首刃葬

 ………誰だっけ。



 見覚えがあるのは間違いないが、それだけだ。デジャヴュでは無いと思うが……本当に誰だろう。あちらさんは何故か見当がついているので、尋ねるのも選択肢の内ではある。


「…………もしかして、以前何処かでお会いしましたか……?」


 こういう時は悩んでいても答えなんて出ないので、素直に尋ねるのが一番良い。小動物みたいにおどおどしている女性が何か言おうとしたが、すかさずそれを遮ったのは隣に立つ気の強そう……を通り越して野蛮そうな女性。


 やはり見覚えがあるのは間違いないのだがどうしても思い出せない。誰だったっけ。野蛮そうな女性の方の髪型。威圧感。どれをとっても何となく覚えがある。だが何も思い出せない。まるで箱の中身を当てるゲームで先端ばかり触っている気分だ。中心を捉えられないせいで、いつまで経っても記憶がぼんやりしている。


「……はあ。アンタ、そう言えば会えたらまた会うって言ってたね。私と美原に用があるって言ってたけど、結局何なの? 急ぎの用事じゃないって言ってたけど、こうやって偶然を装って近づいてくるなんて、もしかしてストーカー?」


「……ん? 待って待って。え? 俺なんかしました? え、え、え―――うッ!」


 体格では勝っている筈の女子に胸倉を掴まれると共に、俺は僅かに宙に浮いた。この感覚も懐かしさを覚える。もしかしてこの胸倉掴みも、初めての事じゃない?


 不良…………


 口論…………


 ツーショット………………




「ああああああ! お前神乃か! そっちの子は美原だったよなッ!」




 そうだ思い出した。あれは確か、ツーショット写真を撮っていた時の事だ。奈々達に会う為に病院へ向かっている最中、二人が同級生と思わしき三人に絡まれている所を遭遇した……筈。


 そこで俺が詐欺師の手口を軽く利用する事で二人を助け、ツーショット写真を貰おうと画策していたら……胸倉を掴まれたのである。たった今、同じ様に俺を持ち上げている見た目だけは可愛らしい少女―――神乃によって。


「そうやって今思い出した風を装ったって、私には分かる。アンタ、尾けてきたでしょ?」


「え―――誰を?」


「美原を。とぼけなくたって分かってる。ここまで逃げる際にも三人くらい捕まえたから。アンタもそうなんでしょ?」


「は? 待て待て。そっち何か大変な事起こってるけど違うって! 本当に俺は偶然、たまたま通りがかっただけ―――」


「出鱈目言ってんじゃねえよ!」


 殴られる。


 俺は反射的に目を瞑り、何とか痛みを耐えんとお腹に力を入れたが、どうした事だろう。いつまで待っても痛みがやってこない。


 おそるおそる目を開けると、鼻先寸前で、拳が止まっていた。





「それ以上拳を進めたら、タダじゃおかない」





 拳が視界全体に広がっていて周囲の状況が把握出来ない。取り敢えずは助かった……のか? 碧花の発言から間もなく胸倉からも手が離れ、宙に浮いていた足はようやく地面に着いた。二、三歩下がって全体を見渡すと、どうやら碧花が拳を止めてくれた様だ。


「何だよ、お前」


「いやあびっくりしたよ。このご時世に容赦なく人をぶん殴ろうとする女性が居たとはね。警察に捕まりたいのかな? 彼が本当にストーカーなら、まだ話は分かったけどね。一先ずは人の話を聞くべきだと、同じ女性として忠告させてもらうよ。彼は偶然通りがかっただけだと言っているじゃないか」


「そんなの嘘に決まってるだろ。ってかお前誰だよ」


「彼の『トモダチ』。彼が偶然通りがかっただけって言うのは私が証明するよ。それでも足りないならあそこの旅館に聞いてみてくれ。私達は昨日あそこに泊まった。で? 言いたい事は?」


「…………手を離せよ」


「口より先に手を出さないと約束するなら、離してあげるよ」


「―――分かったよ」


 約束通り、碧花の手が離れる。神乃は握られていた場所と碧花の手を何度か見直してから、ようやく手を引っ込めた。正直、一触即発の雰囲気だった事は否めない。下手に手を出すと爆発しかねなかったから、俺も美原も事の行く先を見守るしか無かった。


 ……しかし、あんな碧花は久しぶりに見た気がする。


「それで、何の用なの?」


「……あ、ああいや、用って言うか…………用は―――無いんだけど」


 『天才ナンパ師のナンパ術を見せるべく声を掛けたのがたまたまお前達だった』なんて、バカげた阿呆らしい説明をして誰が納得するのか。しかし本当にそれが理由なので、偽造のしようがない。そもそも九蘭高校だってあそこの地域にある筈だから、本来なら出会う事はないのである。


 その事に気付いた俺は、論点のすり替えを行うべく、美原に尋ねた(神乃は怖いので話したくない)。


「それよりもお前達は……いや、君達は、何でこんな所に居るんだ? 学校はもう始まってるだろ?」


「え、えっと…………私、逃げてきたんですッ。神乃はそれを手伝ってくれて―――それで、夜出発して、頑張ってここまで来たんですけど……」


 微妙に要領を得ない説明に、俺は首を傾げそうになった。今の単語を正しく並び替えるとすると、何らかの理由があって逃げる事になり、神乃を協力者に逃走作戦を夜に決行。無事に成功し、ここまで逃げてきた、という感じか。


 逃げるという点では奇しくも俺に似ているが、何だかあちらの方がよっぽど大変そうだ。俺のは一種の慰安旅行。二人のは逃避行。全然違う。


「―――えっと。はあ。成程。因みに、何から逃げてここまで?」


「ちょっと。アンタには関係ないでしょ」


 確かに関係ない。俺と碧花は馬鹿話をして歩いていただけだ。



 しかし。そんな状況下で二人と再会したのも、また事実。



 袖振り合うも他生の縁とも言うし、手助け出来る事ならしてやりたいのだ。同じ『逃げ友』として。


「…………私、お父さんとお母さんと喧嘩しちゃって……家に居ても怒られて、外に居ても夜遊びするなって怒られて。もう嫌になったんです。だからこうして……逃げました」


「あー……成程。でもそれって神乃が連れ去った事にされるんじゃないか? ほら、一緒に居る訳だし」


「ちゃんと一週間くらい友達と家出しますってメールを打ったので、大丈夫だと思います……」


 そういう問題じゃない気がする。ていうか家出するのに『家出します』ってメールを打つ奴がいるのか。それは『探さないでください』とはまた違う気がするのだが、そう感じるのは果たして俺だけか。


 神妙な面持ちで相槌を入れる俺とは対称的に、碧花は物憂げな表情を浮かべて、腕を組んでいた。


「でも、そこまで君を縛り付ける家なら、捜索願とかそういうのは抜きにしても、血眼で君を探しそうなものだけど」


「だから、アンタもそういう追っ手の類なのかなって私は思った訳。……殴ろうとしたのは、悪かったわ」


「ああ、それは元から気にしてないからいいんだけど。追っ手って……何か裏組織に追われてるみたいで大袈裟だなッ! もしかして君の家って、結構豪邸だったりするのか?」


「豪邸……ではないですけど。えっと―――」


 喋るスピードが遅すぎて、終いには寝てしまいそうだ。美原が喋るのにもたついていると、俺よりも早く我慢の限界が来た神乃が、声を荒げながらぶちまけた。


「あーもうじれったい! 美原の家はね、色々面倒な家なのッ。普通の家とは訳が違うのッ! 分かる?」


「いやまあ、九蘭高校って結構金に余裕がある家庭が行く所だし、想像はつくけどな。因みに苗字って聞いてもいいか? ああ、別に神乃が言ってくれても良いんだけど」


「―――いいけど。普通に生活してる分には有名じゃないよ。それでもいいの?」


「元々世間には疎いから心配ご無用ッ。さあ言ってみろ」


 どんとこい、とでも言わんばかりに胸を構えた事を、俺は後悔する事になる。或いはこの出会いこそが、最悪の結末の―――第一歩なのだから。










「水鏡。水鏡美原。それがこの子の名前」

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