クローズドワールド
「やあごめん。どう、その後の具合は」
「具合ですか?」
「雪の声は聞こえた?」
「ああ、それは……その」
本人が居る前で言うのは憚られたが、こういう事は言わない事には解決しない。一度雪の方を窺ってから、俺は楼に手招きをした。
「雪、特定の事以外、話したがらないんですよ」
「特定の事って?」
「家族に関連した話以外は……全部黙っちゃって」
楼は一体どうやって雪と会話しているのだろうか。彼等に助けられた瞬間からそれが疑問でならない。何ならその会話というのも、俺の知っている限りでは楼が一方的に喋っているだけで、会話が成立していたかどうか怪しい。
「やっぱり、警戒されているんですかね」
「いや、それは無い。君を助けたがったのは他でもない雪せつだし、警戒するなんて矛盾してる。まだ聞こえる様にはなってないらしいね」
「へ? いや、声は聞こえてるんですよ?」
「うーんとね。そういう事じゃないんだ。まあ個人差はあるからさ、気長に過ごして。いつまでも居て良いから」
いつまでも居るつもりは毛頭ない。俺は一刻も早く戻らなければならないのだ。もしかしたら俺が死んでいると決め打ちして、『俺』が碧花に会いに行くかもしれない。何度でも言うが、本人ですら見抜けない偽物を他人が見抜ける道理は無い。きっと碧花は気付かない。
―――その前に戻らねえとな。
『俺』に好きな人を取られる前に、絶対に戻る。
二人には悪いが、俺の居場所は碧花の隣しか無いのだ。彼女だけなのだ……俺を俺として見てくれるのは。
「あ、そう言えば楼が居ない間、家の案内を…雪にしてもらっていたんですけど」
「うん」
「二階って、何かあるんですか?」
気にしている自覚は無かったが、楼と話していたらふと気になったので、尋ねた。あそこに限って雪が俺を阻んだのは、かなり大事な部屋なのは間違いない。楼は天井越しに二階を暫し見上げた後、一人で頷いた。
「そう尋ねるって事は、入ってないんだね」
「雪が、入っちゃ駄目と」
「そっかそっか。じゃあ入らないで。あそこは開けちゃいけない部屋なんだ。開けたら大変な事になる」
「……寝室では無いんですか?」
「違うよ」
特に躊躇いもせず、楼が言う。その返答を受けて俺は改めて家の全体図を脳裏に浮かべたが、寝室は何処だろう。物置と風呂と本棚と…………あれ?
寝室が無いぞ。
「寝室は何処に?」
「え、そんなものないよ」
「そんなものッ?」
十数年間生きていて、と言うのもおかしいが、寝室をそんなもの扱いする奴は初めて見た。カプセルホテルなんて建物があるくらいだし、寝室はかなりウェイトのある存在で、それは共通認識だと思っていたのだが、違った様だ。
「各々好きな所で眠っているんだ。例えば僕はよく書庫で寝ているし、雪はここで寝てる。狩は何処で寝る?」
「いや、いやいや『何処で寝る?』じゃなくて。布団とか毛布とかは?」
「階段横の部屋から取ってくるんだよ。流石に無かったら困るでしょ」
一応安心するが、今まで寝室で眠っていた経験から、全く安心するべきではない事に気が付いた。枕を変えたら眠れない人間ではないが、寝室でも無い場所で眠るというのは、微妙に抵抗がある。いや、かなりある。
俺は射撃と昼寝において右に出る者は居ない小学生では無い。普通の人間が何処でも眠れたら苦労しないのだ。
「……一番寝心地の良い場所は、何処ですか?」
「個人によるね。寝心地の悪い場所では誰も眠りたくないでしょ」
驚きも無ければ意外性も無く、当然。元々そんなつもりはないが、やはりいつまでも居たいとは思えない。雪や楼は良い人だが、単純な居心地が悪い。単純に前時代的な生活に俺が適応出来ていないのが理由だろうが、脱出の望みが皆無ならばまだしも、その可能性が残っている限り環境に適応する気は更々無い。
それとなく部屋を見渡して―――やはりこの囲炉裏の付近が一番座り心地が良さそうだ。この辺りで眠ろうか。
「もう一つ尋ねたいんですけど」
「何?」
「楼は何処に行っているんですか? 家を空けるって言って、かなり遠くまで行ってたみたいですけど」
「あ、やっぱり気になるんだ」
「気になりますね」
脱出の手掛かりになるかもしれない。一方で『俺』に見つかるリスクもあるかもしれないが、リスクを恐れて成功は無し。行動しない事こそ一番の悪手だ。
「……後で連れて行っても良いけど、二つ程条件がある」
楼は人差し指を立てた。
「その堅苦しい喋り方をやめる事」
遂に指摘されてしまった、俺の敬語。厳密には敬語かどうかも怪しいが、俺なりに気を遣っていたのは間違いないので、敬語に違いない。堅苦しい印象は拭い切れなかった様だ。
続いて中指を立てる。
「雪とちゃんと話せる様になる事」
…………?
「最後の条件は、一体どういう事です……なんだ?」
「さっきも言った通り、まだ狩は雪の声が聞こえている訳じゃない。だから聞こえる様になるまで連れて行かないよ。ごめんね」
やはりこの……何処か非現実的な感覚は、間違いじゃない。俺が居るここは、何かがおかしい。それは助けられた瞬間から思っていたが、その疑いはますます強くなっていった。それを強めたのは、この家の中を探索し終わった時。あの時は敢えて見逃していたが、この家には―――
外部と繋がるものが何にもない。
クローズドサークル染みていると言っては何だが、パソコンもない。ルーターもない。携帯は使ってる様子も持ってる素振りもない。ついでに言えば窓も殆どない。あまりにも閉鎖的。あまりにも閉塞的。
二階にある可能性は否めないが、これまでに俺が外部と連絡が取れそうなものを特別欲していない事から、悪意があっても嘘を吐かれるとは思えない。
様々な推測と事実を纏めると、この家は一種の無人島に近い。
外を見回ればまた感想も変わってくるだろうが、外に出て行った楼を見送った際に見えた外は森だった。元々は俺が死にかけていた森なので、邂逅の森であろう。あの森はそんじょそこらの小さな森とは訳が違う。非常に広大な森だ。樹海レベルとは行かずとも、いつか迷いの森と呼ばれたって不思議が無いくらいは広い。
その森が……正確にはその木々が近くに見えるという事は、この家は人里離れているに違いない。ここまで閉鎖的なのも、近所との交流なんて存在しないからと考えれば納得が行く。
「……楼。俺にさ、いつまでも居ていいって言ったじゃんか」
「うん。言った」
「変な事聞くかもしれないけどさ。それっていつまでも居ていいんじゃなくて、いつまでも居なくちゃいけないの間違いだったり…………しないか?」
不安と疑念を一緒くたに、俺は確信を突くつもりで語気を強める。楼は何かを隠しているという予感が、ずっと心の何処かでしていた。それを確かめる意味でも、今、尋ねる。
彼は「へえ……」と何かに感心する素振りを見せ、それからまたいつもの調子で頭を振った。
「狩は中々面白い事を言うね。でもそんな事は無いから安心してよ。ただ、微妙に間違ってはないかな」
「……っていうのは?」
「こんな素晴らしく住みやすい場所は他にないからね。いつまでも居たいって、君の方から思う筈だよ」
「―――何だって?」
そんな事、ある訳が無い。碧花の居ない世界に、俺が満足するなんて。
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