狂気を吞み干す

 『妹』の足取りは非常に遅い。萌が犯されるまでの時間稼ぎをしているのではないかと疑われても仕方ないくらいだ。ビデオ越しに見た部屋の大きさはそれ程大きくないので、幾ら萌と言っても、もう……いや。犯されていない事を願うばかりだ。万が一にでも彼女が犯されてしまったら、俺はクオン部長に顔向け出来ない。夢の中で殺されてしまいそうだ。



 ―――俺が貴方の正体を暴かなきゃ、まだ貴方は萌の隣に居たかもしれないのに。



 と言っても、厳密には暴いた訳じゃない。『萌子』と彼女の事を呼ぶのは『ゆうくん』一人だけだが、その『萌子』呼びを『ゆうくん』候補が全員やっているのでは、正体を見破ったとは言えない。これも語弊が無い様に言うと、九穏猶斗からは聞いていないが―――この話はややこしくなる。今考えても頭痛がしそうだ。


 ともかく、俺はあの時クオン部長の正体は見破ったかもしれないが、『ゆうくん』の正体は見破れていない。黄金期のオカルト部が絡んだ事件はどうもややこしくて好きじゃないが、それだけは確かな事だ。


 敢えて見破ったかも、などと言ったのは、あの時以外のクオン部長が一回も『萌子』と呼んでいない事から……あの時墓の前に来たクオン部長は、俺の知るクオン部長とは別人だった可能性を否めないからだ。


 あの墓の前に来たのは有条長船だったかもしれないが、今までの部長が別人だったと仮定すると……見破った、とは言えないだろう。


「どうしたの、お兄ちゃん? 浮かない顔しちゃって」


 単に演技をしていた可能性もある。こちらまで考慮すると、西園寺部長も候補から外れているとは言えない。彼は見るからに演技が上手そうだし、萌と接する時と俺と接する時では違うのかもしれない。


 ただ、正体が何であれ、クオン部長はクオン部長だ。また俺達の前に現れてくれるのなら、その時は深い詮索はせずに、歓迎したいと思う。



 二度と現れないと、肌で感じてはいるが。



「お兄ちゃん?」


「…………考え事してた。所でいつまで歩くんだ?」


「もうすぐだから、そう焦らないで!」


 同じ町の筈なのに、風景もそうだが、何より道を知らない。裏世界にでも来た気分だ。萌は一体どんな場所に囚われているのだろうか。そんな不安が頭を過ったのも束の間、俺は再びクオン部長の正体について考える。


 西園寺部長は『君の知るクオン部長は二人居る』と言っていた。それは浅く見れば九穏猶斗と有条長船の事だが、その有条長船が墓の前限定だと仮定すると、クオン部長は三人居た事になる。それは演技とかそういう問題ではないから西園寺部長では無いだろうが、残りは那峰先輩だが……あり得ない。絶対無い。萌と同じスキルが使えるなら話は別だが、どうやらあれは萌の固有スキルに思える。


 やはり体型マジックショーは伊達ではないという事か―――


「……お兄ちゃん、ついたよ」


「―――何で小声なんだ」


「だって、気づかれちゃうでしょ」


 俺達の目の前には、地下へと続く無尽の階段が広がっていた。何段あるのか数える気にもならない。スラム街じゃあるまいし、まさかこの平和な町にここまで不穏な階段があるとは思いもしなかった。


 誇張抜きで怪物が出てきそうだ。


「この先に萌が居るんだな?」


「そうだよ。準備はいい?」


「ああ、今すぐ行くぞ」


 確実に後ろを取れるよう『妹』の背後に移動し、俺は一段目を踏みしめた。この先に続くものが、地獄の入り口でない事を祈りながら。














 途中から視界は極端に狭まり、見えているものがあるとすれば、視界の中央で灯りと共に俺を待つ鉄扉くらいだ。その鉄扉も、先に到着している『妹』の影で、欠けている様に見える。誰も何も言わない。ただし沈黙は足音の反響によって抑えつけられていて、静寂は感じない。


 この時点で萌の父親に音が聞こえている気もするが、大丈夫なのだろうか。勘違いしないでいただきたいが、これは『妹』の心配をしているのではない。音を聞いた事によって父親が何をしでかすか分からないから―――要は、萌の心配だ。


 彼女はなんだかんだで俺よりも肝が据わっていて、いざと言う時の行動力はあるが、そんな彼女の唯一の弱点が父親だ。初めて父親と会った時、表情が固まったかと思いきや、終いには泣き出してしまった。


 何の変哲もない道でこの反応だったのだ。個室で二人きりになったら……ああ。ビデオなんて序の口だろう。早い所助けなければ。


 ソシテ貴様ヲ殺サナケレバ。


 無事に階段を降り切り、ナイフを愛おしそうに撫でる『妹』をよそに、俺はドアノブに手を掛けた―――




「いやあああああああ! やだやだやだやだやだやだ! やめて、やめて!」


「この……お父さんの言う事を聞くんだ!」


「せんぱああああああい! 助けてえええええええ! 私! 私! う゛ッ…………!」




 ―――萌!?


 ドアノブを回して直ぐに入ろうとするが、やはりというべきか案の定と言うべきか、鍵が掛かっていた。ノブが途中で止まる。動揺から心拍が一気に上がるが、この間も扉の先で二人の会話は続いている。


「あの男の事を調べたぞ、萌! 何だあの男は! 学校では良い噂を聞かなかったぞ! なんでも人殺しだそうじゃないか!」


「違います……先輩は良い人で…………あぐッ!」


「いいや、人殺しだ! 知人に頼んで探偵をしてもらったら、以降消息不明となった! アイツは自分が探られる事を嫌って、殺したんだ!」


 その件の心当たりは一ミリも無いが、ともかく助けなければならない。会話と会話の間に妙な間があった事から、恐らくついさっき萌は殴られた。


「……くそッ!」


「あ、鍵掛かってる感じ?」


「―――うおらッ!」


 ドアノブに期待は出来ないので、バレる事を前提で、俺は扉に向かって全力タックルをかました。


 しかし。


「ああ―――ッかねえ…………!」


 漫画みたいにはいかない。うんともすんとも言わないとは正にこの事だ。凹む処か、派手に音を立てただけである。


「私はな、萌。お前の事を想って言っているんだ。あんな男の傍に居てみろ、いつかお前も殺されてしまう。それに経済力があるのはどちらだ? ―――お前を学校に行かせない事も出来るんだぞ?」


「ひっ―――!」


 中に入らなければ。早く中に入って、一刻も早く萌を助け出さなければ。口答え出来ているのはきっと奇跡だ。そうでなければ俺が来ると信じての時間稼ぎだ。本当はきっと、泣きたくて、逃げ出したくて、目を瞑りたくなるくらい恐怖を感じているに違いない。


「萌ッ! 萌ッ! 聞こえるか! 今助けに行くからな!」


 タックル、パンチ、キック、頭突き。何をやっても扉は開かない。凹みもしないし千切れもしないし、開く事もない。血相を変えて扉に挑む俺を、『妹』は横で大笑いしながら見ている。


「いやいやいや、無理があるってお兄ちゃん! これ鉄製だよ? お兄ちゃんの身体じゃ無理だって。ね? よく分からないけどこっちの音は聞こえてないみたいだし、ここは内側から開くまで―――」


「開けよ! 開けよ! 開けよクソガアアアア!」


 人間には一足先に恐怖を感じる性質がある。ガラス前に割るつもりでパンチを繰り出してみるといい。素人は硝子に腕が当たるより遥か前―――人によってはパンチを繰り出す前から恐怖を感じて、反射的に力を弱める。または完璧に殺して、勢いを止める。


 喧嘩慣れ、仕事慣れしている人間はこの恐怖を感じないかもしれないが、意識して克服しようとしない限り、素人はこの恐怖に勝てないし抗えない。そこに唯一の例外があるとすれば、それは恐怖に勝る感情がある場合だ。


 俺の拳も蹴りも、反響音や流血具合を見れば分かるが己を大切にしていない。扉に仕掛けるあらゆる行動に対して俺は全力で挑んでいる。これだけ大きな音を立てていれば流石に気付く筈なのに、萌の父親はまるでこちらに関心を示さない。


「―――そう。良い子だ。父親に楯突くなんて悪い子のする事だ。萌は違うね?」


「萌! 抵抗をやめるな! 今向かうから、絶対助けるから!」


「さあ服を脱がそう。子作りに服は要らないからな。大丈夫、勿論お父さんも服を脱ぐから」


「ヤ゛メ゛ロ゛!」


 腕が壊れても構わない。この扉さえ壊せたら。骨付近から流血している拳で、扉を壊せれば。


「萌に…………俺の大切な後輩に、手ヲ出スナァ゛!!」



 気合いは最大、威力は最低。それでも今出せる全力をこの扉に―――叩きつける!



 大きく振りかぶった拳が突き出され、傷一つ付けられなかった鉄扉に触れた、その瞬間。


「―――うおっとッ?」





 何が起きたかは俺も知らない。拳が当たる瞬間に扉が消えたのだ。





 消える事自体普通ではないが、その消え方も、まるでクッキーを齧るみたいに一部が消えて、それを理解する間もなく全体が消えて。


「…………え?」


 横で俺の努力を嘲笑っていた『妹』にも心当たりがないようで、抱腹絶倒もしかねない勢いから一転。目を点にして、呆けていた。


 無論、そんな奴を気にしている余裕はない。『妹』を置き去りに、俺は部屋のど真ん中で萌の服を脱がさんとしていた(既に半分程度脱がされている)男に向かって、前蹴りを見舞った。


「離レロ!」


「ぐお……!」


 脇腹を思い切り蹴りつけて、萌の上から強引に排除。扉は音もなく消えたから、行為に及ばんとしていた男には突破された事が分からなかったのだろう。爪先がめり込んだ手応えに間違いは無く、男は暫く情けない表情で苦悶しながら脇腹を押さえていた。


「萌! おい、助けに来たぞ、大丈夫か!」


 肩を揺らして反応を確かめるが、意識は不鮮明で、頷く事もしてくれない。揺らす度に両目から零れ続ける涙が散らされ、俺の顔に掛かった。


「おい! おい! …………クソ」


 駄目だ。俺ではインパクトが足りない。まだ付き合いが浅いのだ。彼女の正気を取り戻すには、もっとインパクトの強い……それを見たら一発で目が覚める様な。


 周囲を見回すと、それが出来得るかもしれない物は一つしか無かった。使うのには少し躊躇するが、萌の父親がいつ反撃してくるとも分からない。


 それを被り、俺は改めて萌に声を掛けた。


「萌! 起きろ! 起きろ!」



 ………………。



「起きろ! 目を覚ませ!」



 ………………。



「俺が誰か分かるだろ! この『狐面』を見て、思い出せ!」


 クオン部長の形見を使っての呼びかけは、一度目より確実に萌の意識に響いた。焦点の揃わなかった瞳に、光が差し込む。


「……部長…………?」


 萌とクオン部長は二人きりでフィールドワークに赴くくらい付き合いが深く、長い。喪失寸前の意識を呼び起こすには、十分すぎる。微かでも覚醒してくれたなら、後はどうとでもなる。仮面を外して正体を明かすと、彼女の双眸が大きく見開かれた。


「…………せん、ぱい……? 来てくれた……んですか」


「お前を守るのは俺の役目だ。クオン部長にもそう言われたし……女の子を守るのは、当然の事だろ。大丈夫か?」


 右頬が腫れているのは、殴られたからだろう。やはり俺の見立ては正しかった。


「…………大丈夫に、見え……ますか」


「―――すまん。遅れた」


「……いい、です。来てくれて…………ありがとう………………ございます」


 幾らか会話してみたが、この様子では自力で逃げてもらうのは無理そうだ。このまま意識を保ち続けるのが精一杯に思える。俺は狐面を萌に被せると、彼女の父親に身体を向けて、仁王立ちした。


「俺は、萌の笑顔が好きなんだよ。でもお前が居ると、萌は絶対に笑ってくれない」


 激痛が消えたか、萌の父親は脇腹を押さえるのをやめて、伏した体勢から俺の事を睨む。明確な殺意と憎悪をひしひしと感じるが、怯んでたまるものか。







「消えろ。お前みたいな奴は父親になるべきじゃない」




   



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