを止めた。待っていたと言わんばかりに萌が起き上がっていたから驚いた、とかではない。それだったらどれだけ良かった事か。私の目の前に突き付けられた現実は、想定の下でも上でも無かった。

「―――す、首藤君ッ?」  



「お、由利か。悪いな、勝手にお邪魔しちゃって」

















「はいッ。これで三本目だね」

「嘘だろ……お前、まさか心を読む能力が!」

「あるよ」

「嘘だろ」

 同じ言葉でも意味は違う。日本語の難しい事と言ったら他の追随を許さない。俺達からすれば英語の方が遥かに難しい気がするが、碧花曰く『それは無いと思うよ』との事。

 それはそれとして、この手の勝負において彼女に勝った試しがない。イカサマのしようがない勝負でも、まるでイカサマでもしているみたいに、碧花は平然と勝利をもぎ取ってくる。心理戦で勝てないのは当然だとしても、これは特殊能力でもない限り運ゲーでしかない。何せ碧花は質問の一つも仕掛けてこなかったのだ。

 お蔭で四百円弱吹き飛んだ。財布にはまだまだ中身があるとはいえ、微妙に複雑な気持ちだ。

「……マジで何なんだ、お前のその特殊能力。普通、『雲梯うんていで遊びたい』っていう心なんか読めねえだろ!」

「だから特殊能力だって」

「嘘吐くなッ。タネも仕掛けも無いとかほざいてる奴程タネも仕掛けもあるんだよ!」

「それは間違いないだろうけど―――しかし、君も物好きだね。雲梯で遊びたいのかい?」

「遊びたい……というか、リベンジだな。小学校の頃、最後まで渡れた事が無いんだよ。丁度このタイプの雲梯だな」

 俺が行っているのは、真ん中を頂点としたタイプの雲梯であり、この手のタイプは最初こそ楽だが、真ん中に進むにつれて腕力だけで自分の身体を持ち上げなければならず、これが中々辛い。真ん中さえ通り過ぎれば後は下りなので、楽だとは思うのだが、その真ん中が超えられない。超えられないまま、俺の小学校生活は幕を閉じた。

「だからまあ…………高校生の今なら、出来るだろうって事で、やりたいんだ―――っよ!」

 ブランコから勢いよく飛び降りて、五点着地を以て衝撃を緩和。ドヤ顔を碧花に向けるも、彼女は尊敬のまなざしを向けるでもなければ無関心を貫くでもなく、純粋に首を傾げていた。

「素人にしては五点着地は綺麗だと思うけど、そこまで勢いついてたかい……?」

「え。だってこの方がかっこいいだろ?」

「かっこいい、かなあ。どうせ勢いをつけるなら立ち漕ぎすればよかったんじゃ?」

 言いつつ碧花は立ち上がり、自身の発言通り立ち漕ぎ状態へ移行。ブランコという遊具ではしばしば立ち漕ぎを禁止される事があるが、その理由というのが、座った時と比べると著しく加速が早いからだ。

 今、彼女が立ち漕ぎを出来ているのは、時間帯の影響で人が全く居らず、誰にも憚る必要が無いからである。

「―――はッ!」

 ダッフルコートなんて明らかに運動には適していないのに、よくもまあこれだけ身軽に動ける。俺の倍の距離を飛んだ碧花は、俺と全く同じ方法で衝撃を殺し、着地した。一連の流れに全く無駄が見えなかったが、『素人にしては』と言っていたし、もしかして彼女は五点着地のプロ―――もとい、フリーランとかパルクールをやっているのかもしれない。でなきゃあんな玄人目線で物を語るなんて出来まい。

「……ああ、確かにこっちの方がかっこいいね」

「いや、賛同おせえよ! ていうか髪とか大丈夫か? 砂払った方がいいぞ」

「ご心配なく。君が雲梯で遊んでいる内に払っておくよ」

「え、お前やらないの?」

「私は別にリベンジの必要なんて無いし。そこのベンチで君から徴収した缶ジュースでも頂くとするよ」

 徴収…………税金みたいな言い方に俺は眉を顰めたが、確かに雲梯はワイワイしながら遊ぶものではない。いや、遊べたとしても、それは子供の時だけだ。幾ら童心に帰ったと言っても、雲梯で当時のまま遊ぶと言うのは無理がある。

「……よーし!」

 足早にベンチの方へ向かった碧花を尻目に、俺は雲梯に、十数年ぶりのリベンジを試みる。





―――それはそれとして、公園で遊ぶの、凄く楽しい。

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