夕闇を歩く俺は

 突然だが、俺の最も怖いものが何か分かるだろうか。


 テスト? 違う。


 天奈? 違う。


 死ぬ事? これも違う。


 では、碧花を怒らせる事? 二度と彼女を怒らせるような事はしたくないし、正解という事にしても良いのだが、今回はどうか違うという事にさせていただきたい。一応理由を点けるとするなら、碧花関連は、碧花が俺の傍に居る前提でのみ発生する事象だからだ……ヒントのつもりである。


 分かっただろうか。では正解を言おう。



 それは、大切な者を失う事である。



 月並みだって? 陳腐だって? 別に構いはしない。陳腐と言う事は、それの怖さを多くの人間に理解してもらえるという事なのだから。これが例えば『豆腐が木綿で喰えなくなる事が一番怖い』だった場合、果たして誰が共感してくれるというのかという話である。


 考えてもみて欲しい。俺の隣から、ある日突然碧花が消えたら。萌が消えたら。由利が消えたら。天奈が消えたら。何のお別れも、脈絡もなく、忽然と消えてしまったら。


 三人は俺の彼女でも従姉妹でも親戚でもない。友達だ。天奈は妹だ。彼女が居なかったとしても、人間社会に生きる以上、俺も含めて皆には大切な人が居る。彼女/彼氏が居ないなら俺みたいに友達でも、友達が居ないなら兄弟か親でも。とにかくその人の事を考えて欲しい。その人が突然消えたら……どうする?


 人は失って初めてその存在の尊さに気付くとは良く言われるが、正しくその通り。大切な者を失う事ほど、恐ろしいものはない。言い換えれば、人は孤独には勝てない。そいつが人である限り。


 俺だって一人ぼっちは嫌だったから一人かくれんぼを行い、その結果俺は碧花と友達になれた。萌と友達になれたのは、俺が『首狩り族』と呼ばれていたから。由利と友達になれたのも、間接的には同じ理由である。


 今、俺の周りには大切な人がたくさん居る。関わるだけでその人の首を落としてしまう『首狩り族』といえど、周りに首を落としたくない人が居る。多数いるのなら一人くらい、と思うだろう。違う。俺にとって友達とは、有象無象の集団とは訳が違う。たとえ一人でも、欠けて欲しくない。


 萌は石化していた。僅かにも瞳を動かさず、差し出された手に対して硬直の手段を取った。取らざるを得なかった。それしか取れなかった。その理由は俺にも察しがつく。前置きに俺の話をしたのは、この為でもある。


 彼女にとって最も怖い者。それが目の前の男なのだ。


―――萌。


 本来、これは家庭の事情と言い、他人が関与しない方が賢明である。だが、今まで底抜けに明るかった萌がここまでどん底の表情をするなんて、余程の事が無い限りあり得ない。という事は、目の前の出来事は『余程の事』なのである。


 俺は萌の視界から男を遮る様に割って入ると、男の機嫌は瞬く間に悪くなった。


「これは家族の問題だ。君が誰だか知らないが、下がっていてくれないか?」


「下がりませんよ。萌はこんなに怖がってる」


「萌……そんな馴れ馴れしい呼び方が他人に許される筈はない。君は萌の何なのだね」




「彼氏です」




 この状況下で嘘を吐くのなら一秒の躊躇いも許されない。目の前の男の嘘を見抜く力がどれ程であったにせよ、ここまで躊躇なしに言ってのけたのだ。これを疑うという方がおかしい。唯一真実を知る萌は、石化しているのでそれ処じゃない。


「彼氏……萌! 彼氏を作ったのか、この私を置いて!」


「…………」


「萌!」


「やめろ!」


 俺を通り越して強引に伸ばされんとした手を素早く弾く。指一本触れさせはしない。俺はサディスティックな人間ではないのだ。


「……私は萌の親だ。彼女を引き取る権利がある!」


「彼女が怖がってるなら、それから守るのが彼氏の役目です! 萌は貴方を怖がってる。たとえ親でも渡せない!」


 俺が大声を出して抗議しているのは、決して激情に駆られているからではない。こうして大声を出す事で、周囲の人に注目してもらう目的がある。不審者に対応する時と同じだ。違う点があるとすれば、相手方もそれに乗ってきたせいで、いよいよ収拾がつかないという事か(不審者相手ならば、不審者は目立ちたくないから大声で怯むが、今回はそれが無いのである)。


「……君の名前は、何かな?」


「名前ですか?」


「ああ。君の素性を調べさせてもらう。私は萌の親だ。彼氏が娘に相応しいかどうかを調査する権利がある」


「成程。では名前をお教えする代わりに、今日の所はこれでお引き取りいただけないでしょうか。他の人達にも迷惑ですし、警察沙汰になったら、お互いに損をする」


「―――分かった。今日の所は、そうするよ」


「首藤狩也です。先程も申し上げた通り萌の彼氏です。よろしくお願いします」


 深々とお辞儀をすると、目の前の足音が遠ざかっていく音が聞こえる。その音が聞こえなくなった頃に頭を上げると、萌の父親の姿は、何処かへと消えていた。俺達の大声によって集まっていた野次馬は、事態の収束を敏感に感じ取って半分以上散っていた。既に街にはいつもの風景が取り戻されつつある。


「萌」


 振り向いて彼女の表情を確かめると、固まっていた瞳が急に動き出したと思えば、途端に涙が溜まり、溢れ出してきた。


「…………せん、ぱい」


「大丈夫か?」


 大丈夫では無いから、萌は泣いているのだ。我ながら俺は自分の質問の愚かさを責めた。幸い、泣き喚いている訳ではないので、路地裏の方に移動すれば、彼女が泣いた事実は誰にも知られる事は無くなる。


 口は災いの元。今度は何も言わず、俺は彼女の身体を押して、人通りの少ない路地裏へと導いた。抵抗はない。為されるがままに彼女は押され続ける。クオン部長の真実と言い、今の出来事といい、今日は萌にとって厄日な様だ。今まで幸運だったツケとでもいうのだろうか。それにしてはあまりにも……心的負担が大きい気がするが。


「…………」


 『虚落とし』を経て、俺はクオン部長の真実を見事に看破した訳だが、こうなると分かっていたのなら、真実など知らない方が良かったのかもしれない。『彼』が今まで通りクオン部長だったのなら、ここで連絡して、萌を渡す事だって出来た筈だ。しかし今となっては後悔に過ぎない。電話を掛けた所で出てくれる筈はないし―――そう言えば、まだ解明できていない事があった。



 彼がどうして萌を過保護なまでに守っていたかだ。



 聞いていなかった。『彼』の正体が何であっても説明がつかない。萌は俺と同じで只の一般人の筈だ。『オミカドサマ』の依り代とか、そういうまさかの真実でもない限りは、きっとこれからも真相は明らかにならない。そういう確信が心の何処かにあった。理由は分からない。


「…………仕方ないか」


 俺はメッセージアプリを介して、由利に電話を掛ける事にした。 




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