碧に囚われし贄
まほろばに生者が長居すると、怪物になってしまう。その事実を知るのは私だけだった。初めてここに来た時にそう推測し、そして今、確信を得た。
一切の影響を受けない王の眼からすれば、怪物が元は人間であった事がわかる。と言うより、そういう風にしか見えない。
「哀れだな、神乃」
殺してやろうと思ったが、もうその必要は無さそうだ。あれはもう放っておけば怪物になる。狩也君からも美原からも、何故か居るオカルト部の二人からも、もう二度と神乃とは認識されなくなる。
全く、実によく出来たシステムだと思う。
怪物となった人間はまほろば駅をとにかく素晴らしい場所だと広めたくなる。でも怪物は自分が怪物だと気付いていないくせに、殺さなければ分かり合えないという思考に至る。だから他の生者を狙って殺そうとする。
何処にいるかは知らないけど、次期当主様も可哀想なものだ。親友が怪物になるなんて思ってもみないだろう。
―――しかし。
殺せなくなってしまったのは不味いな。
これはこれでざまあないとほくそ笑みたい所だけど、怪物になってしまったら、私は王との契約上、手出し出来ない。そうなると、一体誰を殺せばいいのだろうか。
まほろば駅に正規の脱出手段なんてものは、実は存在しない。一番その方法をしやすいから便宜上『正規』ではあるけれど、果たしてそれを躊躇なく実行出来る人間がどれだけ居るか。狩也君自身も、まさか他の人を犠牲に自分が脱出していたなんて考えてもないに違いない。
この方法が正規とされているのは、単に他の人を置き去りにするだけでも条件を満たせるからだ。私が次期当主様と神乃を連れてきたのは、私と狩也君の代わりにここへ残す為。いわば身代わり人形だ。彼が食べ物さえ食べなかったら、特筆するべき事なんて無いくらい、あっさりと話は終わったんだけど……終わったんだよ。終わる筈だった。
いや、気にはしない。彼の住人化を解いてもらう為にも、取り敢えず誰かの魂を王に渡さなくてはならない。当主様は彼ないしは私の身代わりにしないといけないから殺せない……オカルト部のどちらかを殺すか。
今の所全く姿を確認出来ていないんだけどね。
「…………早く見つけて殺さないと」
二人まで怪物になったら手遅れになる。他でもない狩也君の為なんだから、大人しく殺されてはくれないだろうか。
今までそんな奴は見た事無いので、どうせ殺されてはくれないか。
当面の目的は二人に絞るが、それとは別に気になる発言があった。狩也君の言葉だ。
『ならもう、忘れたままで良いかなって思うんだ。俺の家族は皆ここに居る。お前も居る。だから……』
彼の唯一の家族こと首藤天奈は、ユキリノメによって食われてしまった。それは私以上に本人が知っていたし、だからこそ彼は、今まで以上に深い傷を負ってしまった。学校に行きたくなくなった上で他の地域に行きたがるのは、この十数年間で初めての事だった。家族が死んだのだから無理もない……私には分からないけどね。
好きになれる程、私に優しい家族なんて居なかったから。
それにしてもそんな彼があんな笑顔を浮かべられるくらい回復するなんて、一体どんな『家族』なんだろうね。探す必要は全くないけど、彼を好きな者として気にしない訳にはいかない。私一人ではかなりの時間が掛かっただろうに、それをこんな短時間で。
彼に魅力的な女性として見てもらう為に、結構努力してきたつもりなんだけど。
一体何が足りないんだろう。何かが足りないから、或は彼から告白してくれないのかもしれない。好意を露わにしても、それでも告白してきてくれない事には何か訳があるに違いない。大人のキスまでしたのに私達は…………それでも。
「…………狩也君。君は私と、いつまでも一緒に居てくれると言ってくれたけど」
私は………………
「碧花さんッ」
感傷に浸っていると、誰かが私の名前を呼んだ。敬称をつけて呼ぶ奴は狩也君じゃない。声の方向に振り返ってやると、次期当主様が下から私を見上げていた。屋根に立っているから仕方ないけれど、話しかけるならすぐそばに来て欲しいね。
「何?」
「王さんと話してきました。碧花さんの正体も……ちゃんと聞いてきました!」
ペラペラと勝手に話されるのはいつもなら困る所だけど、どうせ狩也君の身代わりになるんだから、冥土の土産という事で許そう。まあ冥土があろうとなかろうと、ここに囚われたら輪廻転生なんて絶対に出来ないと思うけどね。
「……そうか。それで?」
「脱出方法を教えてください! 私は、元の世界に帰りたいんです!」
「逃げたいんじゃ無かったのかい? 君の家がどれだけ酷いかは分かっているつもりだ。それに比べたら、ここなんてそれこそ素晴らしい場所じゃないか」
時間制限、食事禁止、などの制約はあるが、ここには法律も家のルールも関係ない。あるのは極々簡単な秩序だけだ。更に言えば飽くまで現状を保ちたいなら禁止というだけで、怪物になるのも住人になるのも恐ろしくないなら、ここには何の制限もない。
強いて言えば出られないだけだ。
「何処が……ですか。怖いのに襲われたんですよ、私。何にも、素晴らしくなんて無いですッ」
「怖いの、か。それを言うなら、あの家の者こそ怖いと思うけどね」
「え?」
「アレから何処まで聞いたのかは知らないけど、一つ教えておこう。私が居なくなってからあの家は更に窮屈になった。私という存在は最高の存在であったと同時に、水鏡家の家系から抹消されなければならない存在だったんだ。だから……多分異母姉妹なのかな。緋花が私の後任になって、それでも私の後任が私以外に務まる筈もないから彼女は勘当されて、君に回ってきた。恐ろしい話だと思わないか?」
「ど、何処が、ですか?」
「あれだけしつこい連中が追い回してこないのは、そうなる様に色々と対策を打ったからだけど、娘が一人居なくなったのに、何事も無かった様に伝統を続けている事だよ。反省なんかしてないんだあの家は。これっぽっちもね。私という存在はイレギュラーとして処理された。長い歴史の中の歪みとして認識された。失敗から学ばないんだあの家は。次期当主様にはどうやらそんなつもりはないらしいけど、また私みたいな子が生まれた時、あの家はどうするんだろうね」
「…………恐ろしいのは、家族を簡単に殺せる貴方の方ですッ。人の血が通ってないんですかッ?」
「通ってない訳が無いだろ」
自信ありげにそう言った。私に人の血が通ってないなんて、そんなのあり得る訳無いだろ。だって、人の血があるから恋が出来る。少なくとも、私が感情の欠片も無かったら狩也君に恋をしている筈がない。
恋は感情があって初めて成立する。彼が好きという感情こそ、私が人間である何よりの証だ。
「家族よりも大切な人と一緒に居たい。只それだけの事だよ…………で、脱出方法が知りたいんだったね」
「―――教えてくれるんですか?」
「教えても良いけど、その代わり君の友達……神乃の事は諦めてもらいたいね」
試す様に彼女の名を引き合いに出すと、今まで強気だった勢いは何処へやら、美原の表情が曇った。
「…………な、何でですか?」
「彼女を見捨てれば、助けても良いって事だ。さ、どうする? 人の血が通ってる当主様? 自分が助かる為に親友を見捨てられるかい? 見捨てないと助からないけれど」
助けるつもりが、実は更々無いのは内緒だ。私は只、彼女がどういう人間かを知りたい。綺麗事ばかり語るその精神が、真に高潔なのかどうか……なんて。どっちみち身代わりになってもらうから、逆に身代わりにされない様に時間稼ぎしているだけだけどね。
「さ、どうする?」
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