俺は頑張った筈だ

 ツリーの装飾は何の問題も無く終了した。これも本来二〇〇ページ以上にものぼるツリーの飾り付け方をフィーリングで熟せる天才的な俺の活躍あっての事だろう。

「……ごめん。何をドヤ顔してるの?」

「ん? 実は気付かなかっただけで、俺は天才的な天才だったんだなって!」

「語彙力が貧弱な天才なんて聞いた事もないけどね」

「でも、真面目な話才能があるなら活かすしかないだろ。これはもう就職するかもしれねえわ」

「ツリーの飾りつけで?」

「おう」

「季節限定のバイトでもそこまで簡単なものは無いと思うよ。飾りつけだけってのはね……需要ないし」

 碧花が電飾のスイッチを入れると、煌びやかな七色が鮮やかに点灯した。マニュアル通りに装飾されているお蔭か、電飾のスイッチが入った事による彩りは、ツリーなど見慣れている筈の俺をしても目を瞠らせる出来栄えであった。

「うおう…………」

「うん。思ったより良い出来栄えだったね。作った私もびっくりだよ」

 暫く二人でツリーを鑑賞していたが、ここで俺は先程の彼女の発言を思い出した。忘れる筈もない、俺の好きなものを何でもプレゼントしてくれるという約束。少し後ろに下がり、さりげなく碧花の腰に手を回した。

「あ~お~か~? もしや約束を忘れた、などとは言うまいな。クリスマスプレゼント、ちゃんと貰うからな?」

「……勿論、あげるよ。ただ困った事に私は君の好きなもの……今欲しいものを知らない。申し訳ないけれど、ここで言ってくれると助かるな」


 俺の好きなものと言えば、碧花だ。


 心の中では即答する。本当の事だし。だがそれを本人の前で告げられるかはまた別の話だ。もうディープキスまでしておいて今更何を言っているのか、とも思われるかもしれないが、あれは状況が状況だった。ノーカンとまでは言わないが、平常時の俺の心では同じ事は出来ない。

「…………何でも良い、何でも良いんだな」

「うん……ん? それは聞いているのか、いないのか。ちょっと分からないな」

 俺は悩んでいた。いや、悩まされていたという方が正しい。まがりなりにも好きな女の子を前に『初めてをくれ』なんて言える筈がないのに、俺の煩悩が言うべきだと背中を押してくるのだ。

 確かに雰囲気は一度そうなりかけたが、だからどうした。物は言い様だ。俺が言おうとしてる発言は『ヤらせてくれ』とほぼ同義に他ならない。生憎と俺はそこまでチャラい感じの男じゃないし、そもそも童貞だ。童貞を舐めちゃいけない。妄想の中では肉食系でも(ついでにイケメンでも)、現実はそれとは真反対なのだ。

「…………良し!」

 俺は碧花の身体の向きを強引に変え、真正面に据えると、腹に力を込めて言った。



「碧花! お前が今、一番大切にしてる物をくれ!」



「私が一番大切にしてる物?」

「……ああ。俺は、お前と一緒に居たい。だからその……預かっておきたいんだ。お前が急に居なくなる事が、無いように……あ、別に俺が嫌いになったとかならいいんだ! でもそうじゃなくても、別に嫌だったら―――!」

「そこまで保険をかけなくてもいいよ。君を嫌いになる事なんて死んでもあり得ないからね。……しかし、困ったな。一番大切にしてる物か。君、それは卑怯じゃないか」

「ひ、卑怯?」

 何故か碧花は暫く目を瞑っていたが、やがて何かを決意すると、不意に俺の身体を壁まで突き飛ばし、物凄い形相で睨みつけてきた。

「え、え、え……?」

「…………絶対、他言無用だよ。言ったら君の事、どうにかするから」

「ど、どうにかって……?」

「責任を取らせるって言ってるんだ。いいね? イエス? オーケー?」

「い、いえす」

 元々気が強い性格とはいえ、今回はいつにも増して気圧された。返事はしたものの、それは文字通りの肯定ではなく、取り敢えずこの場を凌ぐ為の繫ぎに過ぎなかった……


 というのは俺視点での話。


 碧花からすれば返事は返事だ。俺の首肯を聞いても尚、かなり言葉を渋っていたが、俺の方に背中を向ける形で、ようやく喋り出した。

「…………一番大切な物は、無いんだ。私が一番大切にしてるのは、君だから」

「―――え?」

「こ、こんな事言うのはこれっきりだよ。言葉にすると何もかも嘘っぱちに思えてきて……後、恥ずかしいし。だから、そんな事言われても―――」

 また、黙った。何と言葉を掛けて良いか分からないが、このまま放置しておくのは良くないと思い、彼女の肩に手を掛けた、次の瞬間。俺の手が掴まれたと思いきや、気づけばベッドに押し倒される。こちらの理解が及ぶよりも早く、碧花は俺に馬乗りになった。

「―――こんなものしか、あげられない」


 そして俺に全体重を預ける形で、キスをしてきた。


「―――ッ!」

 初めてキスを意識する様になったのはあのパーティの時。一度目は未遂に終わって、二度目は河原で、俺から彼女へディープキスを。そして今―――三度目は、彼女から俺へ。

「ん、んんッ。んぐ! ん……んん…………!」

 何も考えられない。彼女の柔らかい所を全身で感じている事だけが脳内に伝わってくる。それによって起こる生理現象はやはり抑えが効かない。碧花もとっくに気付いているだろう。

「んちゅ……ん―――ふッ! んんん!」

 それは長い長い快楽だった。どれくらいキスしていたかなんて覚えていない。分かるのは、十秒や二十秒では済まなかったという感覚だけだ。一分、二分。或いはそれ以上。

 体を重ね、舌を絡ませ、心を通わせ。

 こんな行為は『友達』には赦されない。俺達の関係は長い間進展しなかった分、一度進展し始めれば、その勢いは止まる所を知らなくなる。大人の階段を上っていないだけで、俺達はもう、殆ど××だった。

 碧花がようやく俺から唇を離した。長い長い接吻はお互いの呼吸を荒くし、頬を上気させ、心拍を早めた。

「これで、お互いにあげられた……よね。狩也君」

「あ、碧花……お前」

「メリークリスマス、狩也君。良い子の君に、サンタさんからプレゼントだ。気分はどう?」

「…………い、良いに決まってんだろ!」

「―――良かった。キスは何度もイメージトレーニングしていたんだけど、本番となると、やっぱり怖いね。お蔭で、君がどれだけの覚悟であの時私にキスをしたのか。分かった気がするよ」

 女性に主導権を握られる事を好まぬ俺だが、この時ばかりはそれを咎めるつもりはなかった。ローアングルから見る碧花の胸は、中々どうして見応えがある。しかし碧花は、勝手に納得して俺から離れてしまった。

 空しい温もりが、残った。

「狩也君。君さえ良ければ……なんだけど」

「ん? 何だ?」







「一緒にお風呂―――入らない?」
















 女風呂に入りたい。

 そんな願望が、心の何処かにいつもあった。でもそれをしたられっきとした犯罪で、強いて俺が入った事のある女風呂を挙げるとするなら、天奈との風呂くらいなものであった。碧花の誘いは、そんな俺の願望を完璧に叶えてくれるものであり、ここまで来れば、最早引く意味はなく、断るデメリットなどまるで考えられなかった。

 極上の女体とも評される身体を。

 学校一として名高い美貌を。

 俺だけに向けられた愛情を。

 一糸纏わぬ姿で見る事が出来るという未来に、何を恐れる事があるだろう。普段は仏頂面を貫く碧花が、俺の前でだけは普通の女の子になっているという萌えに、何を躊躇する必要があるだろう。俺が彼女の事を性的な目で見ている事はとっくに気付かれている。その上で彼女は俺と交流してくれている。隠す必要が何処にあろう。恥ずかしがる必要が何処にあろう。



 それでも俺は、その誘いを断った。



 いやあだって、風呂だぜ?

 この家のカーテンは閉め切られており、玄関も含めてあらゆる個所に鍵が掛けられており、誰かが邪魔をしてくる事は絶対にあり得ない。俺と彼女の二人きりだ。だからこそこれまで進展してこなかった関係が、急速に発展した。それはこの状況だから起きた出来事。

 でもこの状況だからこそ、出来ない事もある。

 碧花の事を異性として意識していないのなら、断る道理はそれこそ無かった。でも無理だ。アイツを異性として意識しないというのは、男としての本能に背く事になる。俺の知る高校生ならば迷わず誘いに応じただろうが、俺は違う。俺だけは違う。


 碧花が唯一親密に接してくれる俺だけは、究極のヘタレなのだ。


 好きな人だからこそ、プラトニックな関係を作りたいとか、そういう聖人君子な事は言わない。俗物の自覚はある。でも怖い。自分が怖い。ハロウィンパーティーの朝に見た夢みたいに、彼女が気絶するまで襲ってしまうんじゃないかという予感がある。 

 だから断った。人生最大のチャンスを敢えて逃した。

 碧花は「そう」と残念そうに言っていたが、彼女を傷つけた気がしてならない。お風呂に誘うという行為は、異性間で行われる、且つ、そこに恋愛意識が存在する以上、並々ならぬ覚悟と勇気が必要とされる。それを断ったのだから、傷ついていたとしても無理はない。

「…………あー! どうすりゃいいんだ俺は!」

 人知れずリビングに戻ったはいいが、こんな事に頭を悩ませるくらいなら最初から受け入れていた方が……いや、それは無い。これが正しかった。ヘタレという精神的な問題を抜いても、こんな事になるとは思っていなかったがばかりに、アレを持ってきていない。

 アレって何……と?

 アレはアレだ。良い子は分からなくていい。俺も考えたくない。

「碧花の裸、見たかったなあ…………」

 正解したと確信しながらも未練たらたらに独り言を零す男が一人。今からでも遅くないから、行こうか―――いや、無いか。

「…………付き合いたいなあ」

 色々段階をすっ飛ばしている事には俺も気付いているが、まだお互いに告白していないので、正式に恋人ではない。恋人にさえなれれば、俺もこのヘタレを払拭する事が出来るかもしれない。同時に高校のほぼ全ての男子から殺意を買う事になるが、まあそれは良いだろう。今も似た様な状況だし。

「でも告白したら……断られるかもしれないしなあ」

 あり得ない、と人は言う。大人のキスまでしておいて、今更何を言っているのだと言う。でも万が一、彼女の常識と俺の常識がズレていたら。例えば、彼女が『友達同士でもキスするのが当たり前』と思っていたらどうだろう。彼女の友達は俺しか居ない訳だから、この場合も筋は通っている。

 万が一、億が一。いや、たとえゼロだったとしても俺は失敗を妄想してしまう。今までの成功体験が少なすぎるから。

「………………」

 視線こそテレビに向けているが、その内容は二割も理解出来ていない。碧花の事で頭が一杯になっていた俺には、娯楽を理解する余裕さえも、無かった。 

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