無垢な感情



 父親の件もあるので、知り合いの下へは腕を組んで行く事になった。心残りがあるとすれば碧花に別人作戦の『アリ』『ナシ』を伝え忘れている事と(あれは単にエロ画像を求めた訳ではなく、飽くまでそれが良い作戦かどうかを見分ける為の材料なのだ)、せっかく送ってくれた画像を消してしまった事だ。


 萌が引き続き俺に懐いてくれる現状と引き換えたと考えれば、安いのかもしれないが。


「先輩、何処に向かってるんですか?」


「病院だよ」


「病院……ですか?」


「ああ。言ったろ、記憶喪失だって。まだ病院に居るかどうかは分からないが、多分居ると信じたいな」


 一応、根拠は無い訳ではない。久しぶりに彼女と再会した時、彼女は普通に徘徊していた。徘徊癖というかどうかはともかく、そんな奴を家で生活させようとは思わないだろう。仮に家で生活していたとしても、間違いなく通院はしている筈だ。病院に行けばその時に鉢合わせるかもしれないし、それに病院へ向かう為のルートは二つしかなく、内一つを俺達がたった今歩いているから、帰っている最中ならばここで遭遇する可能性だってある。もし病院にも居らず、遭遇しなかったのなら、それはもう一つのルートで帰ったという事だ。そっちを辿れば、きっと出会えるだろう。



 何にせよ、病院には行き得なのである…………あれ。



 待て。彼女が入院して居なかったら行き得でも何でもないぞ。俺は飽くまでツーショット対決と兼ねてここに来ているのであって、本当に彼女に会いに来た訳じゃない。入院して居なかったら、行き得処か行き損でしかない。


「一応、名前を聞いても宜しいですか?」


「―――近江奈々。俺の事を調べてたオカルト部なら知ってるんじゃないのか。前は気の良い奴だったと思うんだが、すっかり変わっちまって……割と悲しい」


「それ以降は、何も無いんですか」


「ん?」


「いや、ですから。先輩の『首狩り』を受けて、その後。何も起きてないんですか?」


「ああ。起きてないと思うぞ。十分『首』は狩られたって事なんじゃないか? 知らないけどな」


 基本的に被害を受けた奴は俺と関わりを無くすので、それ以上の被害に遭った事がない。もしくは遭い様がない。なので長年この不運と一緒に生きてきた俺でも、二度目があるのかどうかは分からない。


 出来れば無いままの方が、俺もこれ以上死体を見ずに済むから大いに助かる。もう病む事は無いが、俺は未だに菜雲の一件、何か出来る事があったんじゃないかと、特に引き摺っているのだ。



 風呂で感傷的になっている時に、ふと思い出す程度には軽減されているとはいえ。



「由利も連れてくるべきだったかな」


「え、御影先輩を? どうしてですか?」


「あいつ、奈々の保護者を知ってるみたいなんだよな。何でかは知らねえけど。ほら、やっぱり情報を多く持ってる奴が隣に居た方が都合が良いだろう?」


 とは言いつつも、連れてくるつもりは毛頭なかった。これは萌の父親への演技も兼ねている。ただし萌は俺と腕を組んで帰るのがよっぽど嬉しいらしく、演技ではなく本気で身体を密着させて、ぐいぐい身体を押し付けてくる。制服で誤魔化されているが、あの隠れ巨乳が常に触れているという事態は、男性限定で正気度を削る。離れたいのが正直な感想だが、ここで彼女を拒絶すると、偽りの関係である事がバレる可能性がある。


 いつどこで見ているか分からない。俺の事を徹底的に調査すると言っていたし、用心するに越した事は無いだろう。


―――本当に俺は、何してるんだろうな。


 クオン部長に戻ってきてもらいたい。俺一人ではオカルト部の事情と『首狩り族』を相手出来ない。彼さえ居てくれたら、少なくとも萌の父親の件は一任出来たのに……三年生が一人減ったなんて話は寡聞にして聞いた事が無いが、あの日以降、クオン部長が現れる事は無くなった。真実を暴いた代償があまりにも重すぎる。やはり真実というものは無闇に暴くべきではないのだろうか。


―――それに。


 俺が全ての元凶という発言も、心当たりはあるが、その意味を理解している訳ではない。どういう事なのだろう……か。俺の考えが正しいのだとするなら、碧花もまた、元凶に近い所に居るのではないだろうか。絶対に無関係という訳ではない筈だ。


「……試してみるか」


「え?」


「ああいや。何でもない。すまん」


 ツーショット対決の結果がどうあれ、勝負終了後、俺は努めて碧花の隣から離れない様にしよう。こんな対決を受けた時点で、俺と末逆部長は関わっている。彼女を引き離した状態で彼が死ぬか否か。それで全てがハッキリする。


 そうだ、ハッキリさせようじゃないか。これが終われば待ち受けるはクリスマス会。転じて碧花と過ごす愛おしい時間。そんな時に、彼女を一ミリも疑いたくない。疑いが全て晴れてから、楽しみたい。









「あれれえ~。もしかして君が噂の、人殺しの高校生ッ?」









 考える事が多すぎるあまり、思考がパンク気味になってきた俺に更に追い打ちをかける様に、見知らぬ男が声を掛けてきた。俺が足を止めたので、萌も当然止まる。


「知ってる人ですか?」


「んな訳無いだろ。……失礼ですが、どちら様でしょうか」


 明らかに口調そのものが煽りに特化している男は、舐め腐った態度で雑に自己紹介をした。


「いやあ済みませんねえ。私、野海貴尋と言う記者です。以後お見知りおきを、首藤君」


 野海は醜悪に歪んだ口元を直さず、珍しい物を見るかのように俺を見つめた。俺を苛立たせる為の演技だと思いたいが、もしもこれがデフォルトの笑顔ならば、救いようがない。見ているだけで心が刺々しくなる。


「俺の名前…………知ってるんですね」


「そりゃあ知っていますよ。ええ、ええ。ここらでは有名な話です。君に関わった人が皆死んでいくなんて、一部では言われてますが! …………君が殺したんでしょう! 首藤君」


 そんな極論を言われたのは実に久しぶりの事だ。中学校に入る頃にはすっかり言われなくなっただけに、耐性が劣化している。


 心に鋭い罅が入った気がした。


「―――また、随分な極論ですね。俺が誰かを殺している様に見えると」


「ああ見える! 君の様に普通を装ってる奴が実はサイコパスなんてのはよくある話でしょ? 次のターゲットは隣の女の子ですかぁ?」


 それにしてもこの記者には礼儀とかそういう人道的なモノがないのだろうか。俺に対しても萌に対しても失礼だし、出来る事なら無視したいが、こういう奴を無視すると『沈黙は肯定』ルールが適用されて、ある事無い事書かれるに決まっている。


 ああ面倒くさい。


「違いますよ。そもそも殺人なんて一度もやってませんから」


「ほう、成程! 趣向を変えたんですかッ。ありゃ~お嬢ちゃん、不幸だったねー。多分君、レイプされるよ」


「…………え」



「やめろ!」



 今までにないくらい強い口調で制止を掛ける。萌が幾ら阿呆でも、彼女は昏睡レイプされかけた経験がある。その傷を掘り起こそうとするのは、たとえ誰であっても俺が許さない。


「アンタさっきから何なんだ? 取材したいなら、少しは礼儀ってもんを学んだ方が良いんじゃないのか?」


「私は君よりも年上なんですがあ、君も敬語を使った方が良いんじゃないのかい首藤くぅん?」


「年上だからって敬う対象とは限らない。俺だけならまだしも、コイツにまで悪口を言うのは許さないぞ。あんまり付き纏って侮辱を続ける様だったら、警察にアンタを突き出す」


「おいおい! あまり笑わせないでくれよ首藤君。私を突き出すんじゃなくて、君が出頭するんだろ―――」




「そんなに言うんだったら、俺が殺人犯っていう証拠出してみろよ!」




 煽り耐性が無いと言われたらそこまでだが、ここまで侮辱されちゃあ、反論しない訳にはいかない。いつになく苛立って声を荒げる俺から、萌は手を離そうとした。


「俺が『首狩り族』って呼ばれてるのは、俺が関わった人が俺の居ない所で死んでる上にろくすっぽ証拠が無いからそう呼ばれてるんだよ! 証拠があるならとっくに俺は捕まってる! それなのにアンタは証拠も無しに人を犯人扱いか? 記者ってそんな偉い身分じゃねえだろ。あんまり調子に乗って煽る様だと、侮辱罪で訴えるからな!」


 そんな彼女の手を強引に掴み、俺は足早に病院へと歩き出した。殺人犯な訳が無いだろう、俺が。一度でもそんな御身分に身を堕とせば、兄として天奈を守る事が出来なくなる。


 ああ、やはり天奈を碧花の方に預けて正解だった。こんなうざったい記者が家まで付き纏って来たら、俺だけならまだしも、心の弱い天奈の事だ。きっと精神を病んでいた。直前に友達も死んでいるし、間違いない。


「ふざけんじゃねえよ…………俺は、誰も殺してねえし……死んでほしくねえんだよ…………!」





 心の底から漏れた弱音は、萌の耳にしっかりと届いた。

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