二人だけの学校生活
一人かくれんぼを終わらせる為には、人形を見つけなければならないのだが、碧花と一緒に校内を歩き回っても、ぬいぐるみの『ぬ』の字すら見つからない。最初こそ俺は彼女の袖を掴みながら祭りの日の幼児の如く怯えながら歩いていたが、次第に気配すら無い事が分かってくると、俺の態度は一変した。
「君って、何というか分かりやすいよね」
碧花は呆れ気味に俺を見つめつつも、俺のテンションに仕方なく付き合っていた。無論、理由もなく明るくなれるならば俺は陽キャになってしまう。こうも俺のテンションが高いのには理由があった。そう仰々しいものではないのだが、
まず前提として、百人に尋ねたら満場一致で俺は陰キャである。言い換えればボッチだ。ボッチは学校生活において目立たずに生きる、または孤立して生きているが故に、心の底から学校生活を楽しんだ事がない。しかし行かない訳にもいかないので、人によっては苦痛に思いながら学校を過ごしているだろう。俺はそこまでの重症ではないが、あの一件以降完全に孤立した事もあり、随分鬱憤が溜まっているというか、ストレス発散がしたかった。
一人かくれんぼの幕引きの為に人形を見つけなければならないが、人形が見つからない。
そもそも気配を感じない。
ここには人形を除けば俺と碧花しか居ない。
遊ぶしかない!
「いや、その理屈はどうかと思うよ」
碧花は至って淡白にそう返してきたが、俺がどうしても鬱憤晴らしをしたいと言ったら、付き合ってくれる事になった。間違ってもこれは現実逃避ではない。そもそも、人形が見つからないのが悪いのだ。俺は塩水を含んでいない。塩水はネット情報によれば自分を隠す物らしいので、それをしなかった以上、人形は俺の居場所を知っている筈である。
なのに来ないのだから、これはもうどうしようもない。遊ぶのも一種の囮作戦だ。ぬいぐるみを誘い込まない事には、何も始まらない。要は俺達が馬鹿やって騒ぐ事で、ぬいぐるみを見つけようという作戦だ。
たった今付けた理由だが、正当性がある様に見えるだろう。
「さて、それじゃあ何をして遊ぼうか」
一度乗ってしまった以上は全力を尽くすタイプなのか、俺達は適当な教室で机を挟んで向かい合い、自分達の置かれている状況など忘れて遊ぶ事になった。阿呆な事に、この時の俺は一人かくれんぼの制限時間などまるで考えていなかった。まあ、もうとっくに過ぎていたので、仮に考えていたとしても無駄である。
「かくれんぼとかどうだ?」
「度胸があるのか馬鹿なのか分からない。狩也君、君は二重にかくれんぼする気かい?」
「あ、駄目か?」
「駄目……とは言わないけど。一人で隠れてる時に遭遇したらどうするのかって事だよ。どうしてもしたいなら付き合うけど」
深夜の学校に男女が二人。共に別ベクトルでの孤独だが、正に二人きりの休み時間だった。机を挟んで見つめる彼女の顔は絵画でも見ているみたいに美しくて、俺は暫く見惚れていた。この小学校が私服制な事には感謝するべきかもしれない。小学生にしてはあまりに綺麗な足は、ある種の作品性すら感じられた。
「じゃあ鬼ごっことかどうだ?」
「さっきから随分とアクティブだね。一人かくれんぼをやっている最中とは思えないよ」
「いや、仕方ないだろ! だって人形何処にも居ないしッ。人形が居るんだったら真面目にやるつもりだぞ?」
「あ、人形」
「アアアアアアアアアアアアアアアア!」
きちんと視界に捉えた訳でもないのに、俺は大袈裟な叫び声をあげて、椅子から落下。それでも這いながら移動して素早く碧花の背中に隠れた。背中とは文字通りの場所ではなく、彼女が指を指した方向の真反対、という意味だ。正確に位置を述べると、側面である。
碧花越しにそちらを見遣るも、そこには閉じられた扉しか無かった。騙されたのだ。
俺はハッとして彼女を見上げると、碧花は笑いをこらえている様子だったが、俺の愕然とした表情を見て遂に抑えきれなくなった。
「フフ。フフフフフ。あはははははははは! まさかここまで簡単に引っかかってくれるとは……面白いよ」
「だ、騙したなッ」
「ごめんごめん。ただ、そんな面白い反応を返してくれるとは……フフフ。いやあ。今ので私は大分満足したよ」
「俺は満足出来てねえよッ」
女子にこうも笑われると、俺も恥を隠しきれない。どうにも出来なくなった俺は彼女に食って掛かるが、凄みが足りないせいで今いち怖がってくれない。むしろ『それで怒ってるの?』と言わんばかりの舐め腐った顔をされた。
「よく考えてみなよ。人形が居たとしたらどうして私が動揺してないのかな。全く、君はそれくらいも頭が回らないのか」
「お前なあ、分かってないんだよ! 一人かくれんぼはすっごく危険なんだぞ! 失敗したら……死ぬかもしれないんだッ。冷静に考えてられるかッ」
「急がば回れ、とも云う。焦るべき時こそ、一度立ち止まって考えてみるべきじゃないかな。案外その方が近道だったりするからね」
「言うは易し行うは難しだ。お前は危険な目に遭ってないからそんな事が言えるんだよッ」
「一応、遭おうとしてるんだけどね―――誰かさんのせいで」
言い返せなくなった。まるで推理系の小説や漫画で、開始三コマ目くらいで黒幕を指摘された気分だ。黒幕とは勿論俺の事であり、言っている事が事実なために言い返す事も出来ない。残念ながら連載終了だ。
「…………ごめん」
「何で謝るかな」
「いや。だってお前、怒ってるんだろ? その……これに巻き込まれてさ」
碧花は何度も目を瞬かせて、俺の言葉を何とか理解せんと努めていた。次の返答までにかかった時間は大体三十秒。同じ国で生まれている筈にも拘らず、言語の壁を感じさせるラグだった。
「怒っていないよ、別に。むしろ、今は久しぶりにドキドキしているんだ」
碧花は漆黒の瞳を輝かせて、滔々と語り出す。
「ここだけの話だけど……私は、学校の人間が嫌いなんだよ」
「―――え? そ、そうなのか? いい奴もたくさん居ると思うけど」
校内一の美人から漏れた予想外の言葉に、お人好しにも俺は他の人をフォローした。反射的なモノだったので、制御とかは出来そうもない。彼女は徐に席を立つと、急に俺を優しく抱きしめた。
「ここには私しか居ない。そんな心にもない事を言わなくてもいいんだよ?」
「な―――えっと。水鏡、さん?」
俺の全身が硬くなる。腕や肩や足ならばまだいい。硬くなった事が分かると色々と不味い部分まで硬くなってしまったし、生きる上で必然的に動いていなければならない心臓すら止まった気分だった。俺の為を想ってしてくれた行動だろうが、彼女の言葉の一割も、まともに受け取れていない自覚がある。とにかく体中が柔らかくて、温かくて。この感覚はきっと、俺以外の誰も味わった事が無いし、俺以外の男子の誰もが味わいたいと思っているものに違いない。
「良い人がたくさんいるなら、君は孤立していないだろう? 外面だけの性格の良さが、私は嫌いなんだ。人間なんてそんなものだろうと達観するのは簡単だけどね、これでも心地よく生きていたい。好き嫌いはハッキリさせなきゃいけないんだよ。偏見かもしれない思いは微妙にあったけれど、君の話を聞いてそうじゃないと確信した。やはり嫌いだ」
最後の言葉にだけは、はっきりとした憎悪が込められていた。あまり感情が表に出てこない碧花にしては本当にハッキリとした感情に、どう返してよいかを暫く悩む。
「…………………その、ごめん」
「またか。君がどうして謝る?」
「―――今、謝れるのって俺だけだし。代表というか、何というか」
「全く要らないよ、そんなの。それと私も言葉が足りなかったけど、君の事は嫌いじゃない」
「え?」
「こうしてハグしてるのがその証拠だ。嫌いな人間をハグ出来る程、私は自分に欺瞞を働けない。だから謝らないでくれ。君は私の嫌いな奴等の同類じゃない。代表も何も、グループが違う」
女の子の身体って、こんなに柔らかかったのか。
彼女の言葉にお礼を言うよりも、それに対しての感動が強すぎた。彼女は俺と他の男は違うなどと言っているが、それは違う。俺は他の男と同じ煩悩塗れだ。その証拠に、俺は今この状況で、小学生にしては発育の早い碧花を撫で回したいと思っている。遅かれ早かれ男子とはこうなる運命なのかもしれないが、俺も含めて男子達が碧花に惚れているのは、他の女子よりもかなり早く発育が進んでいるからである。
俺と男子達に最大の違いがあるとすれば、男子達には欲求に従う度胸があり、俺にはそれが無い事くらいである。後はもう、只の冴えない男子だ。
「…………狩也君?」
「え。あ、ああ。そ、そうか」
「うん。君の事は……反応面白いし、気に入ってるよ。あの時の君の顔と来たら……フフ」
「まだ面白いのかよッ。死ぬのは嫌だから仕方ないだろ!」
「…………度々思う事だけれど。そんな覚悟で良く一人かくれんぼを始めたよね」
「う、うるさい!」
碧花の身体が俺から離れる。アイドルオタクの気持ちが分かったような気がした。奴等はアイドルと触れた部分を絶対に洗わないとして頑なになるが、俺もまた、この感覚を忘れたくないが為に、風呂に入る事を拒絶するかもしれない。全身麻薬漬けと言ってしまうと明らかに危険すぎるが、それくらいの多幸感を感じていた。
「話が逸れたね。失礼した―――さて、何をして遊ぼうか」
碧花との距離が、少しだけ縮まった気がした。
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