首を狩ってきた報い

「…………ごブッ……!」

 刃物を突き立てられて無事なら、俺は人間ではない。いや、確かに厳密には人間では無いのだが、碧花からのカミングアウトが無ければまず気付けなかったので、感覚周りは人間と相違ない。俺が単なる動く死体ならば、腹部なんて刺された所で痛くも痒くも無かっただろうし、今だけは動く死体でも良かった。

「あ゛…………あ゛…………あ゛あ゛あ゛……!」

 このままうつぶせに倒れれば、より深く刃物を奥に突き刺す事になる。残った力を振り絞り、どうにか横に倒れて最悪を免れるが、馬乗り状態から解放された『俺』はゆっくり立ち上がって、身体周りの砂を払う。

「俺が本物になるには、お前が邪魔だ。さっさと消えてなくなれゾンビ野郎」

 ふと疑問に思ったが、どうしてこいつは本物になりたがるのだろうか。俺が譲る事で得られるメリットは説明してくれたが、こいつが本物になる事で得られるメリットは説明されていない気がする。現在の体勢は仰向けで、喋ると問題の腹部が痛くて仕方ないが、それでも尋ねない訳には行くまい。

 何も分からず死ぬなんて、絶対に嫌だ。

「な……んで、お前…………ほん、もの……に?」

「―――本物になる理由なんて一つだけだろう。よく考えてもみろ。お前が他の人間に唯一勝っている部分は何だ? 他の人間が絶対に持ち得ぬアドバンテージは何だ?」

 首藤狩也は殆どの場合、誰かに劣っている。

 これは俺に限った話でもないのだが、しかし俺が色々と劣っているのは事実だ。戦う力はない、口は上手くない、大して格好良くもない、お金はそれ程無いし、家もそれ程大きくない。視力は普通で運動神経もどちらかと言うと鈍い方で、別に身体が引き締まっている訳でもないし友人関係が広い訳でもない。

 長所が全くないとは言わないが、それくらい劣っている。そんな俺が、誰かに欲される程のアドバンテージを持っているかと尋ねられると…………

「……あお……か…………か」

 『俺』はゆっくりと頷いた。

「その通りだ。水鏡碧花はお前以外と深いつながりを持とうとしない。お前が気付いているかどうかは知らないが、彼女はお前に異常な程執着している。お前以外はどうでもいいんだ、アイツは」

「……………」

「お前とは違い、水鏡碧花は優秀だ。優秀過ぎると言ってもいいくらいだ。そんな女性がどうしてお前にだけ執着するのか…………俺はお前達の出会いを知っているが、俺はお前じゃない。偽物だからな。だからお前になって……水鏡碧花の寵愛を受ける」

 …………成程。

 異常な程執着は大袈裟だと思うが、確かに碧花は俺以外と親交を持たない。『俺』が目的を話してくれたお蔭で、俺はこのおかしな状態が、存外普通な状態である事に気が付いた。


 だって、話の中心は碧花なんだろう?


 じゃあこれは、今までの学生生活と何ら変わりない。碧花と親交を持ちたくて俺を排除しようとしてきた奴等はたくさん居た。これはそれと全く同じだ。本物になるとか何とか言っておいて、結局これだ。俺の事なんて誰も見てなんかいない。俺の事を見てくれるのは―――碧花だけだ。

「…………お前は妹に会いたい。一方で俺はお前の代わりに水鏡碧花に愛されたい。どうだ? 取引に応じるつもりになったか?」

 応じるも何も、俺に選択肢は残されていない。腹部を刺されて時間が経過したからか、意識の方もゆっくりと薄らいできた。このナイフを抜けば一気に死期は早まるだろう。もう一度刺されれば即死するだろう。

「……………へ」

 『俺』はイエスを強いてきている。拒否しても俺を殺せばイエスだ。圧倒的に『俺』にとって有利なこの状況。諦めるしかないのか。

「クソ…………くらえ」

 いいや。

 諦めてたまるか。諦めてなるものか。妹という餌に釣られて、刺されて、挙句殺されて『首藤狩也』を奪われるなんて悔しいじゃないか。死に際だからこそ、守りたい矜持がある。俺が救いようもなく弱かったとしても、譲れないものがある。



「好きな……人を…………諦めるなんて…………出来るか…………!」



 俺という存在が持つ唯一のアドバンテージが彼女との関係なら、絶対に譲ってなるものか。告白もしてないのに諦めるなんて出来っこない。その程度で諦められる程、俺が彼女に抱く好意は軽くない。一体何年想い続けたと思っている。生きるか死ぬかですらなく、死ぬしか選択の余地が無いのなら―――せめてこの思いは貫き通さなければ。

「……そうか。しかし重傷のお前に何が出来る。そこの刃物はお前の生命線だ。抜けば殺せる。抜かずともその内お前は気を失って、そして二度と目覚めないだろう」

 そう。俺がどれだけカッコイイ事を言ったって、この状況はひっくり返らない。漫画じゃあるまいし、こんな所で都合よく覚醒する筈が無いのだ。

 俺の腹部に突き刺さった刃物の柄尻を『俺』が踏みつける。更なる痛みの圧迫に、俺は堪え切れず声をあげた。

「あ゛あ゛あ゛あ゛ああああ……ッ!」

「情けないもんだな。お前みたいな奴をどうして水鏡碧花は好きになったのか。男を見る目が無いのか、それともお前には、また何か別の魅力があるのか」

 どうする。どうする、どうする。『俺』は俺だけを狙った筈だから、助けが来る事を期待してはいけない。俺が……俺だけが自分を助けられる。俺の秘めたる力が覚醒……とは行かないまでも、俺にしか出来ない事が、きっとある筈だ。

 この状況を脱する為に考えろ。あそこまで啖呵を切っておいて無理とは言わせない。本来死んでいた筈の俺が生きているこの状況には、必ず意味がある筈だ。仮にこの極限状態が、今まで首を狩ってきた報いだとしても―――


 俺はこの罪を、誰にも裁かせない。 


 まして被害者でも無い奴に裁かれる謂れなんて無い。だから絶対に……死なない!

「殺させて…………やるもの……か」

 『俺』は幸い、ナイフの柄尻から離そうとしない。すかさず重心が乗っている方の足を引っ張り込むと、予想外の抵抗に『俺』は背中から転倒。その隙に立ち上がり、一先ずは奴から逃げる様に森の奥へと走り出した。

「ゴッ……ゲエッ!」

 刃物で出血は止まっているとはいえ、これでは傷口が広がりかねないし、何より異物が体の中で動いている気がして、不快感しかない。何度も足はもつれるし、幹には激突するし、何も無くても転んでしまうが―――とにかく逃げる。

 今の俺にはそれしか出来ない。

「逃げられると思ってるのか! もうここは邂逅の森じゃない! お前がどういう風に逃げても、アイツ等には合流出来ないぞ!」

 でも逃げるしかない。殺されたくないから。

 幸い、この尋常ではない痛みにさえ目を瞑れば、人並み以上に動ける。厳密には人間じゃない利点だ。一度死んでいるお蔭で、死に対して軽い耐性がついている。これは決して思い込みなどではなく、その証拠に、一人かくれんぼの時も俺は首無し死体に刺されて気絶した。あれは俺が死ぬ前の事である。

 同じように刺されて気絶しないのなら、これこそ耐性の証明と言えるのではないだろうか。ただし痛みは普通に感じるので、この痛みに耐えられなくなればそこで終わりだ。俺は今度こそ間違いなく死ぬだろう。

 九死に一生は得たものの、それは『俺』の方に『抵抗出来る筈がない』という油断があったからだ。今度捕まれば、その油断は無くなる。この機会に最善を尽くさずしていつ尽くす。もったいぶっていたら先に尽くのは俺の運だ。


 ―――俺は逃げるんだ。


 森を滅茶苦茶に走っているからか、『俺』はこちらを見失っている。大声を出して威圧してきたのも、探すのが面倒だから俺に降参を促していたとしか思えない。このまま逃げ続ければ、森からは逃げられずとも、『俺』からは逃げられる筈だ。

 しかしそれは、根本的な解決になっていない。対症療法というか、根本的には何も危機が去っていない。早い所どうにかしないと追いつかれるか―――それとも、俺が死ぬか。

「……うッ!」

 もう何度目かも分からぬ幹への激突。しかも直前に躓いた事もあり、頭からの衝突だ。痛いなんてものじゃない。腹部に刃物が刺さっているからって、他の痛みが麻痺するなんて都合の良い事にはならなかった。

「ご、エ゛、グヴぉえ゛エ゛え゛え゛!」

 もう何も出そうにない。出るとすれば次は臓物か、それとも心臓か。多分五分も経っていないと思うのだが、そろそろ限界かもしれない。

 いや、限界だ。


 ―――死ぬのか。


『お兄ちゃん、大丈夫』


 ―――諦めてしまうのか。


『もう、我慢しなくても良いんだよ』


 ―――逝きたいのか。


『……何で、そんなに頑張るの。いつも空元気して、痩せ我慢して。人が死んで一番傷ついてるのは、お兄ちゃんなのに』


 ―――逝きたい。






 ―――――――――ああ。












 生きたい。 

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