死は素晴らしき招待状

「ど、どうして……ここに」

「いや、気が付いたら萌が居なくなっててな。心当たりがお前の家くらいしか無かったもんで、ほら。クオン部長の家とか知らねえしな」

「あ、ああ……そういう事」

 首藤君にしては無礼というか、非常識だと思ったけど、見た所怪我も無いみたいで、取り敢えず安心した。萌は彼に撫でられているからだと思うけど、布団に包まってはいるが、落ち着いているみたい。

「萌。ココア淹れてきたから。いい加減起きて」

「まあまあ落ち着けよ。ココアはその辺に置いてさ、お前も何があったか知りたいだろ?」

「……随分、首藤君にしては落ち着いてるね。いつもなら、取り乱していそうなものだけど」

「流石に、何度も何度も変な目に遭えば落ち着くって」

「―――そう。それで、一体何があったの」

 錯乱している萌とは違い、首藤君は至って正気……むしろ普段以上に正気みたいだから、正確な説明が出来る筈。私はそう期待して、彼に何が起きたかの説明を求めると、快く応じてくれた。

「ああ。いいぞ。しかし、何だ。オレが当事者だから、自分で語る事になるのはちょっと……気が引けるというか、まあ語るんだが。―――まずは話の腰を折らずに聞いてくれ。その後に好きなだけ詰ってくれていいからさ」

 首藤君はそう前置きしてから、クリスマス会後の出来事を語りだした。私もココアを机に置いて、話を聞いた。

 彼が話してくれた内容は萌が話してくれたものと殆ど一致していた。首藤君にしては凄く不自然だとも思ったけど、やはり当事者……本物の首藤君だった。彼が指切吞目について知っていたのは驚いたけれど、それもどうやら、別の詳しい人が関わってるみたいで、彼本人の知識では無かった。

「―――まあそんな所だ。オレは結局何にも出来なかった。妹は死んで、萌はこんな風になっちまって……クオン部長が居たら、ぶん殴られるくらいの失態を犯した」

「―――そう」

 しかしながら、巻き込まれた人から事件を聞くのと、当事者……それも彼曰く『元凶』から話を聞くのでは気持ちの面で見方が変わってくる。言葉一つとっても彼は今回の行動全てを悔いている節が見られ、話し終わった今でさえそれは変わらない。よく泣いていない、と思う。私だったら泣いているに違いないと思えた。自分の身が危なくなった時でさえ泣いてしまうのに、家族を自分のせいで亡くすなんて事になったら―――いつぞやの時みたいに、正気じゃいられなくなる。

 何と返したら彼の傷を癒せるのかが分からない。私はクオン部長みたいに頼れる人じゃないから、『もう安心しろ』なんて口が裂けても言えない。

「その……首藤君」

「何だ?」

「何をどう言ったらいいか分からないけど……その。辛かった、ね」

「―――怒らないのか?」

「怒れない……だって、一番大変な目にあったのは他でもない―――」

「天奈だよ。オレは『首狩り族』だから良い。どんな理不尽な目に遭わされても、それだけで説明がつく。だけどアイツは違う。普通の女の子だった。普通の世界で、普通の幸せを手に入れる権利があった。死ぬにしたって、普通に死ぬべきだった。老衰……それならオレも、許せた」

 ココアはすっかり冷めてしまったが、それと同じくらい彼の言葉は冷めていた。双眸に差し込んでいた光は瞳の奥に生じた深淵に呑み込まれ、まるで人形の目みたいに生気がない。私が彼に感じた不自然さは、恐らくここから生じたものでは無いだろうか。

「―――死んだ人がどう思ってたかは分からない。首藤君は、自分を度外視しすぎ」

「由利。お前に何が分かる。妹はオレに巻き込まれたんだぞ」

「分からないけど。それでも貴方が辛いのは分かる。だって首藤君、声が震えてるもの」

 かつてクオン部長が言ってくれた言葉を思い出す。



『目の前で誰かが死んだからって、それを自分のせいにするつもりなんか無いんだぞ? せい、というのはそれが原因である事を示す言葉だ。つまりそいつが死んだのは誰のせいかと言われると、そんなの殺した奴のせいに決まってる。いいか? 相手が辛かったとか苦しかったとか余計な事は考えるな。まあ死に責任を持ちたいっていう思想を掲げてるなら勝手にしろ……と言いたい所だが、そんなの考えて勝手に苦しむ方が無責任ってもんだ』


    

 続く言葉を私の舌に乗せて。今度は私から首藤君に語り掛ける。

「―――死人に口なし。死人は喋らないし、考えないし、苦しまない。死は救済って考えはそういう所から来ている。死ぬ直前どんな酷い目に遭っても、死ねばそこで苦しみは終わる。だから死者の負の感情を気にする必要は何処にもない。一番気にするべきなのは生者の感情―――生き残った人の気持ち」

「…………オレか」

「そう。貴方の妹がどんなに酷い目に遭ったかは聞いたし、想像するだけでも恐ろしい事は分かってる。でも、その妹が死んだ今、一番辛いのは紛れもなく貴方。だから―――」

 言葉に詰まる。一番辛いのは彼だから、何だ? 彼の気持ちを少しでも和らげようと部長の言葉を引用したのが不味かったかもしれない。所詮それは借り物。本当に大事な部分は自分の口で語らなければならない。



「―――ココアでも飲んで、ゆっくりして」



 実時間一分。

 体感時間十分。

 導き出した答えは、あまりにも馬鹿げていた。

「…………ん。ん?」

 何処のどいつが慰める為に『ココアでも飲め』と言うのか。確かに温かい飲み物を飲ませると気分は落ち着くかもしれないが、それが果たして慰めるという行為に相当するのだろうか。慰められていた本人も私の頓珍漢な発言に首を傾げていた。

 急いで撤回すれば間に合ったかもしれないが、その発言があまりにも恥ずかしくなってしまった私は、何とかして取り繕おうとしてしまった。

 そしてどんどん、取り返しがつかなくなった。

「い、いやほら。私が萌にココアを持ってきたのは……落ち着かせる為だし。せっかく来たんだから……ね?」

「お、おう……ううん? あ、ああ。でもそれ、もう冷めてるだろ」

「これは私が飲むから……今、新しく二人分作ってくるね」

 何処か張り詰めた空気だったのに、いつの間にかそんな空気は消え去って、気づけばいつもの穏やかな雰囲気が戻りつつあった。萌の方を見ると、この雰囲気のお陰でココアを飲まずとも気分が落ち着いたか、布団からぴょこんと顔を出していた。萌自体は身体が小さく顔も可愛らしいので、今だけはまるで小動物みたいな愛くるしさがある。

「萌。もう大丈夫なの?」

「……! 一応、大丈夫ですッ」

 若干大丈夫では無さそうなので、やはりココアを持ってくるしかない。頓珍漢な発言を撤回しなかったせいで、二人には私がやたらとココアを推してくる人間に見えるだろう。でも仕方ない。あの発言を撤回せずに取り繕おうとすると、どうしても己を犠牲にしなければいけなくなる。

 顔から火が出そうな程恥ずかしかったが、結果的には二人の気を和らげる事に成功した。このまま滞在していても弄られるだけなので、名目上は新たにココアを淹れるという事で、私は席を外した。

 

 もう、本当に恥ずかしい!


「あ、由利」

「な、何ッ?」














「…………少し話がある。碧花の事でな」

 首藤君はナイフを逆手に持ちながら、鋭い声でそう言った。

   

  



















 その後も俺達は店を回り続けたが、つい先程の店が驚愕のピークとなってしまった。いやまあ、あれが単純にヤバ過ぎただけなので、他の店は別に悪くない。他の店だって面白みがない訳じゃないのだ。例えばあそこの……えー。


 とにかく、俺達は色んな店を回った。


 商店街のほぼ全てを回ったと言うと過言になるが、十店舗以上は確実に回った。それもゆっくり、時間をかけて。俺は特別買い物好きという訳ではないのだが、隣に碧花が居たからだろう。いつもは苦痛に感じる筈なのに、買い物がやけに楽しく感じた。

 かつての俺なら三時間もすれば「そろそろ帰ろう」と言い出していただろうが、三時間なんてあっと言う間だ。好きな人が傍に居るなら、誰だってそうだろう。叶う事なら、俺は一分一秒彼女と離れたくないのだから。

 勿論、そんな事は出来ない。結婚したとしてもプライベートの時間がある様に、一分一秒離れずに過ごすなんて不可能だ。どうしても一緒に居たいとするなら、それは恐らく碧花を殺す事に繋がってくるが、生憎と死体愛好家ではない。俺は生きている彼女の事が好きなのだ。

「旅とはいえ、かなり買ってしまったね。大丈夫かい?」

「いや、結局大体見て回っただけで、買ったの食品かさっきの簪じゃんか。手元にそんな残ってねえよ」

 俺も彼女も、リュックサックの様な物を持っている訳ではない。たくさんモノを買っていたら手が重くなって、終いには旅が続行不可能になってしまう。そもそも俺達はショッピングではなく、旅をしているのだ。当てもなく、気の向くままに動く。買い物を止めたのも、単に買い物が飽いただけの事。ちょっと格好良く言うなら、偶々立ち寄っただけだ。

「しかし……ちょっと時間掛け過ぎたな。もう夕方だぞ」

「そうだね。危うく旅というのを忘れかけてたよ。そろそろ泊まる所探そうか」

「え、まだ良くないか? 夕方かもしれないけど、夕方なんだぞ?」

「言わんとする事は分かるけど、私じゃなきゃ何言ってるか分かんないよ。いいかい? 私達の住む地域にホテルが何か所あるか知ってる?」

「……三十か所くらいか?」

「そんなにないね。あっても精々五か所、少なく見積もって二つと言った所か。前提条件として、この地域は私達の住む場所よりも田舎だ。その度合いはごく僅かかもしれないが、私達の地域よりもホテルが多い道理って無いだろ? まあホテルじゃなくて旅館でも良い訳だけど…………どちらにしても、そんなにポンポンと乱立されている建物じゃない。宵になる頃に探し始めたんじゃ遅いよ」

「野宿は……選択肢にあるとはいえ、嫌だな」

「それならそれで、野宿に適した場所を探さないとね? 警察に見つかるのも面倒だから、もしかすると宿泊場所を探す以上に骨が折れるかも」

 どちらに転んでも待っているのは苦難、か。道を選ぶという事は必ずしも歩きやすい安全な道を選ぶって事ではないと、夢のある狸が言っていたっけか。全くその通りだ。

「……そうだな」

 どっちに転がっても苦労するなら、宿泊場所を探そう。俺の要望は旅館だ。旅館の方が旅してる感じがある。決してやましい事は考えていない。温泉を覗こうとか、混浴だったら嬉しいとか、全く考えていない。

「一応聞いておくけど、宿泊施設に心当たりは―――」

「無いよ。この土地は私も知らないね。調べようと思えば、君の携帯を使えば簡単に調べられる訳だけど」

「―――それは最終手段にしておきたいな」

 もしも萌とか那峰先輩からの不在着信なんてあったら、俺はどうにかなってしまいそうだ。俺は『 』の事を忘れる為に旅していて、『 』の事を思い出させるからあの地域を離れたのであって。


 ―――まだ、傷が癒えた訳じゃない。


 碧花と一緒に居るから元気なだけだ。一度風呂にでも入って感傷的になったが最後、俺はもう一度思い出してしまうだろう。

 兄としての責任を。

 守れなかった無力さを。

 そういう悲しみから全部逃げたくなったから旅をしている、というのは何度も言った通りだ。なので携帯に触るのは最終手段。野宿の場所すら見つからなかった場合の、最終防衛ラインだ。

「……ああ、待って。嘘吐いた。心当たりならあるよ、一つだけ」

「え?」


「ただ…………狩也君。法を犯す勇気はあるかい?」


「え?」

 同じ言葉でも、内包された意味は全く違う。唐突にそんな事を聞かれて即答で答えられる人間が果たしてどれくらい居るだろうか。答えなんて、きっと多くの人がノーと答えるだろうが、それでも即答する事は出来まい。

 まずそんな事聞いてくるとは思わない。日常の中に居るなら、長い生涯の内でもそんな事は尋ねないだろう。俺はかなり面食らったが、よくよく考えなくても答えなんて決まっているので、変に捻らず、頭を振る。

「いや、無理」

「ふむ。立ち入り禁止の場所に入る程度だよ?」

「ああ何だ。確かにその程度なら……って。嫌だよ。怖いじゃん」

「私が守ってあげるから」

 嬉しくない。碧花に守られれば守られる程、まるで自分が男としてはこの上なく頼りない存在みたいで……いや、これは今に始まった話では無いのだが。今に始まった話ではないからこそ、俺は気にする。

「……何か、他に不満でも?」

 碧花は基本的には勘が異常なくらい鋭いのに、どうして俺のプライドに関わる部分は鈍いのだろうか。出来れば察してもらいたく思うが、そう思い続けた年数は碧花と出会ってから今に至るまでとほぼ同数。

 今更察せられたら、逆に何かあったのかと訝ってしまうというものだ。

「不満は無いんだけどさ…………いや、不満はあるのか。一応。うーんいや」

「もしかして、私が頼りないかい……?」

「それは無い! 違うんだよ…………ああえっとなあ」

 どうやって伝えられば幻滅されずに済むだろうか。こういう時の為に国語の勉強はしておくべきだったか。全く失敗してしまった。それに国語を勉強しておけば、必ず成功する告白とか編み出せたかもしれないのに。

「―――そんな危ない場所に行く前に、正規の施設を探そう。幸い、時間はたっぷりある。夜になるまでには見つかるだろう」

「…………まあ、そうだね。妥協というものは最初に最善を尽くしてからするべきもので、間違っても最初から妥協してはいけない。いいよ、探そう」

「因みに俺の二倍ある視力で既に見つけてたりは」

「してないよ…………君と過ごす時間が、あんまり楽しくて見てなかった」

 幾ら視力が良いからってあり得ないか。少しは期待していたのだが、どうやら本当に探す必要がありそうだ。手間が省ければそれに越した事はない。土地勘なんて皆無だし、見つけるとは言ったが―――見つからなかったらという不安が、いつまでも頭の隅にこびりついている。

 そうなれば野宿、いや、碧花が知っているらしい建物に行く事になる。

「……うだうだ考えてても仕方ねえな! 行くぞ、碧花。我、いざ宿泊施設を探さん」

「はいはい。付き合いますとも、臆病な探検家さん?」

 少し残念そうにしながらも、碧花はやれやれと手を広げるのだった。

 


  

 


   

「所でお前、さっき何か言ってた? 時間がどうこうって」

「ん……君の気のせいだよ」













 夕方と呼ばれる時間帯は過ぎ去り、夜の帳が降りてくる頃―――即ち、宵の頃。まさか宿泊施設が見つからないなどという奇跡は起こらず、俺達は無事に宿泊施設を見つける事が出来た。

 同じ事をした人物がもしも見つからなかったとしたら、それは恐らくその人自身の怠惰が原因だ。めげずに探せばあるものはある。それを俺は証明した。

「……ッチ」

「ん?」

 気のせいではない。今、間違いなく舌打ちが聞こえた。

「碧花?」

「何?」

「いや、何じゃなくて。何の舌打ちだよ。見つかって良かっただろ」

「失礼だなあ、舌打ちなんてしてないよ。旅館なんて見つからなきゃいいのにと思っただけだ」

「いや、どっちも似た様なもんだろ。もしかして、そんなにお前の心当たり行きたかったのか?」

「わざわざ言い出したくらいだし、行きたくないと言えば嘘になる。でもま、見つかったならそれでいいよ。何も君の欲求を無視してまで行く事はない」

 俺は時々、少し不安になる。碧花の性格は献身的で、とても他人想いなのだが、あまりにも自分を軽視し過ぎている気がする。今までを振り返ってもそれは強まるばかりだ。彼女は非の打ちどころがない素晴らしい女性かもしれないが、もしかするとそこだけが欠点……いや、短所な気がする。

「混浴だったらどうしようか」

「そ、そりゃお前……別々の時間帯に入れば良いだろ」

「一緒に入りたくは無いのかい?」

「……………………入りたくないって言ったら嘘になる。が」

 入ったら俺は色々抑えきれそうにないので入りたくない。『 』を忘れたくて旅に出た今も、俺の理性はきっちり機能している。これを壊す方法があるとすれば―――言わずとも分かるだろう。もう言っているし。

「ともかく、行くぞ。あー良かった。変な所行かなくて」

「そんな変な所じゃないんだけどな、心当たり」

 さて、無事に宿泊先を確保する事が出来たので、ここからはかなり行動の選択肢が広まる。部屋でゆっくり体の疲れをとるのも良いが……最初に出会ったあの巫女さんの事とか、気にはならないだろうか。



 俺は気になる。

 

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