来たるは天使か女神



 俺に語彙力があるとは思わない。なので陳腐な表現を使わせてもらうが、その女性は正に女神だった。明らかに面識はなく、見覚えも無いが、可愛いのでもう何でもいい。別クラスにこんな美人が居たとは思わなんだ。碧花が現実離れしすぎているからだろうが、アイツを抜きに語れば目の前の女性が一番可愛いかもしれない。


 惚れ補正でそう感じるだけかもしれないが。


「そ、そうだよぉ?」


 こういうのは第一印象が大事だと考えるより前に、俺の発した第一声はしなびた野菜みたいに勢いがなかった。彼女いない歴=年齢は伊達ではない。俺は俺が思うよりずっと、情けなかった。


 そんな俺の声を聴いても、その女性はニコニコしたまま近づいてきた。


「初めまして! 私、緋桜灯李って言うの! 別クラスだけど……私の事、知ってる?」


 ここで是と答えるか否と答えるか。印象良く見せたいならば前者だが、墓穴を掘りそうなので正直に行く。


「い、いや。知らない、かな。もしかして、全国大会とか行ってる?」


「行ってないって、やだなあ! でも……私の事、知っててほしかったなあ。たーくんだって知っててくれたのに」


「た、たーくん?」


「私の元カレ! 束縛的だったから別れたけどね。狩也君は、勿論私の事を束縛なんてしないでしょ?」


「あ、当たり前だろ! 女性を束縛するなんて最低だからな!」


 突然元カレの話をされて驚いたが、これ以上の縁なんて無いと思っていた俺は、腹の中では不快を抱えつつも、その場では流す事にした。さしてモテない俺が言っても説得力は微妙かもしれないが、デート中に他の男の話をされると、ジェラシーを感じてしまうというか。心の中にそれだけ残っている男と、その男に上塗りされるくらい薄っぺらい自分の差異を感じてしまうのだ。


 そんな俺の想いも、直ぐに吹き飛ばされた。灯李の笑顔はそれだけ可愛く、元気を貰えた。


「それじゃあ、早速行こっか!」


「え? 行くって何処へ?」


「狩也君知らないの? じゃあほら、あれが見えるかな? あのジェットコースター! ちょっと遠いけど、あの遊園地に行きたいなあって思って。連れてってくれる?」


 灯李は俺が乗ってきた自転車を一瞥した。


「お、おうッ」


 二人乗りは違反だが、大いなる恋は秩序すらも押し退けると誰かが言っていた気がする。今の俺に良識など無く、脳内にあったものは彼女に楽しんでもらいたいという想いだけだった。自転車を旋回させて彼女の近くまで引き寄せると、俺の腰を掴む形で、灯李が後ろに乗った。


「しゅっぱ~つ!」


「しんこーう!」


 ペダルを漕ぐ足が軽い。女性の身体が触れているだけでこうも俺の身体は昂るらしい。朝で人通りが薄いのもあるだろうが、それ以上に俺のペダルを漕ぐ速度が速かった。人にぶつからない様に配慮はしている。曲がり角に差し掛かった時は減速もしている。ただ、それ以外は全速力だ。そうまでして全力を続ける理由は、遊園地が想像以上に遠いという事もあるが、何よりは―――


「はやいはやーい!」


 灯李が喜んでくれるからである。こういう爽快感を楽しめる感性は男女共通だ。女性が何をすれば喜ぶかを知らない俺でも、これくらいは分かる。


―――やっぱ、碧花に聞いとくべきだったかな。


 変な意地を張ったのは悪手だったか。碧花が普通の女子ではない事を理由にしたが、女子は女子だ。聞けば何かしらは参考になるだろうし、有用だろう。聞かなかったのは偏に俺の意地。男としての最低限の誇りだ。


 いつもアイツの袖を引っ張っているだけじゃ、彼女なんて出来ない。その誇りが俺を突き動かしたが、今になって若干後悔している。ここはともかく、遊園地でどんな事をすれば喜ばれるかなんて分からない。かと言ってこの状況で携帯を弄れば確実に事故る。それと碧花は女子だ。デート中に他の女子と会話する事がどれだけ酷い事かは分かっている。


 何せ俺は、他の男が話題に出てくるだけでも不快感を抱く小さな男だ。しかし小さいからこそ、人が嫌がるかもしれない行為には人一倍敏感なのだ。


 でも分かって欲しい。こうまで俺が考え込むのは、灯李に楽しんで欲しいからだ。一度も彼女が出来た事のない男の、精一杯のもてなしの様なものだ。経験のない俺にはこれくらいしか出来ないが、どうか受け取って欲しい。


「狩也君って自転車漕ぐの上手いんだねー!」


「そうか? 使い慣れてれば誰だってこんなもんだろ」


「ううん。たーくんより上手! 凄いっ!」


「へへ。そうかよッ!」


 やはりこんな言葉一つに心を躍らせる辺り、俺は本当に小さい男だ。たった一つ、それもさして意味のない所で元カレを上回って、ここまで嬉しいのだから。


「お前はさ。結構学校でモテたりするのか?」


「そりゃあ勿論! 昨日も三十回は告白されたかなー!」


「三十回ッ!? 自覚してんのはおかしいと思ったが、そんだけされてりゃ自覚もするか」


 まぐれとか、たまたまで三十回も告白される豪運の持ち主は居ない。それがあり得たとすれば、モテているという事だ。


「私は、自分の事をそこまで可愛いとは思ってないけどね?」


「大体皆そう言うよな。実際はどう思ってるんだ?」


「超可愛い!」


「正直かッ!」


「だって、可愛くないと告白されないし」


「そうだけどな!? でも自分で言う奴なんて初めて見たわ」


 碧花だって自分の事を『美人』だと称した事は一度もない。冗談半分で自称した事はあったような気がしないでもないが、真面目にそれを自称した事はない。校内一の美人との異名は彼女も知っている筈なので、心の中では思っているかもしれないが、口に出した人間は灯李が初めてだ。


「あーあ。でもたーくんだったら、バイクに乗せてくれたんだろうなあ」


「ば、バイク? バイクと言えばこれもバイクだぞ?」


「え? これって自転車でしょ?」


 一瞬、空気が冷める。今のは俺が悪い。碧花と会話しているようなノリでついボケてしまった。知り合ったばかりの灯李がこれにノれる道理はない。俺は急いで「あ、そうだな」と付け加えた。


「悪いな。バイクの免許ないんだよ……本当にごめん」


「あ、いいんだよ別に! これも楽しいし! でもバイクの方が良かったなあって、それだけだから!」


 著しい劣等感しか感じない。デートってのは男女共に楽しいモノでは無かったのか? 肩を組んでお揃いのアクセサリーを身に着けて歩くカップルなんかを見て勝手にそう思っていたが、今の所俺は全く楽しくない。笑顔を顔に張り付けて誤魔化してはいるものの、その裏にあるのは劣等感から来る怒りばかり。


―――意地張んなきゃよかったなあ。


 自信ありげだったし、あの時は碧花の言葉に耳を傾けるべきだったかもしれない。彼女を出し抜いた手前、今更頭を下げるなんて出来ないが。


 それからも他愛ない話が続いておよそ二時間。『少し遠い』を遥かに超越した距離を詰めて、遂に俺は遊園地に到着した。入り口前は人でごった返している。


「うわあ。二時間くらい並びそうな感じだなあ。ここに行くのか?」


「うん。だって楽しいし! あ、狩也君は並んでてくれる? 私、ちょっとトイレに行ってくるから!」


「え、あ―――ちょっと…………」


 俺の制止も空しく、灯李はトイレの方向へと走って行ってしまった。直ぐ帰ってくるとは思うが、何だろうこの空虚な感じは。年間パスがあれば良かったのに、そもそもこの周辺を見慣れない土地と言い切っている俺がそれを持っている筈はない。


 待ち合わせの時間までを広場で過ごし、ここに来るまでを全力疾走し、そして入場の為に全力待機。唯一の癒しともいうべき灯李はトイレに行ってしまったきり一時間。戻ってこない。


 デートとは、一体。


 彼女が戻ってきたのは、俺がチケットを購入し、入場直前になってからだった。大体三時間くらい待っただろうか。下手に電池を使う訳にもいかなかったから携帯も弄れなかったし、地獄の時間だった。


「ごめーん! 今どのくらい―――って、もうすぐ入れそうじゃん!」


 俺の苦労を嗤う様に、灯李が俺の手を取って、腕を組んだ。


「今まで何してたんだ?」


「トイレだけど?」


「三時間は長すぎるだろ」


「トイレ自体は直ぐに出たよ? けど偶然近くに友達が歩いてるのを見つけちゃって。……怒ってる?」


 ああ怒っている。怒っているというか、怒りしかない。あんな地獄の時間を過ごした自分に対して、彼女は友人と楽しく喋っていたのだ。それを許せる筈がない。俺は握りこぶしを固めて、灯李の方を見据えた。


「いいや、全然気にしてないよッ。俺でも同じ事するだろうからな。でもここに入ってからは……やめてくれよ」


「うん!」


 可愛いは正義という言葉もあるが、あれは真実だ。どんなに無神経だろうが、迷惑だろうが、現在進行形で可愛ければ許してしまう。少なからず、俺という人間は。


 チケット確認の人に促され、俺達は遂に遊園地へと足を踏み入れた。彼女が出来ない俺にとっては二度と縁がない場所だと思っていたが、世の中何があるか分かったモノじゃない。


 俺に惚れてくれた女性が隣に居るだけで、遊園地は八割増しで楽しそうに見えた。 

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