そんな優しい貴方の事が


 まさかまさかの奈々との出会いに、俺は驚きを隠せなかったが、せっかく出会えたので話を聞いてみる事にした。十中八九脱走しているから、最善の行動と言えば彼女の保護者に奈々を引き渡す事だろうが、ちょっと待ってもらいたい。俺は奈々の状態に違和感を覚えていた。

 きっかけはついさっきの発言だ。

『分からないんです。誰も、教えてくれません。でも、何だかベッドから出たら何か分かる気がしたんです。私は誰なんですか? 狩也さん』

 一応振り返っておくと、この時俺は彼女の名前を聞いていた。それに対しての答えが、前述の言葉であるが、


 記憶喪失の人間に対して何も教えないというのは、医療処置的にどうなのか。


 本人に記憶はないから、何を言った所で実感が湧かないのは仕方がない。記憶……言い換えれば、経験がない事にされているのだ。それが本当に本人の名前だったとしても、記憶喪失の今では初めて聞いた名前として扱われる。だからどう言われようと本人が納得出来ないのは分かる。

 しかし、彼女の発言を信じるならば、保護者にしても医者にしても、誰も教えないらしい。それはどうなのだ。記憶喪失の人間は何よりも『知りたい』というのに、何も教えないというのは、果たしてどんな意図があっての行動なのだ。素人の要らぬ心配と言われればそれまでだが、それでも俺は、直ぐに彼女を病院ないしは保護者の下に連行していくという判断を下せなかった。

「狩也さんと私は、友達なんですよね?」

「ああ」

「どんな風に接していましたか?」

 ………………本当の事を言うべきか、どうか。

 俺と彼女が友達というのは、飽くまで俺の個人的な意見だから、どんな風に接していたかと言われても、あの肝試しの時しか思い出せない。だが嘘(とは思いたくないが、あの時まで彼女と接点が無かった事も事実である)がバレてしまえば、俺は早々に信用を失ってしまう事になる。

「……えーと、普通に話していたりしていたよ」

「普通とは?」

「だから……最近面白かったテレビ番組とか。テストの事とか。学校に通ってたんだよ、お前は」

「学校…………とは?」

「学校は……俺達みたいな高校生が通ってる所だ」

「高校生……とは?」

 俺は心の中で頭を抱えた。奈々が悪い訳ではないのだが、どうにも彼女と話していると辞書で言葉を限界まで調べている気分になる。とある単語に対して書かれた解説の中にある単語の意味を調べてそれに対して書かれた解説の中にある単語を……といった感じだ。

 これを繰り返していくと終いには訳が分からなくなってくるが、それを現実でやられると何処にもぶつけようのない苛立ちを覚える。繰り返すが彼女が悪い訳ではない。悪いのは……いや、悪いものなんて何処にも居ない。居るとすれば、それはあの時肝試しに行こうと計画した奴である。

「あーもう! 分かった、奈々。付いて来い。百聞は一見に如かずだ。見た方が早い」

 赤色の物体を見た事がない人間を相手に、赤色を説明しようと思っても、それはとても難しい事だ。学校は見ずとも説明出来る物体だが、辞書的無限ループをされるならば話は変わってくる。彼女の手を強引に掴むと、俺は平日でもないのに学校へ歩き出した。

 心なしか、学校に近づく度に足取りが重くなっていく気がする。

「狩也さん。どうかしたんですか?」

「え? 何で?」

「だって、狩也さんの表情…………悲しそうですから」

 てっきり足取りの重さを指摘されると思っていたので、俺は虚を突かれて思わず足を止めた。

「か、悲しそう?」

「はい」

 近くのコンビニのガラス窓を使って表情を確認。俺にはさっぱり分からなかった。いつも通りの冴えない顔だ。一応笑ってみる。不気味ではあるが、やはり何を見て奈々がそう思ったのかは分からなかった。

「学校はこっちなんですか?」

「いや、違う。こっちとは真反対だな。さっさと行くか」

 それは彼女を急かしているのではなく、俺に対しての鞭だった。漫画で読んだ知識なので真偽は定かではないが、かつての記憶と関連ある場所に連れて行くと良いとか何とか。休日にも拘らず学校に行かねばならないという学生特有の怠惰に足を引っ張られている場合ではない。彼女の記憶が戻るのなら、その程度の面倒など俺は躊躇なく背負って見せよう。

 中には学校に残るというだけで多大なストレスを感じて病気になる輩も居るらしいが、そんな軟な人間では、『首狩り族』は務まらない。数少ない俺の不運がメリットとして働いた瞬間である。ストレス耐性という意味では、この上ない運勢と言えるだろう。


―――先生に会いませんように、先生に会いませんように。


 やましい事はない。仮に遭遇しても幾らか話をするだけだ。それでも何故だろうか、優等生とは言い難い俺は、『先生』という存在そのものに苦手意識を抱いていた。















 学校に着いた。休日にこの建物を見る事になるとは最悪の運勢である。碧花と休み時間を過ごせるから、それ自体は苦ではないが、彼女以外の目線が辛い。

 かつて俺は『首狩り族』という異名をマジで信じている人が半分、冗談と思っている人が半分と言ったが、ここ最近の不運のせいで、その勢力図は傾きつつある。具体的に言うと、マジで信じている人が九割だ。



 早い所卒業したい。恋人も作りたい。『初めて』も卒業したい。



 この三つについては中学校の頃から思っていたが、未だに何も出来ていないのは滑稽である。後一年しか高校生活は無いのだ。それまでに、出来れば全部終わらせたい。

 これはノルマではない。俺の願いだ。目標だ。この三つが叶ったのなら最早死んでもいい。『首狩り族』という圧倒的ハンデはあるものの、俺はまだ諦めちゃいない。碧花も励ましてくれる事だし。

「ここが学校だよ。何か思い出したか?」

「…………」

 休日に校舎が開いているのは幸運だった。そう言えば二週間後くらいに何かの資格取得試験があった筈だから、それの個別指導でもあるのだろう。部活はある奴と無い奴があるが、帰宅部の俺がそれを把握している筈が無いだろう。

 校門前に立ったままじっと校舎を見つめる彼女は、平日であればさぞ奇妙な人物に見えただろう。

「どうだ?」

「……何も。本当にここが学校何ですか?」

「嘘を吐く理由が無いだろう。俺はお前の友達な訳だし」

「友達は嘘を吐かないんですか?」

 ……どうしてだろう。凄く答えづらい質問だ。友達に対して嘘を吐いた事が無いとは言えないが、『友達』は嘘を吐く間柄でないのは確かだ。

 碧花はかつて『女の子というものはミステリアスなくらいが丁度いいんだよ』と俺に言ってきたが、彼女の発言が正しいかどうかも一概には言えない。『友達』の定義が人それぞれな以上、記憶喪失の人間に明確な理解をもたらせる説明は出来なかった。

「まあ、うん。相手を悲しませる様な嘘は駄目だな」

 このまま彼女のペースで話が進むと終いには何も言えなくなりそうだったので、俺は強引に話を切り替えた。

「学校を見て、何も思い出さないのか? どういう人と友達だったかとか、どういう部活に入っていたか。どういう授業を受けてたかとか、何でもいいんだぞ」

「何も思い出せないんです。思い出そうとすると何かが私の頭を抑え付けてきて。凄く……痛いんです」

「記憶喪失ってそんな症状なのか…………」

 さて、早速当てが外れてしまった訳だが。まだ俺にするべき事はあるだろうか。友達と言っておきながら彼女の記憶が戻る切っ掛けになりそうなものを学校しか思いつかないなんて。我ながら恥ずかしい。

 考えてはみたが、特に何も思いつかなかったので、そろそろ病院に連れて行くべきかと俺が思い始めた頃―――




「何、してるの」




「うわあああ!」

「きゃあッ!」

 気配もなく背後に立っていたのは、御影由利だった。奈々を背後に押しやって咄嗟に両手を広げたのが馬鹿みたいである。身体を大きく見せて威嚇する(別にそんなつもりはないが)俺に、彼女は乾いた視線を突き刺してくる。

 休日なので当たり前だが、彼女は制服ではなく起毛感のあるタイトスカートに黒色のパーカーと、遊び盛りの高校生にしては随分大人っぽい雰囲気を醸した服装を身に纏っていた。サイドにはスリットが入っているお蔭で、機動性は損なわれていない。

 しかしそれに併せて黒い帽子を被っているせいで、どうにも不審者な感じが否めない。

「み、御影……」

「おはよう、首藤君。何してるの」

「お、おはよう。お前こそ何してんだよ。こんな所で」

「……部長に、頼まれて。その帰り」

「何を頼まれてたんだ?」

 御影は人差し指を口の前に立てた。

「秘密、と言われてる。只、持ってきて欲しいって」

 一体部長は何を頼んだのだろうか。目に見えて何か持っている訳ではないので、小物と分かるが、それだけだ。

 あの部長の場合、薬物よりかは呪いの宿った御札なんかが性に合っているし、どうせその辺りだろう。

「…………あ、そうだ御影」

 あまりに唐突だったが、俺がそれを思い出したのも唐突だった。奈々の件を気に掛け過ぎるあまり、俺は当初の目的を忘れてしまっていたのだ。


 全く、俺の物忘れの酷さと来たら笑えないレベルである。

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