消えない罪と首狩の烙印

 背後からの声にギョッとしてしまった。慌てて振り返ると、そこに立っていたのは楼。今まで家族だと思っていた男だが、左目に巻かれていた包帯が外れ、その裏に隠れていた瞳が露わになっている。真っ赤に染まった瞳孔に白く染まった角膜。更にその周りは真っ黒になっており、明らかに通常の目とは様子が違う。少なくとも俺の知る人間の目では無かった。


「ろ、楼!」


「狩。僕は悲しいよ。あれだけ行くなって言ったのに、君は行ってしまうんだ」


「お前、その眼……どうしたんだよ」


「これは元々だよ。君に見せなかったのは悪いと思ってるけど、仕方ないだろ? だって君はこの目に見覚えがあるらしいじゃないか。僕も雪も、君を騙して何かしてやろうとは思ってなかった。本当に、単純に、君と一緒に暮らしたかったんだ。でもこの目を見せてたら君は……真っ先に逃げていたんじゃないのか?」



 …………ああ、多分その通りだ。



 俺はその瞳に見覚えがある。この世で最も醜くて、最も暗く、救いのない瞳。明るさなど無く、端から全てをありもしない虚だと決めつけている渇いた瞳。


 それこそはまほろばの王の瞳であり、俺がこの世で最も嫌悪する瞳。それがどうして、楼の左目に収まっているのだろうか。眼球移植は今の医療技術では不可能だったと思うのだが。


「…………もしかしてお前、王なのか?」


「いいや、違うよ。僕はしがない住人さ。ただし、少し特殊ではある」


「特殊?」


「まあ、色々とあるのさ。君にそれを語っても意味はない。さて、見て欲しくは無かったが、見てしまった以上、僕にも考えってものがある」


 背後に逃げてもそこは行き止まり。この家から脱出するにはどうにかして楼の横を潜り抜ける必要がある。俺が身構えると、楼はいつもの調子を飽くまで崩さず、微笑んだ。


「ああ安心してよ。君をどうこうしようってんじゃない。大切な家族だ。殺したりはしないよ」


「……お前は、神崎なのか?」


「そうであるとも言えるし、そうでないとも言える。ここの住人は皆そうだ。僕も雪も……君以外は全員ね」


 そう言われて、俺は今日出会った者達の顔を振り返る。


「…………!」


 初対面とばかり思っていたが、違う。どうしてこんな簡単な事を忘れていたのだろう。忘れちゃいけない事なのに、まるで記憶に蓋がされていたみたいに思い出せなかった。しかし今は違う。俺は菜も香も慈も知っている。雪だけがどうしても思い出せないが、俺がこの世界で出会ってきた人物は全て……俺のせいで死んだ者達だ。


 菜は笹雪菜雲。


 香は日々木香撫。


 慈は那須川幸慈。


 そして楼は神崎一楼。


 どうしてこの四人が……いいや、それはたまたまだろう。俺はまだ全員と出会った訳ではない。一割も出会っていないだろう。しかしこの法則が正しいのなら、ここに居る人達は全て『首狩り族』によって死んだ者達という事になる。


 仮説みたいな言い方をしたのは、雪の存在が唯一その法則を無視しているからだ。しかしほぼ間違いない。俺の知る顔、俺の知る死者達が、俺の知らない役割で、他人として生活している。同じ顔をした知らない人として、この世界で生きている。


 考えれば考える程、この世界がどれ程に悍ましい場所かを、本能で理解した。


「な、何でお前達…………こんな事を」


「さあね。外見をくれたのは王だし、よく分からないよ。でもお蔭で、お互いを認識出来る。これがないと僕達は、まともに交流すら出来ない」


「ど、どういう事だ?」


「元々姿なんて無かった。お互いの存在が見えなかった。僕に限った話でもないけど、皆が皆、世界にたった独りぼっちだって思ってた。自分が元々何だったのかも分からなくなるくらい、気がおかしくなってた。外見はそんな僕達に与えられた孤独への救済なんだ」


「…………何で、俺を助けた?」


「それは雪が助けたいって言ったからで……ってこれ最初に言ったよね。もう一度尋ねないでよ」



 本当にそれだけの理由で、俺は助けられたのだろうか。 



 ここがまほろば駅だと分かってしまった時点で、今まで信じていたモノ全てに裏切られた様な気分だ。到底信じられない。それまでは最も信頼していた二人でさえ、例外ではなかった。


「……考えがあるって言ったよな。それは何だ?」


「―――それに答える前に狩。一つだけ聞かせて欲しいな」


「何だよ」





「僕は君と一緒に居て凄く楽しい。雪も幸せそうだ。だから狩…………これからもずっと、ここに居てくれないか?」





 俺の全身が強張った。


「真実を黙っていた事は謝るよ。確かにここはまほろばだ。君の大嫌いなまほろば駅だ。でも、僕達は無色の存在。怪物に襲われる事は無いし、当然死ぬ事もない。悲しむ必要なんて何処にもない。理想的な世界だ。正しくここは素晴らしい場所なんだよ。ねえ狩。一生のお願いだ。僕達と一緒に居てくれ。あんなに幸せそうな雪を見るのは本当に久しぶりの事なんだ…………頼む」


 俺は真実を知ってしまった側だ。殺されようと害されようと文句は言えない。そんな状況で楼の取った行動は、何と土下座であった。どう考えても土下座をし、命乞いをするのは俺なのに、彼の方から『残って欲しい』と嘆願してきたのだ。


「…………」


 即否定する事は出来ない。俺も、今まで二人と過ごしてきた日々は本当に楽しかった。昔の生活に不便を強いられた事は多々あるが、それを差し引いても、『家族』との団欒は幸せだった。まほろばである事を差し引いても、背を向けるには温かすぎる二人だった。


 ただ。


「ごめん。お前達に何を言われても、俺は一緒に居られない」


 住人の顔ぶれが俺のせいで死んだ人間、というのが問題だった。俺がここに居て幸せだったのは、二人も含めて皆が俺を肯定してくれたからだったが、それは楼も含めて他人だと思っていたからだ。だがこの部屋を開けた瞬間、その前提は覆った。


 他人である事に変わりはないが、その顔ぶれが死者である時点で、ここの居心地は最悪を極める。次の一言を言えば、或は俺の事を批難する奴も居るかもしれないが、それでも敢えて言わせてもらおう。



 俺は罪から逃げたかった。



 俺が殺した訳じゃない。


 俺が手引きした訳じゃない。


 俺が望んだ訳じゃない。


 それでも死者は居て、それに俺は関わっている。碧花だけはずっと俺を肯定してくれたが、俺が死者に関わる度に、周りは俺を否定していった。俺という存在そのものが、罪人の烙印になっていた。年を重ねる度に罪は増えて、それでも俺は自分が潔白であると信じて、善良であろうとして。また誰かを殺す。


 元々限界だった。それでも俺の行動が実を結んで、或は俺の存在そのものが良い方向に働いて、碧花以外にも少しずつ理解者は増えてきた。だからギリギリの所で耐えられていた。それを破ったのは、彼女の死―――ああ。


 そうだよ、そうなんだよ。違う。全部違う。俺が逃げたかったのは罪じゃない。俺は今までの蓄積から逃げたかった訳じゃない。





 妹が死んだから、逃げたくなったんだ。





 妹が、妹が、妹が、妹が、妹が、妹が、妹が、妹が、『天奈』が、『天奈』が、天奈が、天奈が!


 理解者とかそういう問題じゃない。天奈は家族だった。兄貴は妹を守るものだ。この命に代えても、せめて幸せにしなきゃいけない存在だ。それを俺が殺した。この手の届かない所で、直接。


「ここに居ても俺は……罪から逃げられない。家族を殺した事実を思い出すだけだ。俺はそれが嫌で逃げ出して、その果てにここに居るんだ。俺は罪から逃げたい。目を背けたい。一生背負わなきゃいけない重荷なら、重さを忘れたまま担いでいたい。それなのにここが俺の殺した奴だけで作られた世界だって知ったら―――居られる訳、無いだろう」


 全部俺のせいなんだよ。


 誰が何と言おうと、碧花がどう言おうと。


 俺という存在があったから、何もかも最悪の方向に流れた。


 俺という存在さえ居なければ、天奈は死ななかった。俺が、俺が、俺が、俺が、全部俺が悪いんだ。


 首藤狩也は誰も救えない。救った以上に誰かを殺す。それは全く天秤のつりあっていない行為だ。俺だって良い事くらいしているし、俺が居なければ出来ない事もあったかもしれない。しかし全体で考えると、俺は傍迷惑な存在だ。居なきゃいい存在だ。だから否定されてた。だから肯定されるこの世界なら、やり直せると思った。


 でも無理だ。何故か『首狩り族』が発動していないのは幸運だが、それもいつまで続くか分からない。ひょっとしたら、俺が罪を思い出した正にこの瞬間からそれは発動するのかもしれない。そう考えたら猶更ここには居られない。


 居心地の良い悪いを抜きにしても、二人には迷惑を掛けられない。


「お前達が悪い訳じゃないんだ。全部俺が悪いんだ。全部全部俺が悪いんだ。俺が悪いに決まってるんだ。雪が幸せそうだって言うが、それを俺が壊してしまうかもしれない。そう考えたら怖くて堪らない。もう一度『家族』を失ってしまうのかと考えるだけで、震えが止まらなくなってくる。また俺の罪が刻まれるのかもしれない。死ぬ事が無くたって、不幸の形はたくさんある。俺はまた何かやらかす。きっとやらかす。絶対にやらかす…………俺は失敗したくないんだよ」


「……狩」


「罪から逃げられないから居たくない。『家族』に迷惑はかけられないから居たくない。居心地が悪いから居たくない。ここに居たいと思わせる理由が何一つとして無い。だから……ごめん。一緒に居られない」


 間違っても、二人の事が嫌いだからではない。雪も楼も好きだ。単に周りの環境が悪いだけ、悪すぎるだけだ。雪に関しては未だに誰なのか全く分からないので、罪を思い出す事もない。


「…………そうか」


 楼は諦めた様に笑って、立ち上がった。


「いやいや、困ったな! 僕の考えという奴は、君をどうにか説得出来まいかというものだったんだけど、説得出来ないか。そうかそうか。いやあ残念。実に残念だよ狩。君はもう、ここには居たくないんだね」


「…………怒らないんだな?」


「怒る? 怒っても君の気が変わる訳じゃないんだから、怒るものか。体力の無駄遣いはしたくないんでね」


 脇に避けて、「行きなよ」と楼が言う。想定外のあっさり具合にむしろ俺は困惑した。具体性は無いがとにかく一悶着を想定していたので、こうまであっさりと楼が認めてくれた事には、どうしても納得がいかなかった。


「……有難う。お前達の事は、忘れない」


 しかしそう言ってくれるなら有難い。俺は背後の死体を一瞥してから、恐る恐る楼の横を通り抜けた―――





 ガンッ!





 その直後に、俺の首を何かが掠めた。


「なッ……はッ?」


 首が熱い。


 翻りつつ後退すると、いつの間にか薪割り斧を手にした楼が、壁に斧を食い込ませていた。


「ろ、楼……?」


「止めない、とは一言も言ってないよ。勿論怒ってないけどさ、でも言葉で君を止められないならこうするしかない。家族のよしみで通告してあげるよ。僕はこれから君の足を切断する。そして二度と、この家から出られなくする」


「は、……お、おい。マジかよ」


「大丈夫だ、狩はもうここの住人。足を斬られたくらいで死にはしないよ。まあ痛いかもしれないけどね。それが嫌だったら―――」
















「死に物狂いで逃げてみろ」




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