怪しい記者?

 ―――あの野郎。



 出し抜いたはいいが、これからも付きまとわれるのは御免被る。次来たら警察に相談してやろうか。


 しかし待て。冷静になってよく考えたら、俺は名刺を貰っていない。果たして野海という名前は本名なのだろうか。偽名を名乗る道理はないが、本名である保障はない(名刺を貰っていたとしてもその名刺自体嘘の可能性もあるが)。嘘をついて、俺に近づいてきた人間を、一人知っている。


 厳密には、知っていた、か。


「……素人の調査なんてたかが知れてるけどな」


 あの素行の悪さといい、もしかしたら有名な記者かも知れない。ネットで検索をかけてみたが、ヒットしなかった。掲示板などの悪口すら見当たらない。



 まるでそんな人物などいないかのようだ。



 全くの無名か……もしくは俺の想像通り偽名なのか。


 ネットにも名前が上がらない程の無名なんて居るのだろうか。俺の事を追うような酔狂な奴なら、他のヤバそうな事件も追っていそうだから、そこで少なからず知名度を持っていそうだが。


 一方で偽名は、する意味が分からない。名前を偽ろうが偽るまいが、俺と他人である事は変わらないのだから、偽るだけ時間と手間の無駄である。



 ……頼ってもいいけど。いい加減怒られそうだよなあ。



 まあいつだったか「君が頼ってくれる分には大歓迎」と言っていたので、普段は遠慮しているが、今度ばかりは遠慮せずに頼るとしよう。


 例によって、電話はすぐに繋がった。






「もしもし」


「やあ、狩也君。こんな時間にかけてくるなんて珍しいね」


「忙しかったか?」


「忙しくても、君の為なら予定を空けよう。何か用?」


「いや、お前に調べてほしい事があってさ。これで六〇回目なのは分かった上で、言ってるんだけど」


 何故大して細かくもない俺がこんな事を覚えているのかと言うと、『男たる者女に頼るべからず』、という誓いを勝手に立てているからだ。記憶が正確なら、この二秒後に早速破っている筈だが。今はそんな話をしている場合じゃない。


「へえ。そんなに頼ってくれたのか。良く覚えてないけれど、そうかそうか。君は私を六〇回も頼ってくれたのか……で、誰を調べれば良いの? もうそんなに頼ってるなら言わなくてもいいだろうけど、私は探偵でもないし刑事でもない。お望み通りの情報は提供出来ないかもしれない」


「分かってる。けど俺よりは絶対調べられるだろ。それに警察とか探偵使う程の事でもないしな。探偵に関しては金掛かるの嫌だし。で、用件についてなんだけど、野海貴尋って記者について調べて欲しいんだ」


「ふむ。具体的には?」


「会社に所属してるならその会社、フリーなら今までやってきた事とか……とにかく、存在しているかどうかの証拠が欲しい」


「また珍妙な要求だね」


 弱みを握りたいと言うなら、特段変わった事ではない。探偵の使い道というものは得てしてそういうものだ。だが俺の要求は、本当に珍妙、杞憂という事で片づけても良い危惧の類だった。


「ほら、中学校の頃にさ、似た様な奴居ただろ? 美人局って訳じゃないけど……ほら、偽名で俺に近づいて、告ろうと思ったら知らない人扱いされて、俺が悪質なストーカーにされた奴」


「ああ、あれね」


 碧花は何でもない口調で流しているが、俺にとっては忘れられない事件の一つだ。良くも悪くも……嬉しかった。だから二度と思い出したくも無いかと言われると、違う。





『君の事は私が一番よく分かってる。そんな悲しい顔しないで。私は君の事を嫌ったりしないから』


『…………嘘だ』


『嘘じゃない。たとえこの場で君に殺されようと、犯されようと、眼球を抉り出されて片腕を捥がれようと、君の事を嫌ったりしないよ。クラスメイトなんて言う他人と一緒にしないでくれ。私と君はトモダチだろう』





 小学校までの思い出を全て振り返っても、碧花と過ごした思い出ばかり浮かんでくるのは、それくらい俺のコミュニケーション能力が低いか、彼女の事を愛おしく思っているか。だから頼りたくなかったというのも、あるにはある。


 友達は迷惑を掛け合う者なんて言われているが、掛けないに越した事は無いから。


「分かった。野海貴尋について調べればいいんだね? 本名で、普通に存在してたらどうするつもり?」


「その時はその時考えるよ。ま、こういう分かりやすいケースならネットで調べれば対処法くらい見つかりそうだけどな」


「因みにどんな事されたの?」


「ストーカーされてる。後、殺人鬼って事にされてる」


「へえ。名誉毀損を平気でするなんて随分度胸のある記者だね。成程、じゃあ本名だったほうが簡単に収束するパターンか」


「偽名だったらややこしい。目的とかも分からんしな」


 偽名で近づいてくる奴って、どういう風に分類するのだろう。詐欺師か? そう言う時って誰に相談するのだろうか。


 『首狩り族』が言うのも何だが、法律を勉強しないと降りかかる火の粉を払えない様な気がしてならない。成績からして、辞めた方が良い気しかしないけど。


 それに偏見かもしれないが、法律関係は法律を犯した事が無い奴が行く道ではないのか。俺は度々犯してる気がする。住居侵入罪とか。誓って殺人だけはしていないが、罪は罪。こんな穢れた身で一体何の秩序を学ぼうというのか。


「―――対処法については、一緒に後で考えようか。今は取り敢えず調べさせてもらうよ。本名である事を期待してくれ」


「…………碧花」


「まだ何か?」


「―――有難う」


 親しき仲にも礼儀あり。言い切ってから恥ずかしくなって、俺は一方的に電話を切った。不思議だ。普通に話す分には他人の方が恥ずかしいのに、お礼とかをきちんと言うとなると、友人の方が途端に恥ずかしくなる。これが『センキュー』とかそういう崩した言い方ならその限りではないのだが……電話越しだから? いや、逆だろう。面と向かった方が言い辛いに決まってる。告白と一緒だ。


 お礼自体は何度も言っている。時には恥ずかしくない事もあるが、それは周りの雰囲気とか、個人的な心情が絡んでいる。永久に恥ずかしくないなんて事は一度も無い。これも告白と同じだ。何度してもフラれたら傷つくだろう。



 …………ん?



 お礼を言う対象は様々だ。親、兄弟、友達、恋人、配偶者。一方で告白の対象も様々だ。親に対して『彼氏/彼女』が出来たという告白、兄弟に対して『異性として見てた』という告白、友達に対して『好きだった』という告白、恋人に対して『浮気していた』という告白、配偶者に対して『不倫していた』という告白。



 …………。



 御礼を漢字で書くと二文字。告白も漢字で書くと二文字。


 もうお分かりだろう。全て繋がっているのだ。礼をする対象と告白をする対象も全て同じ。重なっている。つまり御礼=告白。俺は碧花に何度も告白をしているのだ。


 通りで恥ずかしい訳だ。好きな人に何回も告白してりゃ恥ずかしいに決まってる。これからはお礼を控えよう、とは思えないのがネックだ。碧花にはかなり世話になっている。俺の人生を語るにおいて、今後彼女との関係がどうなるにしろ、碧花という存在は欠かせなくなっている。お礼を言わずに過ごせと言う方が無茶だ。


 これ以上考え込むと思考領域がパンクするので、俺は一旦考えるのを止めた。せっかく天才的な案で出し抜いたのに、これでは騙した意味が無くなってしまう。


 二人が待っているのだ。早い所準備して、今日も泊りに行かなければ。 



 





 




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