俺史上最高最悪のパニック
只今思考停止中につき、首狩り族は死んでいる。二人の狭間で垂れ下がる乳袋が俺を魅了していた。そのボリュームと来たら、至上最高峰というか何と言うか。高校生の語彙力とは思えない貧相な語彙だが、許してほしい。目の前に巨乳がぶら下げられたら、俺はこんな反応になる。まるで目の前にニンジンをぶら下げられた馬みたいだ。
「…………ねえ」
「は、はい!」
「キスしてよ…………狩也君」
えーと、そう。つまりどういう状況だ。そう、俺は碧花にキスを求められている。『友達』である彼女にキスを求められているのだ。これがつまりどういう状況かというと、つまりどういう状況だ。
動揺しすぎた俺は、思考が堂々巡りになっていた。つまりどういう状況かと脳内で問うているのに、その答えでつまりどういう状況かと帰結する。意味が分からない。意味が分からないが、とにかく俺は水鏡碧花にキスを迫られている。
憧れの女の子に。好きな女の子に。
まさかもくそも、これが現実だ。碧花がキスを迫ってきている。顔も良くない成績も普通で良い所なんて何一つないような俺に。何かの冗談としか思えないが、付き合いの長さが彼女のマジを証明してくれる。
「な…………なん…………で」
「――――――私にキスするのは、嫌?」
「そ、そんな訳無いだろ! お前とキス出来るなんて願ったり叶ったりの事だけど……な、何で急に?」
そう。彼女がキスを求めるのはあまりに突然だった。しかし、全くその予兆が無い訳ではなかった。彼女は俺さえ良ければ性欲処理をしても良いと言ったのだ。そんな事を言ってくれるのだから、キス云々について可能性がゼロとは言えないだろう。
「ずっと……君と過ごしてきて、一分一秒たりとも考えなかった事はない。君とキス出来たらなんて、私は君が彼女が欲しいのと同じくらいずっと思っていたんだよ? でも表には出さなかった。君に迷惑が掛かるんじゃないかと思ってたんだ。私達は『トモダチ』だからね。『トモダチ』がキスするなんて……変だろ? 恋人だったら……話は違うけどさ」
碧花の声が少しだけ上擦った。照れているのだろうか。基本的に異性の友情は無い物とされているので、如何にクールな彼女でも、俺の前で恋人云々の話をするのは恥ずかしいのだろう。それ以外にも何やら意味深な表情を俺に向けているが、俺には何のことだか分からなかった。
「でも、もう我慢しないよ。するだけ私のストレスが溜まる………………き、君さ。女の子から誘ってるんだから、断るなんて無粋な事はしないでくれよ」
この非常に微妙な気持ちは何だろうか。嬉しいけど、怖い。前後の状況からして俺が脅迫されている様にしか思えないのもあって……というか壁ドン、怖すぎる。なのに普通の女の子みたいに頬を真っ赤に染めて、愛らしくも俺にキスを要求してくる碧花は、ギャップの事もあり俺は悩殺寸前される寸前だった。
彼女が『受け』の側に回っているお蔭で、俺は理性を保てている。もしも焦れて『攻め』になったのなら、俺はなすすべなく彼女の身体を貪る事になるだろう。この状況が続いているのは、正に奇跡だった。
しかし、それももうすぐ終焉を迎える。ファーストキスは由利にあげてしまったが、俺の意思で渡すファーストキスは、この分だと碧花に渡す事になりそうだ。恋人でもないのにキスなんて破廉恥極まりない事など承知しているが、しないと離してくれなさそうなので仕方がない。
だからと言って、俺は割り切らない。本気で嫌なのなら彼女を突き飛ばせばいいだけだ。女性と男性なのだから、幾ら何でも俺に分がある。
それをしないという事は即ち、俺も彼女にキスをしたいという事だ。これは決して思い込みなどではなく、俺自身の本意である。
首藤狩也は水鏡碧花の事が大好きである。
小学校で出会ったあの時から。いや、あれ以降、俺と絡んでくれる彼女の事が好きだった。もっと容姿に、知力に自信があれば、俺だって告白した。けれど出来なかった。彼女の美貌に対して圧倒的に劣っているから。彼女にしてみれば、俺に惚れる部分など何一つないのだから―――とつい最近までは思っていた。
この瞬間は、またとないチャンスである。押し倒されていると言えども、俺は攻め側を渡されている。二度とは訪れない人生の転機とも言っていい。ここでキス出来れば、俺は本物の漢だ。そのまま碧花に告ってもいい。というか、告れば今はオーケーしてくれそうな気配がある。
碧花の首に腕を回す。やり方を知らな過ぎるあまり俺の手は震えているが、彼女は俺の腕に身を委ねて、身体を密着させてくれた。俺と彼女の間で垂れ下がっていた胸が、ぐにゅりと挟まれて歪んだ。ここまで柔らかい胸を俺は触った事がない。
「………………!」
何かおかしい。この感触はどういう事だ。大部分は確かに柔らかいのだが、とある一部分だけ妙にこりこりしているというか。
え?
嘘…………だろ。
碧花は常々言っていた筈だ。
『男である君には分からないかもしれないけれど、大きい胸と言うのは非常に形が崩れやすいんだよ。だからノーブラなんて以ての外さ。長時間そんな事をしてみなよ。その女性からは突然魅力が無くなるから』
なのに、この感触…………いいや、認めない。認めないぞ俺は。生地の問題もあるかもしれないが、最初からノーブラであれば俺は気付いていた筈だ。多分。もしくは乳袋という存在自体にミスディレクションされていたか…………この際、ハッキリさせるとしよう。
「な、なあ碧花?」
「何?」
「下着……着けてるよな?」
その質問が決定的だった。俺の質問から三秒程度。碧花の動きが硬直。それから手を離して俺から少し離れると、ブラウスのボタンを外して二本指で広げて見せた。
「これで分かった?」
…………………………………………………………………………………た。谷間ホール……だと。
下着の有無の証明にはならないって? そりゃそうだ。碧花は直ぐに戻したし、俺も一瞬しか見えていない。これで分かったかどうかを尋ねられると、その答えはノーという事になるが、もうどうでもいい。大事なのは認識だ。
―――ゴクリ。
敢えて答えを言わない辺りが碧花らしいが、俺は本当にノーブラだと思っている。何故って、中学の頃もそうだったが、碧花はアダルトな下着しか持っていないからだ。童貞センサーを持つ俺がそれを見抜けない筈がない。それに、谷間ホールを作ってわざわざ素肌を見せてきたという事は、遠回しに下着が無いと言う事を示したのではないだろうか。
そう思っているが、答えは碧花のみぞ知る。俺が答えを知るには今すぐ彼女の胸に飛びついてはちきれんばかりに膨らんでいるその胸を解放するか、キスしながら胸を揉むか。他にもあるだろうが、実質選択肢など無いようなものだ。
童貞舐めんな。この期に及んでも恥ずかしく思っているのだ俺は。踏み出せないのだ。無限の劣等感に苛まれているのだ。
―――いや、しかし。
そろそろ覚悟を決める時なのか。どさくさに紛れて告れれば最高だが、そこまでやれるかどうか……ではなく、やるかやらないかだろう。彼女も言った通り、女の子の方から誘ってきたのだ。正当な理由なしにそれを断る俺ではない。まして相手は、俺の好きな人。
ええい、もうどうにでもなれ!
「―――碧花ッ!」
俺はお返しとばかりに彼女の手を強く引いて、こちら側に倒れてきた彼女の身体を抱き留める。
「……き、キス、するからな?」
「…………うんッ」
意を決した俺は目を閉じる事も背ける事もせず、しっかりと彼女の顔を見据えたまま顔を近づけた。気のせいだろうか。俺との唇距離が近づく度に、彼女の顔が明るく輝いている様な気がした―――
「いやッ! 離して! やめて、やめてったら!」
無粋にもあげられた叫び声は、天奈の物だった。
ブチ、という音が。何処かで聞こえた気がした。
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