侵消世界

 碧花と離れてからもずっと考えたが、やはりここがまほろば駅なんて信じられない。そもそもあのまほろば駅だったら王が何処かに居る筈である。以前は大変情けない話だが、泣きながら碧花に先導してもらっていたのだ。もしここがまほろば駅ならば、王を見つける事が何よりの証明になる。


 しかし、俺の知るあそこには雪や楼みたいな人間はいなかった。たまたま同じ車両に居合わせた人を除けば、怪物しか居なかった。碧花の事を疑っている訳では無いのだが、幾ら彼女の発言といっても、俺が自分の目で見た物も判断材料に使っている以上、ここがまほろば駅だとはどうしても思えなかった。



 ―――二階か、墓地か。



 俺の脳内の中でどれだけ考えても、答えは出ない。丁度それは、雪が男か女かを考えた所で答えが出ないのと同じだ。答えを出すには確認をしないといけない。墓地か二階か。どちらかを確認しないといけない。


 どちらを確認するべきだろうか。ここから近いのは墓地だが、墓守の二人は既に帰還している。この場合墓荒らしは俺という事になるから、二人も容赦なく俺を取り締まってくるだろう。子供だからと舐めるつもりはない。むしろ子供なのに職業に就き、今まで職務を全うしてきたと考えれば警戒しない方がおかしい。


 では二階を見るべきか、と言われるとこれも違う。雪と楼に見ないでと言われた部屋を覗くのは大いに抵抗があるし、そもそも同じ屋根の下で過ごしているのだ。気付かれない様に二階へ行け、というのは無理がある。俺が忍者の末裔でもない限りそんな芸当は不可能だ。だが見ないと、碧花曰く、どんな判断をしても後悔するらしいから、見なければならない。



 ―――二人に相談してみるか。



 そもそも二人に隠れてこそこそするというのはおかしな話である。家族にも隠し事の一つや二つくらいあるかもしれないが、これは違うだろう。むしろ話して、意見を貰う事こそ重要なのではないだろうか。碧花も別に黙っていろなんて言っていなかったし…………そもそも、俺は脱出に乗り気じゃないし。話すか。


 仮にコソコソするとしても、やはり俺は家に戻ったと思う。俺が長い間家を空けていたら雪に心配されてしまう。怪物に襲われてしまったのではないかと勘違いして入れ違いになれば、それこそ怪物に襲撃される心配が出てくる。早く行かないと。


 住宅街の出口は…………大分遠い。


 そもそも碧花が指定した場所がかなり奥深くに踏み込んだ場所なので無理もないが、あそこまで戻らなければならないと思うとげんなりする。幸い、まだ商店街から流れてくる人は見えない。あそこを通過するなら今の内だ。


 最短ルートで行くならばと、何気なく俺が角を曲がると―――


「…………あ」


 それは人型を作っていながら、明らかに普通の生物とは違った。その身体を構成しているのは肉の身体ではなく、はたまた無機物でもなく、ミミズを白くした上で更に細長くした様な気味の悪い生物。人型というのも、単に輪郭に沿って紐が循環しているからそう見えるだけ。その生物が一匹二匹三匹……内側を見る隙間もなく詰まっている。集合体恐怖症であれば、卒倒していても不思議では無かった。


 その怪物は俺のたった一文字に反応して振り返ると、体中を構成する生物をまき散らしながら、ゆっくりと歩いてきた。



「うおおおおおおおおお!」



 こんなものに様子見なんて決め込んだら死ぬに決まってる。考えるよりも先に身を翻し、住宅街の更に奥の方向へと走り出す。生物は循環を見る限り人間で言う所の眼窩から湧き出ている。あそこにつっかえ棒か何かを差し込んだら泊まるのだろうが、そうそう突っ込むのに良い棒なんて転がっていない。街は非常に綺麗だ。


 距離を測るべく後ろを振り返ると、怪物は俺以上の速さで見事に走り、順調に距離を詰めてきた。



 ―――ま、マジかよ。



 喋る余裕がなくなるくらいには全力で喋っているつもりだが、このまま直線で勝負していたら間違いなく追いつかれて、あの生物に取り込まれてしまう。直ぐに角を曲がり、続けざまに二回曲がる。一度視線を切ってから隠れてやり過ごす事も考えたが、見つかった時にリカバリーがきかないので却下。


 とにかく直線は避けて、蛇行しながら逃げていく他ない。実際、この方法なら微妙に距離を離せつつある。とある問題さえ解決出来れば、確実に逃げられると思う……そのとある問題は、俺一人ではどうやっても解決出来ないのだが。



 ―――どっちに進めばいいんだよ。



 そう、その問題とは土地勘だ。楼たちと暮らす家は住宅街からは結構離れている。住宅街の道が何処にどう繋がっているを全く把握しなくても、全く困らない。筈だった。怪物の気配など微塵も感じなかったので、心の底では『そんな奴は居ない』と思い込んでいたのが原因だろう。ついさっき碧花と出会えたのが嬉し過ぎたのも原因かもしれない。


 とにかく油断していた。土地勘が全くない所には行くもんじゃない。今は何とかなっているが、途中で袋小路に出くわしたら、その時点で終了だ。


 次は左? それとも右? 


 一瞬の判断が命取りになる。そこには一文字の誇張も無いし、婉曲性も無い。文字通りだ。かなり蛇行して走ったお蔭で距離は徐々に離せているものの、怪物の体力は底なしで、一方の俺の体力は微小。五十メートルもない距離ではジリ貧な状況に変わりはない。


 何となく左に曲がった先で、俺は足を止めた。


「…………ここまで無事だったのに、そりゃないだろ」


 諦観にも似た独り言を呟く。壁に出くわしたら駄目だと言った矢先に遭遇するとは運が無い。はてさて、『首狩り族』とは単なる不運を表したものだっただろうか。


 いや、諦めるのはまだ早い。俺は改めて壁全体を舌から睨め回して、登れる可能性とやらを計算する。手を伸ばせば縁には届くが、そこから上り切る力が俺には無い。せめて足を掛ける場所さえあれば……


 背後から足音が物凄い速さで近づいてくる。躊躇している場合ではない! 


 俺はすぐさま壁に向かって走り出し、己の限界を振り絞って跳躍。予想通り縁には指が届いたが、やはり登れない。



 ―――まずい!



 そして指が痛い。何でもない所に指を掛けて、その指だけで全体重を支える事の至難さと言ったら比類するものが見当たらない。足音が俺の真後ろまで近づいた頃、俺の指も限界を迎える。痛いものは痛い。命に危機が迫っていようと、身体が発する悲鳴には抗えない。


 壁の縁から指が離れると、重力に従って俺の身体が落ちてゆく。もう一度挑むチャンスを怪物はくれないだろう。地面に落ちた俺を容赦なく取り込む腹積もりなのは何となく分かっている。この場だけでも切り抜ける方法が無いか、落下の最中にも考えるが、思い浮かばない。


 結局俺の悪あがきは、届く筈の無い壁に手を伸ばすという、何とも陳腐で、成功の未来を感じさせない―――

















「美原~何処だ!」


 あの気に食わない女とのやり取りを終えてからも、私はずっと美原を探していた。二人一緒に脱出するのが望ましいが、もしもどちらか一方しか脱出できないのなら、その時は―――ああ。私は自分を犠牲にして彼女を助けてしまうだろう。


 私にとって美原は唯一無二の親友であり、私は親友の為なら命も張る。全力投球でしか付き合う事が出来ないのが私だ。それを受け入れてくれたのが美原だ。彼女の笑顔が見たくて、私は共犯者となり、彼女の家出を手引きした。一度美原が連れ戻されれば、私と縁を切る事を勧められるのは間違いないけれど、それでも私は美原の笑顔が見たかった。


 考えれば考える程、非常に癪だが、あの女性の気持ちが微妙に分かる様な気がした。狩也とかいうロクデナシの魅力を知ったという意味ではなく、誰かの為に、という意味で。あれはやり過ぎて気持ち悪い領域に達しているが、方向性だけは私も同じだ。


 それだけでも癪な事に変わりはない。


「…………美原? 怪我してるんじゃないのか? 私は本……ああいや、偽物が偽物だよーとは言わねえか」


 きっと隠れているのだろう。私を怪物か何かだと間違えているんだ。それを己以外で証明する手段は―――今の所、無い。信じてもらうしかない様だ。


「信じてもらえないかもしれないが、一回だけでも外を見てくれ! 私は本物だ! 決して化け物なんかじゃ―――ッ!?」


 居ると思われる親友に声を掛けている最中に、突然、眼窩の内側から激痛が走った。


「ぐうううう……あ、あ、あ、あ、ああ……!」


 最初の頃とは比較にならない激痛。しかも今度は片目ではなく、両方からだ。眼窩の内側―――正確には、眼球の裏側。何かがニュルニュルと這いずっている感覚がある。痛いとか痛くない以前に、体の中に何かが居るという不快感が私を襲った。


「ううウウウウウウウイタイイタイいた……アァ゛!」


 両目を擦ろうが何をしようが、痛みは取れない。どんなアクションを取ろうが、私の手は目の内側までは届かないのだ。


 ならば、眼球をえぐり取ればどうだろうか。一見に奇妙な要求が、私の脳裏に響いた。眼球をえぐり取り、空っぽの眼窩に指を突っ込めば、この感覚が幻覚によるものか、それとも本物なのかがハッキリするかもしれない。



 そうだ。目を抉れば良いのだ。



 より強い痛みを感じれば、この感覚も消え去る事だろう。なんて『素晴らしい』案なんだ。私はあまりにもこの『素晴らしい』世界に居過ぎた。心の何処かで自分自身の変化には気付いていても、それを信用する気にはどうしてもなれない。私にとって私の意見とは、まほろばに比べれば遥かに信じられないモノだった。



 ―――『素晴らしい』



 思考が。



 ―――『素晴らしい』



 まともに続かない。



 ―――『素晴らしい』



 目を、抉『るのは素晴らしい案だ』。



 ―――私の思考が『素晴らしさ』に満ちていく。



 美原を、探し『て説得しなければならない』。


 この世界『に』一刻も早く『馴染も』うと。




 私『は』。



 美原を。



 『愛』『し』『て』『い』『る』。





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