素晴らしき友情



 今なら分かる。


 あの人の目には狩也さん以外何も映ってない。だから神乃を見捨てれば私を助けると言うのも嘘だ。根拠は王さんから教えてもらった情報以外に何も無いけど、それだけでも私の中では決定的だった。どんなに言葉を上手く取り繕ったって、最初から嘘と見破れていれば騙される事はない。



 ……情報をどう使うかは私次第。



 なら私は神乃と一緒に逃げたい。その為に情報を使いたいし、もし碧花さんがそれを許さないなら、対立は免れない。でも戦うしかない。私は家出の主犯で、神乃はそんな私の共犯者。途中で見捨てるくらいなら、私も道連れに死んだ方がマシだ。


「いいえ、神乃も一緒に脱出します! 脱出方法を教えてくださいッ」


「話を聞いていなかったかな? 見捨てないなら私は君に何も教えない。見捨てたら教える。選択肢は二つだけだ。間なんて無いよ」


「自分が優位に立ってると思ったら大間違いですよッ。私は王さんから全てを聞きました。そして、これを貰いました!」


 そう言って私はポケットからメモ帳を取り出し、碧花さんに見せつける。


「それは?」


「貴方がこれまでしてきた行いが全て記録されています。これを狩也さんに見せれば、貴方はもう、彼の傍には居られない!」


「……嘘だね。狩也君が何処に居るか、君は知らない」


「王さんに聞いたので、今なら分かります。バラして欲しくなかったら、私と神乃が助かる方法を……無事にここから出る方法を教えてください」


 これら全てはハッタリもハッタリ。王さんから正体は聞いたけれど、今までどんな事をしてきたかなんて知らないし、このメモ帳も中は白紙だ。狩也さんの居場所も分からないし、発言全てがブラフと言ってもいい。


 しかしそのブラフに使われている人物が王さんのお陰で、幾らかの説得力が生まれているのは間違いない。碧花さんの瞳に宿る感情が、何やら変わった気がした。


「……へえ。じゃあ君は、私とアレの契約も知ってるんだ?」


「勿論知ってます!」


 知らない。勿論嘘だ。対価云々とはまた違った話だろうとは想像がつくが、あの人は契約の話なんて一切していなかった。でも知っていると言わなければ、今までの発言も嘘だったと忽ち見抜かれてしまう。


「交渉というよりは脅迫か。しかし困ったな。神乃は色々と手遅れだ。私ではどうしようもない」


「どういう事ですか?」


「まほろばの気に当てられたと言えば、当主様なら分かるだろう? そして私の正体とやらを知ってるのなら、脅迫しようが何しようがどうしようもない。それこそ王に聞いてくれ」


「その必要はありません。手遅れでも何でも、ここから出てしまえば影響は及ばない筈です」


 まほろばは霊道が入り混じって出来た巨大な霊的空間。侵入方法からしても、私達の居る現世とは明らかに隔絶されている。脱出さえ出来れば、きっとどんな影響も消え失せる。


「……まがりなりにも当主様か。実際にやったことはないが、確かにそうかもしれないね。つまりと纏める程でもないけど、君は既に手遅れの友達を何とかして連れて脱出したいんだ。どうしてそこまで?」


「私にとって神乃は唯一の親友なんです! 彼女を助ける為なら、私は、本来当主になる筈だった貴方とも戦います! 碧花さんならこの気持ちが、分かるんじゃないんですかッ?」


 碧花さんがあの人に抱いている感情も、きっとそのくらい強い筈。


 ある意味で私達は似ているんだ。私は神乃が大切で、碧花さんは狩也さんが大切。異性同性の違いはあっても、友達が大事だという気持ちに変わりはない。


 私では論理的に彼女を説得する事は出来ない。出来たとしても、それをするには情報が少なすぎる。だからこうして、感情に訴えかけるしかない。


 しかし私はこの作戦を無謀とは全く思っていなかった。同じ血を継ぎ、本来なら同じ立場の者だった同士分かり合える筈だと、そう確信していた。



 どこから来たのかもわからないその自信は、数秒後に、あえなく打ち砕かれた。



「全く分からない」



 碧花さんの声から、僅かな温かさすら消え失せる。


「同じ林檎を見ていても、その赤さから形まで全く一緒だとどうやって証明するんだ。それと同じだよ。私は君の気持ちなどわからないし、君も分かろうとしなくていい。どうせ理解し合えない」


 絶対零度の響きを残しながら、碧花さんが屋根から飛び降りた。


「……それと、契約の事を知ってしまったなら、話は変わってくる。あの二人を身代わりにするのは狩也君の精神衛生上やりたくなかったんだけど、その契約の話は、たとえ風の噂でも彼の耳に入れる訳にはいかない」


 私の全身が強張る。


 彼女が力なく腕を落とすと、袖の中からナイフが落ちてきたではないか。それも磨き抜かれていて、かなり鋭利だ。


「こ、殺すつもりですか?」


「そうだ。契約の話を知ってる奴は生かしておけない。仮にそれでここを脱出する手間が更にかかる事になったとしてもね」


 ……手間?


 何の事か分からないが、碧花さんも直ぐには脱出できる訳ではないようだ。


「今までの発言が嘘だったら、何もしないけどね?」


 問う様な視線。私は何と答えるべきかを考えた。己の身を案じるのなら全ては嘘であったと話せばいい。が、それをすると脱出方法を教えてくれないかもしれない。


 その一方で黙ると、今度は命の危険が私に及ぶ。神乃を助けられたけど自分は死んでしまった……なんて笑えない。


「……全部……う……です」


「小声じゃ分からないよ」




「……全部本当です。私は貴方の罪を知っている。貴方の醜さを知っている。こんな情報を狩也さんが知ったら、幻滅して二度と貴方と会いたくなくなるくらいの事を……知っています!」




 言ってやった。


 嘘を通してやった。


 女に二言はあるかもしれないが、今度ばかりは取り消せない。文字通り命を賭した発言だった。


「…………ふ」


 鼻で笑われる。


「ふふ、ふふふ」


 それが微笑みだと気付いた。


「君は、なんて嘘が下手なんだ」


「……え」


 脈絡もなく見破られて、言葉に詰まる。返しの反応からしてそうだが、私という女性は、嘘をつくにはその周囲があまりにもボロボロだった。


「契約を知ってるって? それは何の契約だい? 交わしてもいない契約の事を知っているなんて、滑稽にも程があるよ!」



 う、嘘?



 じゃあ私は、遊ばれていたの?


「いやあ面白いものを見せてもらったよ。まさかあの女の為にそこまでするとは思わなかった。嘘を全うするなんてね。良い度胸だと思うよ。誇ればいい」


「…………」


 騙されたというショックが大きすぎて言葉が出ない。命を賭していたつもりなのに、その命を弄ばれていたみたいで。


「しかし傑作だよ。私の罪を知っている? 罪を犯した事もない奴が知るなんて無茶だよ。ふふふふ、威勢だけは認めるけど、やっぱり嘘は良くないね。王から何かを聞いたのは本当だろうけど、何から何までって訳じゃないみたいだ―――」




「騙されないで、美原さん。碧花は、嘘を吐いてる」




 少し大人びた、それでいて落ち着いた声。神乃の声じゃない。横の方を碧花さんと共に見遣ると、知らない女性の人が、狐面を片手に立っていた。


「……御影由利」


 御影由利と呼ばれた女性は、私の事など見向きもせずに言った。


「碧花。貴方と王の契約は、実際にあった。それは今まで殺してきた人達の魂をまほろばに送る事。違う?」


 虚仮にされた私とは違い、碧花さんは黙って彼女の言葉を聞いている。沈黙が肯定を表すなら、碧花さんは大いに肯定していた。


「ここの住人は、本来は無色透明。誰が誰だか見分けがつかなかった筈。貴方はまほろばの王に魂を渡す事で、間接的に住人達に外見を―――ガワを配った」


「王から聞いたのか」


「さあ。でも住人の顔を見れば分かる。今の今まで貴方が殺してきた人達は全員住人になってる。まほろばの王は統治しているだけ。ガワとなった人物達から推測して、集められるのは貴方しか居ない」


「……私が何の為にそんな契約を? 無色透明でいいんじゃないの?」


「まほろば駅は本来都市伝説。そこはとても素晴らしい場所で、行った人は誰も帰ってこない。けれども同時に、帰還した人はまほろば駅で見た事を口外しちゃいけなくなる。帰ってきた人が居ないのに帰還した場合の事まで伝わる、そもそも本当に誰も帰ってこないならこの都市伝説を流布する人が居ない。そのいい加減さこそ都市伝説の醍醐味だけれど……まほろば駅の都市伝説では、口外したら呪いが広がるって言われてる。ここからは推測になるけど、貴方はそれを条件に追加で契約したんじゃないの。例えば、首藤君だけは口外の禁忌を踏んでも大丈夫にした、とか」


「……やっぱりアレに聞いたか」


 碧花さんのドスの効いた声には耳を貸さず、女性は滔々と喋り続ける。


「王に頼めば帰れるようにしてくれる。……この紙にはそう書いてあった」


「え?」


 私、碧花さんに聞けとか言われたんだけど……


「でもタダでとは書いてない。貴方が追加で契約したとしたらこの時……白は切らせない。まだ証拠はある。とある一軒家で、私はこんなメモを見つけた」


 黄ばみ模様の著しい紙は、手のひらくらいに収まる小ささで、メモ帳から紙を一枚千切ったのだと推察される。恐らくは碧花さんのナイフを警戒して、女性は一向に距離を詰めてこない。私と碧花さんの距離では何が書いてあるかわからず、さっぱりだ。


 しかしハッタリでは無さそうだ。その証拠、横目で見る碧花さんの表情は険しくなっていった。


「『もしこれを見つけた幸運な奴には答えをやろう。運良く拾えたら活用してくれ。まほろばを出る正規の方法は、誰か身代わりを作った上で、王と口外禁止の契約を結ぶ事だ。置き去りにしてもいい。俺は置き去りにする事で帰還した』」


 この中で誰が一番驚いていると言ったら、それは私だ。蚊帳の外に居るものの、知りたかった事実が続々と目の前で出てくるのだから。


 契約を結んで、且つ身代わりを用意しないといけない……という事は、私と神乃は誰か二人を身代わりにすれば、帰還出来る!



 碧花さんと狩也さん……とか。



 狩也さんに特別恨みとかは無いんだけど、神乃を助ける為なら、覚悟を決める。


 ごめんなさい。


「……追加で契約なんて、王様はそこまで柔軟かなあ」


「王は言葉が通じる数少ない存在。なら交渉は不可能じゃない」


 長い沈黙が降り立った。


 それは一分、二分、三分と時を経て、大きな嘆息の後に、ようやく破られた。



「クオン部長だろ、それ」



 当然だが、私には誰か分からない。


「どうして、そう思うの」


「筆跡だよ。書き方の癖が部長だ。まさかアイツもまほろば駅に行った事があるなんてね……」


「それも貴方達と同じ時期に居た」


「それは興味深いね。私が間違える筈は無いけど……まあ、だいたいこんな所だろうね。身代わりにした奴の顔は全て覚えてるから」


碧花さんは勝手に何かを納得した様子だったが、重要なのはそこでは無い。


最後の一言は肯定であり、自白だった。


「正解だよ御影由利。全問とはいかないが、ほぼ正解だ。殆どはクオン部長の手柄みたいだが」


「それでもいい。私は貴方に話があって来た」


「ん?」






「金輪際、首藤君と関わらないで」



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