これが陽キャの祭典……



「えッ、本当ですか?」


「ああ、本当だとも。君にそれをやる度胸があれば、だけど。いいのかな? 君は友達を―――」


「問題ありません! 私にとって天奈は…………!」


 接近した関係で幾らか会話が聞こえてきた。丁度まともに声が聴ける所まで近づくと丁度話が終わった様で、香撫は俺に会釈してから、天奈の方に戻ってしまった。それと同時に碧花は先程までの鬱陶しそうな表情を継続させて、俺の方を向いた。


「何か、凄い顔してるぞお前」


「……私は私の為に居心地の良い場所に居る。イライラしたくないからね。でも今回はあっちから近づいてきたし、私には避けられようが無かった」


「迷惑だったのか?」


「迷惑だよ、ハッキリ言ってね。私は君と話したいんだから」


 そう言ってくれるのは嬉しかったが、瞳が鮮血色をしていると、何やら違う意味が含まれている気がしてならない。別に本気で血を吸っている訳でも何でもないだろうに、今、俺の目の前に居る女性こそ吸血鬼に違いないという予感が生まれた。


 こんな予感、絶対当たらないと思うのだが。


「まあ、そんな事言わないでやってくれよ。お前の事を慕って来てくれるんだから」


「こんな風に慕われたくないよ。話す相手が居ないなら分からなくもないけど、君の妹と友達なんだろう? パーティー上の付き合いなら仕方ないけど、今のはどう考えたってプライベートだし」


 碧花の都合を考える必要は無いのだが、彼女も参加者なのだから、彼女にも最大限に楽しんでもらいたい。今までの彼女の発言から考えると、どうやら俺の近くに居た方が楽しいらしいし、今回の事態に俺が対処するとなると、方法は一つしかない。


 碧花の肩に手を回すと、俺は笑顔で語り掛けた。




「これなら大丈夫だろ」




 気のせいだといいが、さっきの会話、俺が近づいてくるのに対応して終わった気がするのだ。碧花もプライベートと言っていたし、少なくとも第三者が交わっている状態でする話ではないのだろう。


 ならば俺が碧花から離れなければ、そんな話はしようがない。単純な解決方法だ。話しかけられない、とまではいかないが、俺を無視して碧花に話しかけられる程、香撫は我が強くないと見ている。


「……有難う。やはり君は、優しいんだね」


「だってお前にも楽しんでもらいたいしさ。もうじきゲームも始まるし、もっと明るく行こうぜ明るく! ほら碧花、笑ってみろよ。こう、ニカーッて。ニカーッて!」


 自分の顔を使って俺が笑顔の手本を見せると、碧花の澄まし顔が僅かに緩み、俺の目の前で微笑みを作った。


「こ、こう……かな」


「そうそう。やっぱりお前は笑顔の方が可愛いよ。出来るならこうしてずっと見ていたいくらいだ」


 普段が真顔の人物が笑顔になると、その笑顔の価値は普通の笑顔よりもずっと高いものになる。紛れも無い事実として、俺は碧花の笑顔が好きだった。高嶺の花である彼女が、その瞬間だけ俺に寄り添ってくれている様な気がして、心地よいのだ。


「君は彼女が出来ないと言っている割に……随分、恥ずかしい事を口にするんだね」


「え、恥ずかしかったか今の。でも俺、子供の頃から親父に「相手に伝えたい事はきちんと言葉にして伝えろ」って言われてるからなあ。お前の笑顔が可愛いってのは本当だし、伝えれば伝わる物を伝えないまま終わらせるって嫌だろ?」


「良い事言うね、君のお父さんは」


「おうよ。別に尊敬はしてないけど、人生の先輩として色々教えてくれた人だった」


 こんな事を言ってはいるが、俺は本当に伝えたい事を碧花に伝える事が出来ていない。玉砕するのが恐ろしくて、口に出来ないのだ。もしもこの場に俺の親父が居るのなら、ヘタレだ男みたいな女だ罵られた事だろう。


 構いはしない。碧花とこれだけ近い距離で話せて、笑いあえて、触れる事が出来る現状に、俺は満足しているのだ。これ以上を望めば高望みになる。そう分かっていても、結局俺は童貞で、そして美女に弱い変態だ。彼女の処女が誰かに渡るというのも、思考の上では納得出来なかった。


 自分で奪う度胸も無い癖に、そういう独占欲だけがあるのだ。


「所でゲームってのは?」


「…………」


「……狩也君? 何処見てるの?」


「―――えッ」


 しまった。何も話を聞いていなかった。俺は肩に手を回した事で、それはそれはたわわに実ってらっしゃる果実が俺の目の前にでかでかとぶら下がっている光景に目を奪われていたのだ。彼女の呼吸で僅かに上下する胸は、もし俺に理性というものが無かったら、多分ここで揉みしだいていただろう。理性があってもこれなのだから間違いない。


 しつこく言うが、俺は童貞だ。非現実的というか、正に理想の体型を持った現実の女性が目の前に居て普通になれる仙人ではない。



 女慣れしていないのだ。余裕が無いのだ。



 この苦しみ、他の童貞諸君ならば分かってくれるのではないだろうか。非童貞の男なんぞにこの気持ちは分からない。まともに友達すら作れず、『首狩り族』と忌避されてきた俺の気持ちなんぞ分かってたまるか。


 エロガキと言われようが変態と言われようが、目の前に巨乳があるなら見てしまうのが俺こと首藤狩也だ。開き直っている様に見えるなら、それは正解だ。


 何故ならあれだけガン見していたのに、碧花から軽蔑の表情が見えないという事は、気づいていないという事。この世界において絶対のルール。



 それは『バレなきゃ犯罪じゃない』だ。



 正直、この理屈を抜きにしても、




『……狩也君? 何処見てるの?』


『えッ。あ、すまん。お前の巨乳と言うか、爆乳と言うか。お乳を見てたから気付かなかった』




 こんな発言をする度胸が俺に備わっている道理はない。大体、これ程までに己の尊厳というものを投げだす発言が出来るなら、とっくに俺は告白して玉砕している。


 なので誰に何と言われようと開き直らせてもらう。悪しからず。


「ああごめん。クオン部長って、童貞なのかなって思ってさ」




「ぐふッ!」




 突然、碧花が腹を刺された様にその場へ倒れ込もうとした。すかさず俺が抱きかかえると、二人の狭間で彼女の胸が形を歪めて、俺に押し付けられる。


「ど、どうしたッ!」


「い、いや……意外な事を考えていたもので、ついね。脈絡もないし」


 確かに脈絡は無い。碧花の胸を見ていたのを誤魔化す為に吐いた咄嗟の嘘なので当然だ。そして嘘が見破られない為に、俺はここから話を展開しなくてはいけない。



―――由利。遅くないか?



 彼女が戻ってきてくれれば強引にでも話を打ち切る事が出来るので、それまでの辛抱だ。廊下の方を一瞥してから、俺は必死で脳を回転させる。


「いや、確かに唐突だけどさ。お前もおかしいだろ。何で急に倒れ込んだんだよ」


 これ以上胸が押し付けられると、下半身の動きに碧花が気付いてしまうので、俺はさりげなく彼女と距離を取って、再び元の状態へ。心無しか彼女が不満そうに口を尖らせた気がした。


「ギャグ漫画で良くあるじゃないか。誰かがボケて、周りがずっこける奴。あれだよ」


「いや、『あれだよ』じゃねえよ。何でやったんだって聞いてるんだ」


「君がボケたのかなって思って」


「ボケてねえよ!? 俺は本気でそれについて考察してんだッ! 童貞ガチ勢舐めんな!」


「童貞エンジョイ勢なんか居るのかい? それとも最近話題の絶食系男子がそれなのかな」



 え。



「何だそれ」


「おや、知らないのかい? 絶食系男子。草食系男子の上位互換みたいなものなんだけれど―――知らないと言う事は、君は違うという事でいいのかな」


 こういう時の為に辞書を引いておくべきだった。俺は自分が辞書嫌いなのを猛烈に後悔した。脳内辞書を引いても出てこないので、絶食系男子とやらは現実の辞書を引かないと出てこないのだろう。


 知らない以上は、俺自身がそうなのか否かも分からない。恥を忍んで、俺は小さな声で碧花に耳打ちした。


「出来れば意味を教えていただけると助かるんですけど……」


「草食系男子の上位互換みたいなものと言ったよね。一言で言うと、恋愛しない男って事だよ。だから絶食」


「ああ~そういうね……って誰が絶食系か! 俺は肉食だよ、バリッバリのなッ」


「肉食系なのに、性交渉の経験はおろか、伴侶すら居ないのかい」





「ゴホッ!」





 俺は突然旧式カノン砲を腹に受けた様な衝撃を受けて、その場に倒れ込んだ。


「それはさっき私がやったじゃないか」


「違えよ! ぐ……クソッ」


 碧花の行動をリスペクトした訳ではなく、図星を突かれたのだ。それも彼女が欲しいと日頃喚いている俺に対して最上級に通用するものを。碧花も別に嫌味などで言った訳ではない……いや、そんな筈がないか。あれが嫌味じゃないとするなら、彼女の発言は殆ど全て誤解を生む事になる。


「そ、そりゃああれだよ! た、た、確かに俺は彼女が欲しい。それは認める。けども、俺だって選ぶ権利がある筈だ。夜の俺はす、凄いんだからなッ!?」


 声も上擦って、しどろもどろで、身体の動きもぎこちなくて。さっさとやめればいいのに、一度見栄を張った俺は止まらない。


「へえ……具体的には?」


「そ、そりゃあもう凄いんだよ。並の女性じゃ耐えられないんだなあ!」



―――モンスター童貞と言いますか、何と言いますか。心の中で申し訳ございませんが、ここに俺の妄想がひどすぎる事を謝罪します。



 エロ漫画をたとえ百冊読破していたとしても、得られるのはエロ漫画の知識だけで性行為のテクニック、スタミナではない。


 幾ら相手の男が腹筋割れててイケメンでも、現実の俺達までそうなる訳ではない。


 幾ら相手の男が平気で朝まで致していたとしても、俺達であれば直ぐにへたばるだろう。 



 恋愛した事がないのに、人に恋愛アドバイスを送る奴並みに醜いのは言うまでもない。人の虚栄心の何と罪深い事か。長い付き合いだから分かるが、碧花は変な所で純真なので、この見栄をまともに受け取ってもらうと、いよいよ取り返しがつかなくなる。


「……ふうん」


 意味深に微笑むと、碧花は俺の耳元で艶やかに囁いた。




「じゃあ…………見せてもらおうかな?」




 ゾクゾクゾクゾク。


 妙に色っぽく残った彼女の声は、音で摂取する神経毒に等しい。毒は瞬く間に俺の全身に広がり、見栄を張っていた俺の心を瞬く間に腐敗させた。この瞬間、俺は取り返しがつかなくなってしまったかもしれない事を予感するのだった。 



「お待たせ。これかな、遊び道具って」






 由利が戻ってきたが、遅すぎた。毒によって生気を抜かれた俺では、彼女の問いに肯定も否定も返せないのだから。


 彼女が持ってきたのは棒状のお菓子と、赤白一対の旗だった。




 


 

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