戻らぬ邂逅
狩也君の気配が消えた。
彼の気配は非常に独特だから、森に入った瞬間に消えた事は直ぐに分かった…………何故? 私は何もしていないし、そこの二人も……驚いて、呆然としている。私も驚いて、咄嗟には動けなかった。さっきの今でまさか花畑を突っ切るとは思わなかったんだ。
「え、え……」
「おいあいつ……急に走り出してどうしたんだ?」
邂逅の森は二度と会えなくなってしまった人間にもう一度だけ会わせる森。その実態は、もしかして単なる神隠しの森なのでは無いだろうか。神様なんて居ないけどね。居るのは私から彼を引き離そうとする敵だけだ。
大きく息を吸う。せっかく楽しい時間だったのに、どうして邪魔してくれるかな。
「神乃。それに次期当主。お前等何かした?」
「は?」
私の言葉に先に反応したのは本人ではなく、その隣の神乃だった。さっきの今で私がそこの女の呼び方を変えた事に驚いている様だ。まあそれもその筈、私はあの家とは何の関係も無い。金輪際関わる事も無いし、あっちも私には関わりたくない筈だ。
それが勝手な思い込みで、あの家がまた私の邪魔をしようとするなら、もう許さない。私に干渉して良い存在は一人しか居ないんだよ。ふざけやがって。
「お、お前今、美原の事……なんて」
「次期当主と言ったけど。間違った事は言ってないだろ。お前はあの家の当主になるのが嫌で逃げ出してきた。何も違わない」
最初から知っていたと言わんばかりに告げる私に、神乃は馬鹿の一つ覚えから胸倉を掴もうとしてきた。彼女よりも早くその手首を掴むと、素早く捻って地面に叩き伏す。
「か、神乃!」
「うぐ……ああああ!」
「喧嘩っ早い奴はこれだから困る。自分が一番強いとでも思ってるのなら大間違いだし、私をあの家の手先か何かだと思うのも間違いだ。間違いだらけだ。いつか死んでも知らないぞ」
「や、やめてください! 一体そんな酷い事……」
「友達がそんなに大事なら、お前が先に止めたら良いだろう。こんな危なっかしい奴が居るから、私は彼を守らなきゃいけないんだ」
同じ姓のよしみとして、これくらいで勘弁しておく。今やりたいのは制裁じゃない。彼の救出だ。神乃の視線から敵意は消えなかったが、これ以上手を出す気はないとばかりに身体の土を払い、珍しく当主様の後ろに下がった。
ああ失礼。次期当主か。
「それで、当主様。両親と喧嘩したってのは嘘……じゃないにしても、アンタは当主になりたくない。違うか?」
「……その通りです。でも、何でその事を……」
「深くは聞くな。私がその事を知ってる理由なんてお前達にとっては至極どうでも良い事だ。大事なのは、逃げ切る事だ。いつ言おうかとも思ったが、丁度良い。手を貸してやる」
「て、手を貸す……ですか?」
「私が協力すれば確実に逃げ切る事が出来る……って言っても信じてくれないか。あの家はしつこいからな。まあしかし、お前達が信じる信じないはどうでもいい。手を貸してやるとは言ったが、これは押し付けだ。お前等に拒否権は無い。狩也君を助けるまではな」
本来助けなくても良いものを敢えて助けてやるんだから感謝してもらいたい。次期当主だろうが総理大臣だろうが、私にとっては惜しむに値しない命だ。彼を助けられるならどうでもいい。
「助けるって……えっと」
「…………次期当主様ならそれくらい分かれよ。いや、分かってて言わないだけか? 彼は連れ去られた。誰か知らないけどな。だから助けに行かないと」
「何? そうなのか?」
「いや―――そ、それは分かってるんですけど。ど、どうしようもなくないですか? だって……もう別の場所に」
「―――話についていけてないが、勝手に走ってったのはアイツだからな。私達に助ける道理なんかねえよ。助けるなら勝手に一人で―――」
「こっちもお前達を助ける道理なんかないんだよ」
私が語気を強めると、二人は気圧された様に後ろへ下がり、その豹変を信じられないとばかりに目を見開いた。別に対応を変えてる訳じゃない。私だって怒れば彼に対しても同じ態度をとるし、今までの程度は単に彼と一緒に居る時間が楽し過ぎて、テンションが上がってただけだ。
「お前達はいい加減に気付いた方が良い。彼が居てくれたから命拾いしている事に。私はあの家にお前達を連れて行ったって良いんだからな。それをしないのは狩也君がお前達を助けたいと言い出したからだ」
タダでさえ頭のおかしな奴が頭のおかしな事をしたせいで妹が死んで、彼の心はボロボロになっているのに、私がトドメを刺しちゃ何にもならない。この二人……いいや、特に神乃は、自分の立場というのを一度弁えた方がいい。友達を守る為にピリピリしてるのは分からないでもないけど……失礼が過ぎる。
「ともかく、ついて来い。今から助けに行く」
「ちょ、ちょっと待って下さい! 助けるって言っても、何処に攫われたか心当たりがあるんですかッ?」
「無いと言えば嘘になるし、あると言っても嘘になる。何とかなるさ。いや、何とかするさ。その為に付いてきてもらうんだ。…………勝手に逃げたら、許さないからな」
何で、死なない?
今まで気絶にしても永遠の眠りに就くにしても、何かしらの変化はあった。というか多くの場合、俺は気を失っていた。なのに今回に関しては、全然それが無い。
苦しい。
吐き切れなかった血が喉の方で固まった。呼吸がまともに出来ない。そもそも呼吸が続いているのか怪しい。これだけ静かにしていれば心臓の音が聞こえる筈だ。なのに心臓の音が聞こえない。それでも俺は死んでいない。
―――俺がもう、死体だからか?
じゃあ何故今までこうならなかった。今までもこうなっていたら、俺はもっと早く自分が怪異である事に気付けた筈だ。今回に限ってこれは、どう考えてもおかしい。
痛い。
腹部にナイフが刺さったままなのは、痛いなんてもんじゃない。血が噴き出さないだけマシなのかもしれないが、痛いもんは痛い。気持ち悪い。いつまでも異物が体内にあって、それがいつまでも除去出来ていないのは単純に不愉快だ。
―――それとも、俺が生きたいと願ったから。
これは生きているというより生殺しだ。半端に生きて半端に死んでいる……なら俺にピッタリの状態か。仕方ない―――いや、仕方なくなんか無い。
『俺』に碧花を奪われたくない。本人が見分けられないなら碧花が見分けられる筈がないので、『俺』との戦いは他でもない俺がケリをつけないと。
……口では何とでも言える。事実を見れば、俺は一歩も動けない。抵抗しようにも何も出来ない。誰かが助けてくれたらと期待しては居るが、この森に人なんて居る筈がない。居るとすれば『俺』くらいだ。そしてその『俺』が、俺を助けてくれる筈がない。
―――ついて、ねえな。
こんな所で死んだとしてもせめて……せめて『俺』に一生見つからなければ。碧花に迷惑は掛からない。こんな状態になってまで生き延びるなんて無理だから……神様がこの世に居るのなら、せめて。
誰の手も届かない所に、置き去りにしてくれ。
果たしてその願いが通じたのか否か。何の気配も感じなかったのに、突然、一組の足音が聞こえてきた。
「…………君、大丈夫?」
声が高いが、女性では無い。少年の声だ。顔を上げ、面と向かって話したい所だが、中途半端に死んでいるこの状態ではそれすらも出来ない。当然、応答する事も出来ない。
「………雪。どうしよっか。助けようか。手遅れかもしれないけど」
二人居るのは分かっている。けれども、その雪とやらは何も言葉を発さない。シカトしているのだろうか。だとすると少年が不憫でならない。
「……そう。分かった。じゃあ運ぼうか。寂しいもんね」
寂しい?
それはこんな所で死にかけている俺に向けた言葉……にしては、何か釈然としない。だからって助けてくれる事を拒絶するなんてしないし、そもそも動けない俺に拒否権は無い。やがて二人の人間に身体を持ち上げられ、為されるがままに運ばれていく。せっかく助けが来てなんだが、恐らくこの間に死んでしまうのではないだろうか。
意識だけは一向に鮮明だが、この傷で助かる筈がない。その内意識も消えて、本当に死んでしまうだろう。だがまあ……この二人によって俺の死体が墓場に埋められれば、事実上、神隠しは成立する。『俺』は俺がまだ生きていると思い込んだまま、ずっと森を彷徨う事になる。
それならそれで良いか。せめて遺書でくらい、碧花に告白したい気持ちはあったが。
首藤狩也なんて最初から居なかった。
そういうオチの方が、彼女にとっても幸せな筈だ。
「じゃあ雪。そこにその人置いて。僕はちょっと準備をしてくるから」
二人の家と思わしき家に入り、床に寝かされる。木造建築の家で、天井の雰囲気からして、何やら昔の匂いがする。俺の生きている時代よりも十年前、二十年前にありそうな家だ。単に建築年数が経っているだけかもしれないが、それにしては木材が老朽化していない。チラリと見えた玄関も、普通の住宅にしては珍しい引き戸だ。しかも鉄格子みたいに木が縦に整列した引き戸だ。硝子は無かった。
「ああ、触らないでよ。既に手遅れかもしれないけど、今は手遅れじゃないかもしれない。触ったら、それが変わるかも」
良く喋る少年の声が遠ざかっていく。彼の話し声の方向から察するに俺の近くには雪と呼ばれる誰かが居ると思うのだが、碌に目も動かせないのでは探せない。雪も雪で何も喋らず、物音一つ立てないので、何処に居るかも分からない。
―――なんか、不気味だな。
それから五分くらい経過した後に少年は戻ってきたが、その間も雪の居所も素性も分からず、俺は死に際とはいえ恐怖した。何か居る。俺の傍には何が居るのだ。
「うん、触らなかったね。有難う。それじゃあこれ、この人に食べさせておいて」
…………食べさせる?
拒否権も選択権も行動権も無いが、ちょっと待って欲しい。死にかけた人間に、一体何をするつもりだ。
こちらの動揺など知らぬ二人―――いや、雪は、少年に手渡されたものを俺の口の中に突っ込んだ。
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