恐怖を知らぬ、故に死を知らぬ



 脇腹が痛い。最近は運動しなかったせいか、それとも呼吸の仕方が滅茶苦茶だからか。その両方だろう。


 名も知らぬホームレスから情報を提供されたからこうして廃工場まで足を運んだ訳だが、誰も居ない。もう移動したのだろうか。


「…………はあ! はあ……はあ、はあ、はあ…………はあ」


 痕跡が残っていたら有難いが、そう簡単に痕跡は残っていまい。ドラマじゃあるまいし。だが一応探している。埃からコンクリートの欠片に至るまで。どれだけ細やかでも、それが痕跡であるならきっと見つけてみせる。


 俺の全てに懸けて。


「……何もねえな」


 廃工場とはいえ、多分土地の権利はまだ何処かにある。不法侵入なのは間違いないが、法を侵したのならその分収穫が欲しい。せめて……次の手掛かりを。誰が犯人でも構わないから、せめて妹の消息を。



『はじまった はじまった カクシブエ 』



 こんな事では侵入損だ。天奈が無抵抗だったとは考えにくいから、靴か何か、落ちている可能性があると考えたのだが。痕跡が見つからないと、そもそもの情報がガセであった可能性も否めない。しかしホームレスの情報はやけに的確で、嘘を吐くにしては出来過ぎている。俺にピンポイントで情報を教えたのも、嘘でない可能性を高めている。



『始まらないと 始まらないと 終わらない 』



『早く見つけないと 消えちゃうよ キミの妹が 消えちゃうよ 』



「……ん?」


 全体を隅々までチェックし、それでも見つからなかったが、一度探しただけでは見落としがあるだろうと考え、もう一度同じ方法で探し出していると―――本当に見落としていた。だが妙だ。隅っこに見つけるならまだしも、工場のど真ん中を見落とすなんてあり得ない。


 しかも。


 しかも―――。




 人の指だ。




 作り物じゃない。本物の指。俺よりも小さく、俺よりも柔らかい。腐敗は見られず、切り落とされたのはつい最近だという事が分かる。不思議なのは、切断面から一切流血していないという事か。



 ―――誰の指なんだ?



 妹の指とは思いたくない。残念ながらこの指だけで俺は本来の所有者を特定出来ないが、多分女性であるだろうとは思っている。あまりにも指が華奢だ。


「狩也君」


「……その声は碧花か」


 それでも振り返らず、暫く指を眺めていると、視界の外から彼女の腕が介入してきて、その指を抓み上げる。


「指だね」


「ああ、指だ」


「君の妹かい?」


「そうは思いたくない」


 指だけが落ちていると考えれば、まだ生きているとも言えるが―――五体満足を望みたい所だ。代わりが務まるのなら、俺が腕でも足でも払ってやるから。


「不思議な指だ。……生体には違いないのに、血が出ていない。これは切断された訳じゃないね」


 碧花は無造作にその指をポケットに突っ込むと、屈み続ける俺に手を差し伸べた。


「随分、落ち着いてるね。君にしては」


「……そう見えるか。お前には」


「見えないけれど。でも見た目は間違いなく落ち着いてる。さては不思議な出来事に遭遇しすぎて、耐性が付いたかな…………ごめん。茶化す雰囲気じゃなかったね。妹さんがそんなに心配なんだ」


 幾ら彼女と付き合いが長いと言っても、分からない事と分かる事がある。兄妹の居ない碧花には、俺の気持ちなんて分からない。『そんな』という言葉からも良く表れている。或いはもっと別の想いがあるのかもしれないが。


 その単語が引き金となり、俺が内側に抑え込んでいた感情が、突如として爆発した。




「―――心配に決まってるだろ。何でこう……俺は不幸を振りまくんだ。何でこう、俺だけが。俺だけが、俺だけが!」




 碧花の方を見据えるも、その対象は彼女ではない。俺だ。俺は己自身を呪い、喚いた。碧花は何も言わず、俺の嘆きに耳を貸していた。


「俺が不幸なんて馬鹿らしいったらねえ! 俺は幸運だよ! 超幸運だよ! 酷い目に遭ってる? 生き残ってるのは俺だけだ! 当然だよな。ああ当然だよな。俺自身が発端なんだから! こっくりさんが自分を呪うなんておかしいものな。なあ、俺は化け物なんだよな? もう死んでるんだよな?」


「……」


「死んでまで迷惑をかけるなんて、俺はとんでもない屑だな! 妹は何だってこんな奴をお兄ちゃんって呼んでるのか全く以て理解出来ん! こんな奴が、兄貴な訳無いだろうが!」


 感情の爆発は突然起こる。前触れなどあってない様なものだ。廃工場に俺の歓声は乱反射し、割れたガラスが良く震える。この言葉に意味はない。愚痴っぽく聞こえるが、愚痴としても成立していない。


 強いて言えば、俺自身が俺に抱いていた文句。そしてこの現状に対して何も出来ていない事実に対する嘆きだ。指という物騒な手掛かりは得たが、それが直接的に繋がっているかと言われると、無い。回収された指が妹のだったとしても、これは覆らない。


 暫しの沈黙が訪れる。工場に木霊した声が収まってから、俺は脱力した声を碧花に向けた。


「…………助けてくれ、碧花」


「言われなくてもそうするし、している。今は私にとっても可愛い妹だからね」


「……良く、俺が妹の事について言ってるって分かったな」


「どれだけ長い付き合いしてると思ってるんだい。君の事は、君が将来作るかもしれない恋人よりもずっと理解しているつもりだよ?」


「……そうか」 


 手を取って、立ち上がる。合流したのはいいが、これで俺の方は振り出しに戻ってしまった。


「落ち着いた様だね」


「……ああ。変に当たり散らして悪かったな。所でお前の方はどうなんだ。俺が以前会った子を犯人とした前提で調べていたんだろ」


「そうだね。ちゃんと調べてきたよ。でもここじゃ何だ。歩きながら話そうよ」

















 


 廃工場を脱出する瞬間を誰かに見られたら問題になりかねないが、運よく周囲には人が居なかった。


「君が出会ったというその少女の名前は榊木唯南。どうやら年の近い者の間では有名らしいね」


「有名?」


「…………『死神』と呼ばれている。一応言っておくけど突然私が厨二病に目覚めた訳じゃない。本当にそう呼ばれているんだ。まるで君みたいにね」


「…………」


 そうだとするなら、あの発言はそういう意味になるのだろうか。地雷系女子は冗談半分で言ったのに、本当に地雷ではないか。


「君は関わった人間のみに影響を及ぼしているけれど、彼女の場合は彼女が好きになった人、と言われている。その証拠に、彼女がそう呼ばれるまでに起きた事件の全ての被害者は首を落とされている……はあ。外面だけ揃えるなんて、ニワカだね」


 『首狩り族』というのは、何も被害者全てが首無し死体で見つかっているからそう呼ばれているのではなく、首を狩られたに等しい程のダメージを受けるから、そう呼ばれているのだ。だから被害者の中には五体満足の奴だって居る。


 代わりに精神が完全に壊れて廃人になっているが。


「……ちょっと待てよ。俺のは非現実的な存在が関わっているとして、だ。その榊木は何なんだ? もし本当に実行犯なら、警察に捕まってると思うんだが」


「確かにそうだね。この国の警察は優秀だ。だから痕跡を完全に消して絶対に追えない様にするのは非常に時間が掛かる。突発的な犯行ばかりしているなら、まず無理だろうね。まあでも……その辺りは良いんじゃない? お蔭で君の妹が死ぬ事は無いって判明したじゃないか」


「え?」


「……恐らくだけれど、君の目の前で殺したいんじゃないかな。だから見つけるまでは、取り敢えず生きてると思うよ」


「……いやいや! じゃあ見つけたら死ぬ可能性が生まれるじゃないか!」


「語弊があるね。見つけたら、じゃない。見つかったら、だ。君は昔、ステルスゲーのプロだって自慢してたじゃないか。毎日毎日私に気付かれる前にスカートを捲るチャレンジなんてのもやっていたじゃないか」


「あれは……全部負けただろ! ってかそんなの今引っ張り出すな。関係ないだろ!」


「でも見つかる前に見つけるしかないのは事実だ。後手後手に回れば不利なのはこっちだけれど、私の情報はここまでだ。何処に行ったかとかは知らない」


「そうか……」


 ふと時計を見ると、そろそろ那峰先輩との約束の時間が近づいている事に気付いた。ここからノンストップで走ればギリギリ間に合うか。しかしまだ脇腹が痛い。特に呼吸をしている時。


「じゃあ俺、そろそろ行くわ。知り合いと合流の約束があるんだ」


「私も一緒に行こうか?」


「お前は引き続きそいつについて調べていてくれ。犯人じゃないって分かったら、その時点で合流してきても良いから」


「分かった。それと指は、私が責任をもって届けておくよ」


「おう、頼んだ」


 次の交差点で、俺達は互いに正反対の方向へと進んだ。今度ばかりは怪異など関係ない。警察は非常に頼もしい存在となってくれる事だろう。



 

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