不可侵の恋

 何故……榊木が碧花の携帯から出てくる。

 うっかり、という事も無いだろう。俺の携帯に登録されている連絡先は数える程しかない。どううっかり間違えても彼女には繋がらない。繋がり様がない。一つだけ繋がる方法があるが、それは俺に言わせれば限りなく不可能な方法だ。

 その方法とはずばり、碧花から携帯を奪う事。これさえ出来るなら納得が行く。が、果たしてそんな事は可能なのだろうか。彼女の警戒心は異常に高く、俺のは見てくる癖に、俺が見せろと言っても見せてくれないのだ。

 一体どんなやましい事を抱えたらああも警戒心を高められるのか。まるで見当がつかない。

「あれあれ? もしもし、繋がってますよね?」

「―――何でお前がこの携帯から出るんだよ! 碧花はどうした!」

「まあまあ、落ち着いてくださいよ。私、貴方とお話したいだけなんですッ」

「……俺に話す事は無いんだが」

「用件は分かってますよ。貴方の妹さんを返してほしいって事ですよね」

「―――やっぱりお前が攫ったのか!」

「攫っただなんて言い方しないでくださいよ~連れて行っただけじゃないですか」

「それを攫ったって言うんだ。さっさと返せ! そしたら……話してやる」

「あ、それいいですね。じゃあ返すので、今から言う場所に来てくれませんか?」

 ……は?

 断られる前提で返した事もあり、むしろ俺は困惑してしまった。話が上手すぎる。これでは天奈を攫った意味がますます分からなくなるではないか。俺と話したいだけなら家で出待ちするなり、俺の通りそうな場所を巡回するなり方法はあっただろう。出待ちも十分グレーだが、それにしたってどうしてこんな方法を。人を攫うのはグレー処か限りないブラックだろうに。

「……嘘吐いてないよな?」

「吐く訳ないじゃないですかー。私を誰だと思ってるんですか?」

「お前の事なんて知らねえよ……でも分かった。何処に行けばいい」

「んー。それじゃあ中央駅近くの廃墟でどうでしょう」

「中央駅……?」

 学校の近くの駅の事を言っているのは分かるが、あの駅の周辺に廃墟なんてあっただろうか。ゴミ屋敷はあったかもしれないが、それなりに人通りはある場所だ。廃墟が昔あったとしても、とっくの昔に取り壊されていると思っていた。

「分かった。いつまでに行けばいい」

「来れる時で結構ですよ」

 やはりこの違和感は気のせいではない。本日二度目の困惑を覚えた。先程から榊木は何を言っているのだ。来れる時に来ていいなんて、ドラマでも見た事がない発言である。というかそんな犯人居ないだろう。例えば普通に考えるなら、就寝時に狙われたくないから昼の時間帯指定とか。

「じゃあ直ぐに行く。もうお前は居るんだな?」

「はい。あ、警察なんて呼んだら承知しませんよ」

「分かった。呼ばない」

 このまま電話を切れたら速攻で警察に連絡する予定だったのに、見抜かれた。いや、普通はそういうケアをして当たり前なのだが、来たい時に来ていいなんて珍妙な発言といい、俺の返せという要求にも素直に応じる姿勢といい、彼女を普通の犯罪者として扱うのは無理がある。もしかしたら……と思ったのだが、そこまで阿呆では無かったか。

 程なく、通話が切れる。俺は考える事もせず、中央駅に向かってまずは走り出した。廃墟の存在は寡聞にして知らないが、あるというのならある筈だ。一先ずそれを探そう。

 そして見つけ次第ぶん殴る。基本的に非暴力主義な俺だが、今度ばかりは堪忍袋の緒が切れた。絶対にぶん殴る。一発はぶん殴る。男とか女とか知った事じゃない。妹に手を出すだけでは飽き足らず、碧花にまで何かしたのだ。ああ殴る。誰に何と言われようと絶対殴る。

 俺の意思は固い。



















 ハラキリダンチも廃工場もそうだが、碧花の家を出てからずっと走らされている気がする。もう昼だ。後二、三回走れば、もう夕方だ。言うまでもないが、全身筋肉痛である。普段の俺ならこの辺りでぶっ倒れる所だが、そんな暇は無い。こんな所で倒れたらお巡りさんに保護されてしまう。それ以前に倒れ込んだらもう立ち上がれない気がするので、絶対に倒れてなるものか。 

「……何処だよ廃墟」

 やはり廃墟など無い。ひょっとしたらビルのいくつかは廃ビルかもしれないが、露骨ではない。何処だ。


 ―――路地裏の方に行けば、あるのか?


 こんな昼間から路地裏に行くなんて怪しさ満点だが、ここで道草を食うよりも悪手とは言えない。多少人目を気にしつつも、意を決して路地裏に入ると。

「…………」

 表通りの人通りに反して、全く人が居なくなった。とても同じ町の状況とは思えない。何処か違う町と町が異次元で繋がったと言われた方がまだ納得出来るだろう。表通りに面していないせいで暗いし、暗いから表通りよりは寒いし。こんな所に長居したら憂鬱になってしまいそうだ。さっさと妹を見つけて帰ろう。

「榊木! 何処だー!」

 返事がない。只の屍……だったら困る。妹を隠していたらいつまで経っても見つけられない可能性が高い。路地裏とは言っても営業している店や事務所なんかも無くはないので、見た目明らかに営業していなくて、それでいて簡単に入れそうな場所があれば、十中八九そこだろう。


 トゥルルルルル。


「は?」

 電話が掛かってきた。誰かと思い携帯を見遣ると、また碧花……もとい、碧花の携帯を奪った榊木である。もしかしたら詳しい廃墟の場所を教えてくれるかもしれない(教えてくれなかったら聞くまでだ)と思い、応答する。

「―――はい、もしもし」

「やあ狩也君。元気だった?」

「元気に…………は? はい? あれ、碧花?」

 困惑しすぎて、何を思ったか俺は一度電話を切って、今度はこちらから掛け直した。するとワンコールもならない内に、通話が繋がる。


「やあ狩也君。元気だった?」


 やはり碧花だ。声真似をしているとかではないだろう。というかさっきの今で突然声真似をしてきたら性質が悪すぎる。上げて落とすというよりは、単に突き落としているだけだ。

「あ、碧花……なのか?」

「十年以上も付き合ってて今更かい。何処をどう見たら私以外の何かになると言うんだ」

「携帯越しだから見れねえよ! ―――そのボケはやっぱり碧花だな。え、じゃあお前の隣に榊木が居るのか?」

「榊木―――? いや、私は一人だよ」

「は? じゃあなんでお前の携帯から榊木が出てくんだよ」

「知らないよ。私は只、君の妹に携帯を貸しただけだ」


 ―――何?


 どうして俺の妹があんな奴に協力しなくちゃいけないのだ。というかどうして逃げ出さない。一人で居る碧花の所まで来られるなら、そのまま事情を話して逃げれば良かっただろう。

「…………碧花。中央駅近くの廃墟に心当たりはないか?」

「心当たりかい? それなら路地裏を進んで、突き当りを左に行った所に廃墟があるよ」

「有難う。でも何で知ってんだ?」

「初歩さ」

「習う必要すら無いと思うが」

 名探偵碧花に軽く突っ込みを返しつつ、俺は言われた通りの道順を進む。嘘では無かったようで、突き当りの先には、確かに小規模な廃墟が一件、シャッターが開いた状態で、俺を待ち構えていた。どう考えてもここしかないだろう。

 周辺にも同じような状態の建物はあったが、物理的に入れそうなのは真っ先に目に入ったそこくらいしか無さそうだ。他の場所は……窓ガラスが割れていれば入れたが、埃と汚れ塗れの代わりに罅一つ入っていない。確証も無いのにわざわざ割る勇気はない。

「……まあいいや。ありがとな」

「心配だから私も行くよ。丁度近くに居るから五分くらいでつくと思う」

「すまんな」

 一人で居ると言った割には意外と近くに居た。何をしていたのだろうか。いや、そんなのは後回しだ。俺は建物の前に立って、もう一度彼女の名前を呼ぶ。

「榊木! 居るか!」

 建物内に俺の声が反響する。木霊する。霧消する。その間に榊木からの返答はなく、反応も無い。姿を現してくれる事も、妹の声を聞かせてくれる事も、問答無用で俺を殺しに来る事もない。

 不穏な匂いがする。

 それが具体的に何か、とは言えないが、ここに一歩でも踏み込めば俺は後悔する気がする。理由もないのに進みたくないなんて久しぶりだ。碧花が来るまで待とうか。いや、それでは遅すぎる。

「…………天奈!」

 破裂しそうな不安を心臓に刺し留めて、俺は勢いよく建物の中に侵入した。

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