遥か遠き男子の夢と幻想と妄想

 女子トイレに入る事と、女風呂に入る事は、大体の男子の夢であるが、この学校には……碧花を知っている男子にしてみれば、碧花に対して好き放題出来るというのも、夢である。ここで男子高校生筆頭の俺が、大体男子が想像する事を幾つか挙げて見せよう。

 その一、膝枕。これはもう説明不要だ。あの太腿を枕に出来たら一体どれだけの安眠が約束されるか。それはもう、安眠というより永眠だ、思い残す事が無いと成仏する幽霊も居るだろう。碧花は巨乳なので、膝に頭を乗せた視点……胸の下側からその膨らみ具合を堪能するのも良い。ここから発展させる男子も居るには居るが、これ以上過激な事を考えると俺の精神が羞恥で保たないので、この辺りにしておく。

 その二、同衾。言葉の意味が分からないなら簡単に言っておくが、要は一緒のベッドで寝るという事である。碧花を狙っている男子の多くは、彼女の胸に顔を埋めながら眠りたいと一度は必ず思っている筈だ。というか俺が思っている。でも多分、それをしたら俺は彼女の胸から離れられなくなってしまう。

 うわ、気持ち悪。

 その三―――を言おうとして、気づいた。男子が想像する事、良く考えてみたら片手で収まるか分からない。『その~』などと言って如何にもベスト5くらいで収まりそうな雰囲気を醸していたのに、この後挙げる予定だったものを入れるだけでベスト5では収まらなくなる。変態の部類まで行くと足を舐め回したいだとか足蹴にされたいだとか指をしゃぶりたいとかだし、一般的な発想でも胸を揉むとかキスとか、それらを一括した性行為自体をするとか……ああ駄目だ。考えるだけで精神が霞んでくる。これが漫画だったら鼻血を噴き出している所だ。

「私は君に嘘は吐かないよ。特に今回はね」

「ま、ま、マジ?」

「マジ」

 スライムみたいに融けてしまいたくなるような炎天下。照り付ける太陽に負けじと騒ぐ周囲とは裏腹に、俺の身体は凍り付いてしまった。碧花の発言があまりにも唐突且つ、文字通り願ったり叶ったりの発言で、これが現実なのか否かを自問自答しているのだ。

 碧花の手が俺の肩に置かれる。全身にゾクゾクと蠱惑的な悪寒が走り、俺は身を縮こまらせた。

「何でも……いいよ。君のしたい事、私にさせたい事。何でも…………」

「あ、碧花さん?」

 俺が同年代に敬語などとは柄じゃないが、そうなってしまっても致し方ない。碧花の身体がしなだれかかってきて、その柔らかくも量感のある胸が二の腕の辺りで歪む事で、彼女の体温が俺に伝わる。感じた事の無い気持ち良さに、俺は学校を楽園ではないかと錯覚しそうになった。しかし変に腕を動かすと、俺は二の腕付近で彼女の胸を弄る事になる。やはり硬直していると、遂に彼女の息が耳元に掛かった。



「だから―――君のかっこいい所、私に見せてくれよ」



 俺の中で何かが壊れたような気がした。俺は碧花の方を向いて、ぎこちない笑顔で言った。

「じゃ、じゃあ。俺の組が一位になったら……」

「なったら?」

「お、お、お。俺と―――!」

 そこまで言いかけた時、碧花の人差し指が俺の口を塞いで、『シー』の形を取る。口を塞がれて俺が呆然としていると、彼女はウィンクしてから、会場の方を向いた。

「そこから先は、一位になってから聞こう。もうすぐ君の出る競技じゃなかったかい?」

「…………そ、そうだったな! じゃあ早速頑張ってくるから、お、応援よろしく」

「お望みなら、チアガールにでもなろうか?」

「ひょ?」

「冗談だよ。ほら、行ってきなよ。私なりに応援しておくからさ」

「おっしゃああああ! 締まっていくぞお前らあああああああ!」

 明らかなキャラ崩壊も気にせず、俺はクラスメイトの波に突っ込んでいった。温度差の違い過ぎる俺に、クラスメイトの女子達は若干引いていた。それもその筈、俺は尤も下劣な感情、情欲に突き動かされたのだから、当然だ。

 普段は諦めていたのだが、彼女からそう言われた以上は―――よろしい。ならば解放しようではないか。我が神の右手を。こんなチャンスが来るなんて思ってもみなかった。やはりこの時程愉しい時間はない。


 体育祭最高!







 足取り軽くクラスに戻ってしまった彼に、私は微妙な寂寥感と共に、一抹の期待を抱いていた。彼は決して出来ない訳じゃない。今まで彼の事をずっと見てきた私だから分かる。特に彼が参加する競技は彼が得意とするものばかりなので、あそこまでやる気になったのならまず一位になってくれるだろう。

「……フフッ♪」

 私も遠くで傍観するのをやめ、自分のクラスに戻る事にする。私は知っている。私だけが知っている。彼のかっこいい所を、彼の男らしさを。百年の恋もやがては冷めるとは言うけれども、冷めたのなら温め直せばいい話。彼は一体、どんな姿を見せてくれるんだろう。

―――そんな心配しなくても、私は君以外を見はしないよ。

 だって私達は、『トモダチ』だものね。 

















 碧花が見てる。それだけで俺の走る理由になる。動悸が収まらない。知った事じゃない。俺はかっこいい所を見せるのだ。

「おい、首狩り族」

「ん―――?」

 声を掛けられて振り返った瞬間、鋼の拳が俺の頬を殴りつけた。流石に端の壁まで吹き飛ぶ程べらぼうな威力では無かったが、喧嘩慣れしていない俺には十分すぎる一撃だ。少しよろめいて、倒れる。

 見上げると、オールバックに髪を整えた男が、筋骨隆々の二の腕を剥き出しに、俺を見下ろしていた。

「何でお前、参加してんだよ……」

 碧花と交流しすぎてクラスメイトの名前を忘れつつあったが、思い出した。こいつは切賀壮一サイガソウイチ。碧花と仲良しという点で俺を異常に嫌っており、俺が首狩り族という事をダシにして、何度も俺と碧花を疎遠にしようとしていた男だ……と、碧花から聞いている。彼女は『何だって不運如きの要素で私が君の隣から居なくならなきゃいけないのか、理解出来ないね』と鼻で笑っていた。

「てめえが参加するだけで、うちの組が負けんだよ! 参加すんじゃねえよ!」

 耳を突き破らんとする威圧的な声。仲良くもないクラスメイト達は俺と壮一のやり取りを見て見ぬふりで流していた。恐らく、俺が委縮して言いなりになるとでも思ったのだろう。確かに、かつてはそうだった。

 だが―――ああ。それなりに時間が経ったが、あの時味わった恐怖に比べれば―――


―――七不思議に比べたら、壮一の威圧など、苦ではない。


「お前に、指図される謂れは無い!」

 負けじと立ち上がり、俺は奴の眼前まで顔を近づける。再び殴られたが、今度はちゃんと用意が出来ている。倒れる様な間抜けは無い。もしかしたら、碧花が見ているかもしれないのだから。

「俺が参加したいから参加しているんだ! それに、正当な理由なく休むなんて学校が許すわけないだろ。そこの所考えろ馬鹿!」

「何だとてめえ! 偉い口叩けるようになったじゃねえかこの泣き虫がよお! 小学校の頃、ピーピー泣いてた頃とは違うなあ? ああん?」

「古臭い話をまた引き出してきたな。もう埃塗れだぞ。そういうのを、ネタが無いって言うんだよな」

「てめえ!」

 喧嘩は嫌いなので、俺は奴の拳を甘んじて受ける事にした。これで俺が重傷でも負えば奴も社会的に只では済まない。道連れのつもりで、俺は目を閉じて、その時を待った―――






 あれ?

 いつまでたっても殴られない。恐る恐る目を開けると、壮一の拳が捻られ、彼はその場にひれ伏していた。

「久しぶりだな、狩也君。元気にしていた様で何よりだ」

 この親し気な口調と狐のお面。辛うじて見える双眸に見覚えは無いが、俺には直ぐにこの男が誰なのか心当たりがついた。

「……クオン部長」

「ああ。さて、どうやら殴られているみたいだが、大丈夫かな?」

「俺は大丈夫なんですけど……クオン部長は、何でここに居るんですか?」

 どんなに間違っても、俺と部長が同じクラスの人間というミラクルは無い。流石にこんな異常な奴が居たら覚えている。

「俺はスタート係だ。部活対抗、なんてものに縁は無いから、先生より仕事を頂戴したんだ。で、歩いている途中にこの騒ぎを見かけたから来ただけ」

 心底不愉快そうに、クオンは壮一の蹴りを上から踏んで受け止めた。

「所で、君は開会式に参加していなかったのかな? 全員で楽しく、暴力沙汰なんて絶対に起こさない様にしようと、三年生が代表として宣誓をした筈だが」

 彼から出た言葉に、俺は尽きる事のない苛立ちがあるのを感じ取った。 

   

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