終焉

 今まで俺は、クオン部長の事を頼れる存在だと思っていた。喧嘩も強いし、怪異に対する心得もある。味方であればこれ以上に頼れる存在というのも中々居ないだろう。流石の彼でも無双とまでは行かないのは分かっているが、それでも彼が居れば何とかなるという安心感はあった。実際、八石様と思わしき存在から逃げ切ったのは凄い事だと思う。

 思えばその時から、僅かな危惧があった。もしも、彼が敵になったらと。けれどあり得なかった。彼と敵対する理由が無いから。いや、無かったと言うべきか。更に厳密に言うと、俺にはこれからも敵対する理由なんて無い。

「ちょ…………ちょっと!」

「…………」

 俺に対する手加減のつもりなのか、部長は歩く速度から一向に足を速めない。しかしそれが、まるで確実に迫ってくる死を表しているみたいで、むしろ心臓に悪かった。それは物理的な意味も含まれている。 


 ―――足を止めれば死ぬ。


 恐怖で極まった俺の足取りはおぼつかない。下り道だから転んでもどうにかなっているが、ここが平らな道であったなら何回追いつかれているだろう。あれ以降、部長は一言も喋っていない。いつ着替えたのかロングコートをはためかせ、フードを目深に被って。闇夜の降り積もる街に、無機質な足音が響き渡る。

「何で俺を……殺そうとするんですか!」

「…………」

「部長!」

「………………」

 あの金属バットが一度でも頭に入ったら間違いなく死ぬ。頭蓋が潰れ、脳漿がはじけ飛び、吐き散らかした吐瀉物の如く死体が崩れる。一度でも喰らってはいけない。どんな惨めな姿を晒す事になっても、生きてさえいれば良い。いや、生きていたい。俺はまだ、こんな所で死にたくない。

 再び電話が掛かってきた。非通知だが、誰がかけてきたかは分かっている。いつの間にか通話が切れていた様だ。

「もしもし!」

「ああ、もしもし君か。西園寺悠吾だ」

「分かってますよ! 西園寺さん、今殺されかけてるんですけど、どうすればいいと思いますか!」

「どうすればいいって言われても、逃げてくれとしか言えないよねえ。それはそうとさ、こっちからも聞きたい事がある」

「何ですか!」

「君を追ってる人ってさ―――もしかして、クオン君?」

「―――ん? ま、まあ確かにクオンって苗字ですけど」

 かつて同じ話題になった時とは、呼び方が僅かに違う事に違和感を覚えたが、背後から金属バットを持った死神が迫りくる状況では尋ねる事が出来なかった。

「…………もしかして、そのクオンってさ、俺みたいな狐面被ってたりする?」

「被ってますけど!」

 電話越しでも、小声で「あー」という声が聞こえたが、何やら合点が行った様だ。ちゃんと間を置いてから、俺は改めて尋ねる。

「何か気付いたんですか!」

 背後との距離は僅か三メートル。少しでも俺が息切れを起こせば、その瞬間にジ・エンドだ。歩きから一切速度が変わっていないのに距離がここまで近いのは、何故だろうか。歩幅が大きいからというだけでは説明がつかない。まさか俺の走る速度が歩く速度よりも遅いなんて事は無いだろうし。

「……そう。もしかしたらと思っていたけど、そういう事か。いやはや、物事の因果はあらゆる全ての事象に絡みついているのは、やはり真実であったんだね。確かにその線でも考える事が出来た。けれど情報が足りなかった。でも今ならそれしかないと考えられる」

「何言ってるんですかッ! 何に気付いたんですか!」

 喋りながら走るのは中々辛い。体力のない俺ならば猶更だ。走る際に使う呼吸、喋る際に使う呼吸。二つを両立させながら足を動かすなんて器用な真似が帰宅部に出来る筈ないだろう。それでもまだ俺が生きていられるのは火事場の馬鹿力のお蔭であろう。それを差し引いた余剰分、生き残れているのだ。

 裏を返すと余剰が無くなった瞬間に俺は死んでしまう訳だが、それまでに事態を打開できなければどの道死ぬだろうから、実はあまり関係なかったりする。

「…………今から君を追い回してる人に、聞いてみると良いよ。それ次第かな」

「何を聞けばいいんですか!」

 焦りが募るあまり、相手を責め立てている様にも聞こえる。そんな俺の言い草にも不快感を示す事無く、西園寺悠吾は快く頷いて教えてくれた。

 答えを得た俺は、一旦全速力で走り、クオン部長との距離を取った所で勢いよく振り返った。こちらが対応を変えても、彼は一切速度を緩める事も早める事もなく、金属バットを片手に近づいてくる。

 ―――これは彼が出してくれた助け舟である。

 乗るより他、あるまい。




「クオン部長―――いいえ、九穏猶斗クオンユウト先輩!」





 息切れ寸前の肺から最後の息を振り絞ってそう叫ぶと、今まで無言を貫いていた部長の動きが止まった。

「…………何故、その名を」

 どうやら、正解みたいである。俺は耳に携帯を当てて、途切れ途切れに感謝を述べた。

「……ハア……ハア…………ハア……西園寺さん。当たり、みたいです」

「あーやっぱり? いやあ当たって欲しくなかったなあ。本当に」

「西園寺……そうか。誰が掛けてきたのかと思ったら、西園寺部長か。余計な事、してくれたな」

 通話音声をスピーカーに設定。クオン部長の方に向ける。

「……あーあー。九穏君? 久しぶりだね、元気で……とは行かないみたいだけど」

「西園寺部長……何故、彼を助けるのですか。彼が死ねば、全ては丸く収まるんですよ。彼さえ死ねば、何もかも、解決するんです」

「死ねば解決……ああ、大体分かった。どうしてここに来て一人かくれんぼの話になったのかと思えば……だよねえ。なんと罪深き話かな…………うむうむ。しかし九穏君、彼が死ねば本当に全て終わると本当に思ってるの?」

「終わりますよ。『首狩り族』も、『一人かくれんぼ』も」

「いやあ終わらないと思うよ。彼が死ねば、むしろ暴走すると思う。余計に被害が拡大するだけだ。誰に対しても迷惑になる行為はお勧めしないって、俺は教えたと思うんだけど」

 西園寺悠吾の声から能天気は消えていない。九穏部長の行動を知った今となっても、変わらず余裕綽々と言った感じで、オカルト部部長を名乗っているに相応しい冷静さだった。九穏部長も大概だったが、まるで高校生らしさが無い。

「あちらがボロを出すのなら、それに越した事は無いだろう」

「相打ちのつもりかな? 九穏君。君はもう死んでるっていうのに、今更地獄への道連れなんか必要ないでしょ」





「何ですって?」 





 九穏部長が……死んでいるッ?

 それは一体…………どういう事だ。

「ま、待ってくださいよ西園寺さん! 九穏部長が死んでるって本当なんですか!?」

「うん、そこまで驚く事かな? 俺の手記に書いてあったでしょ? あの世とこの世が曖昧になるって。一人かくれんぼが続いてるって言うなら、不思議はないでしょ」

「いや、そんな……続いてるかどうかはともかく、九穏部長は今までも生きてたんですよ! 今に限った話じゃな―――!」

 俺の言葉を遮ったのは、他でもない九穏部長だった。俺が西園寺悠吾との会話に夢中になっている間に、彼は一瞬で間を詰めて、俺の脳天目掛けてバットを振り降ろした。辛うじて回避する事は出来たが、携帯を前に突き出していたせいで、俺の携帯が地面に叩き落とされてしまった。

「うぐぅ…………!?」

 指を金属バットで殴られた事など誰にもあるまい。幸いにして掠っただけなので、骨折とまではいかないが、痛い。骨の中からヒリヒリと感じる。掠っただけでこれならば、まともに喰らえば粉砕していたのではないだろうか。立ち止まっていたお蔭で体力も少し回復したので、俺はぶっちぎる勢いで、一気に走り出した。

 ―――どういう事だ?

 九穏部長は死んでいるらしいが、一方で九穏部長は西園寺悠吾を殺したと言っていた。どちらが正しい。どっちが真実を言っているのだ。携帯を落としたせいで、もう西園寺悠吾とは連絡が取れない。九穏部長は俺を殺さんと追っかけてきているから聞く耳を持ってくれるとは思えない。つまり判断材料は俺の中における信用度しかない。

 いや、問題はそういう事じゃない。仮にどちらを信じるべきかを判断して、その後はどうする? 結局、マガツクロノに対してどうすればいいのか。答えが出ている訳じゃない。この状況に何の打開策も出せていない。


 取り敢えず、一旦追跡を撒いた方が良いだろう。


 俺の家は既に九穏部長の知る所にあるから、隠れ場所には不適任だ。さして外出した事も無い俺では、自分の家を覗けば近くの公園しか選択肢が出てこなかった。因みに碧花の家には行かない。彼女に迷惑はかけたくないのだ。

「……ハア……ウアアアア!」

 肺が千切れてしまいそうな程呼吸を繰り返しながら、俺は公園へ向けて走り出した。あそこに隠れて見つかる様なら、俺の命運もそこまでという事だ。



























 ザッ。ザッ。ザッ。


「逃げても無駄だぞ、狩也君。俺の身体能力は知っているだろ。君じゃ逃げられない」


 ザッ。ザッ。ザッ。


「惨たらしく殺すつもりは無いんだ。一撃で殺すと約束しよう。だから出て来てくれ」


 ザッザッザッ。


「…………はあ。分かった。じゃあもう―――優しくしないぞ」




 ザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザ!



















「みーつけた!」

 ドーム型遊具に隠れていた俺へ、西園寺悠吾が懐中電灯を当てた。 

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