堕天使は手を取り誘った

 当然だが、学校は暫く休校になったらしい。警察の立ち入りやら何やらで、暫くは騒がしくなるだろう。そんな事はどうでもいい。問題は、マスコミが独自調査で香撫達の交流関係を調べて、俺の家に来るかもしれないという事だ。予め言っておくが、俺も天奈も事件には関与していない。けれども、マスコミがそう引き下がってくれる筈がない。マスゴミと呼ばれる類なら、レッテル貼りされる可能性だってある。既にそうなっている俺はともかく、天奈にまでその負担を負わせる訳にはいかなかった。

 なので俺は、先手を打つ事にした。

「…………私の家に、君の妹を?」

 碧花は露骨に嫌そうな顔をした。気持ちは分からなくもないが、後手に回れば全てが裏目になる可能性がある。今は彼女の顔色を窺っている場合では無かった。

「頼むッ!」

「………………本当なら、お金を積まれても断る所だけど、他でもない君の頼みだ。いいよ」

「本当かッ?」

「ああ。特に見返りも求めない……訳ではないけど、随分後でいいよ」

「後って、どれくらいだ?」

「そうだね……私達が、卒業する頃かな」

「長ッ。そんなに経ったら忘れるだろ!」

「君は勝手に忘れると良い。私はずっと覚えているから」

 何かせこい。けれど有難かった。せめて妹だけは、兄として守りたいのだ。碧花の元であれば被害に遭う事も無いだろう。オカルト部も含めて碧花達はあのパーティのゲスト以外の何者でもないから、必然的に関係性も俺達に比べれば薄いと断ずる事が出来る。流石のマスコミも彼女の家にまで押し入っては来ないだろう。

 来ない事を願う。

 因みに今、俺達はいつもの場所こと屋上で昼休みを過ごしている。所詮と言っては何だが、妹の学校で起きた事件は、俺にとっては重大でも俺の学校にとっては対岸の火事に過ぎない。あちらの学校が休校になったからと言って、こちらが休校になるなんて都合の良い話は無いのだ。

「しかし…………随分、凄い死体だったな」

「ああ、そうだね。顔が判別出来ただけマシというべきか何と言うか…………まあ、死因は十中八九あれだろうね」

 二人はお互いの首にロープを繫がれた状態で、死んでいた。ロープは天井に打ち込まれた楔に通されている様で、写真の限りでは、簡単には抜けなさそうに見えた。

 香撫は窒息死だったとしても、不思議なのは那須川の死因だ。あれは素人の俺が見ても分かる。胸にナイフが突き刺さっていた。あれが直接の死因に違いない。何が疑問って、どうして二人をロープで繫いでおきながら殺し方が違うのかという事だ。俺は名探偵でも無ければ敏腕刑事でもない。この状況から真相を見出す事は不可能に近い。

「お前はどう思う?」

「どう思うって?」

「この事件の真相だよ。写真一枚しかないけどさ。ここから何が起こったのかって……分かったりするか?」

「ふむ…………」

 碧花は死体の写真を躊躇なく覗き込むと、手探りをするかの如く、慎重に話し出した。

「そうだな……まず、現場が荒れているね。二人が自殺じゃないのは自明の理だとしても―――抵抗したのかな。かなり抵抗したみたいだ。机が数個倒れてる。倒れ方から見るに二個の机が倒れて、そこからドミノみたいに影響したのかな」

「那須川の胸にナイフが刺さってたのは?」

「―――分からないね。残念だけど、私は犯人じゃないから」

 何の気も無い発言だったが、俺はドキリとしてしまった。それも全ては部長のせいである。碧花を信じるな、なんて。そんな言葉受け入れる訳が無いとは思いつつも、やはり気になってしまう。彼女の方を一瞥したときに、丁度彼女と目が合った。慌てて目を逸らす。

 やっぱ、違うよな。

「何にせよ、通り魔とかそういう事故的殺人とは違いそうだね。誰かが悪意のままに二人を殺した。そう見るのが妥当だ。犯行の動機として挙げられるのは怨恨か、それとも何かトラブルがあったのか。真相は闇の中かもしれない」

「おいおい。日本の警察は優秀だって世界でも言われてるんだぞ? 足跡とか指紋とかで直ぐに分かるだろ」

「幾ら優秀でも、未解決事件なんて山ほどあるじゃないか。君の周りで起きた事件とか……クラスメイトの間では『首狩り』として片づけられていて、私達の間では『不運』として片づけられているけれど、警察からすれば未解決事件でしかない。最近は困ってるんじゃないかな? 犯人の手掛かりがまるで掴めない事件ばかり起きて。その内、警察も君を疑うかもね」

「お、おい。やめろよな、そういう事言うの」

 冗談でも、きつい。俺が犯人ならばいざ知らず、犯人でも無ければ、そもそも関与だってしていないのだから。しかもこの状況は、今の事件に限った話ではないのだ。今までにだって何度も同じ事があった。

 碧花が缶コーヒーに口を付ける。

「大丈夫。君は何もやっていないんだ。恐れる事なんて無いよ。私が君を守る」

「……何か俺、いつもお前に助けられてるな」

「そう? 何か負い目でも感じてるなら、その必要はないよ。私は好きで君を助けているんだ。恩着せがましく言うつもりもないし、恩人ぶるつもりもない。今回は特にね」

 思わせぶりな言い方をする彼女の横顔は、何故だかとても嬉しそうで。俺には少し不気味に思えた。こんな俺と小学校の頃から付き合っているのだから、多少なり耐性はあるだろう。だが、それは完全無敵のモノではない。俺でさえ、天奈から送られてきた画像を直視するのには躊躇いがあるのだ。

 嬉しそうに見えるのは俺の目がイカレているからだとしても、先程の推理と言い、よくもまあそこまで平気で居られる。あんな惨たらしい殺され方をされた二人の心情を汲もうとすれば平気では居られないだろうし、きっと犯人でさえ、平常心を保てていないだろう。まともな人間なら、という前置きを忘れていた。

 もしも平常心を保てる輩が犯人ならば、その犯人は完全に心が壊れているか、感性がねじ曲がっているかのどちらかだ。

「二人の態度は人として最低極まるモノだった。悪い事をしたら謝る、モノには当たらない。少なくとも小学校の間に備えておくべき常識を二人は備えていなかった。私的には態度が気に食わなかった」

「だから死んでもいい……ってか?」

「いや、そうじゃない。関わりの薄い私ですら嫌いになる様な態度を取る事がある、という事はだよ。関わりの濃い者は嫌悪感を超えて殺意を抱くんじゃないかな。あまりこんな事は言いたくないけれど……遅かれ早かれ、死んだだろうね。死んで当然の人間なんて居ないと信じたいけれど、少なからずいるんだなと実感しているよ」

「おい! そんな言い方って無いだろ!」



「じゃあ君は、妹に苦しんで欲しかったのかい?」



 俺の中にあった偽善者の心を、碧花は容赦なく貫いた。

「私は全部聞いていた。だから知っている。あのまま二人が生きていたら、君の妹は引き籠りになっていた。いや、もしかしたら自殺していたかもしれない。君は妹にそうしてほしかったの?」

「そんな訳無いだろッ。でもアイツ等が死んで当然なんて―――あんまり……じゃないか」

 一転攻勢とは正にこの事か。一言ごとに押しの強くなる碧花の言葉とは対照的に、俺は徐々に押し込まれていた。人として最低の気持ちを、無意識の内に認めてしまっていたからだ。


 二人は死んで当然の人間だったと。俺も思っていたからだ。


「君は優しすぎる。誰もが救われる世界なんて、この世には無いんだ。その証拠に、君は全然救われていない」

「え……」

「『首狩り族』とレッテルを貼られ、後ろ指をさされ、悪意ある者ばかり引き寄せる。まるでこの世界の不幸を君が背負っているみたいだ。とことん君はついてない」

「……………てるよ」

「ん?」

「……救われてるよ、俺は」

 覚悟が決まった訳ではない。しかしそんな事を言われて黙っていられる程、俺は軟弱な男じゃない。発言の意図が掴めず首を傾げている碧花の肩を、俺は渾身の力で掴み、真正面に据えた。

「―――何をッ?」

「………………確かに、俺は不幸かもしれない! 友達を作ったと思ったらすぐに消えて、皆から煙たがられて、お前の言う通り世界の不幸を背負ってるのかもしれない! けれど、俺は救われてるよッ。だって―――」












「お前に会えたから」












 好きな人が隣に居てくれる。それだけで俺は―――この世界で一番の、幸せ者だ。

 愛の告白でも何でもないが、こんな形で感謝を告げたのは初めての事だった。碧花は明らかに今の状況を理解出来ていない。目をパチパチと不規則に瞬かせて、珍しく呆けている。

 しかし一度勢いの付いた俺は誰にも止められない。碧花の理解を待たずして、俺は休みなく続けた。

「どんな不幸も、どんな危険も、どんな悲しみも、お前が居たから乗り越える事が出来たんだッ。だからその……お前の言っている事は間違ってる。訂正してくれ」

 俺が反論したのは、自分が惨めに思えてくるのを隠そうとした訳でもカチンと来たからでもない。今の発言を見逃していたら、彼女は己の功績を否定していたのだ。そんな無意味な事は俺が許さない。

 彼女のお蔭で今の俺がある。それが事実な以上、それを否定するのは巡り巡って彼女自身の行動を無意味だと断じる事になる。自尊心が著しく欠けている俺が自分の為に反論するなどあるものか。それよりかはずっと、俺は他人の為に反論する。

 好きな人の為なら、世論にだって歯向かう覚悟だ。

 五分以上もの空白が挟まれたのち、不意に碧花が笑いだした。

「…………フッ。アハハハハハハハハハ! ハハハハハハ!」

「何だよ」

「いやあ、これは一本取られたね。成程、成程。私は君を救う事が出来ていたのか。いやはや、それは盲点だった……」

 明らかに様子のおかしくなった彼女を見て、今度は逆に俺が困惑する。何で彼女が笑いだしたかも、何で一本を取ったのかも全く分からない。

 目をパチパチと不規則に瞬かせて呆けていると、俺の『理解』を遥か遠くに追いやるかの様に、碧花が俺に抱き付いた。むにゅりと柔らかい感触が俺の胴体に伝わる。

 下半身の制御が間に合っていないので、恐らく彼女は俺の興奮に気付いている……とは思いたくないが、これで気付かない方がおかしい。気づかなかったら奇跡だ。

「……有難う。君の口からその言葉が聞けただけで、全ての行いが報われた気がしたよ」


 …………。


「実はね、少し不安だったんだ。私の行いが君の為になっているかどうか。それをどう感じるかは君次第だから、君と『トモダチ』になってからずっと、不安だった。でも今日、君がそう言ってくれたお蔭で、肩の荷が下りた気がするよ」


 …………。


 鐘が鳴った。昼休みはお終いだ。直ぐに戻らないと五時限目に間に合わない。けれど俺も碧花も、今だけは離れようとしなかった。










「狩也君。大好きだよ」









 愛の告白にも似た感謝の言葉を、今度は碧花から俺に。遂に俺の理解がそこに追いつく事は無くなり、刹那の時間、そこには空白のみが綴られる。

 昼休みの終わりを告げる鐘が、いつまでも鳴り響いていた。

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