繫ぐその手は愛おしく
どうやら俺は発言を間違えなかったらしい。碧花は何でかご機嫌になり、彼女の方から俺の手を握ってきてくれた。何やらちゃっかりとんでもない約束をした気がするが、後悔はしていない。言っては何だが、碧花みたいな可愛い女の子と約束するのは、同年代の男子にしてみれば夢の様な行いではなかろうか。
やはり彼女の手を握ると落ち着く。人形だか何だかよく分からない奴をイメージしても、彼女の感触があれば、俺の思考は滑らかに回転してくれた。
「き、君。握ってもいいとは言ったけど、そんな風にあまり―――せめて、優しく……」
一人かくれんぼを終わらせるには、とにもかくにも俺の良く知る人形が必要だ。あの気持ち悪い奴ではない。というかそもそもあれは何だ。よく分からないので取り敢えずあれは放置。もしもあれが人形という事なら、その時対処法を考えるまでだ。
「……水鏡。お前はどう思う?」
「え、え? ああ、あれの事なら、何だろう。よく分からないけど、一人かくれんぼで人形が変質したなんてネットの何処を探しても見つからないし、あれが人形とは考えにくいね」
「じゃあ何だと思う?」
「何だ……って言われてもね。私はその手のエキスパートじゃない。申し訳ないけど、力にはなれないよ」
「まあそうだよな。俺も無理を聞いたよ」
あれが何であるか、についてはこの際置いておこう。どっちみちここには俺と碧花しかおらず、また、アイツの正体解明は本筋である一人かくれんぼと何も関係ないからだ。たとえアイツが一人かくれんぼに引き寄せられたまた別の怪異だったとしても、俺達が生き残る為には、取り敢えず無視するのが賢明だ。好奇心猫をも殺すと云う。関係のない事には首を突っ込まないのが一番だ。
「……水鏡。お前、一人かくれんぼの手順は知ってるか?」
「勿論。これでも使い処の無い知識なら一通り修めたつもりだ」
「それ、言ってて恥ずかしくないか?」
「いや、特に。大体この世に、『これは価値だ』と誰にどう言われようと、世界がどう流れようと断言出来る物があるのかい? 知識だって役に立つか否かは世界の動きによるよ。刀が無い世界に刀の知識は要らないよね。それと同じだよ」
一応補足するが、碧花は小学生である。俺に何の間違いも無ければ、彼女は至って普通の教育をうけてきた至って普通の女の子の筈だ。どこぞの社長令嬢という話はない。何処の漫画だ、それは。にも拘らずまるでこの世の全てを悟っている様な発言は、俺と彼女の精神年齢に隔絶たる差がある事を感じさせた。
「ま、まあいいや。それで、知ってるんだな?」
「うん。案でも浮かんだ?」
「浮かんだっていうか……あのよく分からん奴を追究する訳じゃないんだが、アイツが人形かどうかを確かめておきたくてさ。今から俺が行った手順に沿って学校を巡っていきたいんだけど、一緒に来てくれないか?」
人間の記憶というものは結構当てにならないもので、例えば『自分は絶対にこうだ!』と言い張っていても、そして実際に本人的には真実に違いないと思っていても、実際は偽りである場合は結構多い。嘘発見器が世界に導入されない理由は、聞いたところによると緊張した際の脈拍で嘘を誤認してしまうとか何とか言われているが、俺はそれに加えて、本人の記憶が当てにならない事も原因の一つだと思っている。
真実はいつも一つだが、その見方は千差万別。世界から嘘が消えないのは、要はこういう事なのである。無自覚の嘘、とでも言おうか。この状況下で俺はもしかすると俺自身を欺瞞する恐れがあったので、もう一人第三者が居てくれるのは心強い。特に碧花はやけに達観した事を言う小学生だ。発言には説得力がある。
「来るも何も、私は最後まで君に付き合うと言っただろう」
碧花は俺から名残惜しそうに手を離し、美術室の扉に耳を当てる。
「…………うん。誰も居ない。出る?」
「ああ、その方がいいだろう。アイツ、動きは遅いけど知能を持っている疑いがあるからな。変に勘繰って閉じ籠るよりは全然マシだ」
俺は立ち上がって美術室を出ようと―――いやいや。少しだけ待って欲しい。もしもまたあの怪物に遭遇した時の対策が、今度は無い。あの時は包丁があったから、今度も何か持っていくべきだろう。俺は普段先生が座っている机の辺りを覗き込み、使えるものがないかと探してみる。
手に取ったのは、パレットナイフだった。
「なあ。これって使えると思うか?」
耳をそばだてていた碧花は、俺の持っている物を二秒程度見ると、頭を振った。
「無くはないけど。もっとマシなものがあるんじゃないのかい? そこにある彫刻刀とかさ」
「あ、そっか」
俺も俺でさりげなく頼っているが、これではまるで碧花が刃物のスペシャリストみたいではないか。実際、あの投擲を素人が出来るとはとても思えないので、何かあるのだろう。そう言えば彼女は、野暮用とやらでここに来た事を思い出した。
―――野暮用って何だ?
注意深い足取りで俺達は廊下に出た。そして一先ずは最初にぬいぐるみを置いたシャワー室に行く事にした。学校にシャワー室とは珍妙極まりないが、部活動で運動部が使うのではないだろうか。体育館と校舎を繫ぐ通路を通って、体育館の一階にそれはある。この通路が青空廊下であれば良かったのだが、普通に密室だ。
「なあ、水鏡」
「―――碧花でいいよ」
「え?」
「そんな他人行儀にしなくたって、碧花でいいよ。私は怒ったりはしないから」
「で、でも俺達……その、何か名前呼びすると、何か―――」
恋人みたいではないか?
俺の無垢な考えが、最後まで紡がれる事は無かった。
「私を探している時、そう呼んでくれたじゃないか。今更躊躇う事なんて無いと思うんだけど」
「でも……」
「…………だ」
声が聞こえなくて、聞き直しの意味も込めて俺が視線を向けると、彼女は全身を震わせながら、そして顔を耳まで真っ赤に染めながら、一言一言を心の奥からゆっくりと絞り出す様に言った。
「そう呼んでくれなきゃ…………いやだ」
「…………そ、それってどういう―――」
「い、いいから! そんな他人行儀は……や、辞めて欲しいな。お、怒るよ? 怒られるの、嫌だろ?」
怒っているのか泣いているのか分からない。涙は出ていない様だが、彼女から全く凄みというものを感じなかったので、いまいち俺も怒られた気分にはなれない。しかしこれ以上女性の心を揺さぶる要因を放置するのは男としてどうかと思われたので、俺は「分かった」と言って、一旦そっぽを向いた。
こうして改めて呼ぼうとすると、凄く恥ずかしい。
「あ、碧花」
「……何?」
「野暮用って言ってたよな。良かったら教えてくれないか? 今となったら、俺達、運命共同体だし。もしかしたら関係があるかもしれない」
「…………いや、関係は無いと思うよ」
「何でそう言い切れるんだ?」
「関係があったら、心当たりがあるだろう」
それもそうか。俺はすっかり納得してしまい、それからは暫く会話が無くなってしまった。それは話す事がないというのもあったし、俺のネタの引き出しが狭い事もあったし、あのヤバい奴が接近してきていないかを警戒する為という理由もあった。考えてもみて欲しい。足音の限りではべらぼうに遅いアイツだが、俺の予想では透明になれるか、それか瞬間移動の能力がある。何故ならあの速度で俺達の意識の不意を突いて出現という芸当は、どんなサーカス団員が行ったとしても不可能だ。それを可能とさせるのは瞬間移動能力。ワープなら、どれだけ遅くても関係ない。
俺は出来る限り碧花と繋がっている手を離さず、確実に体育館へと向かっていく。
「君、怖いのは得意なの?」
「まさか。めっちゃ苦手だけど」
「じゃあ何で……そんな、頼もしいのかな」
彼女はきっとこう思っているだろう。ついさっきまで自分の袖を掴んでびくびくしていた男とは訳が違っていると。俺もそう思っている。自分が何でここまで勇敢な立ち回りが出来るのかを説明出来ない。一つ確信している事は、この一件が済めば、俺からこの特性は失われるという予感だ。
「……俺が語るのは、申し訳ないんだけどさ。男って弱い生き物なんだよ。蟻が怖い奴も居れば、女性が怖い奴も居るし、猫が怖いって奴もいる。基本的に余裕が無いんだよ、男って。出産の痛みに男は耐えられないって言うし、女性が年上の男性を好みやすい傾向にあるのは、同年代や年下だと心に余裕が無いからとも言われてる。それくらいよわっちくて、神話や漫画みたいにカッコイイ男なんて、ほんの一握りで。でもさ―――」
俺は自虐する様に目を細めて、深く口角を吊り上げた。
「男はどうしようもなく見栄っ張りなんだ。大切な人の為なら、男は何にだってなれる。お前が居るから俺は……強くなれるんだよ」
これの何処が自虐なのだと、そう尋ねる者も居るだろう。しかしこれは紛れもない自虐である。彼女が俺が頼もしいと感じているのも、俺が力強く彼女の手を握っているのも、全てはまやかしだと告白しているのだから。むしろそれの何処が自虐で無いのか、逆に問い質したい。
俺は俺の事を情けなくちっぽけな人間と知っているからこそ、碧花の為に大きく見せる。他でもない自分が弱者としての自覚があるのだ。せめて一人くらいには、俺の事を強者と見てもらいたい。
「―――なんてな。口ではそう言ってみたが、怖いよ、やっぱり。もうすぐシャワー室だけど、これで人形が残ってても残ってなくても、怖い未来が出てくる。ここまで近づいてシャワーの音が聞こえないって事は…………誰かが止めたんだろうし」
通路はもうすぐ終わりだ。この距離からでもある程度の事態の把握は出来る。果たしてこれは一人かくれんぼなのか、それとも全く別の遊びをしているのか。何であれ俺達には、それを知る権利がある筈だ。
この校舎には俺達しか居ないのだから。居ない筈、なのだから。
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