黑か白か



 息を吐き出す音が聞こえる。それだけでは男か女か、そもそも何の故あってこんな真似をするのかを判別出来ない。男は暫く無くなった腕を見つめていたが、それが切られた事を認識した瞬間、噴火したかの如く血が噴き出し、倒れてしまう。激痛に伴う喘ぎ声は、普通に生きている限りは吐き出す必要性のないくらい喉を酷使するものだった。即死ではないにしても、出血多量で直ぐに死ぬ。


 ドラマ、アニメの中にしか無かった斬殺の光景が、目の前に広がっている。残りの男達もそれを理解したのか、全員が一斉に退いた。


「…………」


 一歩、踏み出す。古くなった廊下が軋みをあげて、足音を恐怖として伝播させる。そしてゆっくりと刀身を持ち上げて、それから素早く血振るいを済ませる。壁に張り付いた血液は、残った彼等に『この刀は本物』という事実を突きつけた事だろう。


 背後には崖が広がっている訳でもなく、谷がある訳でもない。逃げようと思えば逃げられるだろうに、一歩二歩と下がった所で、不意に男達が密かに持ち込んでいた武器を取り出した。一人はその身長の高さを生かして鉄パイプを持ってきていたが、まさかこのような事態が起こるとは誰も予想していなかったらしい。ナイフやアイスピックなど、小物としか言いようもない武器ばかりだ。ひょっとすると強姦対象が抵抗した際に痛めつける為に持って来たのかもしれないが、皮肉ながら今蹂躙される立場にあるのはあちら側。護身用の武器としては、少々心もとない。


 柄を握り直し、もう一歩近づく。


「う、うわああああああああ!」


 悲鳴にも似た雄叫びと共に、鉄パイプを持った男が飛びかかってきた。肩を狙った一撃を、こちらは救いあげる様な剣運びで弾き、そのまま剣先に楕円形の軌道を辿らせ、一息に切り裂いた。


 古式の具足でも着装していれば生き残れただろうが、この刀と同様に、一般人が持っている道理はない。胴を切り裂かれた男は臓物を吐き晒しながら、その場に倒れ込んだ。直後に思い切り廊下を踏みつけると、腐った廊下が崩壊し、死体は奈落の底へと落ちていく。


 実を言えば、棒を相手とするにはかなりの苦労を強いられる認識があったので、こうして一撃の下に切り伏せられたのは幸運と言えるだろう。死に物狂いで放たれた一撃は、達人の一撃にも匹敵する威力を誇る。強烈な打撃を受けた刀身は、弱腰と呼ばれる鍔元から少し先の部分で曲がってしまっていた。


「………………ッ!」


 切っ先を抓んで力を込める。曲がりを直したのだ。ここに来て正体不明の剣士は初めて低い声を出した。


「折れはしない」


 刀を扱うには手荒が過ぎる所だが、よく心鉄の通った刀は罅割れる事もない。とはいえ、消耗品でありながらも芸術品としての価値を宿すのが刀だ。歪みを完全に治すにはそれに通じる職人―――刀工が必要になるが、今の所この校舎から誰一人として逃がすつもりはない。一時凌ぎとするにはこれだけで十分だった。二人目を殺されて、集団で居るにも拘らず、男達は無防備に背中を晒して逃走に移り出そうとする。


 だが―――男達は自分達の立っている場所が木造の底なし沼であった事を忘れていた。


「うわあああああ!」


「うおおお!」


「がふ…………!」


 ここまで老朽化が進んでいる廊下に、大勢の男達の体重を支えろというのが無理な話だ。既に幾らか壊れている廊下なのだから、安全に見えたとしてもその兆しが全くないとは言い切れない。目の前で二人も斬殺された男達では気付けなかったとしても無理はない。


 それでも直ぐに這い上がろうとした一人に、刀を振り上げた。



「…………ぁ」



 無防備な背中から放たれたその一撃を受けて絶命しない猛者が何処にいよう。肉迫して勢いづいた状態での唐竹割りに、男は頭上から大量の水を浴びたかの如く床下に落ちて絶命する。


 強く踏み込んだが、廊下は崩れない。


「ぎゃあああああああ!」


「助けてええええええええええええええ!」


 男達は各々協調性の欠片も無く叫び、助けを求めだした。それは名案かもしれないが、残念ながらこの状況に限っては有効な手段とは言い難い。




 何せこんな所で大声を出しても、オカルト部の馬鹿辺りが馬鹿らしく馬鹿みたいに馬鹿やってるとしか思われないのだから。




 他人に駄目と言っておきながら自分にそれが通用される程、この世界は都合よく出来ていない。神様はとても平等だ。この近辺に人が近寄らないのは男達が集結出来た時点で分かりきっている。ここに僅かなりとも通行があるのなら、男達の作戦はそもそも成功しなかったのだ。善意の第三者が通報するに決まっている。


 つまり男達も作戦を成功させる為に、人通りのない場所が必要だった。助けを求められても誰も来ない様な、救いのヒーローが訪れない場所が必要だった。


 しかし、窮鼠猫を噛むとも云う。彼等は獲物を追い詰めすぎた。だからこうして窮地に陥っている。ヒーローが来る事を世間では不測の事態と呼ぶが、彼等にとって不測の事態とは、己が獲物と見据えた対象を正確に認識出来なかった事だろう。


 鼠の逃げた洞穴に突っ込んだら獅子が待ち構えていたと誰が想像する。今の彼等にはぴったりの表現だ。


 トン。


 刀身をゆっくりと落としてみる。断末魔の叫び声に比べれば小さな物音だが、男達は瞬く間に静まった。



―――斬られる。



 正にそんな予感があったのかもしれない。実際に二人が斬られているのだから、その想像をする事は間違っていない。


 人がどうしてナイフを恐れるかと言えば、それは刃物が到達するよりも早く、防御出来なかった場合、躱せなかった場合などを想定してしまうからだ。ナイフが素人に有効なのはその想定により身体が固まり、途端に動かない的になってしまうからであり、余程慣れている者が相手でない限り、ナイフの刀身は想像以上に長いと言っても良いだろう。実際の刃が到達すれば命を剥ぎ落とすが、それを動かせば一足先に空想の刃が精神を剥ぎ落す。


 見せしめとばかりに殺された二人を見て、彼等の想像はここに完成した。今の彼等では蟻の足音すら心臓を突き立てる刃物に等しいダメージを受けるだろう。


「シニタクなかったら、エラベ」


 トン。


 もう一度落とす。選べとは言ったが、彼等に選択の余地は無かった。命が惜しいから逃げたのだ、ここに来て死を招く選択肢を選ぶ様な輩は、端からこちらに特攻を仕掛けている。数の差では勝っているが、男達は直ぐに頷いた。


 生への執着に付け込めば、人を操作する事など造作もない。男達の方向に血振るいし、鞘に刀身を収めた。 













 それはあまりにも突然の出来事だった。スタンガンを構えながら慎重に教室へ入った瞬間、しなやかな打撃が私の顔をしたたか打った。


「キャッ!」


 あまりの激痛に背後へ飛び退き、壁に激突する。目に当たるかと思い反射的に閉じた目を開くと―――目の前には一人の人物が立っていた。フード付きの真っ白いコートを着用し、口元までフードを被っているので、その顔は見えない。


「だ、誰!」


 机の上で直立不動を貫く者の手には、束ねた荒縄が握られていた。私の顔を打ったのもあれだろう。頬の辺りにはまだ痛みの残滓が残っている。その事で既に堪忍袋の緒が切れていた私は、何者かを相手に問いつつも、有無を言わさず襲い掛かった。考えても見れば、この校舎に居るのはアイツだけだ。私がスタンガンを持ってる事を知って武器を用意したに違いない。


 机を避けながら肉迫しようとするが、机の狭間に一歩踏み出した瞬間、荒縄は寸分の狂いもなく私に打ち付けられる。


「うッ!」


 想像以上の激痛に私の身体は瞬間的な硬直をしてしまった。その瞬間を目の前の人物が見逃してくる道理はなく、アイツの上を通って再び襲い掛かってきた一撃が、私の手元からスタンガンを引き離した。裏拳に叩き付けられた一撃は強烈で、手には強い痺れが広がった。


 たまらず私は教室から飛び出した。勿論、無策という訳ではない。あっちが自分を優位だと思っているのを逆手にとって、誘い込むのだ。まだ私には隠している武器がある。幾ら当たると痛いからって、アイツの武器は縄だ。至近距離では効果を発揮しない。


 私の作戦通り、アイツは教室という安全地帯からのこのこと出てきて、ゆっくり獲物に詰め寄るみたいにこちらから近づいてきた。私もそれに応じて窓側に背中を近づける。


 この時点で私は勝利を確信した。細やかな抵抗には驚かされたけど―――本当に追い詰められていたのはどちらなのか、いや。



 勝手に追い詰められてくれたのはどっちなのか!



「死ねええええええ!」


 私は隠し持っていた小型のバールを大きく振りかぶった。私とアイツの距離はおよそ一歩。この状況でさっきみたいな縄の使い方は出来ない。アイツの犯される様を見れないのは残念だけれど、アイツが居なくなれば私が校内で一番の美人になる。また、男子達が私を求めてくる様になる。


 殺人に抵抗は無かった。憎悪を日ごとに増やしてくる元凶が居なくなってくれる方が、私の天秤では優先された。証拠隠滅に時間は掛かるけど、あの男達だって加担したんだから、手伝ってくれなきゃ困る―――




 振り下ろされたバールは、いつの間にか私の手から消えていた。




「―――え?」


 アイツが荒縄の束をバールに投げつけた。空中に投げられた縄の束にバールが食い込んだ瞬間、アイツは縄の端を掴んで一気に引っ張って、それで―――


 ガシャン!


 硝子の割れる音で、私は放心状態から立ち直る。頼れる武器が無くなって、真っ先に動いたのは拳だった。


「死ねッ!」


 これだけ距離が近いのに、私の拳はまるで当たらない。そのまま腕を取られた私は関節を極められ、抑え込まれてしまった。



 失敗した。スタンガンで気絶させられても文句は言えない。



 アイツはそんな私の両足に縄を掛けると、そのまま何処かへと消えてしまった。


「………………え?」


 何度も何度も驚いてしまう。最後に聞こえた足音は窓側、つまり私の背中側。それっきり音が途絶えたという事は、窓から飛び降りたという事だ。何故。何の為に―――




「無様な姿だね、君」




 その答えを知る事が出来たのは、階段を上る音の後に、アイツが歩いてきたからだった。つまり私が今まで殺そうとしていたあれは、別人だったのだ。


「あ、碧花!」


 外されたリボンが付いている。あの男達に暴行された形跡もない。私は見たままの状況に理解が追いつかなかった。


「アンタ……アイツ等はどうしたのよッ!」


「あれ、聞こえなかったかな。これだけ脆いと防音性なんて無いだろうから、悲鳴の一つくらい届きそうなものだけど。まあ良いか。まずは君に賞賛を送るよ。私を表立って動かしたのは君が初めてだ」


 半ば独り言にも近い状態で、碧花は続ける。


「誰にもバレない様にやってきたんだけどね……だから、裏方の私を舞台に立たせた事、褒めてあげる。流石はクラス委員だ。その手腕は評価しよう。けどね―――」





「君は彼に手を出した。私がこの世で最も好きな人に危害を加えた。誰も見ていないなら良いかとでも思ったなら、残念だったね。見ていたよ、君の行動を。反対側の窓からずっとね―――どう、楽しかった? 可能な限り善人で居ようとする狩也君に土下座を要求するのは」





「―――な、何よ。見てたのなら分かるでしょッ? アイツがぶつかってきたのが悪いのよ! 謝罪要求は当然の義務よ!」


 碧花は話を聞かなかった。その瞳に憎悪を宿し、私を見下していた。一方的に感情をぶつけてきていた。


「私に何をするのも自由だ。君が嫉妬しているのは知っていたからね。単に降りかかる火の粉は払えばいい。そう思っていたよ。でもね、君は狩也君に手を出した。たとえ普通の人から見れば『首狩り族』だったとしても、私にすれば只一人のかけがえのない『トモダチ』だ。それに危害を加える事をたとえ社会が許したとしてもね―――ワタシは、許さないよ」 

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