喰いて患え



 俺は死んだのか?


 死んでいた、という方が正しいだろう。碧花によって殺され、碧花によって生き返らされた俺は、厳密な意味で言えば元々生きていない。しかもそれは、小学校の頃から続いている話だ。それでいながら碧花のお陰で俺はその事実を知らずに『人間』として生きてきたので、今の俺は半分怪異の半分人間。よく分からない存在となっている。


 もしも俺が心まで怪異化してしまったら、それこそ『首狩り族』として語り継がれるのだろうか。都市伝説として、生きている人間から恐れられるのだろうか。



 …………いや。それはあり得ない。



 俺は碧花と一緒に居たい。彼女の傍にずっと一緒に居ると約束した。それを望む限りは、俺は『人間』のままでいなくちゃいけない。まだ告白もしてないのに、人生を止める訳にはいかない。


 どうせならもっと素直に言おう。


 俺は。


 首藤狩也は。



 水鏡碧花を泣かせる様な事は、絶対にしない―――!













「…………ん。んん……ん」


 意識が目覚めると、そこは知らない場所だった。自宅でも、廃工場でも、ハラキリダンチでも無い。何処かの部屋という事しか分からないし、強いて言えば―――壁や天井を覆い尽くす写真に心当たりがある。


 ―――もしかして、目覚めない方が良かったか?


 初見の者が見れば、おぞましさのあまり言葉を失ってしまうだろう。部屋中を包み込む写真、その被写体は全て死体なのだから。これだけでも気分を害するには十分だが、俺はその死体全てを覚えていた。というか、忘れる筈が無かった。



 それら被写体は、全て『首狩り族』の被害に遭った死体だから。



 碧花に慰められる形で、記憶の隅には追いやってきた。それでも忘れる事など出来ない。死んだ者、死に近しいレベルで怪我を負った者、いっそ死んだ方がマシなくらいの被害を被った者。全員……俺がかかわった人物なのだから。


 トラウマとは言い切らないまでも、それに近しい記憶を刺激された事で微睡んだ意識が直ぐに覚醒したが、これは果たして感謝するべきなのかどうか。


「…………ん? んんッ?」


 まずはこの部屋から脱出しようと体を起こそうとした所で、ようやく気付く。俺は両手足を拘束されていた。後ろ手に拘束されているので、これを解くのは容易ではない。足を強引に引っ張ると金属音がしたので、どうやら背後にはベッドがあり、恐らくはその足にでも繋がれているのだろうと……それくらいは分かった。


 もっとも、猿轡は噛まされているし、分かった所で何も出来ないのだが。


「んんん! んん~んんんんん……」


 早々に諦めた。誰かの助けを待つ方がよっぽど賢明だ。いつもなら碧花を当てにするのだが、今度ばかりは彼女でも分からないだろう。俺が何処かに連れ去られたなんて。


 先程から『何処か』と言っているが、実は俺にはこの場所の見当がついている。地理的な話ではない、概念的というか、概念的な話だ。




「あ。お兄ちゃん起きた?」




 扉が開くと同時に、首藤天奈が部屋に入ってきた。


「今、外してあげるね♪」


 扉が閉まり、天奈は俺の背後に座り込んだ。そして言葉通り、俺の口を封じていた猿轡を取ってくれた。


「…………ここ、お前の家だろ」


「あ、分かる? そう! 私が今までどれだけ『首狩り族』を崇拝していたか、お兄ちゃんに理解してほしくて!」


「ふざけんなよ。俺の妹を返せよ!」


「私はここに居るでしょ」


「お前が何人居たって『アイツ』の代わりにはならねえんだよ!」


 指切の呪いによるなり替わり。それは人格的な殺害に他ならず、いつにも増して俺は怒りを露にした。首藤天奈はそんな怒りを意にも介さず、話を続ける。


「……それ、誰の事。私は私だよ?」


 このまま怒りをぶつけまくるのも良いが、どうやら最後まで俺の妹としてのロールプレイをしたいらしい。情報を聞き出すには俺もそれに乗ってやらなきゃいけない。非常に不本意ではあるが。


「―――『アイツ』と何か話したんだろ? 『首狩り族』が嘘っぱちってまだ信じないつもりか?」


「……あーそれなんだけどね」


「なんだよ」


「お兄ちゃんの言う通り、確かに私は、お兄ちゃんが『首狩り族』じゃない事をいっぱい聞かされたわ。正直、最初は幻滅したけど……でも私、妹だから考え直したの!」


 ゴソゴソと何かを探る様な音が聞こえる。暫く俺が大人しく待ってやると、目の前に立てられたのは、一台のスマホだ。『アイツ』のではないので、彼女のか。尚も待機すると、画面の真ん中で読み込みが始まる。動画視聴アプリなどで良く見る光景だが、今回のはビデオだ。一体何を見せるつもりなのだろうか。





『やだ……やだ、やだやだやだ! 触らないで! 来ないで!』


『萌……あんな男とは直ぐに縁を切るんだ。そして私と本当の意味で親子に……いや、夫婦となろう!』


『貴方にはお母さんが居るじゃないですか!」


『あんな年増では駄目だ! 抱いた所で何の感慨も湧かない! さあ萌、お父さんの所へ来なさい。お前の初めてを、お父さんに捧げるんだ!』





 ビデオの中では俺と同様、何処かの個室に閉じ込められた萌が、肉体関係を迫る父親に必死に反抗している姿が五分間撮影されていた。通りで電話に出られなかった訳だ。いつ撮られたかは知らないが、少なくとも萌が『アイツ』を探しに出かけた後に撮られたものだろう。


 所でビデオ自体は尻切れとんぼに終わっているが、これを俺に見せて、何がしたいのだろうか。一緒に助けに行こう、とはまさか言う筈もないし、これを脅しにする……というのも訳が分からない。


「お兄ちゃん。このビデオを見て、どう思った?」


「どうって…………どう思わせたいんだ、お前は」


「素直な感想でいいよ。私があの子から聞いた通りなら、多分話は進むから!」


「―――出会った当初から思っていたが、こんな気色悪い父親が世の中に居るとは思わなかったよ。可能なら今すぐにでもぶん殴りに行きたいな」


 首藤天奈の声音が、露骨に上がった。


「でしょでしょ! やっぱりお兄ちゃんもそう思うよね! だったらさ―――殺しに行こうよ♪」


「…………は? いやいやいや。そもそもお前とこの男にどんな関係があるんだよ」


「利害の一致かなー。私はお兄ちゃんの事知りたかったし、この人はお兄ちゃんからこの子を取り戻したかったみたいだし。だから一応協力関係にはあったんだけどー。やっぱり、むかつくかなって思って」


 猶更分からない。殺人を推奨するつもりはないが、むかつくと感じたなら一人で殺しに行けばいい。どうして俺を拉致り、一緒に気持ちを共有しようと思ったのか。



 ―――まさか。



 呆れ混じりに溜息を吐く。あり得ないとは思うが、こうとしか考えられない。


「…………成程な。つまりあれか。お前は要するに……俺に実際に人を殺させたいと」


「そう! やっぱりお兄ちゃんって、私の事なんでも分かってるね。大好きだよ? アハッ!」


 二度と、とは言わない。


 一度たりともするな。


 その声で、その顔で、その仕草で、その瞳で、その身体で。本人が言いそうもない事をするのはやめてもらいたい。兄として非常に不愉快だ。『アイツ』の存在そのものを馬鹿にされているみたいで、腹が立つなんてものじゃない。


 『アイツ』はそんな気の狂った事は言わない。『アイツ』を演じようとしている癖に、あまりにも自己主張が激しすぎる。


「あの子の話を聞いててね? 私もお兄ちゃんみたいな人が欲しいなあって思ったの。だけどそれはそれ、これはこれ。私が好きなのは『首狩り族』のお兄ちゃんだから、どうすれば両立できるかなって考えたらね、直ぐに思いついたの!」


「…………」


「お兄ちゃんに人を殺してもらえばいいって! そうしたらお兄ちゃんは私だけのお兄ちゃんになってくれる。でしょ? 流石に罪もない人は殺せないけど、今お兄ちゃん、ぶん殴りに行きたいって言ったよね? じゃあ殴りに行こうよ。そのまま殺しちゃおうよ! 『首狩り族』は、それで本物になるの!」



 ―――黙って話を聞いていて。ようやく分かった。



 この少女は別に狂っている訳ではない。むしろクオン部長なんかと比べたらよっぽど正常な方だ。ただ、どうしようもないくらい自分勝手で我儘なだけで。


 彼女は俺を連れ出すつもりで当初『アイツ』を攫ったが、『アイツ』から俺が如何に善人であるかを語り聞かされた事で、『兄』が欲しいと思う様になる。だから『アイツ』から身体を奪う事で、間接的に『兄』を奪った。


 実際に話してみて、『アイツ』の言う通り俺が殺人をしそうにない人物である事が分かると、『首狩り族』に憧れていた事もあり、現実と理想の齟齬に苦悩する。結果、善人の俺に人殺しをさせる事で、両立させる事を考えた。


 二つを見れば分かるが、妹は何処までも自分の都合でしか動いていない。他人が自分に対して都合の良い様に変わるのを望み、自分は何も変わろうとしていないのだ。『アイツ』は俺が善人である事が分かってもらえれば狙われなくなるだろう、という読みから妹に言い聞かせたのかもしれないが、それが限りない悪手だったとは、結果を見なければ分かるまい。



 AがBの悪い所をCにしていたら、CがBを好きになった。こんな事があり得てなるものか。



「……一応言うが、仮に俺が殺したとしても、それはむかついたから殺すだけで。それから勢いづいて他の人を殺すってのは無いからな」


「分かってる。でも簡単な話じゃない。またむかつく奴を殺しに行けばいいでしょ?」


 説得というのはその余地がある奴にするから効力を発揮するのであって、一線を越えた者には何を言っても無駄だ。大好きな筈の『兄』の言葉なんて、『妹』には届かない。


 実際の所、彼女が見ているのは何処までも理想であり、その言葉は何処までも独り言の延長戦に過ぎないのだから。


 それでも、どうしても止めたいというのなら―――


「…………最後に聞いてもいいか? もう分かり切ってる事だけどさ」


「うん? 何?」


「…………『アイツ』は、帰って来れるのか?」





「あ。無理。だってもう死んじゃったもん」
























 その瞬間。俺は『妹』を殺す事を心に決めた。  


  

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