骨抜きになった軟弱男
秘密の関係、という訳ではないが、この状態を誰かに見られたら幻滅必至である。萌でさえ俺の事を下衆と蔑むだろう。
先輩の温かさに骨抜きにされた俺は、文字通りふにゃふにゃになっていた。
初めて感じる温もり。生まれてこの方先輩という存在に愛された事が無いから耐性が無かったのだ。これは決して俺が惚れっぽいとか、そういう事ではない。叶う事なら、迷わず碧花を選ぶ。でも、きっと俺では、『友達』以上の関係にはなれない。
那峰先輩が碧花よりも攻略しやすいと言いたい訳じゃないが、ライバルがべらぼうに多い学校一の美人よりかは、深窓の……ではなく、保健室の佳人の方が、まだ進展性がある様に思う。だからと言ってふにゃふにゃになった様を碧花にでも見られようものなら、俺は直ちに死ぬ。アイツにだけは幻滅されたくない。
「……首藤君。貴方にお客さんみたいよ?」
「…………え!」
噂をすれば影が差す。俺を訪ねてくる様な物好きは彼女以外に考えられないので、まず間違いない。もっと那峰先輩の温もりを感じていたかったが、碧花にカッコ悪い所を見せたくない思いが圧勝した。直ぐにベッドから降りて、扉の前で正座待機。
………来ない。
「那峰先輩、また嘘ですかッ!」
「え? 嘘じゃないわよ。今来たとは言ってないでしょ。後二分一〇秒くらい後に来るかしら」
「……? やけに刻みますね」
「ええ。これでも聴力には自信があるのよ? ここに居ても授業が聞けるくらいはね」
「えええええ! そりゃまたどえらい聴力ですね。でも、本当ですか? その秒数どうやって算出したんですか」
「うーん、女の勘って奴かしら。疑うなら、勝負しましょうか?」
「……勝負ですか?」
「そう! 私が勝ったら、明日お使いを頼まれてほしいなッ。負けたら何でも言う事聞いてあげる!」
何でもの安売りに違いないが、安売りだろうと何だろうと『何でも』は『何でも』だ。千円で投げ売りされていてもダイヤはダイヤだろう。しかしそこまで言い切るという事は、余程勝つ自信があると見える。
返事の遅延に意味はない。俺は胸に手を置いて、その賭けを受諾した。
「分かりました! 勝負しましょう。えーと、後二〇秒くらいですか」
来るとすれば碧花だが、俺も嗅覚には自信がある。彼女が使ってる洗剤の匂いは把握済みだ。廊下越しくらいだったら俺も確実に見分けられる。
保健室から二十秒の範囲なら、確実だ。そして俺のスーパー碧花センサーによると、この範囲に碧花は居ない。勝った!
「あー済みません。一年B組の冴木ですけど。首藤狩也さんは居ますか?」
…………誰?
「やったー! 勝っちゃった!」
碧花以外に俺を訪ねる者が居るなんて予想外だった。悔しがるとかそういう感情を超越して、呆然と立ち尽くしている俺を尻目に、那峰先輩は無邪気に喜んでいる。単に俺を訪ねに来た後輩は、保健室の混沌に首を傾げていた。
「……あの。マギャク部長が呼んでますので、視聴覚室の方に一緒に来ていただけると」
「…………あ、うん。オッケー。分かった。うん」
勝ち誇るのは敗北フラグだとアニメや漫画などでは言われていたが、まさか現実でもフラグが立つとは。どうせ立ってくれるなら恋愛フラグにしてくれりゃいいのに、つくづく俺という存在はズレている。
そして使いをよこすのなら、せめて女の子にして欲しかった。野郎に連れられ那峰先輩の下を離れなければならないなんて。こんな不幸な事は無い。しかも知らない後輩だし。
それにしても、用件は何だろうか。碧花が居るならともかく、俺個人に用があるとは思えないが。
視聴覚室に入ると、真っ先に迎えてくれたのはマギャク部長…………ではなく、碧花だった。
何かした覚えはないが、物凄い形相でこっちを睨んでいる。一見すると無表情と何ら変わりないが、目力が決定的に違う。
「な、何だよ……」
「君、スケベな顔してる」
「はあッ?」
スケベな顔って……鏡を見る暇も無かったから確認出来ない。でも、普通の表情の筈だ。笑顔だったら口角の辺りに力みを感じる筈だし、何らかのネガティブな感情を抱いていれば瞼が下がっている筈。
つまり俺は…………常時スケベな顔をしているという事か!?
否定出来ないのが悔しい所だ。碧花が近くに居る時点で、この学校の殆ど全ての男子生徒はスケベな顔をするのではないだろうか。
「そ、そ、そんな訳無いだろ! 何だよスケベって! 普段からそんな顔してるっていうのかよ!」
「いや、普段はそんな事無いんだけど―――すっごく不愉快。誰と話してたの」
「だ、誰とも話してねえし、そんな顔してねえし!」
「――――――ふーん」
疑惑が払拭される事は無かった。碧花は再び(椅子が出ていたので、多分最初は座っていた)椅子に座り、頬杖を突いた。その後も、やはり俺の方を訝る様に見つめていた。何だか落ち着かないが、呼びだしたのは奥で両腕を組んで構えているマギャク部長なので、今はそっちの方に対処しよう。
「何の用ですか? 末逆部長」
「首藤狩也。君に決闘を申し込む!」
「お断りします」
「え?」
「決闘罪で処罰されたくないですもん」
現代では滅多に適用されないが、この世には決闘罪というものがある。大して詳しくないが、要はタイマンが駄目なのだろう。なのでやりたくない。一億円積まれてもやだ。只でさえ犯罪者に厳しい世界なのに、自ら犯罪者になる野郎が何処に居やがる。余程の動機が無い限り、俺は犯罪を犯すつもりはない。
余程というと喩えに困るが……『傍観したら俺と碧花が、今まで通り接する事が出来なくなるような事』とか起きたら―――やめておこう。考えたくもない。
それに末逆部長との決闘がその例外に適用される事は無いだろう。
「…………狩也君。残念だけれど、決闘罪は相互に身体又は生命を害すべき暴行をもって争闘する行為の事だ。大丈夫、そんな決闘にはならないよ。便宜上、という奴だね」
「碧花!?」
珍しい。碧花が肩を持つなんて。驚いて振り返ったが、やはり表情はさっきのまま変わっていなかった。謎にフォローされた末逆部長は、「そうだとも!」と言って、さも何の問題も無かったように続けた。
「首藤狩也。君に決闘を申し込む!」
「あ、そこからやり直しですか」
「申し込むったら申し込む!」
「……まあいいですけど。何をして勝負するんですか?」
「何をして……だと。碧花ッ!」
「え?」
もうどういう事なのか分からない。結局俺を呼んできたのは碧花なのか末逆部長なのかどっちなのだ。そして用件があるのは碧花なのか末逆部長なのか。どっちかだったとして、じゃあもう片方は何の為に居るか。天の声でも何でもいいから誰か俺に教えてくれ。
事態の中心に居る筈なのに、蚊帳の外に居る気分だ。人知れず俺はデジャヴを覚えた。
「じゃあ、そうだな。暴力的じゃない決闘となると、やはり男としての魅力で争ってもらうしか無いな」
「男としての魅力?」
「うん。ルールはこうしようか。今日から二日間の内に、どれだけの女の子とツーショットを撮れるか。公平を期す為に、末逆部長は部員を使うのを禁止。狩也君は同級生を実質的に使えないから、知り合いを使っても良いよ。どうせそこまで居ないしね」
「本当の事だから傷つく。やめてくれ」
「あいや承知した! それではな、碧花。俺が勝った時の約束、忘れてくれるなよ!」
視聴覚室から末逆部長が華麗に退場した後、俺は頭の上に何個も疑問符を浮かべて、碧花に尋ねた。
「どういう事だ?」
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