ライオンとチキン
ぬいぐるみを見つける事はそうなのだが、この少女を放っておく訳にもいかず、俺達は二人して適当な教室で親睦を深める事にした。まるで初対面の様な話し方だったが、実は、俺は彼女の事を知っている。
水鏡碧花。この小学校において一番の美人と噂される存在……というかまず間違いない女性であり、昨日も俺のクラスメイトが五人程告白しに行った。結果は…………お察しして欲しい。あまりにも容姿の美しすぎる女性は、同じ女性間で孤立しがちなものだが(性格にもよるが、碧花はとても明るいという訳ではない)、碧花はその現実離れした美しさもあって、孤立というよりかは、誰もが近寄りがたい存在となっている。これを『高嶺の花』というが、それのお蔭で、彼女が虐めらしきものを受けていた事はない。
そしてそんな少女とこんな所で遭遇した事に、俺は只々、困惑するのだった。
「ふーん。成程。一人かくれんぼね」
「知ってるのか?」
「まあ、有名な降霊術だからね」
碧花は適当な机に腰掛けて、窓を背中に脱力する。深夜の学校に忍び込む事は、一応犯罪だったりするのだが、よくもそこまで落ち着けるものだ。自分なんぞ、この空間に居るだけで鳥肌が立っているというのに。
「それで、水鏡はどうしてここに?」
「ん。まあ野暮用があってね。大丈夫、もう終わったよ」
人には事情を聞いてきた癖に、彼女は自分の事を明かそうとはしなかった。代わりに出てきたのは、またもこちらに向けられた質問である。
「それで、どうしてそんな事をしようと思ったの?」
俺が言葉に詰まったのは言うまでもない。嘘を吐いたから……ではなく。言い辛かったから。友達が欲しいからやろうと思ったなんて、人が聞けば失笑ものだ。そりゃあ元々友達らしき人物からして少なくて、壮一のせいで完全に孤立して。どうせこの真実も話してくれた所で信じてくれる筈も無いし、俺はどうしたものかと言葉に悩んだ。
悩んだ末、やはり嘘を吐くのは良くないと思い直し、自棄になった俺は終いには全部ぶちまけてしまった。恥など知った事ではなく、見栄など最初から張るつもりもない。幻滅でも何でもすればいい。
「友達が……欲しいんだよ、俺は! 誰も居ないんだ……誰も。俺は……一人ぼっちなんだよ」
「それは単に深い仲が居ないという意味かな?」
「違うよ……騙されたんだ。いや、嵌められたというか…………なんだかな。善行の報いがこんなんだってのは、凄い、嫌だよ」
それは心の底から吐かれた溜息だった。良い事をすれば巡り巡って返ってくるというのは嘘っぱちなのだと、俺はこの年齢にして知ってしまったのだ。壮一の野郎が得をして、奴のレイプから女子を守った俺が不利益を被る。
納得いかないが、そういうもんなのだと俺は知ってしまった。この暗闇の中でさえ、俺の瞳に浮かんだ諦めを彼女はしっかりと捉えていた。
同時に。彼女の雰囲気が少し変わる。今までは仏頂面にしろ穏やかだった雰囲気が、急に引き締まったのだ。
「…………訳アリのようだね。良かったら訳を聞かせてくれないか」
「いいよ。どうせ信じないだろ」
「これは頼んでるんじゃないから、君の都合なんてどうでもいい。話してよ。君がそうも孤立してしまった直接の原因ってのを」
「―――壮一っていう奴、知ってるか? 多分、お前に告白したと思うけど」
………………泥の様に重苦しい沈黙。忘れているのか、語るまでもないくらい興味が無いのか。付き合いの無い俺にはさっぱり分からない。
「その壮一って奴がな、とある女子を告白してからレイプしようとしたんだ。告白までは合意だったんだけど、それで……そう。俺が助けたんだ」
「へえ。かっこいい事をするじゃないか。しかしこの学校、もう性犯罪とは随分進んでいるね。聞いた所君の方に問題は無さそうだけど。それの何処に問題が?」
「その場は収まったんだけど、その…………そのレイプ未遂、俺のせいにされたんだ?」
「ん? どうして?」
「知らないけど…………女子の方が、多分報復とか恐れたんじゃないか。元々ボッチに片足突っ込んでた俺が、人望で壮一に勝てる筈もなし。それもあって、完全に孤立したというかさ…………はあ」
色々とどうでもよくなってきた。自分で言うのも何だが、人はここまで腐ってしまうものらしい。俺の中で『俺』の価値は急速に下落し、いよいよ0円に差し掛かる時だ。ぶちまけてしまったのは、それが理由でもある。どっちみち、俺と壮一を二人知っていて、あちらを信じない訳が無いのだ。幾ら校内一の美人と言えど、この絶対不変の法則には抗えない。
碧花の顔をおそるおそる窺うが、彼女がこちらを軽蔑している様には見えなかった。
それに驚いたのは、むしろ俺である。
「…………み、水鏡」
「何かな」
「俺の事、軽蔑しないのか? レイプ犯……俺って事になってるんだぞ」
俺の問いに、碧花はキョトンと首を傾げた。
「どうして君の事を軽蔑しなきゃいけないのか、私にはさっぱり分からないよ。だって、君はやっていないんだろう?」
「―――信じてくれるのか?」
「信じるも信じないも、君はやっていないんだろう? まだ出会って一時間と経っていないけれどね、君という人間は強姦をするには少々度胸やら男気やら、色々足りない」
碧花が不意に俺の身体を指さした。
「まず君の身体は丸くなって腕を組んでいるね。不安を感じている証拠だ。次に足。話してるだけなのに、どうして震えているのかな? 最後に目だ。君、私に目線を合わせようとしないよね。どちらかと言えば、下を見てる」
「そ、それがどうしたんだよ」
「君は全体的に自信がなく、私に怯えている。そんな人間が巧みに嘘を吐いて同情を買おうとしたり、そもそもレイプ犯になれるかって話だよ。答えは無理だ。だから君の話を信じるとか信じないとか以前に、他でもない私の能力が君の無罪を認めているんだから、軽蔑する道理はないよ。自分くらいは信じてやらないと、人間なんてものは腐るからね」
俺は指摘された全ての動作に自覚が無かった。碧花に淡々と言われた事で直ぐに止めたが、やはり視線を逸らす事だけはどうしてもやめられない。彼女の言う通り、俺は自分に自信が無かった。自分なんぞ、男の中の最底辺だと信じてやまなかった。
沈黙は肯定なり。碧花は自分が怖がられている事実に何とも思わないのか、話を続ける。
「何とも情けない君が、レイプを出来るとはそうそう思えない。あれは男の昂った自信が引き起こす犯罪だ。君には無理だよ、到底」
何気に酷い事を言われている様な気がしなくもないが、事実には言い返せない。認めたくなければ、今すぐにでも彼女を襲って証明すればいいのだ。
それが出来ない時点で、つまり俺はヘタレ。チキンハートで男子カースト最底辺の塵芥という事である。
「しかし、まあ」
碧花が一度言葉を切った。
「失礼。今の始まり方は適切では無かった。誤解は解くべきだ。君さえ良ければ私が協力してあげるけど、どう?」
「ほ、本当か?」
願ってもない話だった。彼女が俺の味方になってくれるならば、たとえ数で劣っていても質ではこちらの方が勝っている。この学校には、彼女より容姿の優れた女子など居ないのだから。
「ああ。それと、友達……? が欲しいんだっけ」
「お、おう」
「……そうか…………だったら、私が君の友達になってあげるよ」
碧花が机から降りて、俺に向けて手を差し伸べてきた。その手は無機質に差し伸べられたが、そんな彼女の手を取った瞬間、確かな温かさが俺の中に感覚として滑り込んできた。
この瞬間、俺は校内一の美人である水鏡碧花と、友達になったのである。
「…………まあ、無事にここを出られたらね」
その発言には、いつまでも不穏が付き纏っていた。
校内一の美人と友達になれただけで、何故だか急に生きる希望が湧いてきた気がする。それくらい俺が単純である事を、碧花は既に見抜いている様子だった。いつもこちらに向けてくる呆れた様な目線は、きっと俺のそういう処を見ているからに違いない。
「言っておくけど、まだ友達ではないからね」
え?
「ここを出られたらと言っているだろう。こんな所で友達になったらお互いに精神に負うダメージを増やすだけじゃないか。だからそれまでは仲間、という事で」
「な、仲間?」
「そ、仲間。一人かくれんぼに勝手に巻き込んでくれたんだから、ちゃんと守ってくれないと困るよ?」
そんな事は分かっている。俺だって男だ。本意ではない女性を巻き込んだ以上、全力で守護するのが俺の務め。
「だ、大丈夫だよ! 俺だって男だ、お前は安心して歩いていればいいんだよ!」
「それは頼もしい。でも、だったら私の袖を掴むのをやめてくれないかな?」
俺もそうだが、この時は碧花も思っていただろう。この先が思いやられる…………と。
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