シンジテタノニ



 手短に碧花から説明を受けた俺は、一抹の不安を覚えていた。他でもない発案者は『必ず成功するさ』と言っているが、何も見えない状態でやる作業が成功するとは、とても思えないのだ。因みに現在の俺の視界最大範囲は一メートル先の地面だ。山の中だからというだけでは説明がつかない暗さだ。月光はどこ行った。月は見えるのに、光が届かないなんて馬鹿な話があるか。


 俺達の目は光を頼りに世界を見ている。ブラックホールが光を発しないから直接観測出来ないのと同じで、光が無ければモノは見えない。少なくとも俺達の知る既存の生命は同じ秩序で生きている。


 オミカドサマとか蝋燭歩きとか、非現実極まりない世界に足を踏み入れておいて今更科学的が云々とか、現実的が云々とか言うのもおかしな話だが、それでも月は、宇宙にある物体だ。影響を受けているとは考えにくい。そして事実として、上を見上げれば月が出ているではないか。それも満月が。観測出来ているという事は、つまり光を発しているという事で、光を発しているなら、俺には僅かなりとも光が降り注いでいる筈である。


 いや、降り注いではいるのだ。一応視界自体は存在する。凄く狭いが、確かに視界は存在する。俺が言いたいのは、降り注いでいる割には、その範囲があまりにも狭すぎやしないかという事だ。


「こんなんで成功すんのかよ……」


 無声音で俺は呟いた。耳があるのかは知らないが、変に声を聞かれて俺の存在を察知されたら計画は頓挫する。碧花が何処に居たとしても、彼女に注意が向かなきゃ話が始まらない。俺は何らかの手段を講じて手渡された縄を引っ張らなければならないので、もし俺がターゲットにされたら役割が崩壊する。独り言など呟きたくは無いが、どうしても胸の内に抱えた不安が言葉となって出てしまう。



―――碧花を信じるしか無いよな。



 発案者の実行力は如何ほどのものか。俺は過去のエピソードを振り返り、碧花の実行力について考えてみる事にした。


 ただ、思い出すまでもなく彼女の実行力には凄まじいものがある。俺がどれだけ無茶ぶりを振ったとしても、碧花はいつの間にかその要望に応えてくれる……というか、よく考えてみれば、随分と俺に尽くしてくれている気がしてならない。


 ……もしかして。碧花って俺の事が好きなのか?


 いやいや。まさかもまさか。馬鹿を言ってはいけない。碧花が俺の事を好きだ、なんて。ハリウッド女優と目が遭ったからって好意がある訳じゃないだろう。そういう勘違いはストーカーの発想だ。俺は碧花のストーカーじゃない。そんな事したら殺される。


 しかし考えてもみれば、度々俺を揶揄っているだけだと思っていた碧花の発言―――性欲処理をしても良いという発言の事だ―――は、俺以外に使われたのを見た事がない。単純に彼女に友達が居ないだけかもしれないが、にしてもクラスメイトと会話する機会くらいあるだろう。


 単に俺が知らないだけかもしれない可能性も否めない。彼女から俺のクラスに来る事はあっても、俺から彼女のクラスに行く事は無いから。しかしながら、



『俺さ、碧花に口でしてもらったんだよ~!』


『俺は手でしてくれたわ~』



 学校一の美人である彼女がしてくれたのなら、こんな感じの発言が学校で飛び交っても良さそうなものである。それを俺が聞いていない可能性は限りなく低いが、聞いていなかったとしても、周りから『ビッチ』扱いされている筈である。


 だが、そんな扱いは受けておらず、むしろ俺の学校生活では『彼女とヤりたい』という発言しか聞いた事がない。そして唯一の友達である俺も彼女と性行為をした経験は無い。以上の理由から彼女がビッチという事はあり得ない事が証明されたが……ならば何故、あの様な誘惑を仕掛けてくるのだろうか。




 ここで俺は、思考を中断させた。




 物忘れが酷い。その答えは屋上で彼女が言っていたではないか。




『君は何か勘違いしている様だけど、私はビッチじゃないよ。性知識は人並みにあるけれど、初めては経験していない。君と同じだ。そんな私が誰にでも身体を赦すと、むしろ君はそんなイメージを私に持っていたのかと、逆に問いたいね』


『私は君の事が好きだから、君の為ならと性欲処理をしてもいいよと言っているんだ。君、まだ彼女居ないんだろ?』




 多分忘れていたのは、いつもの揶揄いだと思って重く受け止めていなかったからだろう。しかし今までの事を振り返ってみたら、碧花のあの発言、過去の発言……全て真実の可能性が生まれてきた。俺が勝手に冗談と受け取っていただけで……もしも彼女の発言が全て本当だとしたら。


 そうだとしたら、とんでもない事である。彼女の発言は小学校から始まっているので、つまり俺は色々な行為のチャンスを逃していたのだ(小学校で性行為はどうかと思うが、だとしても経験できた事はあっただろう。キスとか)。


 ただし、これに気付いたからと言って焦ってはいけない。勘違いだったら只のレイプになる。飽くまで可能性の話だ。


 そして今気づいたが、話が明らかにズレている。碧花の実行力について考えていたのに、どうして碧花が俺の事を異性として見ているか否かの話になっているのだ。早い所戻さないと思春期特有の暴走が始まる。戻せる内に戻しておこう。


 彼女の実行力は、何も俺の要望に応えてくれるというものには収まらない。例えば……度々、テストが近づくと俺は彼女に勉強を見てもらうのだが、その際彼女が『絶対に〇〇点は取らせる』と目標を勝手に決める事がある。


 すると、その点数以上は絶対に取れる様になる。


 他にもエピソードはあるのだが、如何せん数が多すぎて挙げるものに困るのと、彼女の実行力が証明されるたびに俺がしょぼくなるのが自虐しているみたいで耐えられない。この辺にしておいて、そろそろ蝋燭歩きの方に意識を変えよう。



 縄を引っ張るとは言われたが、未だに何処にも縄は無かった。



 見えていないだけかと思い手探りをしてみたが、何にもぶつからない。そもそも俺の視界の悪さを考慮して、碧花が声を掛けてくれるそうなので、探した所である筈がない。一度深呼吸を挟んで、気分を落ち着けた。一番働かなければならないのは彼女なのに、どうして俺が慌てているのだ。


 たかが縄を引っ張るだけと言えばそうなのだが、それは最も重要な役割でもある。失敗は許されない。それ故に一番落ち着かなければならない。


―――よし。


 今の俺なら簡単に落ち着ける。命が懸かっているのだ。今はヘタレ何かじゃいられない。誰だって勇敢になるしかないのだ。そう自分に言い聞かせたら、段々心が落ち着いてきた。







「狩也君!」







 落ち着いている暇は無くなった。森に響いたその声に俺は脊髄反射で反応。見えてもいないのに手を伸ばすと、今度は先程は存在しなかった確かな手応えがそこにあった。この感触……一度触ったから覚えている。縄だ。蝋燭歩きの縄かどうかは、確かめる術も無ければ時間も無い。今は只、引っ張るしかない。


「せやあああああああああああああああああ!」


 腰を限界まで落として、全身全霊の力を込めて俺はその縄を引っ張った。その張り方から察するに、この縄は下の方から伸びてきている様だ。所定の位置と言われてもピンと来なかったが、成程。俺は切り立った場所に居て、碧花と蝋燭歩きはその下に居るという事か。


「はああああああああああああああああああああああああ!」


 重い。あれだけ身長が大きければ当然の重さというものだが、どうにも引っかかる重量だ。アイツは巨体に反して痩身だから、ここまで重い筈がない。素人の俺が全力で殴ってぶっ飛ぶ程度の重さだ。縄を介している事を考慮しても、ここまで重く感じるだろうか。


「ぬうううううううううううううううううううううう!」


 少しでも力を抜けば引っ張り込まれる。痛いくらいに歯を食いしばりながら、俺は踏ん張り続けた。これで歯が砕けたとしても後悔は無い。俺は紛れもなく全力を尽くし、戦っているのだから。



「ギ、ギ、ギギギギギギギぎぎぎギギぎぎギギギギギギギギギギギイイイイイイイイイイイ!」



 耳を劈くこの奇声は、蝋燭歩きから漏れているものだろうか。首が絞まっているのに声が出せるなんておかしな話だとも思ったが、怪異に常識を適用させるのは野暮ではなく阿呆だ。聞こえている声は、声というよりは、無機物同士が擦れ合っているみたいに生気が無かった。


「いい加減、くたばれよおおおおおおおおおおおお!」


 引っ張る力に比例して、俺に掛かる重さも何故か増していく。気持ち的には肉体を完全に後ろへ倒しているのに、現在は俺の身体が少し前のめりになるくらいの重さが掛かっていた。


「おおう…………ぐ……! ぐ…………!」


 あり得ない。俺は地球でも吊り上げようとしているのか。劣勢から好転する事はなく、俺の努力空しく、身体は徐々に前の方へと引っ張り込まれていく。


―――生きるんだ。


 死にたくない、のではない。俺は生きる。生きなければならない。碧花と一緒に、萌と一緒に、由利と一緒に。クオン部長にも西園寺部長にも、恥をかかせない為に。俺は腰を捩って縄を引っ張り戻した。まだだ。まだ耐えられる。


 まだ耐えなければならない。



「ギギギギギギギキキキギギギギギギギギギャアアアアアアアアアアアアアアアア!」



 鼓膜を軽々と突き破ってきそうな大音声が聞こえる。これが最後の抵抗だと信じたい。鼓膜から伝わってきた振動が脳に絡みつき、俺の体内で何度も何度も乱反射して、その度に身体の力が抜けていく。全力を出しているつもりだが、多分俺は全力の何割も出せていないのだろう。それでも抵抗を続ける。


 蝋燭歩きの、息絶えるまで。


「はアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 これが相手の最後の猛攻である事を信じて俺も出せる限りの全力を振り絞った。その力は今まで俺を苦しめた重さを軽々と凌駕し、蝋燭歩きとの勝負は俺の大勝利で決着―――






―――したかに思われた。







 



『ドウシテ コンナコト スルノ シンジテタノ ニ』









「―――え」


 脳裏に響いたその声に、俺の抵抗が一瞬止まる。逆に俺を引っ張り込もうとしていた重さがその隙を逃す筈もなく。刹那。





 声を上げる間もなく、俺は奈落に引きずり落とされた。


 

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