真実は直ぐ横に

「わ、分からないわよ! 急に意識が無くなっちゃって、気が付いたら小屋に居て! 逆に教えてよ、何がどうなってるのッ?」


「お、俺に言われても…………俺も、分からないし」


 聞いたのは俺なので、蘭子を錯乱させたのも即ち俺なのだが、ここまで取り乱しているとは思わなかった。いや、この状況が慌てるに値する状況だというのは、俺も良く分かっているつもりなのだが…………ああ。心で認めるのも腹が立つが、俺は安心しているのだ。


 隣に碧花が居る事に。隣に奈々が居る事に。


 特に碧花は端々の様子で動揺が見えているが、それでも冷静なのに変わりはなく、俺の心が揺さぶられるのを抑えてくれる、重りの様な存在になってくれていた。だから俺はたった今目覚めたばかりの蘭子に対して、中々冷静な対応が出来ているのだと思う。


 冷静な対応と、的確な対応は全く別の物だが。




 …………ん?




「なあ蘭子。お前今、何て言った?」


「はあっ? な、何って。急に意識が無くなって、気が付いたら小屋に―――」


「そこだ!」


 俺は間違い探しの問題に解答するみたいに、蘭子に指を向けた。直後に人へ指を向けるのはどうなのかと思い直し、直ぐに折る。


「お前、一回目覚めたのか?」


「え? め、目覚めてないけど」


 それは知っている。俺は蘭子が目覚めるまでの三十分間を過ごしたし、彼女が意識を失っていたか否かについては俺自身が何よりも事実と証明している。だがそれは、少なくとも俺達が蘭子を見つけて今に至るまでの間は気を失っていた、という事実に過ぎない。一度目覚めたかどうかは、俺達には分かる筈もないのだ。


「じゃあお前、どうして小屋に居たって知ってるんだ?」


「え? あ―――」


 蘭子は今までの泣きそうな表情から一変、やってしまったと言わんばかりに表情を歪ませて、それから露骨すぎるくらいに視線を逸らした。それはもう露骨に、心理学なんて欠片も嗜んでいない筈の俺ですら、暫時は達人にでもなったのかと勘違いしたほどであった。


「ち、ちが。その…………!」


「ランラン……何か知ってるのぉ?」


「違う! 私は何も知らない! とにかくあそこに居たの! 理由なんて知らない!」


「お、おい……」


「知らない! 知らない! 知らない!」


 それからどんな言葉を掛けても、蘭子は『知らない!』と繰り返すばかりで、これ以上の進展は望めなかった。俺と奈々が手をこまねいていると、碧花が立ち上がって、座敷の外へ向かって歩いた。


「何処に行くんだ?」


 すかさず声を掛けたのは、彼女に消えられると困るからだ。一人っきりで行動すると大体そいつは消える。ホラー映画などでは定番とも言われるが、実際に消えられるとなると洒落にならない。碧花はこちらに振り返ると、「心配ないよ」と携帯を見せつけた。


「少しその辺を見て回るだけさ。錯乱状態の人間程相手にして面倒なものはないからね。静まったと思う頃に戻ってくるよ。君はその子を宥めないと駄目だから付いてきちゃ駄目だよ。奈々一人じゃ、錯乱状態の人間を抑えるなんて出来っこないんだから」


「でも…………あ、そうだ。ビデオ通話だ。それをしよう! お前が場所さえ教えてくれたら、お前が居なくなってもその周辺を探せるぞ!」


「……別にいいけど。心霊的に消えてしまえば、私達の良く知る様な物理法則はまるっきり通用しないよ」


「いや、お前は幽霊に隠される様な奴じゃないし」


「どういう意味?」


「馬鹿にしてるんじゃないぞ! お前はその……お守り持ってるだろ? だから大丈夫だよ! 物理的に消えない限りッ」


 それは俺の願望でもあり、彼女に対する精一杯の男らしさを見せたつもりだった。何もかも碧花に劣る俺が見せられる、唯一のカッコイイ所とでも言おうか。こんな場所でそんな事をしている場合かという話だが、こんな場所だからこそ、少しでもカッコイイ所を見せて碧花に安心してもらいたかった。


 アイツだって、女の子だ。普段はともかく、今くらいは俺が頼られる存在にならないと。


 碧花は驚いた様にその綺麗な瞳を見開いて、それから哀れみの混じったジト目になって。


「あのお守りはお揃いと言っただろう? 恋愛成就のお守りで、どうやって幽霊から守られると思うんだい?」


「お守りだから、別に恋愛成就でも幽霊から守ってくれるだろ!」


「君の言っている事は縁結びの神様に縁切りを頼むくらい馬鹿らしいね。けど、そうだな。君と出会えなくなるのも困るから、いいよ。勝手に掛けてきて。私が無事なら直ぐに出るから」


 言われるまでもなく、その場で俺は掛けた。目の前に碧花は居るので、電話は直ぐに繋がった。


「はい。もしもし?」


「無事か?」


「いつから君は全盲に? それこそ幽霊の仕業だから、早々に祓ってもらうといいよ。それじゃあ、私は行くから」


「ああ。危険だと思ったらすぐに帰ってこいよ!」


「危険だと思った瞬間は大抵手遅れなものさ。けど、そうするよ」


 背後で何度も『知らない!』と叫んで暴れる蘭子に振り返って、俺は碧花から目を離した。心霊現象まで考えるのなら突然電池が切れるなどの事態も想定しておくべきだったかもしれない。けれど、彼女の言う事も一理あったから、俺がここを離れる訳にはいかない。


 せっかく蘭子を助けられたのに、俺があそこで碧花と二人で外出すれば、錯乱した彼女が奈々を押し退けて闇雲に走り出す可能性が無きにしも非ずなのだ。それこそ心霊にとっては格好の餌。ランタンはこの座敷にあるが、錯乱状態の彼女が持っていくとは思えない。それに忘れがちだがここは山の中だ。


 整備されている道を行けば問題は無いが、俺達が進んだ安全なルートですら、少し横にずれるだけで高い崖というか、でっぱりと言うか。明るければまず落ちないが、足元が悪ければあそこに突っ込んで、最悪死ぬだろう。錯乱していると仮定すれば、勢いだってついている筈だ。


 碧花は『漫画のキャラだったら無傷かもね』と言ったが、俺達はそこまで頑丈じゃない。女性の方が体重は軽いと言っても、受け身の心得がある人間でも無ければ死ぬ。つまり死ぬ。そう考えて良い。


 心霊的にも現実的にも、錯乱状態の人を自由にするのは危険だった。


「蘭子。俺が悪かったから! 落ち着けって! な?」


「知らない! 知らない! 知らない! 知らない!」


「ランラン、落ち着いてッ! 私達は何もしないからー!」


「落ち着け! 幽霊なんて居ない。俺達は居るから! 落ち着け!」


 可能な限り声音を優しくして、俺達はとにかく蘭子を落ち着かせる。携帯を肩と耳で挟みながらというのは中々やりづらいが、やるしかなかった。碧花も、今の所は無事のようだった。小さいが足音が聞こえる。


「碧花。今何処に居るんだ?」


「ん。私達がここに来るまでに使った道をね。もしかしたら誰かは、もう帰ってるかもしれない」


「え? でもランタンはここにあるぞ?」


「携帯のライトをどうして忘れるかな。あれを使って足元を照らせば普通に帰れるだろう。だから足跡を見てるんだけど……」


「無い、か?」


 何か作業をしているらしい。碧花の吐息が、少しだけ強く聞こえた。


「―――うん。無いね。やはり最初に私が思った通り、この怪現象は仕掛けなんじゃないかな?」


「仕掛けって……心霊現象って可能性だってあるだろ。お前だってここは危険だって言ったし」


「まあそうだね。けれど心霊現象という予期せぬ現象なら、一人くらい取り乱して他の人なんか気にせず帰ろうとしても不思議じゃない。それが無いという事は、やっぱりドッキリ的な可能性もあるという事だ。君だってそう思ってるんだろう?」


 何故か碧花に見透かされた。その通りで、俺も心霊現象じゃない可能性を疑っている。切っ掛けは、やはり蘭子の発言だ。もしもドッキリ的な催しだった場合、彼女は仕掛け人側で、うっかりそれを仕掛けられる側である自分達に漏らしてしまったのかもしれない。だから錯乱して時間を稼ごうとしている。蘭子の反応はそうとも考えられるのだ。


「一応聞くけど、お前は違うんだよな」


「私が仕掛け人側なら、こんな半端な事はしないよ。仕掛けられる側が孤独を味わう様にじわじわと追い詰めて―――」


「あーそれ以上聞きたくねえからいいや。とにかく無事なんだな」


「うん」


 俺は再び蘭子の方へ意識を向けた。錯乱はまだ治っていない。演技だとするのならば大したものだ。演技じゃないのなら……精神状態は中々に不味い。


―――そう言えば、二階を探索してなかったな。


 まあ、今探しに行くのは限りない阿呆だ。それだったら碧花に付いていった方が良いに決まっている。それを選択しなかった以上、少なからず彼女が戻るまで、俺は奈々と一緒に蘭子をなだめるしかないのだった。


「くびっち~。一つ聞きたいんだけどー」


「ん?」










「私の事、好き?」

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