帰るべき世界


 一瞬だけ視界が暗転したと思えば、今度は見覚えのある蕎麦屋に移動していた。雪の姿は既になく、代わりに俺の傍に居たのは萌だった。その萌が何故か信じられない様な目で俺の事を見ていたので、状況が掴めず、首を傾げた。

「え、え、え? あれ? 急に……先輩、何かしましたか?」

「どうしたんだ?」

「先輩の身体に刺さってた矢が……消えました」

「は?」

 言われて自分の身体を起こしてみたが、痛みが無い時点でおかしい。萌の言う通り、俺の身体から一切の矢が消えていた。矢だけじゃない。傷口も塞がっている。これは『俺』に刺された時と全く同じ現象が起きているではないか。

「…………雪」

 胸に手を当てる。理屈は知らないが、雪からの餞別なのだろう。気にしなくていい。俺がするべき事は、一つだけ。それはここからの脱出だ。


 ―――お兄ちゃんはもう、逃げない。


 それを証明する為にも、猶更こんな訳の分からない場所から脱出しよう。『俺』に身代わりにされていないから、きっと雪は俺を立ち直らせてくれたのだ。流石にあれだけ距離的に有利な『俺』がまだ脱出出来ていない事には疑問はあるものの、まあいいだろう。

「萌、行くぞ」

 俺は意識の目覚めない由利を抱え上げて、一先ずは駅へ。由利の体重は不自然な程軽く、とても人間を持っているとは思えなかった。外に出て一応警戒してみたが矢は飛んでこない。取り敢えず安心した。


「狩也君ッ!」


 俺と萌が駅に向かって真っすぐ歩いていると、真正面から己の服装も顧みずに(あれは中々走り辛い格好だし、そもそも片目が隠れている時点でバランス感覚が狂っているだろう)碧花が走ってきた。萌は即座に俺の後ろに隠れたが、眼中にないとばかりに、彼女は一瞥もしない。

「碧花か。心配かけて悪かったな」

「脱出する気に……なったんだね?」

「まあ、色々あってな。お前は王の許可を貰ったのか?」

「当然。さあ、早く脱出しよう! 駅はもうすぐそこだ!」

「なあ碧花。俺より先に、『俺』が来なかったか?」

「ん? あの偽物の事かい? 来たけど追い返したよ。あんなコスプレ以下の代物で騙そうとするなんて甚だお笑いだよ。君もそう思うだろ?」

 コスプレ以下?

 いいや、本人でさえ全く区別が付かなかったくらいの完璧な造形だった。見抜ける筈がないと思っていたのに、碧花は何を見てあれを偽物と思ったのだろうか。一人かくれんぼの際に俺と一緒に入ってきた奴だ。俺の事を何よりも知っている存在が生半可なへまをするとは思えない。

「……ど、どうやって見破ったんだ?」

「おいおい、本物がそんな事言わないでくれよ。まるで私が君以上に君を知ってるみたいじゃないか。実際そうかもしれないけど、話は後だ。私も微妙に影響が出てきた。これ以上喋ってると戻れなくなる」

 そうと決まれば話は早い。萌と由利を連れて行く事に碧花は何の意見もしなかったので、引き続き二人を連れて、俺達四人はまほろば駅目掛けて走り出した。





「狩~! 何処に行くのかなあああああああああああああああ!」





 それと同時に、背後から処刑刀を持った楼が迫ってきた。相変わらず時代が滅茶苦茶だが、あんな鉄の塊を持っておいて、その迫りくる速度は人間を遥かに超えている。最前を突っ走る碧花はともかく、俺達は追いつかれかねない。

「楼…………!」

「ようやく見つけたよおおおおおおおおおお! 君が何処に居るのかさっぱり分からなくて困ってたんだけど、ここで止めてやるよおおおおお!」

 更に加速した。誰か一人が足止めをすれば他は確実に逃げられるだろうが、俺自身も他の誰かも足止め役には抜擢したくない。楼との距離はおよそ五〇メートルにまで迫った。それも、まるで短距離走みたいな一本道での距離だ。こんなの追いつかれるに決まってる。

 目に見えてぐんぐんと近づいてくる楼。焦りを感じて俺も速度を上げるが、離す距離よりも明らかに詰められている。

「狩也君ッ!」

 いよいよもってどうするか考えようと思った矢先、碧花がわざと速度を落として、俺の傍にまで寄ってきた。

「ソイツを貸して! 何も無ければ流石に走れるだろ?」

「お前はどうするんだ?」

「ご心配なく。これでも人を効率よく運ぶ術は心得てる。君ら二人はさっさと走れ!」

「それはいいけど……こんな状況じゃ渡せない―――おうッ?」

 判断を渋る俺を尻目に、碧花は半ば強引に由利を強奪。そして先程と変わらない速度で、最前までまた戻っていった。女性とは思えない筋力だ。まるで何度もそういう経験があるとでも言わんばかりに慣れている。やはり問い質したい所だが、それは電車についた後でも良いだろう。

「………………!」

 声を出すと疲れるので、心の中で雄叫びを上げながら全速力まで加速。同様に萌も、フィールドワークで鍛えた足を存分に活かし、俺以上の速度まで加速した。途中で背後を振り向いたが、詰められる距離よりも明らかに離せている。これなら絶対に追いつかれない。

「狩ううううううううううううううううううううう! 君だけはああああああああああ、絶対にいいいいいいいいいいいがさないいいいいいいいいいい!」

 斧に引き続き、何と楼は走りながら処刑刀を投擲してきた。手元を離れた剣は素早く、俺の背中目掛けて突き進んでくる。避ければ済む話かもしれないが、

「狩也君ッ! 何故か分からないが電車が閉まる! 早く!」

 そういう訳で、避ける訳にはいかない。一度最高速から落ちてしまえば再び戻るには時間が掛かる。そして戻る頃には、電車は出発しているだろう。


 振り返らないで。


 そう言われて、俺は振り返るのをやめた。届かない事を信じて走り続けた。駆け込み乗車がどうとか言ってられない。息も絶え絶えに俺は走り続け、扉が閉まるアナウンスが始まる寸前―――

「だあああああああッ!」

 受け身の事など一切考えずに電車へ飛び込んだ。幸いにも碧花が俺を受け止めてくれたが、一回りも大きい俺の身体を無事に受け止めるには無理があった。俺も碧花も地面に叩きつけられ、電車の床をゴロゴロと回転。或いはそれが受け身の一種だったのだろうか、あまり身体は痛くなかった。

「…………碧花」

「…………何?」




「―――ただいま」

「―――うん。おかえり」





「扉が閉まります。ご注意ください」

 無機質な音声と共に扉が音を立てて閉まる。俺の背中目掛けて投げられた剣は、いつまで経っても電車にぶつからず、それどころか電車は、何とそのままゆっくりと動き始めた。

「…………これ。正しい方向に動いてるんだよな?」

 立ち上がって今更気付いたが、まほろば駅は終点では無かった。電車が動き出した方向の反対にも線路は伸びているのである。これではどちらが正しい方向なのかが分からない。

「……まほろば駅を介するこの電車は、時間を移動してると言われてる」

「え?」

 間もなく碧花も立ち上がり、彼女は俺の身体周りの埃を払いながら喋り出した。

「あの世界、時代が滅茶苦茶だろ? それもその筈、過去と未来……つまり現在に至るまでの技術が反映されてるんだ。だから統一性が無い。何もかもが半端に存在する。電子機器が無いのは―――単に王の趣味か、それとも電波とかは用意出来ないか、どちらかかな」

「じゃあもしこの電車が反対方向に進んだら、過去に行けるのか?」

「行けるとは思うけど、身体が耐えられるのかどうかとか、そもそも正確な調整は出来るのか、過去と言ってもどこまで戻れるのかとか。分からない事は山程あるし、何より分からないのは戻れるかどうかだ。片道切符だったりしたら笑えないよ?」

「…………ま、それもそうか」

 名残惜しくは無いが、俺は感慨深そうにまほろば世界を見渡した。邂逅の森は二度とは会えない人と会える場所らしいが、まさかここに繋がっているとは思いもしなかった。

 視線を遠くの方へやると、何か二つの物体がこちらまで駆け寄ってくるのが見えた。同時に、手ぶらになった楼が、穏やかな表情で俺に向かって手を振っていた。

「楼…………」

 俺も手を振り返す。これが永遠の別れになる事を承知の上で、また会おうと別れを告げる。或いは俺に脱出されて諦めて笑っているだけかもしれないが、それでも送り出してくれるのだ。それに応えない訳にはいかない。

「そういえば狩也君。君、一体どうやって人間に戻ったの? それとも人間に戻ってないの?」

「人間…………ああ、まあ何だ。命を貰ったんだよ。最愛の家族から、ここを脱出する事を条件にな」

 俺は雪の事を忘れない。この先何があっても、あの優しい顔を忘れない。俺だけの為に命まで譲ってくれた、俺だけの『家族』。





 ―――そろそろ、ケリをつける頃かもしれない。





 『首狩り族』を受け入れた時点で覚悟していた事だが、やはり少しだけ。怖い。俺はこの先何を目にするのだと考えると、震えが止まらない。

 でも、雪がくれたチャンスを無駄にはしない。









 全ての因縁を終わらせる時だ。そしてそれは、俺が『水鏡碧花』を信じる為にも、絶対にやらなければいけない事だ。


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