黒き天使は微笑んだ
萌と関係が進展していたらどんなにか良かったか。まあ恋愛マスターなら進展していただろうが、俺は恋愛マスターではない。パラメータも高くない。高かったら俺は碧花とデートした時にお似合いのカップル扱いされていた。
「あ、先輩。もう放課後ですよ!」
「もうか。早いな」
一時間というものは変幻自在である。退屈な時に味わうと死ぬ程辛い時間だが、楽しい時に味わうと死ぬ程短い時間になる。表現的には流石に過剰だったかもしれないが、分かってもらえる人間は多いのではないだろうか。たとえば、ゲームが好きならゲームをやっていれば一時間なんて直ぐだ。それに比べて何も無い部屋で一時間を数える様な事をすれば、無限にも等しい苦痛となる。俺の場合、萌と過ごす時間は前者だった。
「どうしますか?」
「どうするって?」
「いや、帰るかなって」
俺が作業に参加しなかったのは、俺の存在そのものが作業を邪魔する事になってしまうからだ。文化祭まではまだ期間があるから、放課後も準備を続ける酔狂な生徒は居ないと思われる。いやしかし、準備中は一切の授業を行わない訳ではないので、実際の準備時間は思ったより短いと考える事が出来る。そう考えると、放課後にやる人間も居なくは無いのか。
「…………まあ、帰るだろ」
元々そのつもりだったし、今更計画を変更する意味は無い。菜雲がまだ残っていた場合とか、気まずい処の話ではないし。普段ならば碧花と帰るのだが、彼女はどうしても自分に出し物を秘密にしたいそうなので、俺から近づいてしまうと余計な負担を掛ける事になる。別にこれで不仲になるとかではないので、今回はやめておくとしよう。
「そう言えばクオン部長ってどうしたんだ?」
「え、部長ですか? 部長は……いやあ、知りませんけど」
「まあ、帰ったんだろうな。俺達を待ってる道理も無いし。せっかく飯でも食いに行こうかと思ったのになあ」
「今日はとことん付き合いますよ!」
「ああ、有難う。それは嬉しいんだけど」
部長の食事風景を見た事が無いので、出来ればこれを利用して風景を、あわよくば素顔を見られたらと思ったのだが。そう簡単に物事は上手く行かないという訳か。萌が親切にもこの憐れな俺の食事に付き合ってくれるそうなので、決して退屈にはならないと思うが……デートではないので、今求められるのは賑やかさだ。もっとパーッと騒ぎたい。陰キャだってたまには明るくなりたいのだ。
「なあ萌。御影ってこういうのに付いてくるかね」
「御影先輩ですか? あまり来る事はないですけど、でも他の人達に比べたら全然来ますよ」
「他の人……ああ、そう言えば言っていたな」
病弱と引き籠りが居ると、確かあの時言っていた。彼の性格を考えると、少し顔を出さないだけで数とはみなさないなんて言う筈もない為、本当に来ないのだろう。幽霊部員という奴だ。オカルト部にはぴったりの役職だが、その二人もどうしてこの部活に入ったのか。
まさかとは思うが、『オカルト部の部室には幽霊が居るよ。それは私達二人の事さ、幽霊部員ってね! HAHAHAHAHAHA!』なんて糞詰まらない言葉遊びをする為だろうか。いや、病弱と引き籠りがそんな愉快な筈がない。そんなつまらなくて面白い奴が居る訳ない。
「誘ってみるか。物は試しだ」
俺達は素早く屋上から校内に戻ると、階段を降りた所でクオン部長とぶつかった。相変わらずの狐面なので、ぶつかった瞬間から本人と判別出来る。彼の言った通り、今の俺達は狐面を被っている姿こそクオン部長だと認識してしまっている。それが『素顔』であるかの様に、認識出来ている。しかし狐面を被ればそれだけで部長になり替われるとは限らない。彼の持つ特有の雰囲気は他の人間に真似出来るものではない。
「あ、部長ッ!」
「……おう、二人共。放課後だぞ。帰らなくていいのか?」
「いや、今帰る所なんですよ。そんな事より部長、俺達今からご飯食べに行くんですけど、部長も一緒に行きませんか?」
「行きましょうよ部長!」
萌も加勢してくれて、彼はいよいよ断り辛くなった。俺だけならきっと断って来ただろう。顔を見られる事をかなり嫌がっているし。
「―――仕方ない、いいだろう。丁度俺も暇をしていた所だ。只、こんな時にまで部長としての負担を味わいたくない。場所は君に任せるぞ、狩也君」
「任せて下さい。それと部長、御影も誘いたいと思うんですけど、いいですか?」
「………………まあ、やってみろ。あまり無理強いはするなよ」
「分かってますって」
俺は部長に萌を預けると、一足先にオカルト部の部室へと向かおうとして……止まる。
「そう言えば部長、そこの部屋にあるロッカーボコボコなんですけど、部長がやったんですか?」
あの奇妙な現象を知らぬままにしておくのは気持ち悪い。部長は俺の指した方向を見遣り、窓越しにロッカーを見遣る。
「いや、違うぞ。しかし―――そこに居たのか」
部室の前まで来てしまったので今更感は否めないが、部長に呼んでもらえば良かった気がする。俺と部長とでは御影に対する付き合いの年数が違う。どうして俺は御影を自分の手で呼ぼうとしたのだろうか。ここまで来ると最早意味のない後悔だが(後悔とは殆どの場合意味を為さないものである)、たまに自分でもよく分からない行動をするのは控えたい。
今回は影響が少ないからいいとしても、例えば……極端な話、一線を越えたにも拘らずその事実を覚えていなかったりしたらどうする。素直に話せば女性を傷つけてしまうだろうし、俺は俺の事を信じられなくなってしまう。これでも一途なつもりはあるのだ。一線を越えたとわざわざ表現している事もそれの証明になっている。なので、軽い男とは見られたくない。
部室を開くと、暗闇の中に御影が居る気がした。目が慣れていないので判然としない。
「御影」
「…………首藤君。どうしたの」
やはり居たか。部長が流した噂で歩きにくくなっているので、居なくなっているとも思っていなかったが。
しかし付き合いが短いとはいえ、女性を誘っている事に変わりはない。何だか俺は恥ずかしくなってきて、目を逸らした。
「実はさ…………えーと」
「入って」
「え?」
「扉、閉めて」
また二人っきりの状況が出来上がる事を、俺は避けたかった。御影の事が嫌いという訳ではない。むしろ刺々しさが無くなった分、以前よりは好きだ。只、彼女が居る場所が問題なのだ。暗所は苦手なのである。ここが明るい所ならば、さっきも何も無かったし、二人きりになる事に抵抗は無かった。
しかし言う通りにしないと断られる未来が見えたので、俺は言われた通り部室に入り、扉を閉める。完全なる暗闇に支配された部室では。彼女の表情すらまともに窺えない。
「それで」
「ご飯食べに行かないか?」
色々言葉を捏ねても通用するとは思えなかったので、率直に。暫くして御影が緩慢な早さで言った。
「……二人っきりで?」
「いや、オカルト部の面々も居るぞ。ま、部長と萌だな」
「…………そう」
「行くか?」
「…………行く」
やり取りの慎重さとは裏腹に、会話は至って簡素なものだった。思わせぶりな間があったが、単に彼女が会話を苦手としているだけだろう。何だか勝手に緊張していたのが馬鹿らしくなって、俺は大きく息を吐き出した。
「……そっかそっかッ。じゃあいつまでもこんな所に留まってないで行こうぜ!」
扉を勢いよく開けて、俺は暗闇の中に手を差し出した。直にその手には女性特有の柔らかな感触が伝わり、遂に暗闇から御影が出てきた。
「………………手、離さないで」
離すものか。彼女に対して向けられる奇異の目は全て俺が引き受ける。それが『首狩り族』の持つ唯一の利点だ。勝手な話だが、俺は御影に引き籠りにはなって欲しくない。
理由を尋ねられても、果たして知人が引き籠りになる事を歓迎する人間は居るのかと逆に問い質してしまうくらい漠然としているが。
俺の不幸で死ななかった人を、出来る限り守りたいだけだ。
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