昏き底に

 一先ず萌の治癒の為に、俺達三人は俺の家に向けて歩いていた。道中に襲われる様な事は無く、何の問題も無く辿り着けたのは、幸運という他ない。


「着いたぞ、萌」


「……ありがとうございます」


 西園寺悠吾が突然由利に変わった理由は、分からない。というか、彼を目撃しているのが今の所俺だけなので、由利に何を聞いても、彼女は首を傾げるばかりである。因みにどうして由利が俺達の場所を知っていたかと言うと、クオン部長から連絡を受けたらしい。



 アイツは一体何処で何をしているのだ。



 先輩をアイツ呼ばわりなど失礼過ぎるが、この特異的な状況だからこそ言わせてもらいたい。俺達には彼が必要なのだ。というか、彼さえ戻ってきてくれたら、大人しく俺は家で過ごせるのだ。以前電話を掛けてきたのを利用して、こちらからも掛けてみたが、繋がらなかった。マジで何処で何をしているのだろう。連絡しておいて、こちらからの連絡は拒否など冗談じゃない。絶対に見つけ出してやる。


「由利。リビングの方まで萌を運んでおいてくれ。俺は氷を持ってくる」


「分かった」


 電気を点けて、二人を上がらせる。女子二人を家に招くなど初めての事だが(それも俺一人の状況で)、今はそこに何らかの感情を持ち込んでいる暇はない。この不可思議な状況で欲情出来たら、それこそ俺は頭がおかしいのだろう。流石に、そこまで狂人になった覚えはない。いつもならばくだらない妄想でもする所だが、今の俺は果たして氷が家にあったかどうかを気にする、只人であった。


 冷蔵庫があれば基本的に氷はあるので、心配は無用とも言えたが。


「持って来たぞ」


 萌はソファで寝かされていた。ひじ掛け部分に足を乗せて、大人しくしている。由利さえ居なければ俺がやる所だが、彼女が居るのなら話は別だ。俺は氷を入れた袋―――タオルを一枚被せた状態だ―――を由利に渡すと、一言言って二階へ行った。


「お前の方が慣れてるだろ。頼んだ」


「……うん」


 かっこいい所を見せるとか見せないとか、そう言う場合ではない。傷の処置に慣れている者に任せるのが、俺の取れる最善の筈だ。


「萌。テレビ点けるか?」


「あ、はい! お願いしますッ」


 傷の処置は由利に任せるとして、俺は椅子に座り、テレビを点けた。位置関係として、俺は萌と由利の後ろ側に居るので、こちらの表情が悟られる事は無いだろう―――








 何で電気が消えてたんだ?









 ブレーカーは氷を取りに行くついでに確認した。別に落ちていた訳ではない、そもそも落ちていたら最初に電気は点いていない。誰かが入り込んだという線が濃厚だが、電気の点けっぱなしである家に無断で入る奴が何処に居るのだろうか。そんな非常識な奴は、俺の友達の中には居ない。



 ―――碧花、か?



 かつて、俺が感染病にかかった頃、彼女が突然見舞いに来てくれた事があった。その時は妹が外出していて、更には鍵が開いていたから入ったらしいが……まさかもまさか。その選択肢はないだろうと、俺は頭を振って打ち消した。


 用があるから彼女は入ってきたのであって、用もなく家に上がり込む様な輩ではない。クオン部長も……多分、そういう人間ではないだろう。



 ―――となると、誰が来たんだ?



 来た、と考えるのは不適切の可能性だってある。俺達は家に帰るまで一切の寄り道をしなかった。もしかしたら、まだこの家に居るかもしれないという可能性だって……ある。


「あはははは! 町は不思議なのに、テレビはやってるんですねッ」


「萌。部長と連絡は……」


「連絡取れないんですよッ。部長の事だから、何かを見つけて夢中になってるだけだと思いますけど」


 目の前から聞こえるのは、女子二人の楽しそうな声。出来れば俺もその中に入りたい。入って全てを忘れたい。だが、この背筋に気持ち悪いモノが這いずる感覚を何とかしなくては。夜に眠る事も出来やしない。


 俺は誰も居ない筈の廊下を見遣った。


「…………」


 腕の辺りから妙な汗を掻き始めた。気持ち悪い。俺の家に、俺の知らない誰かが居ると思うと、気持ち悪くて仕方ない。確認するのも怖いが、さりとて確認せぬままにしておくのも、下手すると萌や由利に危害が及ぶから、出来ない。


 この家を守っているのは、俺なんだ。


「俺、ちょっと二階に行ってくるわ」


 ひょっとすると、その声は震えていたかもしれない。俺の異変を察知した由利がこちらを向く。


「……一緒に、行く?」


「あ、いいよ。お前は萌の隣に居てくれ。怪我人には安静にしてもらわないと」


「ちょっと! まるで私が動き出すみたいじゃないですかッ」


「元気になるの早いな。でも事実だろ。お前等オカルト部はそうやって、身体の無理を抑え付けてでも探求するんだから」


 乾いた笑いを聞かせながら、俺は廊下に出た。電気を点けっぱなしにしている筈なのに、二人の居ない空間は、やけに肌寒かった。この寒さが、只の外気であれば良いのだが。




 ……落ち着け。落ち着け。



 男らしさを身に着けたというのであれば、こんな所で恐れるなど論外だ。クオン部長の居ないこの状態で、女子二人を守るのは『首狩り族』たる俺の役目。俺の役目。そう、俺の役目。逃げたくない。逃げられない。逃げない。


『逃げるの?』


 逃げたい。


『背を向けるの?』


 俺は、見据える。


『君は、何をしたいの?』




 俺は、テスト勉強がしたい。




 そう。俺はテスト勉強がしたい。そうでなくても寝たり風呂に入ったりしたい。萌の行動に付き合ったのは成り行きであり、こうして家に帰れた今、俺は自分の事を優先したっていいのだ。滞在者の人達には……萌は部長と連絡が取れないと泊まる家が無いそうだから、泊ってもらえばいい。由利は知らん。


 何にせよ、ここでこの嫌な予感を解消しないと、どうしようとも思えない。先ずは一階にある風呂やトイレなどを見回り、人が居ない事を確認。続いて二階へ行き、二択の末に天奈の部屋を確認。中は綺麗だった。


 残すは俺の部屋だけである。ドアノブに手を掛けて、ゆっくりと回す。扉を開く直前、手が石化してしまった。


 血の臭いはしない。


 死体の気配も無い。


 それなのにこの嫌な予感は一体。


 胸の上で拳を固く握りしめてから、俺は意を決して扉を開けた。























 雑然。


 乱雑。


 混沌。


 無秩序。


 崩壊。


 あらゆる言葉が似合うその惨状を、果たしてどう受け止めたら良いものか。俺は息を呑んで、変わり果てた俺の部屋を見据えた。


 箪笥、クローゼット、ベッド、机。全てが荒らされている。衣類は全て弾き出され地面に投げ捨てられ、机の引き出しなどにあった書類も全て散乱している。ベッドはそれとは正反対に、普段の状態よりかは幾分も綺麗になっていた。これを『荒らされていた』と言うには少々綺麗すぎるが、元の状態とは違うという意味ならば、これも荒らされた類に入るのだろう。


 不運も何も、訳が分からないから独り言の出しようがない。犯人が既にこの家を出た後であると判明したのは有難いが、立つ鳥、跡を濁さずとまでは行かない様だ。せめて完璧に隠滅して欲しかった。そうすれば嫌な予感を、気のせいと片づけられたのに。


 散らかしっぱなしにしてくれたせいで、誰かが来た事が確定してしまった。嫌な予感の正体とは、これだったのだ。


 問題は何を探していたかだが……取り敢えず、全てを戻さないと紛失物の有無すら判明しない。二人がリビングで楽しんでいる内に、さっさと片づけてしまおう。



 参考書が無くなっていたら、俺は泣く。



 まあ無くなっていたら、犯人は碧花という事になるが。




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