彼女にとっての恐怖

 墓参りを済ませた後、俺と萌は手を繫いで帰っていた。行った時には拒絶したが、これは彼女を慰める為だ。事情を一切知らない彼女にしてみれば、突然色々な情報が舞い込んできて、それを完全に理解する前に、部長が消えてしまった……そうとしか見えないだろう。事情を説明する為にも、そしてアフターケアをする為にも、俺は男としてこの手をしっかりと握りしめ、己の存在を彼女に証明しなければならない。


「部長……いなくなってませんよね? 明日も明後日も居ないなんて……あり得ませんよね?」


「きっと居るさ。部長は幽霊なんかじゃない。それは、お前が一番よく分かってるだろ?」


 クオン部長は、萌にとっては保護者みたいなものだった。『彼』の正体がどうあれ、萌は『彼』に懐いていたのだ。彼女の本当の保護者がどれだけ酷いかは知っている。それに比べてクオン部長がどれだけ優しかったか知っている。特に萌には優しかった。まるで本当の親子みたいに……いや、彼が『ゆうくん』なら『萌子』に優しいのは当然の道理と言えるかもしれない。


 因みに、由利には何の連絡も入れていない。急に説明されたってあんなややこしい話を理解出来る訳が無いと思ったのだ。目の前で俺と彼の問答を見ていた萌が理解出来なかったのだから、きっとこの予測は正しい。


「先輩…………」


 萌は俺の方に身体を寄せて、既に繋がっている手に加えて、もう片方の手で袖を掴んだ。現在歩いている処は人通りが少ない代わりに、住宅地である。たまたま窓を開いて外を見る様な住人が居れば、きっと俺達の事をカップルだと思うだろう。


「何だ?」


「部長が居ても居なくなってても……先輩だけは、居なくならないでください……先輩まで居なくなったら、私―――」


 学校での一件以降、萌は俺に絶大な信頼を寄せてくれている。それは有難いのだが、言い換えれば彼女は俺に寄りかかっているのだ。今までクオン部長が抱き締めていてくれたと仮定するなら、突然それが無くなった場合、彼女は俺に寄りかかるしかなくなる。しかし、その俺までも消えてしまえば、後は倒れるだけだ。


 肝が据わっている事は知っているが、それでも人間だ。人間の死というものに不本意ながら多少慣れてしまった俺でも、目の前で碧花が死ねば発狂する。似た様なものである。


 萌の身体は震えていた。それは遠からず俺が居なくなる事を予感しているみたいで、恐ろしかった。彼女の手を通して、彼女が内に秘めた感情が伝わってくる。その小さくて柔らかい手が賢明に指を絡めてくるのは、どんな事があっても居なくなって欲しくないという意思の表れか。


 気が付けば、彼女を真正面から抱きしめていた。交際経験も無く、女性の口説き方も知らない俺には、抱きしめるしかやり方が無かった。


「大丈夫だ。俺は居なくならない。これでも、不可思議な事態から何度も生き延びてきたんだぞ」


「…………はい」


「信用ならないって感じの返事だな。分かった、ならこうしよう。今日はお前とずっと一緒に居る。部長と連絡が取れなかったら、泊まる場所無いんだろ?」


「……御影先輩の家が」


「あるのかよ!」


 物凄く恥ずかしかった。正直めちゃくちゃ格好つけたので、そうやって普通に解答されると、俺の努力は何だったのか分からなくなってくる。だが、考えてみれば自然の流れだ。部長の次に連絡が取りやすいのは御影。保険を掛けておくのは、俺が萌の立場だったとしてもしただろう。


 連絡は入れないつもりだったが、予定が変わった。アプリを介して御影に電話を掛けると、数コールの後に、繋がった。


「……もしもし」


「おう、由利。久しぶり。お前、萌を泊める約束してるらしいな」


「……部長と、連絡が取れなくなったの?」


「ま、そういうこった。でさ、突然なんだけどさ、俺も泊まって良いか?」




「へええッ!?」




 突然音が割れたせいで、反射的に携帯から手を離した。その音は萌にも聞こえたらしく、「御影先輩ですか?」と尋ねられた。大声が出る筈のない人物と思っていたので、不覚をとった事になる。再び携帯を耳に近づけると、直ぐに違和感を覚えた。


「く、く、来るの。首藤君。でも家、し、知らないでしょ」


 声が上擦っている。あの一瞬で何が起こった。電話の最中に足元を這っているムカデに気付いたとしても、ここまで声は上擦らないだろう。


「ん。萌に付いていけば勝手に到着するだろ。良いか? ちょっと話したい事があってさ。お前には共有しておきたい」


「…………訳アリなの」


「大いにな」


「―――分かった。掃除しておくから、いつでも来て」


「さんきゅ。やっぱり持つべきものは友達だな! じゃあまた―――!」


「あ、ちょっと」


 電話は切れた。明らかにタイミングを間違えたが、大した用事があるなら直ぐに掛けてくる筈だ。しかし五分経っても掛かって来ない。つまり、大した用事は無かったのだ。


「……先輩?」


「俺も由利も居れば、流石に不安は無いだろ」


 彼女の親に無断なのは気になっているが、親が親なので連絡を入れるだけ彼女を困らせる事になる。ここで俺が断りを入れようとすれば、間違いなく萌を性的な目で見ている彼女の父親が飛んでくるだろう。今まで何の為に部長が寝床を提供していたと思っているのだ。


 親の心、子知らずとは言うが、今優先するべきなのは間違いなく子の心の方だ。彼女の心の向いた方向を優先するなら、それが俺達の取るべき選択というものだ。幸い、萌の事を気にしているのは父親だけで、母親の方は完全に放棄しているし。大事にはなるまい。


 しかしこの状況、傍から見ればかなり危ない。事情を深く知る俺達からすれば萌を守っているだけだが、事情を知らない人にとって萌は不良に見えるだろう。


 家にも帰らず、怪しい奴等とつるんでばかり。正しく絵に描いたような不良娘だ。その癖半端なく可愛いから始末に負えない。俺達が本物の不良だったなら、何処か暗い場所にでも閉じ込めて集団で強姦しているだろう。


 不良のイメージが悪すぎる気もするが、それは多分この街の治安が悪いからだ。治安と言うよりも……男共か。ここ最近全く姿を見ない壮一もそうだが、小学校の時点で強姦の発想が生まれる様な奴がいる以上、イメージが悪くなるのは仕方がない。何なら、俺にこんなイメージを抱かせた元凶はアイツだ。


「……お泊りですか?」


「ああ。俺とお前と由利。三人でな」


「ほんとですかッ!?」


「会話聞いてただろう。何ならアイツに確認してみろ」


「いえ、大丈夫です! 先輩とお泊りなんて……夢みたいな話で、つい取り乱しちゃって!」


 さっきまで不安がっていたのは嘘だったのか。そう捉えられても仕方ないくらい萌の切り替えは早かった。すっかりご機嫌になり、俺の腕に嬉しそうに絡みついてくる。やはり子犬みたいだ。彼女のお尻付近に小さな尻尾を幻視する。


「フフフフフ~フフフ♪」


「何歌ってるんだ?」


「何も!」


「え?」


「私、音感が壊滅的なので唄歌えないんです。だから何も歌ってませんッ!」



 …………こういう所なんだろうな。



 機嫌にこそ左右されるとはいえ、クラスメイトの見る萌の姿というものは、大体いつもこんな感じなのだろう。発言や行動が全てトリッキーで、他人には理解しかねるというか……碧花と違って目に見えてモテないのは、きっとこれのせいに違いない。発言が変な奴は孤立する傾向にある。本人は欠片も気にしていなさそうだが、多くの場合それはデメリットに働く。ただし、チャラ男などの所謂『悪い男』からも敬遠されるので、そういう意味では一長一短だ。


 俺達の雰囲気が和やかになった瞬間、時間の流れが遅くなった。気のせいなのは分かっている、けれどもこの時間の長い程、俺は幸せだった。不思議だ。直前にあんな事があったにも拘らず、こんな気持ちになれるなんて。


「―――なあ萌」


「はい?」


「ちょっと言い辛いかもしれないけどさ……お前の父親は、お前を探したりしないのか?」


 萌の顔が少し強張る。けれど直ぐに緩んだ。


「はい。お母さん、かなりしつこいので、お母さんの相手でそれ処じゃないと思います」


「そうか…………」











「萌。探したよ!」 











 俺達が角を曲がった時、それを待ち構えていたかの様に、くたびれた男性が目の前に立ちはだかった。身長において俺を遥かに上回る大男は、萌の近くまで歩み寄ると、満面の笑みでしわくちゃの手を差し出した。


「さあ、帰ろう! 私達の愛の巣へ!」


 只の不審者なら通報する所だが、萌の反応から、俺は目の前の男性の正体を瞬く間に理解した。



 この男が、萌の父親。クオン部長が今まで萌から遠ざけてきた、外敵。





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