欺瞞

 後ろに雪も楼も居ない。神乃みたいな怪物も居ない。あの二人が歩いていようが走っていようが、全力で向かっている俺達には地理的に追いつく筈がない。もしこれで先回りされていたら、あの二人は尋常な手段で俺達を追跡していない事になる。

 不意に足を止めて、俺は萌の手を離した。

「……先輩?」

「萌。魚屋の横にある扉が見えるな」

「は、はい」

「俺はあっちに行く。お前はそこの家に隠れて、一〇分数えたら人形屋敷の方に行け。それで居たら由利と合流して来い」

「え? でもそれじゃあ先輩が御影先輩と合流……」

「俺と一緒に居たらお前まで合流出来ないぞ。逃げといて今更だが、二人が追ってるのは俺だけだ。お前は巻き込まれただけ。俺と離れれば二人にも追う理由は無くなるだろ」

 これも語弊がある。追う理由は最初からない。二人は最初から最後まで俺を狙っているだけで、萌はその隣に居るから狙われている様に見えるだけだ。人形屋敷通せんぼの時も、俺が逃げた時点で萌は普通に入れたのではないだろうか。そう思うと、最早隠れる必要性すら疑わしい。

 しかし怪物は普通に狙ってくるだろうし、万が一という事もある。萌に隠れろと命じたのはその為だ。

「……そういえばお前、大丈夫か?」

「はい? 何がですか?」

「いや、まほろばってあんま長居しちゃいけないんだぞ。その内ここから帰りたくなくなる」

 俺は何故かその影響を受けていないが、萌までその例外が適用されるとは考えにくい。待機させる際には絶対に考えなければならないリスクだが、萌は自信を持って頭を振った。

「大丈夫です!部長が私を守ってくれます!」

 狐面を改めて被ると、いよいよ不審人物だ。その部長の仮面、祭りなんかで売ってる安物だと思っていたのだが……いや、よそう。

 曰く付きであれ何であれ俺には判別出来ない。極論、俺の思う通り安物でも、萌が魔除けになると思っているならそれでいいだろう。思い込みの力は強い。プラシーボ効果だったり、病は気からだったり、意外と信じる力というのは馬鹿に出来なかったりする。

 効果が全く無かったとしても、どうせ、無理、などと諦観から入るよりは気持ちも楽になる。俺は口を噤み、「そうか」と誤魔化した。

「そう言えば、なんやかんや聞き忘れちゃったけど、結局その面は部長に貰ったって事でいいんだな?」

「あ、はい。そうですよッ」

 ここで尋ねるなんて事はしない。今は時間を惜しまなければならない瞬間だ。まほろばの脱出に関わらない話は極力するべきではない。

「…………そうか。じゃあ部長に精々守ってもらって、そんで無事でいてくれ。じゃあな。死ぬなよ」

 半ば強引に俺は萌から離れて、魚屋横の扉に足を踏み入れる。秘密基地までの道のりみたいな道だが、続く先には墓地しかないのを俺は知っている。墓地へ行くにはここを通るしかなく、屋根から強引にジャンプでもしない限り、他の道からここにはアクセス出来ない。

 最初にも述べた通り、これで先回りされていたら、二人はまともに俺を追跡していない。そんな奴を相手に普通に逃げていてもまず逃げられないので、一先ず萌を逃がした。これから先、俺がオカルト部の二人と脱出をするつもりなら、楼と雪との問題は遅かれ早かれ解決しなければならない。解決出来ないと、結果的には俺の存在が二人の脱出も妨害する事になってしまう。


 ―――説得は、無理だろうなあ。


 斧と鉈を持って足を切る。それは紛れもない強硬手段であり、実行者である二人もそれは理解しているだろう。果たしてその行動は、俺に居なくなって欲しくないという心の表れでもあり、俺からすれば絶対に留まりたくないという決意の表れでもある。

 どうすれば二人の追跡から逃れられるだろう。

 記憶を消す…………俺の事を嫌いになってもらう…………透明人間になる…………駄目だ。どれもこれも現実的じゃない。

 二個目は一見現実的にも見えるが、俺は嫌われる為とはいえ大好きな二人に悪口なんて言えないし、突き放した態度も取れない。嫌われる事こそ多々あれど、自ら嫌われに行くなんてやった事もないのだ。俺には出来ないし、やりたくない。

 そうこうしている内に地下への階段を降りる。ここまで背後からの足音は聞こえない。だが判断を下すのはまだ早い。先回りしているとすれば墓地で待っているだろう。墓守の二人も協力者にしている可能性もある。いずれにしても俺のすべき事は萌と由利を合流させる為に離れるだけだ。

 僅か数メートルの地下を超え、地上までの階段を三段飛ばしで駆け上がると、棒倒しの棒が視界に映った。

 同時に、楼の姿も視界に入った。

「やあ狩。待ってたよ」

 …………まともな手段では追跡していない、か。

 薄々そんな感じはしていたが、こういう考えばかり的中してしまうのは良くない。出来れば普通に、後ろから追いかけて欲しかった。

「楼。どうやって先回りした」

「近道があるんだよ。そんな事よりも、狩。行き止まりだ。大人しく足を切られたらどうかな?」

「そんな訳にはいかないだ―――」

 不意に背中を押されて驚く。ギョッとして振り返ると、雪だ。いつの間に後ろから迫ってきていたのか、俺が気付いた時にはほぼ密着状態だった。手には鉈も持っているので、普通に切りかかられたら絶対に躱せなかっただろう。

 というかそもそも、足音が無かった。後ろは地下で、遥かに足音が聞こえやすい環境だったのにも拘らず。

「…………挟み撃ちか」

「まさか本当に墓地へ行くなんて思わなかったけど、もしかして君の方にも何か狙いがあるのかな? そういえばさっき隣に居た女の子が居ないけど……」

「ご明察だ。俺のせいでアイツまでお前等に妨害されたらたまったもんじゃない。だから分かれたんだよ」

 前門の斧後門の鉈。最初からそんなつもりはなかったが、強引な突破は望み薄だ。和解の兆しなんて欠片も見えないのだが、見切り発車でも説得をするしか無さそうである。

「なあ楼。どうしても俺を行かせてくれないのか?」

「止めないとは一言も言ってないって最初に言ってあげた筈だよ。逃げたいなら逃げれば良い。逃げられればだけどね」

「『家族』を快く送り出すって気は無いんだな?」

「無いよ。僕には分かる。まほろばから帰還した人間は二度とこちらに戻っては来ない。狩もそうなんだろ? もう戻る気なんて更々無い。余程大事な用がない限りは。違う?」

 その通りだ。こんな『素晴らしい場所』には二度と足を踏み入れるつもりはない。罪の意識に苛まれながら生きていける自信なんてない。俺のせいで死んだ奴等の顔を見ながら生活するなんて、それは何かの拷問か? それとも新手の虐めか?

「…………楼」

「何?」

「一つ聞いて良いか?」

「うん」



「お前、本当に俺の足を切る気があるのか?」



 楼が驚いて、『王』の瞳を収縮させた。

「どうしてそう思うの?」

「俺って見るからに隙だらけだろ。こんな風に先回りインチキ出来るなら幾らでも俺の足を切るチャンスはあっただろ。なのにお前は、全然積極的じゃない」

 背後の雪と距離を取ってから、そちらも向いた。

「お前も、今背中から俺を狙えただろ。何でしないんだ?」

 飽くまで雪は答えない。まるで最初に出会った時みたいに。俺と喋るのは楼ばかり、雪はそこに居るだけだ。喋っても、それは一方的で、会話は成立しない。

「―――成程。中々君も鋭いね。でも嘘は吐いてないよ。隙あらば足を切る気だ。しかし出来る事なら君の足を切りたくないのも事実だ。もし積極的に見えないなら、それこそ僕の言葉が真実だという証明だ」

「でも切るんだろ?」

「意思と目的はまた別だよ。切りたくはないが、切るしかない。その葛藤が、或は僕を受動的にさせてるのかも」

 斧を握る手に力が籠もる。彼も好きで俺に切りかかっている訳ではないらしい……いや、らしいというか、楼の性格をよく知る俺がそんな言い方をしてしまうのは失礼だ。二人は拒絶されてばかりだった俺の全てを肯定してくれるとても良い人だ。好きで切りかかる様な狂人じゃない事は、俺が一番よく分かってる。

 雪も、やはり俺に向けて攻撃は仕掛けてこない。今は楼と話しているから、無防備も甚だしいくらいだというのに。

「狩。一つ提案があるんだけど」

「断る」

「まだ何も言ってないのに」

「まほろばに在留する事になる選択肢は全て断る。お前達の事は好きだけど、ここは嫌いだ」

「その理由は罪を思い出すから、だろう? なら僕の提案とは違わない。本当は最初から提案するべきだったんだろうけどさ―――」

 楼は斧をその場に置いて、両手を大きく広げた。

「狩。記憶を僕に譲る気はない?」


 

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