一時の妄想 



 萌と飯を食べ終わって別れた後、俺は家への帰り道を辿りながら、碧花とのデートについて考えていた。


 どんなデートをすれば喜んでくれるだろうか。この時期で言えばやはり海水浴とか、プールとか、温泉というのもいいかもしれない。季節外れだけど。


 そうだ、夏祭りとかどうだろう。俺は碧花の水着姿も浴衣姿も見た事あるが、昔と比べて碧花の身体も随分成長している。中学生の頃でさえ大人と間違えられたあのスタイルで、今はどんな格好をするのか。純粋に気になった。黒のビキニなんて明らかに中学生や高校生の着用するものではない(似合わないだろう、という意味で)のに、彼女が着ると様になる。特にあのくびれ。程よく引き締まったお腹だ。巨乳の女子というのを全く知らないという訳ではないが、俺の知る限りそういう奴は胸以外がだらしない。これを言うからには俺は夜道で刺される覚悟をして言うが、胸の大きい奴は大概お腹周りが酷い事になっている。だが碧花は違う。顔をすりすりしたくなる様な美しさと、柔らかさと、硬さを持っている。最早作り物としか思えないくらい完璧な体だ。けれどあれはちゃんと肉の身体。作り物ではない。


 ビキニに関して俺は黒が好きだが、彼女ならば何を着ても似合いそうである。黒が好きというのは単に刺激が強いからという理由であり、困った事に俺は興奮するのを抑えようとしているのに、より強い興奮を求めてしまうのだ。男の性というものは実に悲しいものである。


 温泉についてだが、流石にそっちの浴衣姿は見た事がない。けれども、これはあまり頭には入れてない。どうせ修学旅行で見られるのだ。というか見に行くのだ。修学旅行には深夜テンションにも似た奇妙なノリがあるので、その状況であれば普段は何もない時でも……もしかしたら。彼女とそういう関係になれるかもしれない。


 俺も、期待していない訳ではないのだ。何かの間違いで彼女と……一度でもいいから、出来たらと。この学校で碧花を知る殆どの男子が思っている事だろうが。まあ実際の話をすると何も起きないし、そもそも起きる様な状況になるとしても俺が途中でヘタレて自らぶち壊す未来が見えている。実際に直面してみなければ何とも言えないが、どうせ俺はヘタレだ。


 今回も、女風呂を覗くくらいで終わるのだ。


 夏祭り……ああ、そう言えばこういう催しも浴衣だったか。ならば見た事がある。前言撤回だ。あの時はなんかの花が刺繍された白色の着物だった筈。普段黒色ばかり眺めているせいで、初めて見た時はやけに碧花が清楚に感じたものだ。他意はない。


 問題は、どれを見たいかという話である。正直な所、全部みたい。別にビキニでなくとも、ワンピース姿でもいい。それはそれで、俺にとっては目の保養になる。だがしかし、今回は彼女を満足させるデート。俺の要望ばかり通しては、彼女が満足できないではないか。



 困った。



 これは非常に困った。俺は助言を求めるべく、とある所へ電話をしてみる事にする。電話は数コールの内に繋がった。


「もしもし? お兄ちゃん?」


 俺の妹、天奈だ。あの時以降、俺への感謝なのか態度が柔らかくなったので、どさくさに紛れて電話番号を交換した。別に他意はなく、家族との連絡用なのだから、本来は無ければ駄目だと思う。


「なあ天奈。お前を女性と見込んで頼みがある」


「……何か、嫌な予感がするんだけど」


「女の子が喜ぶような場所って何処なんだ?」


 俺の質問を何だと思っていたのか、電話口から妹が露骨に安堵する声が聞こえた。一体彼女は俺の事を何だと思っているのだろうか。暫くムッとしていると、再び声が大きくなる。


「どうして急にそんな事を?」


「いやあその……聞いて驚くなよ? 俺実は……」









「えええええええええええ!」








「まだ何も言ってねえよ!」


「あ、ごめん。つい癖で……」


 癖? 俺の妹はいつの間に読唇術染みた……いや、電話越しなので読唇ですらない。読心術である……特技を体得したのだろうか。まさか俺の知らぬ間に週刊少年漫画染みた修行が行われていたとでもいうのか。或いは俺の家に修行場所にうってつけな場所があり、そこで日々の修行を重ねた結果…………



 漫画の読み過ぎである。



「で、何?」


「デートするんだよ」




……………………………




「ごめん。何て言ったの?」


「いやだから、デートするんだよ。校内一の美人と」




 …………………………




「援助交際?」


「違うわ阿呆! 只のデートだよデート! だからその……教えてくれないか、女性が行きたい場所っていうか、そこに行ったら満足するよーっていうの」


 何故俺が碧花と援助交際しなければならないのか。そもそも性欲処理なら俺がその気になれば碧花からしてくれるので、わざわざそんな形態をとらなくても……って違う違う。そうじゃない。妹の口から援助交際という言葉が出た事自体、俺からすれば驚きなのだ。


 まだ妹はキスで子供が出来るとか言ってると思っていたのに……俺の可愛い妹は一体何処で穢れてしまったのだろうか。嘆かわしい限りである。 


「まあ、私の意見で良ければ教えてもいいけど。何で電話なの?」


「え?」


「お兄ちゃんが家に帰ってくれば、直接話せるじゃん」



 あ。























 兄がデートをすると聞いた時、私はなんだか心の奥が寂しくなってしまった。ブラコン、とかではない、決して。単に兄が私から離れていく様な気がして、ジェラシーという訳ではないが、気分が悪かった。


 援助交際と言ってくれた方がまだ気が楽だった。いや、援助交際はダメなんだけど。気持ち的な問題で。だから私の我儘を押し通すなら、あえて失敗する様に仕向けるべきなのかもしれない。


 けど私は兄の事が大好きだから。兄の笑顔を見たいのなら、そんな事をするべきではない。ちゃんと成功する為のアドバイスを送るべきなのだ。


 今まで苦労かけたのだから、こんな所で迷惑を掛けたいとは思わない。私は自分の我儘を、胸の中にしまっておくことにした。別に兄の事を恋愛対象として見ている訳でもないのだ。自分がどうこうしようなんて間違っている。


「ただいまッ!」


 兄が帰ってきた。私が出迎えに行こうとすると、それよりも早く兄が飛び込んできて、勝手に転んだ。


「な、何やってんの?」


「はあ…………はあ…………急いで帰ってきたんだよ! お前が……教えてくれるって言うから」


 今は真夏という事もあって、兄は全身汗だく、とても人には見せられない様な状態で床に転がっていた。流石にこの状態を放置したまま呑気に話す事なんて出来ないので、私は兄の身体を強引に起こし、廊下に送り返す。


「と、取り敢えずシャワーだけでも浴びてきて! お兄ちゃんの顔、酷い事になってるからっ」


「で、デートの場所を……」


「後で教えてあげます! いいから行きなさい!」


 私が乱暴に扉を閉めると、廊下の方から兄が起き上がる音が聞こえる。一度転倒したので、多分そうだろう。何やっているのだか。私は水を冷蔵庫から取り出し、一杯飲み干してみる。少し気分が落ち着いたので、兄を待つ形で、私は椅子に座った。


 それにしても、兄がここまで必死になるなんて。よっぽどその人の事が好きだという感情が窺える。気になるのは、どうして校内一の美人なんかが私の兄とデートするのかという事だ。兄は無邪気に喜んでいるが、どうにも妹として、この冴えない兄が美人とデートをするなんて信じられない。


 高身長という訳ではない(それでも一七〇はあるけど)し、足が速い訳でもない。頭が良い訳でも、カッコイイ訳でもない―――いや。何かに攫われた私を助けてくれた兄は……格好良かったけど。それだけだ。見た目的には普通という他ない。何なら少し下まである。




 私の脳裏には嫌な予感が過っていた。まさかとは思うが兄は、遊ばれているのではないか?




 似たような事件を知っている。私の学校にある映画研究会で、クラスのマドンナに頼んで教室の隅に居る無口な男の子にアプローチしてもらい、その子がマドンナに告白する瞬間を撮影。映画の材料にして、文化祭の出し物で公開したという事件を。事情を知らない人は「リアルな演技だ」とか言っていたけど、それも当然。だって、当人にすればリアルだし。


 当然マドンナは彼の事なんか好きじゃないから振ったし、彼はその失敗を今も引き摺っている。文化祭で大々的に公開された事で心の傷が深くなってしまったあの子は、それ以降引き籠りになって、滅多に学校から出なくなってしまった。見て見ぬふりをしてしまった(正確にはそんな事情があるとは知らず、彼も映画の関係者なのかと思っていた)私は、罪滅ぼしのつもりで何度か彼の家に様子を見に行き、それが功を奏して彼は私にだけは微妙に心を開いてくれているが……もしかして兄も同じだったりするのではないだろうか。


「終わったぞー!」


 兄がリビングに入ってくる。その顔は天国にでもいるみたいに嬉しそうで、口角が幾分柔らかい。普段も柔らかいが、ここまで雰囲気が違うと、いっそ不気味に思えた。


「ねえお兄ちゃん。一つ聞いて良い?」


「ん?」


 私が前のめりに尋ねるも、兄は怯んだ様子もなく頷いて、向かい側の椅子に座った。


「何だ?」


「校内一の美人ってどんな人ッ?」


 兄は知らないのだ。女性がどんなにか恐ろしい存在であるかを。男性に対して大体「運命の出会い」とか『赤い糸で結ばれている」とか言い出す自称一途は他にも男を持っている。証拠? 私の友達がそれだ。皆、学校では猫を被ってる。清楚ぶって、いい子ぶってる。


 けど実際は……清楚とは言い難い。女っ気のない男子を誘惑して、操って、好き放題に動かして飽きたら捨てる。そういう事を平気でする女性は大勢いる。私の勘が告げていた。その人も恐らく、兄の事を弄んでいるだけに違いないと。



 こんな兄とデートに望んでいく女子なんて、居る筈がないと!



「あー。でも一回家に来ただろ。アイツだよ。水鏡碧花って言うんだけど」


「え? あの人? ……ねえ、やっぱり不思議なんだけど。どうしてお兄ちゃんがあんな人と友達になれたの?」


 不思議でならないのはそれだ。今だって疑問である。あんな綺麗で完璧な体をした人、私でも見た事がない。私のクラスにもスタイルが良いとされる人は居るけど、あの人と比べてしまうと寸胴体型と罵られたって仕方ない程の差がある。女性としてもあんなボンキュッボンになれたらどんなにか男子にモテるか。


 一度くらい、なってみたいものだ。


「俺も知らん。只、気づけば友達になってた。そういうもんだろ。普通」


「いや、そうかもしれないけどさ…………お兄ちゃんだっておかしいと思ってるんでしょ? 調べようとか思わないの?」


「アイツが『君の隣が心地いい」とか言ってるし、まあいいかなって……ってそんな事はどうでもいいだろ! 教えてくれよ。女性はどういう場所に行きたがるのかって!」


 この感じでは、兄は一生彼女なんて出来ないだろう。簡単に騙されてしまうなんて、情けない。確かに私も兄とあの人が仲良く喋ってるのを見たけど、それだけだ。あの人が本当に兄の事を好いているかは分からない。兄に何かをしようと企んでいるだけかもしれない。


 今時、只『好き』などという純朴な女子が居る筈あるまい。きっと何か裏がある。そうに決まっている。そう言ってやりたいのは山々だったけど、今の兄はデート場所を知りたくて仕方ないらしいので、私は話を切り替えたつもりで、言い直した。


「んーやっぱり綺麗なものだったり神秘的な光景が好きだから……お兄ちゃんに要望とかある?」


「俺か? 俺は今の季節だとやっぱり泳いだりしたいよなー! でも海水浴ってのもありきたりだろ? ていうかそれだと、俺のデートになるし」


「―――何言ってるのか分からないけど、それだったらいい場所があるよ」


「ほんとか!」


 私は携帯を取り出してあらかじめ検索してあったページを兄に見せる。


「何だここ」


「水族館とプールが繋がってる施設だよ。だから泳ぐのに疲れたら、水族館の方でゆったり歩きながら楽しめるって事。それにね……えーと。これはお兄ちゃん達で決めて欲しいんだけど。施設内に宿泊施設もあって、お金さえ払えば泊まれるんだけど……」


「泊まれるんだけど……?」


 教えるべきだろうか、この事を。いや、教えない方がいいだろう。兄に思う存分楽しんでもらいたいと考えるならば、黙っている事も時には必要である。思考に取り返しはついても言い出した事に取り返しはつかないので、私は何とか前述の言葉に繋げつつ、真実を誤魔化す。


「間違えないで欲しいのは、施設内のホテルだって事ね?」


「…………どういう事だ?」





「施設の外にもホテルがあるんだけど。そこ――――――ラブホテルだから」















 いやいやいやいやいや。


 いやいやいやいやいやいやいやいや。


 ラブホテルとは。カップルの性行為に適した部屋を休憩もしくは宿泊で利用できる施設の事である。



 ってそんな事はどうでもいい。



「べ、別に入らねえよ! 教えてもらわなくたって!」


 そもそも入れない。俺を何歳だと思っているのか知らない……では済まされない。俺達は兄妹だ。お互いの年齢を知らなければおかしい。仮に俺が性欲の獣で、碧花を引き連れて入ったとしても、入り口で追い返されて終わりだろう。


「大体お前が何でそんな事知ってるんだよ。使ってる訳じゃないんだろう?」


「うん。でも私の友達が……使ったらしいから」


「は?」



 それは…………驚愕とかそれ以前に、違法行為という奴ではないだろうか。



「マジ?」


「知らないけど……使えたって事は、多分まともな所じゃないと思う。だから―――もし、あの人に誘われたりとかしたら、全力で逃げて。お兄ちゃんが犯罪者になるなんて、私、嫌だから」


 妹の心配を、俺は真摯に受け止めていた。多分、碧花とのデート中に話題に挙がる事すらないだろうが、心の隅には留めておこう。まさか彼女が俺をラブホテルに誘うなんて無いだろうし。そもそも碧花にだって常識はある。俺達が高校生な以上、ラブホテルに縁が生まれてはならないのだ。


 仮に年齢的な意味で合法だったとしても、無いだろうけど。





 悲しい。





「他のスポットとかは知らないのか?」


「勿論あるよ。ここから電車で一時間くらい掛かっちゃうんだけど、動物園とか―――」



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