神に隠された真実
碧花と一緒に居る時もそうだが、沈黙していても、特別気まずいと感じた事はない。只、居るだけで心地良い。雪も楼も特別何か話そうという気はなく、黙って食事を続けている。囲炉裏が灯りを兼ねているので部屋全体は随分と暗いが、だからと言って二人の表情までも暗くなる事は無かった。会話こそしないが、その表情はとても明るい。
「なあ、楼」
「ん?」
「変な事聞いても良いか?」
「何?」
「最初の時も聞いたけどさ。二階って何があるんだ? 入っちゃいけないって言ったよな」
碧花が話題に出したから尋ねたが、それは結局の所、タイミングが前にずれこんだだけだ。彼女に言われる前から、俺はずっと二階の事を気にしていた。普通に生活する上で一切使わない階層がどうしてあるのか、疑問で仕方なかった。しかも入っちゃいけない部屋なんて、気になる要素しかない。
「また急に気にし始めたね。何かあった?」
「いや、前から気になってたんだよ。お前達もそうだけど、俺も一日を過ごしてる時、二階なんて行こうともしないだろ。存在意義が分からないって言うか、マジで何の為にあるのか分からなくてさ」
「入っちゃいけないから行かないんだよ。存在意義については、考えても主観的な答えしか出せないから、気にしても仕方が無いでしょ」
「せめて教えてくれないか? 何で入っちゃいけないか、とか。中に何があるのか、とか」
あんまりにもヤバかったら、俺も入るつもりはない。どういう世界でも一番あり得ないが、例えば部屋の中が地雷原と化していたら、頼まれたって入らない。楼もきっと分かっている筈だ。俺に中身を教えない限り、その好奇心は決して途絶えないと。
汁椀に口を付けてから、楼は溜息を吐いた。
「分かったよ。教える。その代わり、二階には行かないでくれよ?」
「ああ。それで、何があるんだ?」
「あそこはね、呪いの部屋なんだよ。入ったら呪われる。だから入っちゃいけないんだ」
「……呪いの部屋って、具体的には?」
呪い、呪いと言うが、具体的に言ってくれない事には俺も恐れようがない。物は言い様だ。言葉次第では、首藤狩也は一人かくれんぼの呪いを受けていると言われても、言い返せない。もっとなじみ深い言葉で言えば、『首狩り族』の呪いだが。
「僕も詳しくは知らないけど。とにかく凄まじい呪いが掛かった部屋なんだ。ほら、ちゃんと教えたよ。君に消えて欲しくは無いんだ。絶対に入らないでよ?」
…………気のせいでは無いだろう。あまりにも不自然に話を切り上げてきた。
碧花の言う通り、二階には何かがある。俺の判断を変え得る何かが。出来ればそんな確信は持ちたくなかったが、楼の分かりやすい嘘がどうしようもなくそれを強めてしまった。ここまで強まってしまった以上は、確かめるしかない。
当初は相談するつもりだったが、あの分かりやすさからしても、楼はどうしても二階には行って欲しくないらしい。相談しても否定的な意見を貰う処か、警戒されて暫くの間機会を失う事は目に見えている。二人が眠っている間に、コソコソと行ってその眼で確認するしかない。
もしも本当に呪いの部屋だったとしても、それはそれだ。既に魂を呪われている奴が今更呪いにビビってどうする。碧花を信じるにしても雪と楼を信じるにしても、その答えを出すには二階を覗く必要がある。
横目で雪の方を見る。深編笠のせいで視線が何処にあるのか全く分からない。しかし俺の好奇心を警戒しているなら今の俺の視線にも気づいている筈なので……気付かないという事は、まだ警戒されていないという事だ。二階探索には警戒心を下げる必要があるので、この状態は好都合。
後は適当に雑談をする事で、楼の説明により俺の好奇心は消滅したと錯覚させればいい。
「なあ雪。お前のその深編笠……虚無僧帽子さ」
「言い換えなくていいよ。これがどうしたの」
「深編笠、換えないのか? 家で見かけた事無いけど、取り換えなきゃ色々衛生的じゃないと思うんだが」
俺はあれを被った事が無いから実際の感触は不明だが、深編笠がどういう形状でどういう性質に優れていても、例えるなら同じ帽子を一度も外さずに何日もつけている様なものだ。流石に不衛生では無いだろうか、と。
そういう建前は置いといて、何としてでも俺は雪の素顔が見たかった。素顔さえ見られれば男か女かハッキリするので、あの質問をしなくても良くなる。
「……狩が変えて欲しいなら変えるけど、意外と作るのが大変だから」
「手作りだったのかよッ!」
「こんなもの売る人が居たら相当物好きだよ。絶対に儲からない商売だしね」
それは正論だが、仮にも着用者が言っても良い言葉とは思えない。自分のメガネを『こんなもの』扱いする奴なんて居ないのと同じだ。
「どうしても変えて欲しかったら、後で狩にも手伝ってもらうよ」
「…………え? そうしたら目の前で換えてくれるか?」
「―――いいよ」
心の中で俺はガッツポーズを取った。何があっても本人に『男か女か』を聞きたくなんて無かったから、こういう形で判明させられるならそれに越した事はない。二階に行くという用件なんてさっさと終わらせて、早い所手伝おう。
今の所、二階に何があるかよりもよっぽど気になっている。
「狩。なんか元気だね」
「そ、そうか? いやいや、でもお前のか……笠を編むんだからな! そりゃ元気にならなくちゃおかしいってもんよ」
「そんなに作りたかったの? ……フフッ、変な狩だね」
このやり取りによって、楼はきっと安堵しただろう。俺の興味が移り替わった事を喜んだに違いない。あんな分かりやすい嘘を吐くくらいだ。二階には確実に何かある。色々と鈍い俺でも気付くくらいだから、露骨と言っても過言じゃない。善は急げとも言うし、今夜、何としてでも見に行こう。
そして明日。何の心残りもなく雪の笠作りを手伝おう。
食事も風呂も終え、いつもの時間がやってくる。就寝だ。いつもなら囲炉裏の近くで一番早く眠ってしまうのだが、今夜に限り、狸寝入りをした。
―――寝る場所とかも変えてないし、まず警戒はされないだろうな。
俺とは違い、二人の寝る場所はランダムだ。何を思ってそこを選んだのかは知らないが、今夜は雪が玄関近くの壁に背中を預ける形で、楼は俺と同じ囲炉裏の近く……中心の炉を挟んで真反対の方向で眠っている。二人が眠ってから動く予定だが、狸寝入り返しをされた場合に為す術がないので、二人が寝静まってから三十分。念の為に狸寝入りを継続した。
確実に騙す為にちゃんと目を瞑って秒数を数えながら眠っていたが、正直気が狂ってしまいそうだった。一八〇〇もの秒数を一から数えるのは只の拷問である。しかも心の中で数えてるせいで、一瞬でも別の事を考えるとリズムが崩れて、下手すると今まで何秒数えていたかをすっかり忘れてしまう。そうなったらまた数え直しだ。
じゃあ声に出せばいいと言う人間も居るだろうが、だとしても拷問だ。口の中が渇く。舌が疲れてくる。そもそも目を瞑っている時点で本当に寝てしまいそうだった。
完璧な沈黙が幕を下ろした所で、俺はぱちりと目を開けた。
二人は寝息を一切立てないし、寝返りも打たない。判断が難しいが、ここまで静寂が張り詰めているのだから、確実に眠っていると思いたい。警戒度は俺なりに最大限下げた。狸寝入りされていたら詰みという事で割り切るしかない。
布団から這い出る音すらも慎重に殺して立ち上がる。明かりは玄関から微妙に差し込んでくる光のみ。蝋燭を使えば視界は確保されるが、気づかれる恐れが高まる。人間の目は優秀なので、瞼の裏にあっても明かりくらいは感知出来てしまうのだ。
暫くは棒立ちしていたが、考えた末に俺はゆっくりと動き出した。床の軋みまではどうしようもないので、極力大股、時には小股で。絶対に軋まない場所を勘で選び、踏みしめる。字面だけは神業だが、何の事は無い。寝ぼけ眼で何度も朝を過ごしていれば、その内身体が家の構造を把握する様になる。
廊下だけは軋みを免れないので、引き戸を無音で閉めて、極力音が二人に届かない様にする。今更だが、二人が同じ部屋で眠ってくれたのは幸いだ。楼が書庫で眠っていたら、ここの軋みで気付かれた可能性が高い。『首狩り族』らしからぬ幸運である。
慎重に一歩、一歩と歩みを進めて、どうにか階段に辿り着いた。呼吸さえも詰めて歩くのは素人にとっては難行そのもの。階段の一段目に腰掛けて、俺は静かに深呼吸を始める。肺が痛い。息が熱い。喘息にでも罹ったような息苦しさは、音を殺す事を辞めない限り続くだろう。
少しだけ肺を休めてから、俺は四足で階段を上り出す。
―――何で俺は、自分の家でこんな慎重に動かなくちゃいけないんだ?
正確には楼と雪の家だが、だとしても俺が住んでる家に変わりはない。なのに泥棒みたいにコソコソと動いて、凄く複雑だ。
一段毎の高さが高いだけで段数はそれ程でも無かった。程なく階段を上り切り、四つん這い状態を解除。同時に耐えられないくらい肺が痛くなったので、ここで呼吸を殺すのをやめた。階層上の違いはあるし、余程耳が良くない限り気付かれない筈だ。そして呼吸が聞こえないなら、床の軋みも聞こえない。
目の前の扉には特別鍵の様なものは掛かっておらず、呪いの部屋と言うには少々封鎖具合が温すぎる。せめてお札の一つでも貼っておくべきだろうに。
俺は急いで駆け寄りたくなるのをじっとこらえ、ゆっくりと扉まで接近していく。走ってはいけない。走れば台無しだ。俺は絶対に慢心なんてしない。
―――すまん。雪。楼。
これも俺の判断が間違ってない事を証明する為に致し方ない事なんだ。
二人を騙した事に罪悪感を感じつつ、扉を勢いよく引いた。
部屋の中には二人の男女が横たわっており、近づいても俺の存在には気が付かなかった。というか……この二人、もしかして死んでいるのだろうか。
寝息も聞こえないし寝返りも打たない。部屋の真ん中で寂しく灯った蝋燭が、既に青白くなった二人の顔を控え目に照らし上げている。
「…………?」
女性の方に見覚えは無いが、男性の方には妙に見覚えがある……というか、男性の顔はまんま楼ではないか。だから彼に抱いた感覚と同じ感覚を…………
感覚………………を……………………。
「お、お前………………な、何で」
知らず知らずの内に記憶から消えていた。考えてもみれば、碧花以外の殆どの記憶が薄れているではないか。しかしたった今思い出した記憶は、遥か以前から……俺がこの世界に来る前から、忘れていた。彼の存在なんて、存在しないモノだと思っていた。
あの時感じた『不足』は、彼を忘却したからだ。
「か、神崎…………」
「あーあ、見ちゃった」
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