裏切り者には『』を

 突然そんな事を聞かれて、驚かない男子は恐らく居ないだろう。彼女が可愛いとか可愛くない以前に、聞かれるなんて思ってもいないし。『口裂け女』を例に出してしまうと喩えが悪いが、あれもあれで脈絡なく『私、綺麗?』と聞いてくるだろう。あれはその後に口の裂けた顔を見るから怖いのだが、まずよく知りもしない人物に話しかけられた時点で、多くの人々は恐怖するだろう。或いはそれこそが日本人の性質か。今はそんな事どうでもいい。


「…………ん。んん?」


 碧花との通話はまだ切れていないので、突然放たれた発言は彼女も聞いている。ビデオ通話だから彼女がこっちを覗き込んでいたらその表情を見られたかもしれないが、当の俺が動揺しすぎて、その発想に至ったのは発言した後だった。


「す、好きってぇ?」


 この如何にも女性に手慣れていない感じは、俺の様な人間でない限り正確に理解する事は出来まい。今までそんな事を聞かれた事なんて一度もないのだ。女性に対する免疫が備わっている筈もなく、よって、相手が奈々だったとしてもこうなる事は自明の理だった。美人であれブスであれ、俺は困惑するのである。


「だからー、私の事好きかって話ぃー。どう? 好き? 嫌い?」


「いや、それは、その……えーと。急にどうしたんだ?」


「別にぃ気にしないでくれてもいいよー。気軽に答えてー?」


「気軽にってお前な……女性の好き嫌いを俺が気軽に答えられる訳無いだろ! そんな気軽に答えられる人間だったら、俺はこんな肝試しに参加してねえ!」


 俺はとても面倒な人間だった。SNS等の文面上で想いを伝える事を嫌いながら、面と向かって想いを伝える事は恥ずかしいから出来ないのだ。というか、そんなジゴロ染みた軽い人間だったら俺は碧花にどれだけアプローチしているか。まあ彼女ならばにべもなく断ってくるのだろうが。


「いいからー。私はくびっちの事大好きだよ? くびっちはー?」


「お、俺か? まあ嫌いじゃ……ないけど」


「けど?」


「―――あんまりお前の事知らないしなあ。正直、交流が無い奴には好きも嫌いも判定のしようがない。俺が言えるのはこれだけだ」


 好きの反対は嫌いだが、見方を変えれば無関心とも言える。好きや嫌いという感情は、そもそも関心があるから発生する感情なのであって、それを前提に考えてみると、関心がある事の反対は関心がない事。即ち無関心。


 良く知りもしない人物を嫌いになれる程、俺は器用な人間ではない。女性に免疫がない事を差し引いても、やはり俺にはこれぐらいしか言いようがなかった。


 奈々は口を尖らせて、不満そうに眼を細めた。


「…………つまんないなー、くびっちは」


 彼女がいつもの調子に戻った事を感じ取った俺は、己の調子を取り戻す為にも、自虐的に言った。


「うるせッ。年齢=彼女居ない歴の俺を舐めるな! 自慢じゃないが、キスなんて地面以外とした事がない!」


「え、本当に自慢じゃないんだけど……」


「おーい! 乗ってくれよ、俺の自虐にッ。そうやってマジに返されると心に刺さるじゃん! 悪いかよ童貞が! 学校は勉強する所だぞっ!」


「それって逆切れぇ?」


「一々腹立つううううううう!」


 奈々は何も悪くない。彼女が居ない事を嘆いていただけだから逆切れなのは事実だし、俺は俺で自虐について深く考えすぎるあまり、自分が童貞である事もバラしてしまった。多分俺だけだが、物凄く気まずい。


 蘭子の方を見遣ると、大声を出し過ぎて疲れたのか眠っていた。狸寝入りの可能性もあるから安心できないが、少なくとも今までの流れにピクリとも反応しなかった所を見ると、本当に眠ったのかもしれない。


 暇になったので、俺は携帯を持ち上げた。


「もしもし、生きてるか?」


「ん、勿論。今の声から痴話喧嘩までしっかりと聞き届けたよ」


「い、今のは違えよ! そっちは何かあったのか?」


 ビデオ通話なので画面をのぞき込む事もしてみるが、微妙に何かが見える気がしなくもないというのが本音である。地面らしき物が見えている様な……それくらい、微妙な映像だった。しかし一瞬だけ綱が見えた気がするので、恐らく戻ってきているのだろう。


「ああ、携帯を見つけたよ」


「携帯? 誰のだ?」


「さあ。捨てたからもう分からないよ」


 あまりにもサラリと言うものだから、俺も反応が明らかに遅れてしまった。彼女のそれは、まるで不法投棄常習犯の如き滑らかな言い訳だった。


「―――捨てちゃった!? え、何で捨てたんだ?」


「誰の携帯でもないみたいだったからね。とすれば過去にここで行方不明になった人か、それとも単なる不法投棄か。悪いけど、私は目に付いたゴミを一々持ち帰る善性は無くてね。何か文句でも?」


「あるよ、あるある! ていうかお前、誰の物でもないって……いつ全員の携帯を見たんだ? 俺や奈々はともかく、着いたのはついさっき……って程でもないか。とにかく、お前が捨てた奴が、もしかしたら消えてる奴等のかもしれないだろ! ヘンゼルとグレーテルみたいなもんだ!」 


「―――そうだね。えーと、何処から言ったモノかな。取り敢えず、一つ言って良いかい?」


「何だ?」


「聞いてなかった」


「あれだけ喋ったのにッ?」


「冗談だよ。えーと、ヘンゼルとグレーテルは近親相姦をしたか否かという話だっけ?」


「聞いてねえじゃん!」


 俺は今まで壁と会話していたらしい。あれだけ口数多く喋ったのに、最後の一文しか届いていなかった事実は少しばかりショックだ。その衝撃が大きすぎたらしく、俺も俺が言った言葉を思い出せなくなっていた。昨日の晩御飯を思い出せる俺が、数秒前の発言を忘れるなんてあってはならない。もしそれがあり得るのならば、俺は若年性健忘症か単なる馬鹿か。


 多分後者。


「それも冗談だよ。君の言葉は一言一句私に届いてる。それにしても君は中々着眼点が良いね。確かに、私は全員の携帯がどんな特徴を持っているかを知らない。けれど私が見つけた携帯が全員の物でない事は分かるのさ。私の発言を思い出す余裕は?」


「え…………何か言ったか?」


「状況によっては、鈍感な人だとも思われる発言をどうもありがとう。じゃあ答えを言うけど、私は最初から携帯をゴミと言った筈だ」


「それって比喩みたいなもんじゃないのか?」


「そう思ってるのは君だけだ。私は一言もそんな事を言っていない。これは正真正銘のゴミだよ。電源は付かないし、外装はボロボロ。考えても見たまえ。外装は扱いが悪いだけとしても、現役高校生が電池切れ寸前の携帯を持ってこんな所に来るかい? 安全面で考えてもあり得ないと思うけど」


「あ、そっか」


 一瞬、彼女が黒幕の……言い方が悪かった。蘭子と同じで、仕掛け人側という可能性を考えたのだが、物の見事に俺は論破されてしまった。破壊される程立派な論理を立てていた訳ではないけども、俺自身はかなり鋭い突っ込みをしたと思っていたので、こうも完璧に言い返されると何も言えない。完璧なカウンターを決めたつもりが、只のテレフォンパンチだった情けなさを覚える。


「そういえば、宥める事には成功したみたいだね」


「え、ああうん。今は眠ってるよ……狸寝入りかもしれないけどな」


 聞こえる可能性があったので、最後の言葉は耳打ちでもするみたいに細やかに。しかし碧花からは何の反応も帰って来ず、俺は急に彼女の事が心配になった。


「おい、碧花? 碧花ッ!」


「どうしたのー?」


「碧花から急に反応が無くなったんだよ! 奈々、ちょっと外に様子を見に行ってくれないか? 多分アイツ、戻ろうとしてた筈だから近くに痕跡は残ってると思うんだよッ」


「……それ、マジ?」


「マジじゃなかったらこんな事は言わねえ! 行ってくれないか?」


 勘違いしないで欲しいが、俺は探すのを丸投げしたつもりはない。俺が考えていたのは、ここで俺が行ったとして、果たして奈々一人で蘭子をどうにか出来るのかという話だ。本当に眠っているのだとしたら問題は無いが、狸寝入りだった場合はどうする。せっかく合流出来たのにメンバーを逸れさせるだけだ。俺は常に安定択を取り続ける。出来れば来た時のメンバーがそっくりそのまま、何事もなく帰れる事を目的として。 


 彼女が欲しいとか欲しくないとか。今はそれを問題にしている場合ではないのだ。とにかく、合流して、逸れないようにしなければ。


 それを考えると、俺の発言は合理性があると思う。先程のビデオから想定するに碧花はこちらに戻ろうとしていたし、奈々はわざわざ離れなくても一度遠目で探す事が出来る。この暗闇でどれだけ夜目が利くかは個人差があるだろうが、それにしてもこれが最善だと思う。


 俺は一度碧花との通話を切り、奈々に電話をした。目の前に居る彼女は直ぐに応答して、首を傾げる。


「これでお前と逸れる事も無い筈だ。ビデオ通話にしておくから、お前もビデオの許可と、後周りの光景をビデオで教えてくれ。そうすりゃお前が消える事もないだろう」


「……分かった! じゃあ行ってくるから。くびっち」


「ん?」


「次に帰ってくる時までに、さっきの答えを考えといてねー?」


「さっきの答えって………………ああ、あれの事か。分かったよ、ちゃんと考えとく。今度はつまらないなんて口が裂けても言えなくしてやるよ」


「ふふ、そっかー! じゃあ行ってくるからッ」


「おう」


 奈々は立ち上がって、そのまま旅館の外へと飛び出していった。スマホを通してみれば、それは即ち彼女の視界。ちゃんと手持ち特有のブレもあるので、奈々はまだ健在している。


「聞こえてるー?」


「ああ、聞こえてるよ。蘭子も……まだ目覚めてない」


 後ろから殴られてもたまったものではないので、俺は蘭子に全面を向ける形で座り、スマホの画面を見ている。瞬間、ビデオ画面の半分が通知によって覆い隠され、通知によってビデオの再生が一瞬だけ停止した。



『譁ュ怜縺代→縺ッ縲枚蟄励さ繝シ繝峨・驕輔>縺豁」縺励¥譁ュ励′陦ィ遉コ縺輔l縺ェ縺・樟雎。縺ョ→縺ァ縺ゅk縲』



 またこの連絡先か。怖いので無視。通知を押し上げようと指を置くと、背後から肩を叩かれた。


 振り返ると、そこには澄まし顔で立つ碧花の姿があった。


「あ、碧花ぁ?」


「何だい、幽霊でも見てるみたいな顔をして。君の望み通り、ちゃんと帰って来たじゃないか。それとも、私が偽物だとでも?」


「だ、だって……え。え? な、奈々は?」


「奈々? …………一緒じゃないのかい」


 俺は直ぐに向き直って、ビデオを覗き込む。ビデオ通話はリアルタイムの筈なのに、通知によって一瞬だけ止まってから、それきり動かなくなっていた。画面は景色が歪みまくっていて、何処でこうなったのかは判然としない。


「な、奈々と遭遇…………しなかったのか?」


「するも何も、私は普通に帰ってきただけだからね。何も知らないというか……もしかして、逸れた?」


「―――心霊現象、かな」


「どうだろうね」


 十数秒前まで話していた筈の人間が消えた事実は、俺の背中に無数の冷や汗を掻かせた。こうならない為にビデオ通話をしたのに、あの通知が入ってから―――







「そうだ! なあ碧花、一つ聞いて欲しいんだけど―――」


 実害が目の前で発生したとなれば話は別だ。俺は碧花に携帯を渡して、縋る様に頼み込んだ。



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