足手まといの兄貴


 楼の目は本気だった。足を切るといいつつ首を狙ったのは、わざとだろうか。それとも警告のつもりで振っただけで、当てる気は更々無かったのか。

「ごめんね、狩。僕にはこれ以上優しく君を止められない。逃げる気が無いなら、どうか大人しく足を斬られてくれ」

 俺が不死身なら喜んで差し出しただろうが、生憎とこの身は一度死んでいながら、その耐久力は普通の人間と何も変わらない。多少痛いとか痒いとかなら気合いで何とかなるが、足を斬られたら斬られたままだ。最悪というか、普通に出血多量で死ぬ。

「うおッ!」

 無造作に斧が振られたのを大袈裟に躱すが、俺の背中に控えていたのは一段一段が高い階段だった。後ろ向きに階段で足を掛けてバランスを崩さない筈もなく、落下。受け身なんて習った事もないので、体中に痛みの棘が刺さる。

「ああああぐ……! ぐう……おおおおッ」

 頭に、背中に、肩に、腕に、肘に。特に固い部分が問題で、頭部に至っては割れたかと錯覚した程だ。血は出ていないが、出ていても不思議じゃない。

「いてえ…………!」

 直ぐに起き上がって逃走するつもりだったが、不意に視界を埋める者が現れる。雪だった。その深編笠を見れば視界が逆転していても直ぐに分かる。

「雪…………?」

「―――」

 楼とは違い俺に語り掛けてくる様な事はせず、雪が腕を上げた。その手にはやや柄が外側に取り付けられた刃物が―――刃物!?

「うおいいッ!?」

 俺の頭部に向かって振り下ろされたのは鉈……、紛れもない凶器だった。

 振り下ろされたのが頭で不幸中の幸いだったと言うべきか、俺はその場で身体を転がして必殺の一撃を回避。そのまま立ち上がると雪を突き飛ばし、家の外に躍り出る。雪まで敵になってしまった以上、ここに俺の居場所は無い。

 走らなければ。

 しかし何処に? 誰かと待ち合わせをしている訳でもない。碧花は何処かへ行ってしまったし、何処へ行けば俺は助かる? 考えていても埒が明かない。取り敢えず走る。走りながら考える。邂逅の森方面はリスクが高いので、商店街方面へ。大丈夫だ。飛び出して気付いたが、今は夜。商店街に人は居ない筈だ。

 俺の予想通り、商店街に人は居なかった。それは良いが、しかしどうする。住宅街の方には逃げられないし、俺が逃げられる場所なんて……何処にもない。墓地に行けば自分から追い詰められる様なものでもある。

 時折背後を確認しながら、慎重な足取りで歩き続けていると、前方の方からすごい勢いでこちらに接近してくる人物を発見。まさか楼が先回りしてきたのかと身構えたが、そうではない。そもそも彼は狐面など被っていないし、遠近感でよく分からなかったが、楼に比べると小さすぎる。

「せんぱ~い!」

 その呼び方は実に懐かしい気もするが、狐面を被った奴の先輩になった記憶はない。逃げる事も考えたが、敵意は無さそうなので、こちらからも歩み寄って対話を試みる(後ろに逃げれば足を切られに行く様なものだ)。

「先輩ッ! 探しました!」

「………………」

 誰?

 面と向かっていると余計に分からない。狐面の者はとても身長が小さく、腰が細い。ちんちくりんだ。こんな奴が果たして後輩に居たかどうか。碧花以外の事を如何せん忘れかけているせいで、思い出せない。

「先輩?」

「…………誰?」

「ええー!」

 少女は目を見開いて前のめりに。俺の発言に動揺が隠せないまま、お面に手を掛けた。

「じゃ、じゃあこれなら分かりますかッ」

 お面が取れた先には美少女が。碧花とは別ベクトルで美人な少女が無邪気な瞳でそこに立っているが、やはり誰か思い出せない。分かる事は敵意が無いから、現状、只一人の味方である事。この断崖絶壁とも言える胸が俺の記憶を刺激している気もするが、いまいち思い出せない。

「すまん。本当に誰か分からん」

「そ、そんなー! でも、そういう反応をするって事は、やっぱりあの先輩は偽物だったんですね!」

「偽物……?」

「はい! 私達を急に刺してきた先輩です!あの時はビックリしましたけど、こうしてみると、本物の先輩の方が優しそうですよね!」


 優しそう……偽物………………刺してきた…………?


 少女から出てきた情報を総合しても、少女の記憶までは到達しない。代わりに到達した事実があるので、尋ねてみる。

「お前、俺の偽物を知ってるのか?」

「あ、はい。知ってますよ。殺されちゃいました!」

「いや殺されちゃいましたって…………え? じゃあお前もここの住人なのか?」

「うーん。そういう訳じゃないみたいです。確かにお腹を刺されちゃいましたけど、死ぬ代わりにこっちに来たっていうか……とにかく、先輩に会えて良かったです! さ、行きましょうッ!」

「ちょ、引っ張るなって萌………………あ!」

 思い出した。萌。そう萌だ。

 西辺萌。

 オカルト部の部員。カメラの下りで出会ったのが今となっては懐かしい。このちんちくりんな体型も実は嘘で、その内側には碧花に負けず劣らずのアダルトボディが隠れている。度々俺はその事を弄って体型マジックショーなんて言っていたが…………ようやく全てを思い出した。

 僅かな切っ掛け一つでここまで思い出せるなんて、むしろ今までどうして忘れていたのだろう。忘れる筈のない、忘れたくない人物の一人でもあったのに。

 一回り以上も小さい萌に引っ張られていると、俺はふと疑問に思い、彼女に尋ねた。

「……所で何処に行くんだッ?」

「御影先輩の所ですよ! 見つけたら連れてきて欲しいって言われたんですッ」

「御影…………御影、御影―――由利!」

「どうしたんですか?」

「いや…………何でも」

 また忘れていた。由利なんてある意味最も守らなくちゃいけない人なのに。何せ一度心を壊した。罪という意味では絶対に忘れてはならない存在だ。


 ………………………………



 抵抗はしない。どうせ行くべき場所などないなら、二人と合流しても良いだろう。聞きたい事もあったが、今はそれが先だ。楼と雪に追い付かれても困る。

「由利は何処で待ってるんだ?」

「体が覚えてます! 先輩はどうして急に走ってきたんです?」

「訳あって追い回されてる! ここに残ってくれないなら殺すって言われたんだ!」

「先輩の偽物にですか?」

「違うし、俺もその偽物には一度会って刺されたっきり全く会ってない! まあなんていうかな、取り敢えず追い回されてるんだよ!」

 俺も含めて本人達が言うならともかく、事情を知らない萌に『家族が追い回してくる』なんて言っても伝わらないだろう。俺の唯一の家族は死んだ。その事はきっと、萌も知っている。

「そうですか。でも先輩、安心してくださいね! 私達が来たからもう大丈夫です! 一緒に帰りましょう!」

「…………碧花はどうした?」

「碧花さんは御影先輩と一緒にいる筈ですけど。なんか話があるみたいで」

「オカルト部なのに伝えられてないのか?」

「酷い話ですよね! 『萌が関わる必要はない。これは、部長である私だけの問題』って言うんですから!」

「お前声帯模写上手いな」

「ありがとうございます! えへへ」

 萌と話していると気が楽になる。陽の毒気に当てられたみたいな気分だ。彼女の生来の明るさを毒と言ってしまうのは俺の悪い所だが、これでも感謝している。

 お陰で少しだけ気が楽になった。

 しかし気になる。由利の言い方だ。彼女と碧花には直接の接点がないからそんな言い方をしたのだろうが、どうにも『部長である』という点に引っ掛かる。気のせいなら良いが、もし何かしらの隠された意図があるとすると……いや、あっても、見抜けないか。

 考える必要はなさそうだ。どうせ俺には何も出来ない。

 萌に連れられて十五分。楼も雪も背後にはいない。一時的には撒けたかもしれないが油断は禁物だ。楼は『王』の瞳を持っていた。何か隠している力があるかもしれない。

 それにあの二人は、何かが違う。

 町の人々は中身が変わっただけで見た目はそのままだったが、神崎の外見を持つ楼は髪が脱色している上に片目が移植されている。雪に至っては未だに誰かもわからない。死体はあったが、やはり心当たりがない。あれは本当に『首狩族』で死んだ人か?

「……おい萌。どうした?」

 考える事に没頭していたせいで現実から意識が逸れていたが、いつまでも体が動かない事に気付いて、流石に意識が戻る。萌は立ち止まっていた。

「いや、この辺りに居る筈なんですけどー」

「由利がか」

「御影せんぱーい! どこに居るんですかーッ?」

 萌が大声をあげて反応を探るが、まさかの反応なし。存外に彼女の声は大きく、並大抵の応援団では敵わない声量だが……

「……居ませんね」

 何となく視線を落とすと、あるものが目に付いた。それが何であるかを認識した瞬間、俺の臓器全体がキュッと引き締まり、血流全体が凝固する錯覚を覚えた。

 彼女に知らせる事もせずに固まっていると、俺の様子がおかしい事に気付いた萌が、俺の目線の方を向く。

「……これって腕……ですか?」



 そこには何者かの手によって綺麗に切断された、間違っても作り物じゃない腕が、転がっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る