口は終焉の元


 起きてからというもの、俺に安息の時間は無い。バタバタと準備をして、朝食を摂って、トイレに行ったり行かなかったりして、気が付けば旅館を後にしていた。全く不思議な話だが、学校を休んでいるのに、まるで学校に遅刻しそうな時の流れになっている事には後で気付いた。言うまでも無いだろうが、今から学校へ行こうと思っても絶対に遅刻する。何なら旅館を出た時点で遅刻している。

 だから旅を止めるつもりはない。だからなどと正当化してみたが、元々止めるつもりなんか無かったのは内緒だ。旅が楽しくて仕方がない。一人旅だったとしたら、それはそれで気楽だったろうが、ここまで楽しいのは偏に彼女のお陰である。

「天気晴朗なれども波高しってか! なあ碧花」

「ここ、海じゃないから分からないでしょ。それにしても馬鹿にテンションが高いね、君は」

「俺は朝が一番元気が出るタイプなんだ!」

「昔に何回かモーニングコールを掛けた事あったけど、そんなにテンション高くなかったよね」

 昔に比べると嘘が上手くなったつもりだったのに、碧花はいとも容易く見破ってくる。しかし彼女も言った様に、俺のテンションは微妙におかしい。まるでわざと怪しまれようとしている風にも見えるかもしれない。それは半分当たっているし、半分間違っている。これを説明しようと思うと非常に難しいのだが―――そう。正に俺は、彼女の異様に鋭い洞察力を気にしていた。

 どれだけ嘘を本当の様に言っても、碧花は確実にこちらの嘘を見抜いてくる。「君の嘘が分かりやすいだけ」なんて言ってごまかしているが、あれは間違いなく特殊能力だ。それを欺く為には、通常の嘘では―――ああ。そもそもどうして見抜かせたくないのか。それを言っていなかった。失礼。


 プロポーズされた事を見抜かれたくないのだ。


 勿論、夢の中とは違って現実でその事は喋っていない。まさか眠っている間に旅館から抜け出してあの神社まで走ったなんて、夢にも思っていないだろう。そこまでは完璧だが、問題はそこからだ。

 俺自身が気を付けているつもりでも、必ず碧花は隠し事を見抜いてくる。何を隠しているかは流石に見抜けないだろうが、隠している事実さえ見抜かれたら俺の負けだ。

 長い付き合いの俺だからこそ言える事だが、洞察力の高さに伴い、碧花は推理力も高い。何気ない動作、会話の中に含まれた単語等、推理力に恵まれない俺では何を材料に推理しているのかは見当も付かないが、きっとプロポーズを受けた事を見抜いてくる。そしてどれだけ上塗りした所で必ず見抜かれる。

 だからこそ、俺は敢えてテンションを高く保ち、そちらに意識を向けさせる方法に出た。ミスディレクションと言うには微妙に違う気もするが、とにかくテンションを高く保ち、そちらの方面で怪しまれたかった。

「いやほら……高校からテンションが上がったんだよ!」

「屋上で彼女欲しいとか喚いてた人間が言う言葉じゃないよそれは。やれやれ……まあしかし、気分の方は落ち着いてきたみたいだね」

「丸一日休みに使えたらそりゃあな…………」

 ディレクション成功。有耶無耶に出来たので、俺自身も着地点が分からないテンションはやめる事にする。陰キャが無理やり陽キャのふりをしても辛いだけだ。人はこれを空元気と呼ぶし、空元気は肉体にも精神にも多大な負担を掛ける。無理をするのは良くない。

 『 』を失った直後の自暴自棄からは直っているが、それはそれ。時間経過によって傷が古傷になったに過ぎない。それは決して完治したとは言わないし、悪化する可能性まで考慮すると、むしろ最悪の方向に進んだとも言える。これを直ったとは言わない。


 ―――『 』は、今の俺を見たらどう思うかな。


 まあ、どうでもいいか。死人についてあれこれと考えるのは俺の悪い癖だ。被害者が二〇人を超えた辺りから自覚しているが、これが中々直せるものじゃない。ここまで生きてきて直らないのだから、これはもう性分だ。俺という人間の個性だ。

 有難くも何ともない個性には、いつも苦労させられる。これのせいで俺の精神的負担が過剰になっているのだから。

「…………でも、やっぱりまだ全然戻りたくならねえよ。今は只、もっと遠くに行きたい気分だ」

「そう。じゃあ今度もまた電車を使おうか。本当に遠くへ行くだけなら、終点まで意地でも降りなきゃいいだけだしね」

「あ、そうか。何も歩きで行く必要なんか無いのか」

「君がお望みなら、徒歩でも構わないけれど」

 それは……旅している感じを味わえるかもしれないが、嫌だ。単純に疲れる。疲れる行為には明確な目的が無いとやっていけないのが俺という人間だ。女性特有の長時間の買い物が基本的に苦手なのは、そういう理由が主にある。

 敢えて自虐するならば、俺はショッピングを楽しめない悲しい人間なのである。基本的に、と前置きした通り、例外はあるのだが。

「ここから一番近い駅って何処だ?」

「いや、私に聞かれても。歩いてればその内何処かの駅に辿り着くでしょ。駅には出会わずとも、線路には確実に出会える筈だ。後はそれを辿れば、自然と到着するよ」

「何か、行き当たりばったりって感じだな」

「この旅って、そういうルールだろ……お互いに土地勘とか無いんだし、未開拓地を探検する気分で楽しんでいこうじゃないか。昨日の神社といい、あの店といい、まだまだ面白いモノに会える気がするからね―――」

 神社、という単語が聞こえた瞬間、俺の心臓は確実に一度停止した。バレたかと思い、心の中では土下座の準備を始めていたくらいだ。結果的に杞憂だったので助かったが、もし本当にバレていたらと思うと―――ああ。怖くて想像出来ない。

「―――狩也君?」

「…………ん。んんッ? な、何だ?」

「いや、さっきから君らしくもなく考え込む姿が目立ってるからさ、どうしたのかと思って」

 俺は目を細めて彼女と視線を交わす。その双眸に悪意は感じられないが、悪意の無い発言だとするなら、猶更傷つく。

「―――考え込んでたかどうかはさておき、お前さりげなく俺を馬鹿にしてないか?」

 俺だって考え込む時くらいある。それをまるで、一度も物事を考えた事がない脳筋みたいに……実を言えば少しだけ、碧花と両想いなのではないかと考えていたが、案の定、それは勘違いだった様だ。両想いなんて、そんな夢みたいな展開は誰もが想像し、現実の前に敗れている。俺だけがそれを打ち破れる道理なんて何処にもない。

「馬鹿にはしてないよ。傷つけてしまったなら謝るけれど、君が人の死以外を背負い込むなんて珍しいと思っただけなんだ」

「……え? ああ、そういう意味か。てっきり俺は脳筋だって言われてるのかと……」

「脳筋ッ? 君をそんな風に評する様になったら終わりだよ! だって君、脳みそが筋肉で出来てるって言われる程、筋肉無いじゃないかッ」

「はああああああッ? お前やっぱ馬鹿にしてんじゃねえか! 何か良い事言ってくれるのかなと期待した俺が馬鹿みたいじゃないか!」

「君がそうやって自覚するって事は、実際馬鹿なんじゃ―――」

「ない! 俺は天才だよ! あの天才学者のIQも軽々と上回る頭の良さだかんなッ」

 最早完全に勢いだけの発言に、突然碧花が口を固く結んだ。そして憐憫を含めた視線を俺に向けた。

「な、何だよ」

「…………私、思うんだよね。IQが高いとか低いとか、そういう話を持ち出す奴が、一番頭が悪く見えるんじゃないかなって」

「うるせ!」

 言わんとしている事は分からなくもないが、今回ばかりは共感したくない。共感するという事は、俺自身を間接的に馬鹿と認める様なものである。それだけはしたくなかった。男としての最低限のプライドを守る為に。

「あーもう分かった。じゃあ俺が頭が良いって所を見せてやるよ。それも一番苦手な、恋愛関係でな!」


 碧花の表情が露骨に変わった。


 如何にもおふざけ中と言わんばかりの雰囲気が突然引き締まった事で、俺は怯んだ。

 え、何この空気?

 朝で、しかも天気だって良いのに、身体が底冷えしている。風邪でも引いてしまったのだろうか。

「―――ま、まあそんな真面目になるなよ。もっと肩の力抜いて聞けってば」

「いや、もしも君が本当に頭が良いのだったら、是非とも参考にさせてもらいたいと思ってね」

「え…………まさかお前、好きな人居んの?」

 彼女は何も言わないが、その顔には黙秘権を行使すると書かれている。彼女の口の堅さは俺の中では有名で、たとえこの場でレイプしたって、好きな人の名前を割る事は無いだろうと予感している。それぐらい口が堅い。

 擽られるだけであらゆる情報を吐く俺とは大違いだ。

「ま、まあ待てよ。俺の頭の良さってのは、リアルタイムで発揮されるものなんだってば」

「リアルタイム、と言うと?」

「まあナンパだな! ツーショットの時もやったし、そのお蔭で俺は勝てたし! まあつまりですよ、この俺様は、イッタリアーノ人もびっくりのナンパ師って訳ですよ!」

「語尾とかキャラとかブレまくってるけど」

「それは気にしないでいただいて…………ま、まあともかく、実践してみないとお前も信用出来ないだろ! な? テレビショッピングだって実演しない事には説得力がない。だからその……歩いている内に実践する。それで俺が純然たる恋愛マスターだと分かったら…………あ~」

 IQ云々もその場のノリで言った発言なのに、気が付けば俺は天才ナンパ師としての実力を発揮する事になっていた。何を言っているのか分からないと思うが、俺も何を言っているのか分からない。そもそも天才ナンパ師なら年齢=彼女いない歴になる筈がないし、碧花も冗談だって分かってる筈だ。


 何で続けるッ!


 俺は只、駄弁りたかっただけなのに…………どうしてこんな、童貞にはきつ過ぎる行為を強いられているのか。今からIQ云々の発言を撤回すれば、許してくれるだろうか。いやあしかし、雰囲気がどう考えても引き返せる感じではない。

「恋愛マスターだと分かったら?」


 ―――仕方ない。腹をくくろう。


 九割冗談のつもりだったが、一度は言葉として出したのは事実。もしかしたら漫画の主人公みたいに突然俺が覚醒するかもしれないし、やる価値は―――

 やる価値は………………。



「付き合ってくれ!」



 大いにある。

 何処からともなく沸いてきた交際要求に碧花は呆気に取られていたが、暫くの後、「いいよ」と返って来たので、早速ナンパを開始する。

 話しながら歩いていた事もあり、目前には十字路。俺達の前を横切る女性二人組が居たので、早速俺は声を掛けた。別に失敗しても、それはそれで構わない。取り敢えず口を吐いて出てしまった出鱈目の始末はつけないといけないのだと、このナンパはそれだけの事なのだから。

「あ、済みません。お二人さん、もしよろしかったら、この後僕と―――」



「ん? アンタは」

「―――あ。貴方はッ」








 


 俺達の目の前を丁度横切ったのは、何処かで見た事がある二人組の女性だった。

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