俺の家族は

 俺の妹がおかしい。


 家に着くなり妹は風呂に行ってしまった。お蔭で一人の時間を意図せずして取る事には成功したが、問題の解決にはなっていない。そして俺だけで究明出来る程頭も良くない。オカルト部の面々に協力してもらおうと電話を掛けたが、双方共に繋がらなかった。これはもういよいよ二人にも何かあったと見るべきだろうが、俺も俺で動けない。


 ―――妹は誰だ?


 何度でも問うてやるさ。最愛の妹が、全くの他人の可能性がある。意味の分からない事を言っている事は分かっている。それでももう一度言おう。


 ―――妹は誰だ?


 俺の気のせいという可能性も捨てきれず、敢えて違和感を泳がせて会話してみたら、むしろ増すばかり。とても妹とは思えない。傍から見たら違いなど分からないかもしれないが、俺は兄貴だから手に取る様に分かる。あれは天奈じゃない。天奈のガワを被った何かだ。

 この、まるで中身だけがすり替わった様な現象及び怪異に心当たりはない。漫画的にはぶつかった時に二人の心が入れ替わったという方法があるが、この道中で俺も妹も誰にもぶつかっていない。この線で行くと謎は深まるばかりだ。

 こういう時こそ二人を頼りたいのに、何て運の悪い奴だ(俺の事だが)。確実に説明してくれそうなのはクオン部長か西園寺部長だが、二人の所在なんて知らないし、連絡も取れない。唯一連絡が取れるのは碧花と―――

「ああああああああああ!」

 居た。そうだ、今日電話番号を交換したばかりの人が居たではないか。萌と由利以上にオカルトに詳しそうで、実際黄金期のオカルト部に名前を置いていた存在が。

 那峰先輩が。

 思い立ったが吉日という事で、俺は直ぐに彼女へ電話を掛けた。これで那峰先輩まで出なかったら、いよいよ詰みだ。その時は諦めるしかない。一向に証拠の挙がらない事件なんて迷宮入りして当然だろう。


「は~い。首藤君?」


 ……取り敢えず、そんな事にはならなさそうだ。

 高鳴る心臓を抑えながら、極力平静を装って、俺は話しかける。

「あ……那峰先輩、ですか?」

「ええ、そうよ。貴方は首藤狩也君よね?」

「……はい! そうです。那峰先輩の大好きな首藤狩也です!」

「それ、自分で言っちゃ駄目なのよ? 大好きなのは本当だけれど。何か用? 妹さんは見つかった?」

「あ、はい。妹は見つかりました。でも僕、気になる事があって。知り合いに聞くつもりだったんですけど、全然連絡が付かなくて。頼れるの、先輩だけなんです」

「嬉しい事……ではないわね。何やら穏やかな雰囲気を感じないのだけれど、何があったか聞かせてくれる?」

 隠す理由はない。俺は目で見た全ての出来事を語った。語彙力の限りを尽くして、出来る限り分かりやすく。那峰先輩がいい加減に聞いている様子はなく、言葉が途切れる度に、相槌を打ってくれた。

「成程。確かに不思議な話ね。首藤君以外にその事を疑問に思ってる人は?」

「居ない……と思いますよ。あの場には僕ともう一人しか居ませんでしたし。実は遠くから見ていた……なんて線も、残りの友達はさっきも言った通り、音信不通で」

「そう……まあ、心当たりはあるわよ。ハラキリダンチで『ユキリノメ』について話したのは覚えてるかしら」

「ああ……えっと、確か、上半身が人間で下半身が百足で、ターゲットにされた人は身体に百足が這いまわる感触を覚えて……その幻の百足に噛まれた個所は近い内に切断されるんでしたっけ。で、切断された個所はムカデに食べられるから消えてなくなる」

「パーフェクト! 流石首藤君ね。そう、『ユキリノメ』はそういう怪物よ。私はあの時違うって言ったと思うけど、指が消えちゃったなら、関わってる可能性が高いわね」

「あ、やっぱり……そうなりますか」

 大いなる喜び損だ。『首狩り族』は関係ないと思っていたのに、結局どんな形であれ関わってしまうなんて慈悲が無い。たまには例外くらい用意してくれても良いだろうに。

「それと死体が消えた件もね」

「百足に全身噛まれたって言いたいんですか?」

「うーんとね。少し違うわ。『ユキリノメ』は死んでるモノしか食べられないの。だから死体になった時点で噛む必要は無い。だから、首藤君の話してくれた死体が消えた件については、これで説明が付くと思う。問題は妹さんの中身がすり替わっている所ね」

 俺は無意識の内に問題を一本化していたが、専門家の見立てによると、どうやら二つの問題が同時に発生している様だ。やはり那峰先輩が電話に出てくれなければ俺は詰んでいただろう。そもそもこの一件の捉え方から間違っていたのだから。

 俺は心の中で自虐を繰り返しながら、縋る様に彼女へ尋ねた。

「妹の件……僕の出鱈目だって、那峰先輩は疑わないんですか?」

「疑うも何も、その事を相談されているんだから、首藤君の発言が正しい前提で考えなきゃ……中身はどれくらい違うの?」

「全く違いますね。気のせいかとも思ったんですが、話せば話す程別人だって分かります」

「他に何か違いは?」

「僕に執着してきますね。妹に好かれる分には嬉しいんですけど、中身が多分妹じゃないので……怖い、ですね」

 それは彼女を全くの赤の他人と考えれば怖さが分かる。名前も趣味嗜好も知らない他人に突然抱き付かれたり、甘えられたらどう思う。オタクな奴なら「美少女なら大歓迎でござるよ」とでも言って喜ぶかもしれないが、普通に考えて欲しい。

 その女性が人を殺そうとしていたら?

 或いはわざと身体を触らせて犯罪者に仕立て上げようとしていたら?

 薬物の売人か何かで、どさくさに紛れて薬を俺に持たせようとしていたら?

 限りなくあり得ない可能性ではあるのかもしれない。しかしゼロとは言い切れない。そういう事件が起きている現状がそれを物語っている。そう考えたら、滅茶苦茶怖いと思わないだろうか。俺の感じている恐怖は、これと同等以上だ。



 妹という日常が、正体不明の非日常に置き換わる。



 日常を侵食されている感覚を味わいながら日々を過ごすなんて俺には耐えられそうもない。

「……ねえ首藤君。妹さんを攫った榊木って子は、どんな子だった?」

「はい……はい? どんな子だったって言われても、面識は大してありませんし。只、『首狩り族』の僕に憧れを抱いていました」

「そう……」

 二人で静かにしていると、一階の浴室で妹がシャワーを浴びる音が聞こえる。長風呂だ。一応内容的には聞かれたらマズいものばかりだから、長くそこに居てくれる分には全然構わない。まだまだ話せそうだ。

「それがどうかしましたか? まさか彼女が『ユキリノメ』を操ってるとでも?」

「死人に口なし指なし契りなし。それはあり得ないけれど、同時に少し合ってる。『ユキリノメ』自体はクオン君が対処したけれど、復活させようと思えば誰でも出来る。丁度、オミカドサマみたいにね」

「……話が見えないんですけど」

「ああ、ごめんね。じゃあ一から説明するわ。首藤君、指切りげんまんって知ってるわよね?」

 勿論知っている。『指切りげんまん嘘吐いたら針千本飲ます』という誓約を交わす有名な……口約束。交わす際はお互いの小指をフックみたいに曲げて絡ませて、契りを終わらせる際には『指切った』と言えばいい。

「知ってますけど。それがどうしたんですか?」

「『ユキリノメ』って漢字で書くとね、指に切るって書いて呑むに目って書くのよ」

「『指切吞目』……ですか」

「ええ。この怪異、他とは違って操る事が出来るの。ただし、その際は必要な手順に沿って自分の片目をあげなきゃいけない。榊木って子はちゃんと両目あったんでしょ? だからあり得ないって事」

「成程」

「じゃあどういう事ですか? ユキリノメを榊木が操っていないなら、一体誰が―――」

「一旦そこから離れて頂戴。今回は死体を食べた以上の事、してないと思うから」


 そこで一度那峰先輩は言葉を止めて、何と水分を摂り始めた。


 喋りつかれたのだろうか。意見を聞く立場にある俺には苦言を呈する事は出来ないので、黙って再開するのを待つ。

「……ふう。それで、妹さんの中身がすり替わってる件についてなんだけどね」

「はい」

「…………約束ってね、一種の呪いなの。人を縛り付けるという意味で。……そもそも指切りげんまんの由来は、遊女がお客さんに愛情の不変を誓う証として小指を切断していた事にあるんだけど。これが普及した頃、ごく一部の人間は、これを呪いにしようと考えたの。愛情とは心から生じるもので、それの不変を小指が証明するならば、小指とは自らの心ではないか……ってね。馬鹿げた話でしょ?」

「まあ、そうですね。科学的では無いですね」

「でも噂話がやがて何かを生み出す様にね、そう信じられてきた呪術も、いつしか効力を持つようになる。…………一つ尋ねたいんだけど、首藤君は妹さんの小指があるかどうか確かめた?」

「こ、小指ですか? そんなもん、あるに決まってるでしょう。小指が欠けるだけでも握力が落ちるって聞いた事ありますよ。僕におんぶされた状態だったんですから、あるに決まってるじゃないですか」

「そうやって決めつけるって事は……ちゃんと見てないのね」

「う……いや、だって無くなってるかもなんて発想しませんし」

 むしろそんな発想を常日頃している方が怖い。クオン部長じゃあるまいし、そもそも『首狩り族』さえ除けば、俺は日常に生きる普通の人間だ。至って普通の、現実的で常識的な心配しかしてこなかった。




「じゃあちゃんと見た方がいいわよ。もし指が無かったら……榊木って子と貴方の妹、入れ替わってるから」




「…………え?」

 那峰先輩の話は全然理解出来ないが、その結論だけは直ぐに理解出来た。もしそうなのだとしたら……俺の違和感は全て説明が出来てしまう。

「―――ここからはあまり首藤君には理解出来ない話だけど。そもそも指が狙われている時点で『ユキリノメ』だけの仕業とは考えられなかったわ。死体を食うのにそんな回りくどい事をアレはしない。貴方から榊木って子の話を聞いた瞬間に指切の呪いについては思い至ったんだけど……どうしても分からないのよね」

「…………」

「指切りの呪いで入れ替わりたいなら、指を一つ落とすだけで十分。どうして二本落とす必要があったのかって。しかも関連性の無い二か所で…………首藤君?」

 那峰先輩の言葉など少しも耳に入って来ない。考えれば考える程合点が行く。何故こんな簡単な発想が出来なかったのだ。論理が破綻していようとも、結果くらいは俺も予想出来た筈だ。天奈と榊木が入れ替わっていると。


『それを攫ったって言うんだ。さっさと返せ! そしたら……話してやる』

『あ、それいいですね。じゃあ返すので、今から言う場所に来てくれませんか?』


 アイツは俺と話したがっていた。


『うん! だからお兄ちゃん。これからもいーっぱい、お話しようね!』


 アイツも俺と話したがっていた。


 友達でも無ければ面識もさほどなく、それでいて俺に執着している存在。そんなの―――妹を攫ったアイツ以外、居ないじゃないか。


「首藤君……首藤君ッ」

「……え。あ、はい。何でしょうかッ!」

「取り敢えず、逃げた方が良いんじゃない? 入れ替わっていると仮定するなら、その榊木って子はかなり狂ってるわよ。妹と入れ替わってまで貴方に近づきたがっているって事なんだから」

「でも、もし入れ替わってなかったら……」

「貴方の感性を信じなさい。今まで接してきた妹と今の妹は違うのか同じなのかなんて、家族である貴方しか分からないもの」

 今までの妹か……。

 仲違いしている時期はあったが、それを含めて大好きな妹だった。和解した後もなんだかんだ素直じゃなくて、何処か乱暴な側面もあったが……可愛かった。ギャップという程でも無いが、素直な時は素直だったし怒ってるときはとことん怒っていた。なんだかんだ、感情が表に出るタイプだったと思う。可愛いというのは、きっとそういう所が愛らしく見えたから思ったのだろう。

 だが今はどうだ。

 素直ではあるが、それだけの妹。まるで妹を知らない存在が妹を演じるかのような、或はソレ自身にとって理想的な妹を演じているかの様な、偽物感。

 それは確かに可愛いのかもしれないが、俺が可愛いと思っていたのは本物の方だ。俺の事を平気で馬鹿にしてくる様な妹の方だ。


 どんな目に遭っても俺の日常で居てくれる、首藤天奈の方だ。


「……僕、逃げます。先輩、有難うございました」

「賢明な判断ね。支度はもう済んでるの?」

「あんまり物って持たないんで。このままでも全然」

「そう。じゃあ無事に逃げられたら、また電話してきて? その時には話し相手になってあげるから」

「……有難うございます!」

 通話を切り、取り敢えず一息。一階から聞こえていたシャワーはもう聞こえない。流石に長風呂と言っても、俺も喋り過ぎた。

 あの偽物が気付かない内に、一刻も早く逃げなければ―――!

















「逃げないでよ、お兄ちゃん」

 頭部を突き抜ける鈍い衝撃と共に、俺は意識を失った。

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