三人目の存在

 薄々勘付いていたとは言ったって、少しくらい期待しても良いだろう。一番良いのはぬいぐるみが一ミリも移動しておらず、シャワー室の水も止まっていない事だが、事態はそこまで上手くいくものではない。音からしてシャワーは止まっているし、ぬいぐるみも案の定、そこには無い。足元にはぬいぐるみが動いた事を示す様に小さな足跡が続いており、それは俺達とは反対の方向……つまり、校舎の方に向かう形で続いている。これはあれが動き出した証拠とも言えるが……実際はどうなのだろうか。

「……そういえば」

「うん?」

「君はどういう人形を使って一人かくれんぼをしようとしたんだい?」

「いたって普通の熊のぬいぐるみだ。間違ってもついさっき出会ったあの気色悪いよく分からん奴じゃないぞ」

「下手な粘土細工みたいだったよね」

「そうだったか? 俺はもうあんな奴の姿なんぞ思い出したくもないから、正直どんな感じだったとかそういうのは語れん」

 俺的には、まだ熊のぬいぐるみが歩いてきてくれる方が良かった。その方が間合い的な意味合いでも都合が良かったし、多分恐怖を覚える事は…………いや、あの可愛らしい外見が無表情で襲い掛かってくるのも、それはそれで怖いか。けれども、生理的気持ち悪さまでは無かった筈だ。熊がどんな事をしても熊は熊。怖い熊か可愛い熊か普通の熊かヤバい熊か。それだけの違いだった筈だ。ちゃんと動いてくれていれば……いや、動いているのだが。

 人形が居ないとなると、やはり一人かくれんぼは正常に起きているし、終わらせる為には人形が必要になる。ここで気になってくるのは、あのよく分からない奴である。


 あれは、何だ?


 形容のしようがないというのも勿論あるが、あんなものを呼びだした覚えはない。一人かくれんぼは降霊術であって、無差別に霊を呼ぶ術では無かった筈だ。そんな術だったら俺の度胸を賞賛して欲しい。俺はこの学校が幽霊屋敷になるのを承知でやったという事になる。迷惑を掛けるつもりは無いと言っておきながら、これだ。

 そんな冗談は置いといて、本当にあれが分からない。せめて無視するべきか、否かさえ分かればよいのだが。

「手分けして探さないかい?」

「辞めた方がいいだろうな。あの訳分らん奴がどういう風に動くかも分からないのに、勝手に動くのは自殺行為だ。俺も守れない」

「……生憎、君に守ってもらわなくとも、生き延びるくらいなら私は―――」

「違うぞ」

「え?」

「お前が居ないと、俺は自分を守れない」

 あの怪物と対面した時、俺は碧花が居たからこそ動く事が出来た。彼女が隣に居ないと、俺はその場で動けなくなって、それでつみだ。せめて彼女の前では強くあろうと思った直後にこの発言だ。ダブルスタンダードというか、矛盾というべきか。

 碧花は俺の言わんとしている事に驚きを隠せず、暫く呆然と口を開けて固まっていた。暫くすると、柔らかい笑みを浮かべた。

「素直だね、君って」

「悪いか?」

「いいや、悪くない。素直なのは好きだよ。わざわざ勘繰る必要とかないから、精神的負担が少ない。けれどその状況でそんな発言は……どうなのかな」

「頼りないってか」

 分かり切った答えを自嘲気味に呟くと、碧花がそれを肯定してくれた。自虐というものは、やはり何であれ肯定してくれた方が負担が少ない。真面目に返されると、むしろ自虐した側は傷ついてしまうのだ。

「そうだね。けれど君が頼りないのは元々の事だ…………でも。私の手を握る君は………………とても、頼もしいよ。うん―――ああ、えっと……そう。素敵だ」

 気のせいだろうか、先程からどうも碧花の様子がおかしい気がする。何かが居る訳でもないのにそっぽを向いたり、一体何がそんなに落ち着かないのだろうか。

「どうしたんだ?」

「え? ……な、何が?」

「いや、さっきから落ち着きないし。何か聞こえたりしたか?」

「そ、そういう訳じゃないけど…………」

 指を絡めて繋がる碧花の手が、何度も何度も絡み直されて、その度に彼女の新しい感触が俺に伝わる。頬が紅潮していたのなら、この状況に対して遂に羞恥心が発動したと考えられるのだが、そうではないようなので分からない。

 取り敢えず彼女の落ち着きを取り戻さんと俺が手の力を緩めると、まるで離れる事をこそ恐れる様に、碧花の手が俺の指に絡みついた。


「…………」


 もう一度やってみるが、変わらない。これでは離れて繫いで離れて繫いでのイタチごっこだ。いつまで経っても終わる気配が無い。俺としても別に彼女と離れたい意思が特別あった訳でもないので、早々に白旗を上げて、今度はきちんと手を繫ぐ。

 体育館とを繫ぐ通路は一本道なので、こんな所で遭遇したら詰む。俺達は相も変わらぬ慎重な足取りで校舎へと向かいながら、小声で会話をする。

「取り敢えず、次はテレビの所に行くか。理科室に、もしかしたら人形が居るかも」

「…………もし、居たらどうするの?」

「は? そんなの決まってるだろ。終わらせるんだよ、この遊びを。俺もお前も、こんな所で死にたくてやってるんじゃないんだ。だろ?」

「いや、だろじゃなくて。君、一人かくれんぼの終わらせ方を知らないの?」

「馬鹿にするな! 一人かくれんぼを終わらせるにはな、コップの残りの塩水と、口の中の塩水をかけて、私の勝ちと三回宣言すれば終わり! 合ってるだろ?」

「……ああ、この上なく合っているよ。けれど君、塩水はどうしたの?」



「あ」



 口論の形勢は、この時点で逆転したと言っても過言では無かった。

「まずは塩水を作った方がいいんじゃないかな、と思うけど」

「塩なんか何処にあるんだよ」

「調理室」

 俺達は二人してお互いを見つめた。あの部屋に行く事を、発言した彼女も微妙に躊躇っていたのだ。それも当然と言えば当然。瞬間移動があろうとなかろうと、流石に居なくなっていると分かっていても、あのよく分からん奴とはあそこで遭遇したのだ。犯人は現場に戻ると言うが、被害者は願わくは現場なぞに戻りたくはない。心理状態は一致していた。

「他の所にあるかね?」

「無いと思うよ」

「先生が持ってるとか」

「そんな面白い先生は居ないよ」

「職員室とか」

「入れないよね」

 一問一答が流れる様に処理されて、結論は回帰する。やはり行かなくてはならないらしい。心情的には物凄く嫌なのだが。


 嫌なのだが。


「行くか?」

「まあ、それしかないよね。嫌だけど」

 無事、校舎に戻る事が出来たので、俺達は嫌々ながら調理室へ。角でぶつかる事だけは何としても避けたかったので、曲がる瞬間は最大限の緊張と警戒を抱いたが、やはりあの怪物は居なかった。流石に移動したのだろう。間違いなくそう思っていた筈なのに、ここまで不安になってしまう辺り、まだ俺は恐怖に慣れていない様だ。一応、教室内に潜んでいる可能性は無きにしも非ずなので、俺は碧花の視線をそれなりの頻度で確認しながら、教室の方に目を向けていた。扉が開いたら、いつでも逃げられる体勢である―――

 ふと、一瞬だけ見えたものが気になって、俺は足を止めた。

「どうしたの」

「いや……なんか窓から見えた気がして」

 碧花との手は離さずに、俺は極めて用心深く一年生の教室に張り付いた。その瞬間、俺の鼻を強い臭いが擽った。密閉された空間から臭いを感じ取れる程、俺に鋭敏な嗅覚は無い。全ては教室の扉が微妙に開いていたからこそ、感じられたのである。


 その臭いに、俺は嫌な予感を抱いた。


 嗅いだ事はない。けど不愉快極まる臭いだ。それは一言で言えば腐敗臭であり、或いは鉄の臭い。俺はゆっくり扉を開き、奥を懐中電灯で照らした。











 そこには夥しい量の血液が広がっていた。中央には教師と思わしき人間が座っており、俺達とは真反対を見つめている。扉を引く音はどれだけ遅くやろうとも確かに聞こえただろうが、教師は微動だにしなかった。

 何か様子のおかしい事を悟った俺は、意を決して声をかけてみる。

「あの……済みません」

 もしかしたら、安心したかったのかもしれない。これでもし、教師が振り向いてくれて、俺達を叱ってくれて、そのまま家に帰してくれれば、それに越した事は無いだろうと、そう思っていたのかもしれない。人間は楽な道を選びたがるものだ。俺だってそれに漏れてはいない。一人かくれんぼの幕引きだって、出来れば他人にやらせたいくらいだ。

 教師は反応しなかった。最初からそうであるかのように、動かない。

「あの!」

 俺は血の結界に足を踏み入れて、その男の肩を掴んだ。




 ゴロ。



 そう思ったのも束の間、教師の首が転げ落ちた。

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