命を繋いで
話したい事があるなら今からでも電話なりしてくれれば良いのに、どうしてわざわざ十二時に……しかも夜の部室に呼び出してくるのだろう。緊急性を要する話ではないという事だろうか。しかしそれならそれで俺にメッセージで伝える意味が分からない。緊急でないならまた顔を合わせた際にでも話せば良いだけだ。
由利の不自然な行動がどうにも気がかりだったので、病院を離れてから、俺は真っ先に彼女の家に向かった。わざわざ部室を指定してきた辺り、俺と二人きりか、萌との三人で話したい事があるのだろう。なら彼女の私室でも良い筈だ。移動の手間もかからない。
歩くこと一時間。角を曲がればすぐそこだ。ここからでも彼女の家の屋根は見えるので、万が一にも家を間違える事はない。
「…………ん?」
見間違いかと思って目を凝らす。しかしどう見ようが俺の見ている景色は変わらず残酷だった。突然の出来事に理解が追いつかず俺は立ち尽くしていたが、行けば分かる話だろうと結論付けて直ぐに角を曲がった。
しかし角を曲がろうが曲がるまいが、由利の家が火事になっているという事実は変わらないのだった。
さして燃え広がっていないから火事が発生してまだ間もないのだろう。野次馬の数も少なく、消防車もまだ到着していない(既に電話している人が何人も居るからもうじきに来るだろう)。火元は由利の部屋だが、二階にある彼女の部屋がピンポイントで燃えているというのは、どうにも故意的なものを感じずにはいられなかった。
火災の危険性がある台所とかであればいざ知らず、由利の部屋に熱源は無い。ライターの一本すら見当たらなかった。そんな彼女の部屋から燃えているという時点で、事故というのはあり得ないだろう。あまり考えたくないが、誰かが火を放ったと考えるのが自然だ。
俺の手は脊髄反射で携帯へと伸ばされ、躊躇なく由利に電話を掛ける。しかし留守電。本人の出る気配は無い。
「おい、もしもし由利。お前何処に居るんだ? 直ぐに迎えに行くからこれ聞いたら場所教えろ! いいな!」
予想通りというべきか流石と言うべきか、消防車がけたたましいサイレンと共に到着。迅速に消火活動が開始されるのとほぼ同時に、俺もまた動き出した。
留守電の返答なんて待っていてもくるか分からない。俺の方から探さなきゃ駄目だ。しかし当てもなく探し回っても非効率的だというのは今までの経験から嫌という程思い知ったので、今度は萌に電話を掛ける。
こっちまで留守だったら流石に手の打ちようがなかったが、三コール以内に出てくれた。
「はい。もしもし。先輩ですかッ?」
「ああ俺だ。聞いてくれ! 由利の家で火災が起きた。本人の居場所を知らないか?」
「居場所ですか…………? いや、ちょっと……」
「じゃあ行きそうな場所でいい! クオン部長の家とか、お前の家とかなんかあるだろ、教えてくれ!」
「私の家には居ませんし、クオン部長の家は私も知りませんよッ!」
「はあ?」
待て待て。俺の記憶違いでなければ―――
『萌は正常だが、そのお世話はかなり骨が折れるぞ。高校生である以上、アイツは家に帰さなくちゃならないが、そういう日は父親が居ない日に限られるし、父親が居る日は寝床を世話しないとならない』
『俺の家…………ああ、家か。いや、俺の家は……まあ、そうだな。とにかく面倒だが、父親の居る日に家へ帰してしまえば、襲われかねない。君も思ったかもしれないが、半端な恐怖よりもずっと恐ろしいと思うぞ。父親に、性的な目線で見られると言うのはな』
「おいおい。お前、確か父親の居る日は、部長の家で泊まってたんじゃ」
「いえ、廃墟に泊まってました」
今、明かされる衝撃の真実。とでも言えばいいだろうか。一番懇意にされていた萌が知らないなら、由利も知る道理は無い。クオン部長の家は無しだ。探す手間が省けて助かった。
それはそれとして、由利を探す手掛かりにはなっていないが。
「ああ……じゃあ他に行きそうな場所はッ?」
「後は学校くらいですけど……学校は行きましたか?」
「ズル休み中だから行けないんだよな、これが」
ここでズル休みが仇になるなど誰が想像しただろう。しかし学校に縛られていては、向き合えるものも向き合えない。きっと、これが最初で最後のチャンスだ。この機会を逃したら、俺はもう二度と向き合えない。弱さを克服したと思ってる癖に、何故だかそんな気がするのだ。
「所で御影先輩に何の用があるんですか?」
「いや、用というか……家が燃えてるならまず本人の無事を心配するだろ。現場には居なかったしな。それにもし燃えてるのを知らなかったら、知らせてやらないと―――あれ」
急に萌が黙ったので、俺は電波が悪くなったのかと錯覚した。しかし山奥じゃあるまいし、街中でそんな唐突に電波が悪くなるなんてあり得ない。
「萌?」
「―――先輩、今から会えませんか? 話したい事があるんです」
「お、お前までどうした。そんな深刻そうな声なんか出して」
「ぜ、全然深刻じゃありませんよ。ただ、その……『後はよろしく』って御影先輩に言われたので、先輩を、案内するだけです」
後はよろしく。
その言葉の意味する所は、基本的に仕事の丸投げだが、どうしても仕事を任せなければいけない時にも使われる言葉だ。一体萌に何を頼んだか知らないが、やはり意図が掴めない。俺に対して話したい事と萌に頼んだ何か。これは同じでは無いのか? 同じだとしたら、どうしてわざわざメッセージを伝えた。違うのだとしたら、どうしてわざわざ萌に役目を分担した。
どちらにしても、行かなければ分からない。
「分かった。俺は何処に行けばいい」
「先輩の家……はまずいから…………近くにぼろい倉庫みたいな建物がある筈です。そこで待っててください。迎えに行きますから」
「え? あ、おい……」
一方的に電話を切られた。まだ尋ねたい事があったのだが、もう一度電話をしても同じ事を言われてまた切られる気がする。それにどうせ会うつもりなら、その時に尋ねれば良い。俺は携帯をポケットに突っ込むと、徐に走りだして、彼女の言うぼろい倉庫とやらを探し始めた。
萌は超能力で俺の位置を知ってあんな発言をした訳じゃない。恐らくサイレンの音を聴いて、由利の家が近くにある事を知ったのだろう…………この時点で俺は何かおかしいと気付いた。普通、知り合いの家に火事が起きていたら誰でも驚く筈だ。まして萌は素直な性格。本当に知らないならまず火災というか、サイレンについて言及した筈だ。にも拘らず、彼女は、
『ああ俺だ。聞いてくれ! 由利の家で火災が起きた。本人の居場所を知らないか?』
『居場所ですか…………? いや、ちょっと……』
火災ではなく、居場所に言及していた。火災発生からそう時間が経っていないのに、である。つまるところ萌が驚かなかった理由は只一つ。由利の家で火災が起きる事を知っていた、教えられていたからだ。
果たして俺の推理は正しかった。シャッターが開きっぱなしの倉庫が、大口を開けていたのだ。十分程度捜索したが、ここ以外の廃墟は立ち入り禁止になっていたので、恐らくここだろう。立ち入り禁止の札でもあれば入るのは躊躇したが、無いので、入らせてもらう。車等の通行の邪魔になりかねない―――
「せんぱああああああああい!」
早ッ!
たまたま近くに居たでは説明がつかないレベルで到着が早い。倉庫から半身を出すと、タクシーに乗った萌が窓から手を振りながら近づいてきた。タクシーは倉庫の前で停止し、手を振っていた萌が出てきた。
「倉庫の場所分かったんですね! 良かったですッ」
「いや、それはいいんだけどお前―――」
「それじゃあ、早く行きましょう!」
「人の話を聞けよ!」
「そんな時間無いんです! 何もかも台無しになりかねないんです!」
何が?
時間がないと急かす萌が教えてくれる筈もない。強引に手を掴まれ、タクシーの中に引きずり込まれた。
何処に向かってるかも分からないが、タクシーの車内は流石に安全だろう。いつになく萌の表情は固かった。
「なあ、何処に向かってるんだ?」
「私も行った事ないんですけど……ただ、御影先輩に頼まれたんです。『首藤君の目を覚まさせる為の、唯一の方法』だからって」
「…………目を覚ます?」
因みに現在時刻は午後三時。由利との約束の時間まで九時間以上あるが、一体何を思って彼女はわざわざ十二時を指定したのだろう。そして俺の目を覚ます唯一の方法とは何だ。分からない事があまりにも多く、萌を質問攻めにしようと俺は彼女の方を向いた。そして質問するのをやめた。
―――。
何でお前が、そんな表情すんだよ。
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