君の為? 私の為? 貴方の為?



 オカルト部の部長として、やらなければならない事がある。同じ女性として、教えなければならない事がある。首藤狩也という男性を友達に持つ女性として、私は命がけで彼女を説得しなければならない。


 時間稼ぎと言い換えてもいい。今の内に萌には首藤君を探してもらっている。その間、彼女に動かれたら何をされるか分かったもんじゃない。だから私が命を張って、彼女を足止めする。


「は?」


 首藤君に関わるあらゆる言葉は、水鏡碧花の地雷そのもの。命が惜しいと思うなら踏むべきじゃないし、実際、私と萌はそれで一度酷い目に遭ってる。彼の家に避難した時、私と萌が傷だらけだった事があるが、それが理由だ。結局首藤君には話せていないっけ。


「私は、貴方の罪を全て知っている。恐らくは、最初から最後までを」


「…………あの部長が調べたんだろ? 何となく分かるよ。君達オカルト部はあの部長がいてこそ成立していた。きっと、彼が居なければ随分前に死んでいた」


「その通り。私達はクオン部長に守られていた。怪異からも、貴方からも。でも部長はもう居ない。今は私が部長。だからあの人に代わって、私が貴方を追い詰める。そして首藤君を呪いから解放する」


「…………『首狩り族』か。あんなものは嘘っぱちだよ」


「そう。あれは貴方が首藤君を隠れ蓑にしているだけ。彼の人間関係を壊したのは、他でもない貴方」


「お前までそう言うのか。私が狩也君の事を好きなのは知ってるだろうに。どうして私が彼を隠れ蓑にしなきゃならない」


「貴方の気持ちなんて知らない。事実として、貴方の起こした全ての事件が、彼に枷を嵌めている。彼に呪いが掛けられているとしたら、それは『首狩り族』じゃなくて、貴方と離れられない呪い。考えてもみれば、全てはマッチポンプ。貴方が殺して、貴方が首藤君を慰める。こんな事が続けば当然首藤君は貴方に依存していくし、自ら人間関係を狭めようとさえ思ってしまう。それが、迷惑以外の何だって言うの」


 私の言葉には足りないものがあるが、それは他でもない彼女が心の中で勝手に埋めてくれるだろう。曰く『お返し』にくれたオミカドサマからの手掛かり。水鏡碧花という人間の心、その心象世界で私は『彼女』と話した。そしてズタズタのボロボロにされて、危うく死にかけた。西園寺さんが突然割り込んでこなかったら、あそこで私は間違いなく死んでいた。


「私は『貴方』を知っている。貴方は首藤君の為と言うけれど、それは結局心のよりどころを失いたくないだけ。身勝手な都合以外の何者でもない」


「彼の幸せが私の幸せなのは、事実だよ」



「じゃあどうして、人を殺すの」



 接している内に分かった。首藤君は『首狩り族』の通り名とは裏腹に、自分が気に食わない人間が死んでも、決して喜んだりはしない。死そのものを嫌っている節すらある。本当に彼の幸せを願うのなら、死人なんて一人も出さない方が良いに決まってる。にも拘らず、水鏡碧花は死人を出し続ける。


 大きな矛盾だ。もしかしたら彼女自身も気付いていないかもしれない。しかし明らかなもの。


「―――オミカドサマに捕まっている間、私は本当の『貴方』と話した。首藤君の居ない貴方はとにかく虚無的で、全てに絶望していた。記憶の中の貴方はおよそあらゆる物に色を付けず、あらゆる物を嫌っていた。退屈で、不気味で、空虚な世界だった。貴方はその世界に戻る事を恐れている。だから首藤君を手放したくない」


「…………アイツも、余計な事をしてくれるね」


「結局の所、全ては貴方自身の為。貴方は自分が幸せならそれで良い。首藤君が不幸でも、その他の人達が不幸でも、貴方にとっては取るに足らない出来事」


「聞き捨てならない言葉だな。私は何よりも狩也君の幸せを願ってる。殺してしまうのは、その人が狩也君の人生にとって不要な存在だからだ」


「それを決めるのは貴方じゃない。人生は良くも悪くも自分の物だから。正しい正しくないじゃなくて、決めるのは首藤君自身」


「……やれやれ。そんな陳腐な言葉を言われてもね。狩也君は良い奴なんだ。自分の行いを一切顧みない、それでいて一切反省しない奴には流石に怒るけど、たとえ嘘でも反省した奴は許してしまう。分かるかい? 騙されやすいんだ。私が何もしなければ、彼は色々な人に騙されて利用される。そうしていつか人間不信になる。世の中の何割かは人情で出来ているんだ。人間不信になったままこれからの人生を過ごしてみろ、地獄だ。私がそうだったからよく分かる。彼には同じ気持ちを味わってほしくない」


「だからって、それが人を殺していい理由にはならないッ」


「世の中には死んでも性根が治らない奴だって居る。そんな奴はどうせ何をしても性根が治らないんだ。消すしかない。だがまあ……正直に言えば、君達の意見も一理ある。私が殺し続ける限り、その分だけ狩也君が悲しくなる。その構図は正しいよ。私もそれくらいは分かってる」


「分かった上でやってるの?」


「やるしかない、と言った方が正確かな。一度人を殺したら、後戻りなんて出来ないよ。自首なんてしたらそれこそ、何で殺したか分からなくなる」


 碧花は半ば開き直っていた。罪の意識は欠片も感じられない処か、自分の矛盾に気付いた上で、それでもやり方は間違っていないと信じている。一番性質が悪いタイプの人間だ。こういう人間にはどれだけ正論を突き付けても、感情に訴えかけたとしても、絶対に動かせない。


 もともとこちらにも説得の意思は無かったが、説得出来るならその方が良いに越した事はなかった。今となっては机上の空論以前の、架空の妄想にも劣る期待だったが。


「……まあ、ただ一つ言える確かな事は、私は狩也君の事が好きだって事だ。本当にね。彼にも好意はある筈なんだけど……告白してきてくれないのが、唯一の悩みかな。彼と顔を合わせる度に思うんだ。私は彼の好意を知った気でいるが、実はそれが気のせいなんじゃないかってね」


「何が言いたいの?」


「好きな人の為なら何でもやる。たとえそれが法に触れようとも、他の人に批難されようとも関係ない。とにかく私は彼に幸せになってもらいたいんだ。さきの人間不信の話を取り上げるなら、考えてもみたまえ。私だけでも心から信じられれば、結果的に彼は人間不信には陥っていない事になる。私が彼に害を為す奴を殺しているから、彼は君達と出会えた。妹と仲直り出来た。何処が間違っているのか、なんて言うつもりはないが、正しさだけが正義じゃない。口先だけで『幸せであってほしい』と言うのは簡単だ。しかし、目の前にこれから災難に遭う人間が居るのに、どうして黙って見てなきゃいけない。本当に幸せでいてほしいなら、私がやるべきは突っ立って傍観する事じゃない。何も知らない彼の代わりに、そういう災難と戦う事だ」


 信念の確立された人間を説得するのは基本的には不可能だ。信念とはそれ程に強く、得難いもの。正論が正しかった事なんて一度も無いが、確固たる信念はいつだってその人にとって正しい。水鏡碧花の信念を崩せる者が居るとするなら、それはこの世界に只一人だけだ。




「…………じゃあもし、首藤君が真実を知って、貴方を糾弾したらどうするの」




 それはどんなに偉い人でも、軍事力でもない。


 碧花の心に誰よりも強く刻まれている彼だけだ。


「…………面白い。彼は自分の目で見たものを何より信用する。私は彼の前で殺しは絶対にしないし、だから今まで彼の視界に映りやすい君達には手を出さなかった。教えるつもりなら、ここで殺すよ」


「質問に答えて。貴方はどうするの? 首藤君が真実を知って、「やめて」と言ったら―――」



「終わりだよ」



 特に感慨も無く、碧花が言った。


「……終わり?」


「終わり。全て終わりだ。彼からそう言われたらやめるしかない。何もかもね。でもそんな事はさせない。まだまだ彼に集ってくる害虫はいっぱいいるし、君もその中に居る。最初に君は『金輪際近づくな』と言ったけど、あれは私が言うべき言葉だ。非日常の世界に彼を連れ込まないでくれよ」


「非日常は元から。周りであそこまで人が死ぬのって、普通あり得ないから。もう一度だけ言う、金輪際、首藤君には近づかないで。私と萌に任せて、貴方は大人しく自首して」


 自首しないならしないで、それはもう仕方がない。でも首藤君には二度と近づいて欲しくない。彼が優しい人だと知っているからこそ、同じ女性としてこの上なくそう思う。碧花も本当に彼の幸せを願っているなら、早々にそうするべきである事を薄々悟っていると思っていたのだが―――


「あのさあ」


 突然に砕けた口調で、碧花が切り出した。


「何?」


「善悪も正否も抜きで言ってさ―――好きな男の子を他の子に取られそうになってるんだよ? 抵抗しない女子が何処に居るんだい? 私にとって好きという感情は、恋という単語は、そんな生易しいものじゃないんだ。狩也君は私の全てなんだよ。幾らか譲って、狩也君が君に告白したなら話は若干違ってくる。でもそうじゃない。なら頷く訳がない。私は私の為に、そして狩也君の為に。今までもこれからも自分の行いを反省する事はない。私の罪を裁けるのは狩也君だけだ。私を突き放せるのも彼だけだ。私の全ては彼に委ねられている。他の奴が出しゃばるな!」


 声を荒げつつ、碧花はナイフを私に向かって突き出し、ゆっくりと近づいてきた。


「……生きて帰れると思うなよ、御影由利。狩也君にその戯言をほざく前に、息の根を止める。横の当主様と一緒にな」


「…………えッ?」


 一人動揺する美原さんをよそに、私は奇妙な答えで以て、その死刑宣告に応えてみせた。




「望む所」




 胸を張って発言した瞬間、つい先程まで碧花が立っていた場所に、五匹の怪物が姿を現した。



 まほろばの怪物―――迂闊にもこの世界に足を踏み入れた生者の、なれの果て。



「あ、碧花さん―――!?」


「あんなのでもまほろばの王だ。たとえその部位が分かたれたとしても、変わらずアレはここの統治者。ここを素晴らしき場所と疑わぬ者が従わぬ道理は……無いよね」


 碧花は右目の包帯に手を掛けて、それを横にずらした。怪我を隠す為と思われたその瞳には一切の傷がない代わりに―――角膜は白く染まり、瞳孔は真っ赤に染まり。






 白い筈の強膜は、彼女の心の闇を表す様に、深淵色に染まっていた。

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