鬼道に堕ちる



 部長を信用するべきか否か。萌と由利が忽然と姿を消した時点で、俺に選択肢というものは残されていなかった。一応、一階を探してはみたが、こうして部長に言われた通りの場所へ向かっている時点で、彼女達が居たかどうかは言うまでもあるまい。当然ながら、二人が消えた場所に心当たりがある筈など無いので、探そうにも探せない。だから俺は、唯一居場所が判明しているクオン部長の下へ行くしかないのである。


 今までも非日常な目には遭ってきたが、ここまで意味の分からない事態には遭遇した事がない。最初に聞こえた幻聴も今は聞こえないし、もう何が何やら訳が分からない。あの幻聴が聞こえた瞬間から碧花に事の真偽を正したい気持ちはあるが、ここで彼女の家に行くと、彼女まで居なくなってしまいそうで怖かった。


 ―――危険な方法って、何なんだ?


 一人かくれんぼより危険な方法なのだろうか。碧花の助けがあったから何とかなったが、あれも中々危険な方法には違いなかった。こちらを殺さんとするぬいぐるみを捕まえて、特定の手順で終わらせる必要があるのだから。それよりも危険となると、もう想像もつかない。命一つで足りるのだろうか。そんな事を考えながら、話し相手も居ない俺は、無言で北方へと歩き出す。姿の消えた萌でも追っているのか、マガツクロノに遭遇するという事も無くて、思ったより早く到着してしまった。この暗闇の中でも山というものは自己主張が激しい。懐中電灯一つあれば、容易に位置を特定する事が出来る。


 待っていると言った割には、クオン部長の姿が見えなかった。まさか彼までマガツクロノの犠牲に……考えられなくはないのが、また問題だ。幾ら彼でも、怪異の影響を無視出来る程強くはない。俺もそうだが、所詮は心臓一つの人間だ。刺せば死ぬし、斬れば死ぬ。物理的な危害によって死ぬのなら、それは怪異によるものとは言えない気もするが、ともかく部長だって、現実離れした存在を相手に快勝出来る様な奴ではないのだ。




「待たせたな」




 暫くすると、山の方から クオン部長が下りてきた。傷一つない綺麗な姿とは言い難かったが、単に下山の最中に汚れたというだけだろう。肩に土が掛かっているが、道中で転んだのだろうか。


「部長」


「ああ……お別れは済んだか?」


「……いえ。お別れはしてません。死ぬ可能性があるってだけで、死ぬとは決まってませんから」


 確実に死ぬと分かっているなら、俺は協力しなかった。一人かくれんぼを終わらせる為とは言っても、自分の命よりも大事なものはそれ程無い。死ねと言われて死ねる程、俺は狂っていなかった。俺の覚悟を軽いものと受け取った部長は、軽蔑の瞳を光らせた。


「そんな覚悟で終わらせる事が出来ると思っているのか。君がオカルト部じゃない事を差し引いても、覚悟が軽すぎるぞ」


「俺、あがり症なんですよ。だから変に覚悟何か持っちゃうと、失敗すると思います」


 あがり症かどうかはともかく、変に覚悟を持つと行動が裏目に出る可能性は否めないので、嘘ではない。俺は一度覚悟してしまうと途端に頑固になる性格なので、誰に何を注意されても、それがたとえ間違っていても、行動を貫く恐れがある。命を落とす可能性があるならば、その頑固さこそそもそも裏目になる可能性が高い。


 結婚、告白。その手の類のものでもない限り、俺は覚悟を決めたりはしない。身の程を弁えろ、という言葉がある様に、モブでしかない俺が主人公の如く意地を張った所で、主人公補正は掛からない。待っているのは破滅だけだ。逆主人公補正とでも言おうか。


 嘘ではないが、誠という訳でもない。後頭部を掻いて誤魔化すと、部長は黙したまま再び山の中へと歩き出した。


「着いてきてくれ」


「何処に行くんですか?」


「山の頂上だ。待たせたのは申し訳ない。この下らない遊びを終わらせる準備をしていたんだ。これでこの街から怪異は消え去る……とまでは流石に行かないが、出現頻度はずっと減る筈だ。オカルト部としては悲しい限りだが、これで萌を守れるのなら、そして君を解放出来るなら。やるに値すると思っている……考え方が違っていた。もっと早くに気付いておけば、俺は君に萌を託すなんて事はしなかったと思う」


「どういう意味ですか?」


「かえって危険な選択だったという意味だ。深くは聞くな。どうせ理解出来ない」


 気のせいだと思うのだが、どうも部長の言葉が刺々しい。言葉に敵意まである気がする。何処か不安な思いを抱きながら、俺は黙って部長の背後をついていく。山の中に入ると途端に方向感覚を失った。振り返っても街の風景が見えない事実は、背後から暗闇が迫ってきている様に錯覚させた。


 ―――これ、帰れるのか。


 地域的に知らぬ山ではないが、あまり足を運んだことが無い事も手伝って、かなり怖い。それも知り合いを除けばあらゆる人が居なくなってしまった不思議な状況なら猶更。枯れ木も山の賑わい、という諺を使おうとすると意味が違ってくるのだが、それでも居ると居ないとでは大違いだ。何の関係も無くたって、居ないよりかはマシなのである。


 妙に刺々しい部長の威圧感に怯えていた俺は、口を縫い合わせられた様に喋れなくて、実に三十分。本当に辛い沈黙とはこういうものなのかと、この年齢にして実感していた。


 お互いに黙り込んでしまった事は、幾度とある。だがそれは、実に心地よかった。あれ自体は遊びの一環であったものの、好きな人と一緒に過ごす沈黙は、年を重ねた夫婦になったみたいで、あちら側がどう思っていたかはともかく、俺はずっとあのままで良いとすら思っていた。


 狂った発想かもしれないが、言葉も交わさずに意思疎通が出来るのなら、それに越した事は無いと思う。それくらい好きな人になら、心の全てを開いていたいと思っている……のだが。




 それはそれとして、この沈黙は嫌だ。




 山の高さも変に高いから、余計に時間が掛かっている様に感じる。加えて町の光景が見えないせいで、夢の中を漂っている様な非現実感を味わっているが、それもまた時間を長く感じさせる要因だ。早く頂上につかないものか、早く終わらないものかと、ずっと思っていた。


「…………狩也君」


「はい?」


「君は俺の事を恨んでくれて良い。それくらい君には、無茶を頼んでるつもりだ。今まで苦労を掛けて済まなかったな」


「―――部長。何だかおかしいですよ。どうしたんですか?」


「いや……君は赤の他人ではないからな。そうであれば躊躇する所を、俺だって人間だ。専門家でもない君にこんな酷い仕打ちをするなんて、全く以て、良心が痛む」


「だからいいですって。それでひとりかくれんぼも終わるんでしょ? もしかしたら俺の不運だって消えるかもしれないですし、気にしないでください。それに……」


 俺は心の鍵を開錠して、僅かに闇を吐き出した。


「正直、どうしようもなく死ぬなら、それはそれでいいんじゃないかなって思うんです。痛いのも怖いのも嫌ですけど、嫌だからって言って拒絶出来ない、抗いようのないものなら。足掻くべきじゃないかなって。俺はこの不運で、何人も殺してきた訳ですし」


 それは碧花という友達を経ても尚、隠しきれぬ心の闇だった。人はどう諭されても、「はい、そうですか」と心の闇を消す事は出来ない。『首狩り族』という通り名によって俺が孤立している事実がある限り、俺は誰に何と慰められても、この心に闇を抱え続ける。


 恐らく、人よりも己の命を軽視しているのだと思う。それも仕方ない事だ。碧花が居なければ、そもそも俺はあの一人かくれんぼの時点で死んでいた筈だから。



「着いたぞ」



 ようやく到着した。因みにかつて俺が言った心霊スポットとは違う山なので、旅館は無い。ついでに言うと、あそこはあれ以降、全面的に立ち入りが禁止されている。規制を守らない部長とは違い、俺は法律を守る人間だ(夜に学校へ侵入して一人かくれんぼ然り、グレーだが)。立ち入りが禁止されていたら、幾ら部長が居ると言っても、俺は入らなかった。


「あそこに小さな小屋が見えるな? あそこに入るぞ」


 部長の指す小屋というものは見間違えようも無い。たった一つしかない簡素な小屋だった。屋根と壁が付いているだけの木製の建物と言えば、その簡素さが理解出来るだろうか。窓もない。扉の作りは雑。およそ人が住めるとは思えない。ベッド一つと机一つ。適当な本棚でも置けば、それで部屋は満タンになるだろう。それくらい狭かった。


 給料の少ない男の一人暮らし、または独房暮らしじゃあるまいし、誰が作ったかは知らないが、こんな小屋よりかは、野宿した方がマシだろう。洞窟の方がまだ住居としての価値がある筈だ。


「あんな所に入るんですかッ?」


「狭いだろうがな。あそこに入ればすぐ終わる。何もかも終わるんだ。早く行くぞ」


 そう言って部長は一足先に小屋の中へ。続いて俺も入ろうとすると、携帯のコールがそれを引き留めた。


 相手は……非通知だった。


 電話に出るくらいの余裕はあるし、一応出てみる。碧花なんかが女の勘を働かせて掛けてきたのなら、即切るしか方法が無い。言論で彼女に勝つ見込みはない事など分かり切っている。



「はい。もしもし」


「狩也君、突然で悪いが、伝えたい事がある。聞いてくれるかい?」


「……西園寺さんですよね? …………まあ、いいですけど」


「有難う。ついさっき分かった事だけど、マガツクロノの正体は殺人鬼でも何でもなかったんだ。あれは殺人依頼サイトの名を持ってはいるけど、あれは呪術サイト。つまり呪いなんだよ!」


「呪い?」


「考え方が逆だったんだ! 消えたのは街の人達じゃない、君達だ! だから周りが居なくなっていた様に見えた! 厳密には違うけど、神隠しみたいなものだ。それが気付かない内に行われたから、気付けなかった」


「…………あの。済みません西園寺さん。今、俺、何やら続いてるらしい一人かくれんぼを終わらせる為に、山に―――」


「―――一人かくれんぼ? 続いてる? どういう事?」


「離せば長くなるんですけど……二時間以内に終わらせる事の出来なかった一人かくれんぼを終わらせるには正規の手順じゃ駄目みたいで。でもなんかページが破けてて、その破れた部分に推測が付いたらしくて―――」


 我ながら説明が下手すぎる。俺の明らかに下手くそな説明を受けても、西園寺悠吾は全容を理解してくれた。


「…………ふむ。推測が付いた、か。それで、どうして山に?」


「いや、良く分からないんですけど、何か俺が居ればすぐ終わるらしくて」


「…………………大体分かった。悪い事は言わない。逃げた方が良いよ」


「へ?」


「二時間以内に終わらなかった一人かくれんぼを終わらせる方法。それは良識のある人間には殆ど不可能だし、直ぐに終わる様なものじゃない。君は騙されている」


「それは、どういう?」


 妙にぼかした言い方だ。気になる。


「知りたいなら教えるよ。一人かくれんぼを正規の手順以外で終わらせる方法、ってのは―――!」


 声量が突然上がって、思わず俺は携帯から耳を離した。幸か不幸か、そのお蔭で俺は背後から忍び寄ってきた足音に気付く事が出来た。


 反射的に振り返りつつ後退。さっきまで俺の頭があった位置の真横……木の幹を、半ば程まで金属バットが潰していた。

























「…………避けたのは悪手だったぞ、狩也君。そのせいで、君は楽に死ねなくなった」

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