失われた駅の名は
「お、おい何処に行く気だよ」
「いいから黙ってついて来い。話はそれからだ。事前に話して逃げられちゃたまったもんじゃないからな」
至って何の変哲も無く邂逅の森を引き返した私達は、ここから一番近い駅に向かっていた。勿論電車に乗る為だ。
「……そ、それ言ってもいいんですか? 逃げられたら困るって言ってる様なものじゃ」
「大いに困る。お前達が居なきゃ助けられないからな。どうしても逃げるというなら、まあ逃げてみろって話だけども―――」
私はこの地域で一番大きな坂道の手前で足を止めると、街を一望しながら言った。
「もうこの地域には水鏡家の手が回ってる。私から逃げても、どうせ捕まるだけだよ」
ここから見えるだけでも三〇人と少し。動き方がやけに作戦的だから。恐らくこちらの動向はバレていると考えた方が良い。どうやって割り出したかは分からないけれど、一直線には来ていないので、GPS等で直接的に位置がバレている訳では無さそうだ。本当に連れ戻したいなら当主様の携帯にでも仕込んでおけば良いのに。
ああ、次期当主様か。
私からすれば『手が届く人間』でしかないけどね。
「捕まりたくないなら、私に付いて来ればいい。利害の一致にはなってると思わないか?」
「いや。それは無い。美原の事は私が守る。お前の助けなんて―――」
「私が悪かった。そうだな、さっきも言ったし正直に言うよ。お前等に拒否権は無いし選択権は無いし逃げてもらう訳にもいかないしあの家に回収される訳にもいかない。否が応でも連れて行く。一応は納得出来る理屈を用意してやったつもりだが、そうだよな。選択の余地なんか与えて逃げないお前等じゃないものな」
どれだけ言葉を取り繕ったって、私はこの二人を逃さない。狩也君さえ助けられたら、後はどうでもいいけど。それまでは最重要人物だ。彼以外を守るなんてストレスで頭がどうにかなってしまいそうだけど―――それも仕方ないと割り切ろう。
証拠隠滅を完璧にするよりは全然楽な方だ。
「それと私が守る、なんて格好つけるのは勝手だけど。次期当主様を簡単に諦める家なもんか。素人じゃまず無理だよ」
「じゃあどうしろって言うんだよ!」
「さっきから言ってる。私に付いて来ればいい。ここは法治国家だ。相手も相手で、お前達を捕まえる手段は限られている。それにね……お前達が素人な様に、相手も素人だ。なら私が負ける道理はない」
「お前は素人じゃないって言うのかよ」
「本職には流石に劣るけれども。要は頭の使い方だ。幸い、君達にはとにかく逃げるという目的しかないから、待ち伏せるという事も出来ないだろう。なら大いに勝ち目はある。というか負ける要素が無いからどうでもいい。私が心配なのは狩也君の方だ」
「……でも私達、結構早く出発したと思いますけど」
「遅すぎるくらいだ。本当ならあの時点で連れ戻せればベストだったけれど、過ぎた事を気にしても仕方ない。悪いけど待つつもりはない。そろそろ行くよ」
待ってて、狩也君。
今、助けるから。
この人、本当に何者なんだろう。
神乃の袖を掴みながら、私はこの人の何処からそんな自信が湧いてくるのか不思議でならなかった。私の家について私よりも詳しく知っていると言っても過言じゃない。彼女の足取りには確かな自信があり、その自信を裏付ける様に、私達は一度も追っ手に遭遇しなかった。
「あ、あのー」
「何?」
「も、もし追っ手の人に見つかったら、その時は……」
「あり得ない」
そこまでハッキリ言われると、返す言葉も無い。複雑な気持ちのまま押し黙っていると、今度は彼女の方から口を開いた。
「私の傍に居る限りは手は出させない。一番手っ取り早いのは交番に連絡する事だけど、それを目印にされて囲まれたくないから、呼ばないよ。それだけは一応言っておく」
不安を微塵も感じさせないその姿勢は、私達から『もしも』という名の一番悪質な不安を取り除かせた。神乃はずっと警戒しているけれど、それでもあの人を頼らない訳にはいかず、悔しそうに歯噛みしていた。
「あの…………名前……何て言うんですか?」
「教えて何になる。狩也君が戻ってくるなら教えるよ」
「だ、だって……何か、おかしいじゃないですか。私の立場も知ってて、家の事も知ってて……何者なんですか?」
「立場なんて逆算したら分かるさ。それと私が何者でもお前等には関係ない筈だよ。そもそもお前等、私の事を嫌がってるじゃないか。そんな奴の事を知って何が楽しいんだか。気にするなよ。どうせ狩也君を助けたら、それっきりなんだから」
……どうも解せない。
幾ら友達だからって、執着が強すぎる気がする。もう何度そのワードを聞いた事か。もしかしてこの人は……狩也さんの事が、好きなんだろうか。
「も、もしかして! 狩也さんの事が好きなんですかッ?」
「―――ああ、好きだよ」
即答だった。女性は一度振り返ると、あの人の隣に居た時と同じくらい表情を和らげて、優しく言った。
「大好きって言葉でも足りないくらいだ。毎日愛の言葉を言ったって、語彙が尽きる事なんて無い。狩也君が大好きさ。世界一大好き。彼以外はどうでもいい。ゴミだ、クズだ、バイキンだ。私にとってはお前達もそれと同じで、彼を助ける為に利用しているに過ぎない。信頼関係なんて築ける筈も無ければそのつもりもない」
「じゃ、じゃあどうして告白しないんですか?」
「私は独占したいというよりは、されたいタイプなんだよ。だからされるのを待っている。他にも理由はあるけども……最悪ね、今の関係のままでもいいんだ。今の所、彼は私を必要としてくれている。私にとっては何よりも嬉しいんだよ、それは」
「…………気持ち悪いな、お前」
あの人が話題に上がった事で多少和やかになっていた空気をぶち破ったのは、私の数少ない親友で、私が苦悩を打ち明けられるよき理解者こと、神乃だった。
「お前、あれだな。顔は良いけど性格は最悪なタイプだな?」
「と言うと?」
「まず重い。今時そんな重い奴居ねえし、そんな重かったら疲れるだろ。次にお前、独占されたいとか言って、結局自分に依存して欲しいだけじゃねえか。交際っていうのはもっとお互い歩み寄って、支え合って、理解し合うもんだろ。お前にはそれがねえ。独りよがりなんだよ」
「か、神乃……それ以上は……!」
「いいや美原。こいつみたいな頭お花畑な野郎にはちゃんと言わねえと分かんねえさ。お前みたいな奴は―――」
「それ以上言っちゃ駄目!」
私は限界まで手を伸ばして神乃の口を押さえた。こうやって自分の思った事を正直に言えるのは彼女の長所だけど、同時に短所でもある。これのせいで、神乃は度々男子と本気の喧嘩にもなっていたりする。
恐る恐る女性の方を見遣る。彼女は暫く黙ったままこちらをじっと見つめていたけれど、『ついて来い』と手で合図を出して、また歩き始めた。
「気持ち悪い、と言われたのは初めてだけどね。そっくりそのまま同じ言葉を返してあげるよ。神乃」
「む、むごッ?」
一応は私達を逃がしてくれる人と険悪な関係になりたくない。私の手を引き剥がそうとする神乃の力にも抗って、引き続き口を押さえ続ける。出来れば何にも言わないで欲しい。今だけは喋るだけで彼女の悪い所が全部出てしまうから。
「人の事情も知らない癖に、勝手に恋愛論を語るな。つくづく人の神経を逆撫でするのがうまいねお前は。まあ否定した所で納得する筈も無し、争うつもりはないけどさ。独りよがりってのは違うね。私は狩也君の事だけを考慮してる。自分なんて、本来どうでも良いのさ」
「…………」
「性格が最悪とお前から言われようがどうでもいいさ。狩也君にさえそう見られなきゃどう思ってくれても構わないし、好きに言ってくれよ。会って間もない人に気持ち悪いと躊躇なく言える様な奴の価値観なんて当てにならないと昔から決まっているからね。人の振り見て我が振り直せ。本当に性格が悪いのはどっちかな」
「んんんんん…………!」
「神乃は何も言わないで! 喧嘩してる場合じゃないでしょッ!」
気付けばこの二人のやり取りは、追っ手よりも怖くなっていた。自分が思った事を素直に言ってしまう長所は、翻って自我が強い事を証明している。前世では宿敵だったと言われても信じてしまいそうなくらい、この二人は致命的に噛み合わなかった。
自我が強いという事は、それだけ自分に比重が置かれているという事。神乃は余程の事が無い限り、自分が正しいと思っている。怒りっぽく見えるのは、そんな彼女の性分が周囲と合わず、頻繁にかち合っているからだ。
……そこの人の肩を持つ訳じゃないけど、神乃に恋愛を語る資格は無いと私も思う。
この性格が災いして、交際を申し込まれた事が一度だって無いし、彼女自身も成功させた事が無いんだから。
「さあ着いたね。駅に追っ手が居なくて、且つ電車に入る機会は今しかない。走るよ」
電車?
一体何処に向かうつもりなのか、皆目見当も付かないが、そんな事を気にして足踏みしていられる余裕はない。彼女の口を塞いでいた手を元に戻し、私は全力で電車に向かって走り出した。
「ど、何処に行くんですかッ!」
まるで答えが掴めないので、もう一度前方の女性に尋ねる。私達を先導していた事もあり既に車内に乗っていた女性は、私達との距離を測っている様に見えた。
「乗れば分かるよ。丁度この車両には誰も居ない。完璧だ」
「え?」
神乃と共に車内に飛び込むと、それから数分後。出発のアナウンスと共に電車が発車し、ゆっくりと動き出した。初動の揺れに対応出来ず、私は近くの席に尻餅をつく。
「な、何が完璧なんですか? 終点まで行ったとしても、待ち伏せを喰らうんじゃ……!」
「終点までは乗らないよ」
「じゃあ次の駅ですか? それも―――」
「―――携帯から時刻を見てみなよ」
マナーとかそういうものを一切無視で女性が優先席に座ったのを横目に、私は携帯を起動させる。私達が遭遇した時刻はかなり早かったから、どんなに見積もっても精々が昼の―――
「……な、何これ」
4時44分44秒。
赤色の4がびっしり書き込まれた壁紙と共に、あり得ない時刻が浮かんでいた。電波はいつの間にか圏外になっており、あろう事か携帯自体のロック画面まで、入力ボタンが4と9が混じった様なバグ文字で構成されている。これじゃあ開く事すら出来ない!
「これってどういう事だよ!」
神乃の方も同じ状態になっているらしい。私が問い詰めるよりも早く、事の真相を知っていると思われる女性に詰め寄っていた。
「どうもこうも、これで逃げ切れるだろ。これでどうやっても待ち伏せはされないし、二人は無事に逃げ切れた訳だ。おめでとう」
「おめでとうじゃねえ! 一体全体何がどうなってるのか教えろよ!」
彼女の望みに応える様に、無機質なアナウンスが、車両全体に響く。
「次は~まほろば~まほろば駅で~ございます」
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